ニッポンの保守──2020年桜の陣(3) ジェンダーと被害者の声|小林よしのり+三浦瑠麗+東浩紀

ゲンロンα 2020年5月8日配信

 2020年3月28日に行われた小林よしのり氏と三浦瑠麗氏、東浩紀の鼎談番組「ニッポンの保守──2020年桜の陣」。『ゲンロンα』ではその模様を、3回に分けてお届けしています。コロナ禍に対する社会の反応と言論人のあり方が議論となった第1回理想の改憲と令和以降の皇室が話題となった第2回に続き、最終回はジェンダーがテーマです。#MeToo運動や従軍慰安婦問題をめぐり始まった議論は、被害者の声を聞き、語るとはなにを意味するのかまで広く展開しました。「保守」という立場から、あるべき社会の姿を追求します。
 この座談会の模様はVimeoにて全篇をご覧いただけます。こちらのリンクからぜひお楽しみください。(編集部)

慰安婦問題と#MeToo 運動

東浩紀 すでに天皇制をめぐる議論でも語られていましたが、最後のテーマであるジェンダーに移りたいと思います。まずぼくから小林さんに投げかけたいのは、従軍慰安婦についての態度と伊藤詩織さんの #MeToo についての関わりとの関係です。

 ひらたくいえば、小林さんは、従軍慰安婦問題については被害者の証言を疑わなければならないとおっしゃっているのに対して、伊藤さんの件については被害者の証言に立脚しなければならないとおっしゃっているようにみえる。両者はどう整理されていますか。

小林よしのり まず1次・2次資料にあたる必要があります。慰安婦の証言で部隊名がでてきたら、その部隊について全部調べて検証する。わしは「新しい歴史教科書をつくる会」のときに伊藤隆東大名誉教授から教科書の記述を任されましたが、普段考えていることを書いてもボツにされる。そこでとにかく資料批判に徹し、全部を精査した結果、強制連行はなかったという結論に達したんです。歴史学は証言だけではどうにもならない。

 それに対して詩織さんの件は歴史問題ではない。詩織さんの証言、山口敬之被告の証言が1次資料です。両者がどうちがい、信憑性がどこにあるかを精査しました。そのうえで詩織さんの証言が正しいという結論に達したわけです。わしは山口から名誉棄損で訴えられたので、裁判資料を読むことができます。庶民の感覚からしたら、酩酊状態の女性を部屋に力ずくで連れていく段階でアウトです。本当に詩織さんの体調が心配ならコンシェルジュに任せればいい。

 伊藤さんの事件について、小林さんの主張に完全に同意します。けれども従軍慰安婦問題についてどうでしょうか。軍が命令して人狩りをしたことはなかったとしても、「広義の強制性」、つまり「雰囲気的に強制された」ことはたしかにあったと思うんです。「従軍慰安婦」という言葉を最初に有名にした千田夏光の1973年の本でも、すでに軍は自分の手を汚したくないから民間を使ったと書いてある。これは従軍慰安婦がまだ政治問題になっていなかった時点の本ですから、逆に、日本の庶民全体がそういった感覚に親しんでいたからこそ出てきた表現だと思います。

小林 当時の国はあまりにも貧乏過ぎた。東北は飯も食えないし、そこに業者がきて娘を喜んで売っていたんです。当時は公娼制度があって合法だった。吉原の女性たちは本当に悲惨ですよ。日本の慰安婦が一番多いけど、ひとりも訴えてない。

 合法か非合法かだけで議論することには限界がある。「拒否する自由」を言うのであれば、性犯罪では立場が強い側に有利な判決が出てしまいがちです。まさに伊藤さんのケースではそういうことが起きている。小川榮太郎さんが『Hanada』に寄稿した文章を読みました。彼は凄く熱心に現場に通い、「エビデンス」を積み重ねて、「伊藤さんは助けを呼べたはずだ」と「実証」していくんですね。

 けれども、そういう「理屈」に対する否として #MeToo運動があり、そこに小林さんは共感したんだと思うのです。さきほど「庶民の感覚」とおっしゃいましたが、「常識的に考えて、連れ込んだんだからアウトだろ」という感覚が小林さんの正義のベースにある。であれば、同じことは慰安婦にもいえませんか。「広義の強制性」を小林さんは批判しますが、軍の気持ちを汲んで民間がグレーゾーンな暴力を振るうことはあるし、そのとき人々は断りたくても断れない、そういうときは被害者に同情するという感覚こそが、小林さんのいう「庶民感覚」に近いのではないか。

