ドン.キホーテ論──あるいはドンペンという「不必要なペンギン」についての一考察(中)|谷頭和希

シェア

ゲンロンα 2020年7月21日配信

 まずはこの曲を聞いてほしい。

 これは、ドンキのテーマソング「ミラクルショッピング」だ。店内で流し続けられている曲なので、耳にしたことがある人も多いだろう。「ドンドンドン〜」と店名が連呼されるサビの部分ばかり目立つが、曲をよく聞くと「気分は宝探し」、「激安ジャングル」、「真夜中過ぎても楽しい」などドンキの特徴をよく表す言葉で埋め尽くされていることが分かるだろう。

 前回はドンキホーテのキャラクター「ドンペン」について考えながら、それがドンキにおいて果たす役割を考えてきた。その過程で私たちは、ドンキの内部について考えていくことになった。そこでは「ドンキは、周囲の環境との一致がその外装だけではなく内部にまで及んでいる」と論はまとめられたわけだが、実はその内実を見るときにこの曲が示唆するものは非常に大きいのだ。

 ドンペンから考えるドンキ論、第2回は「ミラクルショッピング」を聞きながら読んでほしい。

「ミラクルショッピング」からドンキの内部を考える


 ドンキは、どのように周囲の環境との一致が内部にまで及んでいるのか。まずは「ミラクルショッピング」の歌詞をふまえて、ドンキの内部構造の特徴をまとめておこう。同曲の歌詞では「ジャングル」や「宝探し」といった他の小売店では考えられない言葉が並んでいる。こうした単語はその店舗構造の複雑さを表している。ドンキのフロアマップを見てみよう。

【図1】ドンキのフロアマップ。通路は入り組み、目的地までなかなか到達できない(ドンキ練馬店)
 

 このように曲がりくねった通路を持つ店舗構造は回遊型の店舗構造と呼ばれている。この店舗構造は、スーパーなどの他の小売店のフロアマップと比較してみるとさらに際立つ。

【図2】一般的なスーパーの店内マップ(スーパーサンシいくわ店のホームページより★1)。目的地まですぐに行ける。
 

 Amazonの巨大倉庫や、マンハッタンの街区をも思わせるスーパーの店舗構造は、目的の品までどう行けばいいのかが一目で分かる合理的なものだ。そう考えると、いびつで不規則なドンキのフロアマップはますます不合理に思えてくる。なぜドンキは、あのような不合理な店舗構造を作り出すのか?
 その答えはすべて、歌詞の中にある。鍵は「衝動的でも得したね 今夜は何があるのかな?」という部分だ。ここで歌われているのは「衝動買い」、つまり予期せぬ品物の購入だ。ドンキでのショッピングは宝探しの途上で、まったく別の宝を見つけることもあるわけだ。1つの品物まで直線で進むことのできるスーパーとは違い、ジャングルのような店内を周遊することで客は目的以外の品物も見る。それが結果として客の予期しなかった買い物(=衝動買い)につながる。ドンキを利用する人ならば、身に覚えがあるかもしれない。

 そして衝動買いをさらに効率よく行わせるために生み出されたのが「圧縮陳列」という手法だ。これは、1つの棚に多数の商品が詰め込まれる陳列手法で、ドンキの代名詞にもなっている。

【図3】圧縮陳列が施されているドンキ店内。見通しが悪い(ドンキ横浜西口店)
 

 これが圧縮陳列だ。写真からも分かるように、各棚からは商品が飛び出していたり、かと思えば通路となるような場所に段ボールが置かれてもいる。この陳列手法がドンキの「ジャングル」性、「宝探し」性を生み出しているのだ。そのことは、一般的なスーパーの商品配列と比べれば一目瞭然であろう。

【図4】一般的なスーパーの店内写真。見通しが良い
 

 こうすることによってドンキは客の衝動買いを誘発し、売上の増加を狙っている。これらは実際にドンキの創業者でもある安田隆夫が自著で繰り返し述べている手法であり、ドンキのジャングルらしさを作る一つの要因になっている。事実、ドンキの店内には私たちが欲するものがなんでもあり、それは普通のスーパーではほとんど扱われることのないアダルトグッズ(ラブグッズ)の取り扱いにも表れている。

【図5】この奥にラブグッズが
 

 ミラクルショッピングで歌われている「今夜は何があるのかな」や「真夜中過ぎても」といった「夜」が強調される部分は、性的なコノテーションも多分に含んでいる。

ドンキはツリーで「も」ある


 一見すると、ドンキの店舗構造は不合理だ。しかしその裏には、多種多様な商品を客の目に触れさせて「衝動買い」を促し、売り上げを増収するという非常に経済的な目的が潜んでいた。ここでは合理的な目的意識が不合理な店舗構造を作り上げているのだ。

 不合理な空間構造が、最終的には合理的な目的に適合するという議論は珍しくはない。

 例えばポストモダニズム都市論の論者であるクリストファー・アレグザンダーが『都市はツリーではない』の中で語る「セミ・ラティス」型の都市はまさにドンキ的な複雑さを持ったものだといえよう★2。「セミ・ラティス」型の都市とは、本来なら全く関係を持つことのない事物同士が別の事物を媒介として複雑に結びつき関係性を形成する都市である。アレグザンダーは、様々な都市は古来からこのように出来上がっていると語る。

谷頭和希

1997年生まれ。早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。国語教育学を勉強しつつ、チェーン店やテーマパーク、街の噂について書いてます。デイリーポータルZにて連載中。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾3期に参加し、『ドン.キホーテ論』にて宇川直宏賞を受賞。
    コメントを残すにはログインしてください。