リベラルからラジカルへ──コロナ時代に政治的自由は可能なのか(1)|外山恒一+東浩紀

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ゲンロンα 2020年6月2日配信

 2020年5月25日、コロナウィルスの流行にともなう緊急事態宣言が全国で解除されました。東京では街にひとの姿が戻り「自粛明け」ムードが強くなる一方、本日6月2日には都内で30人を超える新たな感染者が確認され、小池百合子都知事による「東京アラート」の発動が検討されています。
 そうした日々流動する情勢のなかで、人々の自由はどのように担保されるのでしょうか。ゲンロンカフェでは5月10日、革命家の外山恒一氏をお招きし、東浩紀との対談を放送しました。ほとんど同世代でありながら、これまで「パラレルワールド」を生きるように交わらなかったという外山氏と東。そのふたりの対談が実現したのは、コロナ禍における監視社会の進行に対して、共通して強い危機感を抱いていたからでした。なぜ「リベラル」は、自由をみずから放棄する行動を取ってしまったのか。そしてコロナ禍以降、言論人のあり方はどのように変わるべきなのか。人間にとって本当に大切なものとはなにかを根本から問いなおす対話の模様を、2回に分けてお届けします。第2回は6月中旬公開予定です。
 この対談の第1部の模様は、Vimeoにてご覧いただけます。ぜひお楽しみください。(編集部)
 
東浩紀 今日は「コロナ時代に政治的自由は可能なのか?」というタイトルで、革命家の外山恒一さんをゲンロンカフェにお招きしています。外山さんをお招きするのは2回目ですが、ぼく自身はじつは初対面です。外山さん、今日はどうぞよろしくお願いします。

外山恒一 よろしくお願いします。

大衆に勝てないリベラル


 今回のイベントは外山さんのご提案で実現しました。ぼくは外山さんの活動は以前から知っていました。『ゲンロン』での座談会がもとになった書籍『現代日本の批評』について外山さんがサイトで長くコメントをしてくれているのも読んでいます。

 1970年生まれの外山さんと71年生まれのぼくは、社会の大きな変動をほぼ同じように経験しているはずです。しかしそれらに対する反応や、これまでの活動は大きく異なっている。だからぼくとしては、パラレルワールドを生きているようだと思っていた。なので今回のご提案には正直驚きました。

外山 東さんとは以前からお話したいと思っていたのですが、直接のきっかけは今回のコロナ騒動です。ぼくは普段、テレビのニュースをほぼ見ないので世情に疎いのですが、それでも今回のコロナを受けて、人々が進んで自粛に従っていく風潮はおかしいと、徐々に感じるようになりました。補償も十分にされないのに自粛し、同調圧力でお互いを監視し合うような状況に苛立ち始めた。なので個人的に、ネット上で反自粛の宣言をして、ゴールデンウィークに高円寺の駅前で「独り酒」と称して活動を行なったりしました。要するに「街に繰り出せ、集まれ」ということですが、社会全体がこれだけ神経質になってる状況だし、無届集会の主催ということで逮捕される可能性を警戒して、「駅前広場で独りで飲んでるから、絶対に来るなよ」という呼びかけ方をしたんです。結果、駅前に毎日100人くらいが集まって、路上で宴会をしていた。

 その過程で、東さんも今回の自粛に対して異論を提起していていると知りました。しかも論点が反監視社会・反管理社会という点で、ぼくの主張とかなり一致していた。そこでゲンロンにメールを送り、この対談を提案しました。

 光栄です。

 今回のコロナ禍で、いままでの「国家対リベラル」という図式は崩壊し、リベラル論客のほうが国家による強い監視を求め始めています。そこに驚いています。外山さんはコロナ騒動が始まってからのリベラル勢力の動きをどうご覧になっていますか。
外山 がっかりといえばがっかりですが、リベラルなんてそんなものだろうとも思います。ぼくは今回のコロナ騒動で起こった大衆のヒステリーは、1995年のオウム事件以来の、第2弾だと捉えています。オウムのとき、警察による別件逮捕や微罪逮捕に対して、問題にすべきリベラルのひとたちは一斉に黙ってしまいました。こんなことを言うと「嘘をつくな。あのときもリベラルはちゃんと発言した」と反論してくるひとも多いんですが、それはヒステリックな空気がだいぶ収まった後、破防法適用が云々され始めてからのことです。事件勃発直後の、ヒステリー現象の真っ只中で発言しないのではなんの意味もありません。事件勃発から数ヶ月は警察批判は完全なタブーになり、そのなかで宅八郎や鈴木邦男、吉本隆明に絓秀実など、一部のひとだけが異論を唱えていた。そのとき以来、リベラルは役に立たないとぼくは思っているんです。今回もやはり同じでした。ヒステリーに乗じて監視社会化が一気に強まるという、1995年の繰り返しが起きている。

 しかも今回は日本国内だけではなく、ヨーロッパでも事情が同じですね。知識人はたいていロックダウンに賛成してて、ちょっとちがうことを言ったジョルジョ・アガンベンが叩かれているぐらいです。結局リベラルも、緊急事態では自由が制限されるのはしかたがないと言いだしてしまった。

外山 逆に言えば今回のような緊急事態を、普段のリベラルの議論はまったく意識してないわけですよね。そんな議論はお花畑と言われてもしかたがない。

 そうなんですよね。「国家にとって緊急事態だろうがなんだろうが、集会や移動の自由は大切なんだ」と主張できなければ、なんのための言論だったのか。今回はいろいろがっかりしました。

外山 リベラルは民主主義を否定できないんですよ。つまり大衆に敵対するという選択肢がない。だから今回のように大衆がヒステリーを起こし、「強権を行使しろ」と主張すれば、それに従わざるを得ない。