三浦瑠麗 私は、東さんの意見にほぼ賛成なんです。そもそも#MeToo とは女性の人権意識の高まりとともに起きた、新しい基準を作るために広がっていった運動です。そこには過去の性犯罪裁判で「なぜ抵抗しなかったのか」を理解できなかった男性の裁判官の知識の欠落や、「些細な暴行・脅迫の前にたやすく屈する貞操」は刑法の保護法益に値しないというとんでもない見方への抵抗も込められています。小川さんが詩織さんに下したのは、そうした過去の常識に基づく冷酷な見方です。

 「エビデンス」を重ねていけば山口さんや小川さんが有利になってしまうかもしれない。それと同じことを、日本の一部右翼は従軍慰安婦問題でやってきたように思います。ぼくとしては、この件については「広義の強制性」という考えのほうが腑に落ちる。

小林 慰安婦にもいろんな事情があり、それしか食べていく方法がないから商売として選んだひともいます。日本の兵隊も、売春に対する嫌悪感をはじめから強く持っているひとと、侮蔑したり差別する感覚が非常に少ないひととさまざまで、慰安婦は結婚もしています。いまでも風俗で働いているひとと結婚する男はいるでしょう。

 西洋的な考えを取り込んだ日本の左派がいて、彼らのアピールで議論がフレームアップしたことについては同意します。しかし、悲惨なひとがいたことはたしかだと思うんです。

小林 それはいたでしょう。

 そしてそのひとたちが、日本に騙されたと思っていることもたしかです。そこにはむろん韓国政治の問題もありますが、保守こそ、そういう政治的な駆け引きとは無関係に共感を表明してもいいと思うのですが。

小林 それは難しい。慰安婦のひとたちには、すでに日本政府がそれなりの謝罪をし、お金も払うと言っている。それを挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会、現在は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」と改名している)が「それを貰ったら売国奴だ」という言い方をしてるわけだ。

第3の論点であるジェンダーについて語る3人。議論は白熱し、真夜中近くまで及んだ

三浦 それはわかります。ただですね、ことの本質は、嫌いなひとがレイプされても全力で支援するか、という冷酷な問いでもあるんです。FOXニュースで起きた実在のセクハラ告発事件を描いた『スキャンダル』という映画があります。一見、勧善懲悪的なストーリーのようでいて、この映画の隠れたテーマは「嫌いなひとがレイプされても全力で助けますか」ということなんです。同じ会社のライバルや政治的な対抗陣営にいる女性が被害に遭ったとして、原理原則に基づいて本気で#MeTooと言えるのか。とくに韓国政府が外交上不合理な立場を取り、挺対協が慰安婦の人権を抑圧するような状況下では、日本人として中立で無色透明には考えにくい面があります。

 世の中が急速に変わり、ジェンダーや暴力の感覚は大きく変わった。そのせいでみんな過去の謝罪ばかりするはめになっている。最近、三浦さんと乙武洋匡さんの対談『それでも、逃げない』を読みました。乙武さんは昭和生まれの人間として、自分がいかにマッチョだったかと何度も謝っている。ぼくは同じ昭和生まれの男性として、ちょっとキツいと思った。でもしかたがない。

 同じように、かつて慰安婦を送り出すことが自然だと思われる状態が日本も朝鮮半島にもあり、それをわれわれの先祖が利用した。それは当時としては「そういうもんだった」とはいえるかもしれない。でもやはり、訴えが来たら、ぼくたちは継承者として、責任を問われざるをえないと思うんですよ。

小林 わしはやっぱり、祖父たちに――といっても若者だった祖父たち兵隊に感情移入してしまうのよ。歴史的な事実として、公娼制度時代の悲劇というしかない。本当に個別に全員、事情がちがうんだから。政治や挺対協とか、全部なしになったら彼女たちがなにを言うかわからないよ。普通に商売でしたと言うかもしれない。

