「線」の建築をめざして──隈研吾×藤村龍至×東浩紀「ポストコロナの建築言語」イベントレポート

シェア

ゲンロンα 2020年6月17日配信

 国立競技場、明治神宮ミュージアム、高輪ゲートウェイ駅――近年、日本と東京の顔となる建築を次々と完成させている建築家・隈研吾。6月12日、5年ぶりに隈がゲンロンカフェに登壇した(イベントは無観客・配信限定)。隈を迎えるのは建築家の藤村龍至、そして東浩紀。6年前のイベントで「建築は震災でなにをすべきだったのか」を語り合った3人が、隈の新刊『点・線・面』(岩波書店)を中心に建築、都市、哲学と様々なトピックを線で結んでいく。次第に、ポストコロナの建築と哲学の輪郭が浮かびあがっていった。(ゲンロン編集部)  ※本イベントのアーカイブ動画は、Vimeoにて先行公開中(購入のみ)です。本記事の内容に関心を持たれた方は、こちらのリンクからトークの全容をぜひお楽しみください。

キリスト教的時間をこえて


 隈の著書を時系列順に読み返してきたという、藤村の発表からイベントは始まる。建築意匠のヴォキャブラリと建築思想、その背景にある思想・哲学に着目して、丹下健三、磯崎新という戦後日本の巨匠建築家と隈との関係をマトリクスで図示してみせた。  隈は、藤村の示した図式に修正を加えていきながら、自身の立場を表明していく。丹下の背景にハイデガーをみた藤村に対して、隈が指摘したのは、近代と伝統の超克という丹下の建築思想は、より古典的なヘーゲルをもとにしたものではないかということだ。実際、晩年に洗礼を受けた丹下の時間感覚は、単線的で進化論的なキリスト教的なものだという。そして、反キリスト教的な時間感覚をもつ哲学者として、ニーチェに隈は共感を示した。
 
 つづく東の発表では、『点・線・面』で示された隈の建築論のエッセンスが、『ゲンロン0 観光客の哲学』で重要なモデルとして参照されたネットワーク理論に重ねられた。東は今回の本を、「線」の可能性を理論化したものとして読んだという。東が取り出したエッセンスは、次の3つだ。「線が建築の基礎である」「点/線/面/ヴォリュームはスケールで変わる」「線は弦であり、振動し張力をもつ」  東はネットワーク理論の特徴をこう説明する。それは、頂点と辺で作られる世界観であり、拡大・縮小しても同じ構造が現れるスケールフリー性をもつという。また、関係性の強さを線で表現する力学的モデル(ばねモデル)によって可視化されることが多い。隈の理論との対応関係はお分かりいただけただろうか。隈が可能性を見出す「線」とは、ネットワーク理論の線なのではないかと東はいう。  隈は、東の発表を受けて、スケールフリー性の重要性を強調する。観察者のスケールに応じて異なる次元が現れる、つまり、観察者によって次元さえ相対的だという量子力学(超弦理論)の世界観は、反キリスト教的な時間をもつニーチェ的な世界ではないかと隈はいう。ル・コルビュジエはアインシュタインをサヴォア邸に招待したが、じっさいにはホワイトキューブのなかを物体が運動するというニュートン的・キリスト教的な時間を抜け出すことができなかった。そこが近代建築の限界だったと隈は指摘した。
 
「線」の重要性を指摘した東の発表から、現代のネットワーク社会における建築の役割、線の日本文化、コロナ禍で浮かびあがる「地形」の重要性など、議論は様々なトピックに結びついていった。そちらの詳細は、ぜひ配信で確認していただきたい。

「点・線・面」の都市と組織


 隈の最新作の1つが「角川武蔵野ミュージアム」だ。「ところざわさくらタウン」として、まちづくりとも一体となった大プロジェクトである。イベント後半では、東とともにこの建築を見学した藤村のプレゼンが、『点・線・面』のヴィジョンを都市に拡大してみせた。  このプロジェクトは、所沢市にとって西武球場以来の一大転機だと藤村は評する。歴史的には、福武書店の多摩ニュータウン、P&Gの六甲アイランドへの移転に連なるもので、都心回帰が進んだ2000年以後の流れを逆転させるプロジェクトだという。奇しくも、コロナ禍で都心の密を避ける時期にちょうど合致したという指摘も印象的だ。 「角川武蔵野ミュージアム」は、一見、石の塊のようにみえる建築だ。今までの隈建築の繊細な和の印象とは異なる造形の理由を、東はたずねた。  隈はそれに答えて、様々なメンバーが新しいアイディアを次々に出していくコントロール不能な状況だったと振り返る。この計画は、「点・線・面」の理論に基づいた外形のコントロールではなく、ある種の成り行きの制御の仕方を試みた、初めてのプロジェクトだった。つづけて、隈は外装の石のディテールを説明してみせた。あえてラフに仕上げるように職人に指示をしたという。竹のようにしなやかな隈の創作の姿勢がうかがえるエピソードだ。
 
 質疑応答では、日本のポストモダン建築の代表作であり、隈の近年の作品とは遠く離れた印象の「M2ビル」についての質問が寄せられた。隈はそれもまたコントロール不能な状況だったと振り返る。広告代理店のロジックが押し寄せるなかで、それを受けて流す姿勢はいまも変わっていないという。  日本各地、世界中に数多くのプロジェクトを抱える隈の組織設計論にも質問が寄せられた。垂直なヒエラルキーを作るのが効率的だというのは間違っていると隈はいう。組織の人数が大きくなると中間点の人間が出てきて、その下のスタッフのストレスになるうえに、指示が伝言ゲームのようになってしまう。フラットな環境のなかで点となるスタッフの間を自分が旅していく。自身の組織イメージを、隈はそう示した。  イベントの最後に東が隈に、創作姿勢とは裏腹に、「ナショナル・アーキテクト」と見られざるを得ない現状についての思いをたずねた。「ナショナル・アーキテクト」を引き受けたつもりはないが、辰野金吾・丹下健三といった建築家の群像の歴史は引き受けていきたいと隈は答えた。藤村は、明治神宮であれば大江新太郎、オリンピックの丹下、歌舞伎座の吉田五十八など、プロジェクトごとに様々な建築家や日本建築史の文脈と接続される建築家として隈を位置づけた。さまざまな建築家への「線」で構成されるメタ建築家、それこそが21世紀の「ナショナル・アーキテクト」のありかたなのかもしれない。  イベント後半も、列島改造の「線」を瀬戸内海から歴史的に紐解く藤村の発表、隈が語る猫など、紹介しきれなかった話題が多い。ぜひ配信を視聴して、「線」の建築の行方を見届けてほしい。(國安孝具)
 
隈研吾×藤村龍至×東浩紀「ポストコロナの建築言語――隈研吾『点・線・面』から新しい空間論へ」 (番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200612/
    コメントを残すにはログインしてください。