ゲンロンα 2020年6月21日配信
現実と虚構の世界のあわいを行き来する芭蕉の『おくのほそ道』。実際の旅を元にした有名なフィクション作品だが、裏テーマに鎮魂の旅がある。『おくのほそ道』からはその本質と物語誕生の裏、そして現代の我々の時代にも繋がるものを探し、『鶉衣』からは人生を生き抜くコツを引き出していく。両名を案内人としながら、芭蕉の旅路を追体験していく講義となった。
※本イベントのアーカイブ動画は、Vimeoにてご視聴いただけます。こちらのリンクからお楽しみください。(ゲンロン編集部)
『おくのほそ道』はTRPGである
あらためて、松尾芭蕉とは何者か。彼は伊賀上野(現在の三重県伊賀市)の平氏の傍流の生まれであったとされるが、おそらくは苗字帯刀は許される無給の武士である無足人クラスの土豪の後裔であったのではないかとされる。その生まれによってこの世での出世を諦めた芭蕉は、世の中の外へ出るために、俳諧の道へと入る。師匠の北村季吟によって俳諧師に認定されたあと、41歳のときに『おくのほそ道』の下地となる旅へ出る。
実際に『おくのほそ道』の旅を歩いた安田は、TRPG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)のシナリオブックのように感じたという。
TRPGはプレイヤーが参加して初めて完成するゲームだ。『おくのほそ道』に記された芭蕉の俳句は、「発句」といって次に続く句の呼水となるもの。芭蕉のように旅をすることは難しかった当時、蕉門の弟子たちは芭蕉や曾良になりきって、連歌を詠む遊びを行っていたのだろう。
『梅枝』は、偶然通りかかった旅の僧(ワキ)が、ある悲惨な死を遂げた太鼓の名人の妻の霊(シテ)を慰める、能らしい旅の物語だ。謡と芭蕉の句の両方に登場する「たび人」の文字は、芭蕉が能のワキ方のようなたび人であることを示唆している。
『おくのほそ道』は、作者の芭蕉自身もまた、能のワキ方の役をロールプレイしているかのように読めるのだ。
鎮魂の旅
『おくのほそ道』は平泉を転換点とし、前半と後半で雰囲気が大きく変わる。前半はシリアスで、後半は俳諧的な軽妙な笑いに満ちている。
前半のルートは、西行が崇徳院を鎮魂するために歩いた旅路を踏襲している。安田は、芭蕉の旅の前半部分は、義経への鎮魂を目的としていたのではないかという。
歌枕も重要な役割を果たす。古来から多くの歌に読み込まれてきた歌枕を、安田は土地の記憶の圧縮装置だという。その知識を持った歌人や俳人が現地を訪れ、歌を詠むことが、圧縮装置を解凍するキーになる。感受性と知識がなくては、この装置からはなにも得ることができない。
『おくのほそ道』もまた、圧縮装置のような構造をしている。文中、芭蕉があえて省略している描写。登場人物の不穏さ。能、謡、漢文の教養が散りばめられたテクスト。これらの面白さが引き出せるかどうかは、読者の教養にかかっている。そうした教養のある人間に読み解かれるための「秘儀の本」として、『おくのほそ道』は書かれたのではないだろうか。実際に『おくのほそ道』は芭蕉の生前には公刊されておらず、死後に出版されて広まった。
ユーモアによる転回
講義の後半では、横井也有の俳文集『鶉衣』を取り上げた。山本は『鶉衣』を、ユーモアを持って人生を生きていくための本だという。我々は知らず知らずのうちに、周囲の環境によって固定観念を植えつけられる。そうした決めつけを揺さぶるのが、『鶉衣』に記されたユーモアなのだ。
第3回の講義でも、我々を古典の世界へ誘ってくれた両名。次回は7月15日(水)に『論語』を取り上げる。(清水香央理)
安田登 聞き手 = 山本貴光 禍の時代を生きるための古典講義──第3回『おくのほそ道』『鶉衣』を読む
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200617/)