証言とフィクション

 最近、小説家の柳美里さんと対話をする機会があり、彼女が10年以上まえに出版した『8月の果て』という小説を読みました。これは2002年に朝日新聞と東亜日報で共同連載されたのですが、途中で打ち切りにあった。その理由は従軍慰安婦の描写にあったといわれています。というのも、柳さんの小説では、慰安婦の仕事がとても生生しく、セクシャルにも読めるように書かれていたんです。これは日本でも韓国でも非難されたようです。

 慰安婦像は少女の姿をしています。そこには慰安婦は純粋無垢な犠牲者でなくてはならないという思いが表現されています。けれども現実に彼女たちが生き抜いた現場は、そういう綺麗事ではなくて、本当に悲惨だけど、同時にエロティックなものでもあったわけですね。その生々しさこそ日韓の双方が見たくないもののように思います。

小林 わしは、慰安婦を売春婦と呼ぶことは失礼だと思って、反対してる。日本の若者たちを慰めてくれて、ありがたいとおもう。春を売られなければいけなかったこと自体、ほんとうに大変だったろうとも思っていますよ。

三浦 人生は悲喜こもごも哀歓があって、そもそもエロティックなものです。逆に、だれかが見てエロティックだと思うことが、ひょっとしたらものすごい痛みを伴ったかもしれない。昨年のあいちトリエンナーレの《表現の不自由展・その後》に、高齢になった慰安婦を撮った安世鴻さんの連作写真が展示されていました。それを見て彼女たちの人生を想像しました。その状況に置かれたときのおぞましさは女だからよくわかる。

 やはり人間は、自分が好む被害者を探してしまうものなのです。被害者と同じ立場になることができると信じていて、自分の人生を重ねあわせる。ただ、わたしはそういう手法を取りたいとは思っていません。わたしが自伝的エッセイ『孤独の意味も、女であることの味わいも』を書いたのは、ヒューマニティの観点から個人的な体験を普遍的なものに再構成できないかと考えたからです。実際、読者にはある程度伝わってくれたと思います。しかし、一般に性被害をめぐる議論は、人格や政治的思想、国や国籍による対立をあからさまに映し出します。人間が特定の被害を「見ないことにした」理由というのは、私の経験上常に明らかだったのです。被害者は通常見てもらえない存在。だからその当時の状況についてついた小さな嘘や、言及しなかった理由も彼女たちのおかれた背景を見なければわからない。

三浦瑠麗『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)

小林 ただ、慰安婦のひとの体験談は矛盾がいっぱいあって、変だと思うんだ。一度解散しているのに、つぎの軍地にわざわざ行ってまた慰安婦をしている。それで被害を訴えてくる事例もあって、どうもわからない。

 戦争証言の難しいところは、ひとは正しく証言するとは限らず、隠したいことや嘘をつきたいこともあるということ、そしてそれを含めて人間だということです。それは証言のつじつま合わせの「向こう側」を見ることでしかわからない。

小林 吉原の体験談を読むと、梅毒や、地獄のような思いをして死んだ女性がいっぱいいる。当然朝鮮半島にもいたでしょう。心情的に、不幸な人生を送ったひとたちに対して気の毒だという気持ちはある。けれど一方で、わしには国家を背負わなければいけない気持ちもある。そうなると、時代のせいでもあるし、必ずしも日本国のせいとも言えないと思う。

 慰安婦は国家を背負っている。わしも国家を背負っているから、どうしても一定のところまでしか言えない。

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1953年生まれ、福岡県出身。漫画家。大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒット。代表作の一つ『おぼっちゃまくん』は社会現象となり、アニメ化もされた。92年より連載中の『ゴーマニズム宣言』では、世界初の思想漫画として社会問題に斬り込み、数々の論争を巻き起こしている。最近はネットでの言論も盛んに行ない、Webマガジン「小林よしのりライジング」やブログでの発言が注目されている。近刊に『天皇論「日米激突」』 (小学館新書)、『慰安婦』(幻冬舎)など。

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国際政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、株式会社山猫総合研究所代表。ブログ「山猫日記」主宰。単著に『シビリアンの戦争——デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書) 、『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書) 、『21世紀の戦争と平和: 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』、『孤独の意味も、女であることの味わいも』(ともに新潮社)。

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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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