 リベラルはなにかと「かつての戦争が……」と言いますが、第二次世界大戦にも大衆のヒステリーがあり、それに乗らないひとは非国民として扱われた。つまり現在のリベラルがもしタイムスリップして戦前に行ったとしても、なにも戦えないということでしょう。
 
イベント当日の様子(放送画面よりキャプチャ)。ふたりの初の対談は外山氏からの提案で実現した

 

インターネットは自由な言論の場であり得たか


 なぜ日本のリベラルはこれほど「大衆の意志」に弱くなってしまったのか。これはコロナ前から起きていた事態ですね。むかしはネットの大衆運動といえばネトウヨの代名詞でしたが、いまやリベラルも、活動の中心をネットでRTや署名を集める方向へシフトしている。現在のリベラルは、Twitterユーザーの言うがままです。

外山 その問題は重要です。さきほど大衆のヒステリーとオウム事件の話をしましたが、日本におけるネット空間とリベラルの癒着も、そこにはじまりがあると思っています。日本においては、大衆的なヒステリーを国民がはじめて経験した時期に、インターネットの登場が重なった。
 たしかにオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた1995年は、Windows95が発売された年でもあります。「インターネット元年」とも呼ばれました。

外山 そうです。日本ではその偶然の一致によって、ネットが大衆のヒステリーに親和的なものとして定着し、各方面に影響を持ったのではないか。日本のインターネットはその初期から、ヒステリーを通過した大衆の世論の増幅装置でしかないと思っています。

 もちろん昨今のブレグジットやトランプ現象に顕著なように、ネットは日本に限らず大衆のヒステリーと親和的で、とくに現在はその特性が全面化しています。しかし外国が大衆的なヒステリーをはじめて経験するのは2001年の同時多発テロです。つまり、日本とは6年の差があった。そのあいだに欧米ではネット社会があるていど構築され、そのコミュニティがヒステリーに乗らない少数派の発信の場になりえたのだと考えています。諸外国の情勢と日本国内の情勢との差を生み出してる6年というこの時差にぼくはこだわっています。

 ぼくは初期からのネットユーザーとして、日本でもオルタナティブメディアとしてのインターネットを作るチャンスはあったと思っています。たとえば2000年代前半の「はてなダイアリー」には若いライターが集まり、そこでの議論はあるていどマスコミから切り離されていたけど、それなりに影響力があった。1995年からしばらくのあいだ、少数派はインターネットに集まっていたと思う。そのなかから2ちゃんねるなども出てきて、いろいろな活動がありました。

外山 そこがぼくと東さんの歴史観がずれているところですね。オウムの事件のときに監視社会への違和感を持たない日本人が大多数になったので、ネットにははじめから可能性はあまりなかったとぼくは思っている。ネット文化が始まったところで、日本人の99.9%が監視社会を受け入れる体質だったら、それは監視社会化・管理社会化を強化するツールにしかならないだろうと。

 その見通しは長期的に当たり、現実にはそうなってしまいましたね。ですが、やはりぼくは1995年から2005年ぐらいまでのネットには、可能性があったと思います。既存の価値観を壊したのは事実だし、ある種のアナーキーさもあった。もちろんそれはネトウヨ的なものの起源にもなるのですが。

 ぼくは『文藝』2019年夏季号に寄せたエッセイで、平成の30年間を振り返り、インターネットの登場を含め、日本社会に生まれたさまざまな期待が、最終的に裏切られたのが平成という時代だったと書いています。民主党政権の誕生は2009年で、そこまではITを含めて世の中が変わると期待されていた。その時期には、ぼくもインターネットが集める新しい人民の意志について本を書いたことがありました(『一般意志2.0』)。しかしその矢先に東日本大震災が起き、ネットは最終的に現在のような状況になってしまった。いまとなってはほとんどなにも期待できない。

SNSとクリエイティブクラス


 今回のコロナ騒動で世界的にこれだけ外出禁止や移動制限が広がったのは、ネットの影響が大きいと思います。もし20年前に今回のウイルスが来ていたら、これでは社会は成り立たなくなってしまったはずです。オンライン授業だってできなかった。

 これは言い換えれば、今回のコロナ騒動の本質は、感染症の問題でだけでなく、資本主義の問題でもあるということです。ひとことで言えば、社会をどんどんオンラインにしたい勢力がコロナを利用している。「クリエイティブ・クラス」と言われるような、オンラインだけで仕事が完結する人々が、この騒動をきっかけにして自分の勢力を拡大しようとしているということです。

 たとえば日本の大学では、すでに春学期全体の授業をオンラインで行うと決めたところが多い。この流れの背後には、発端となった東京大学が国際大学ランキングを上げたいという事情があると思います。ハーバード大学などのランキング上位校はかなりオンライン授業をしているからです。しかしこれは大学の評価のために、コロナを利用しているだけですよね。

外山恒一

1970年生まれ。革命家。「九州ファシスト党・我々団」総統。高校時代に“反管理教育”の活動家となり、89年、『ぼくの高校退学宣言』で単行本デビュー。90年代を“異端的極左活動家”と“売れない文筆家”の二足のワラジで過ごした末、02年、“反ポリティカル・コレクトネス”的な活動に関連して逮捕され、2年間の獄中生活中にファシズム転向。07年に都知事選に出馬、「政府転覆」を呼びかける過激な政見放送がネット上で大ブームを巻き起こす。著書に『青いムーブメント』、『良いテロリストのための教科書』など。近著に、この50年間の若者たちのラジカルな諸運動の歴史をまとめた『全共闘以後』を上梓。ようやくキワモノ扱いを脱しつつある(ことを夢想している)。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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