【特集:コロナと演劇】宮城聰ロングインタビュー──東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(2) だれのための演劇か──公立劇場ができること|宮城聰

ゲンロンα 2020年10月2日配信
第1回
第3回
 いまだ収束の気配が見えないコロナ禍で、多くのライブエンターテイメントが中止や延期を余儀なくされている。そんななか、「東京芸術祭 2020」の開催が発表された。特集「コロナと演劇」では、東京芸術祭の総合ディレクターである宮城聰氏に全3回のインタビューを行い、コロナ時代に演劇を閉ざさず、開いていくためにはなにができるのか、その可能性をうかがっている。
 宮城氏と演劇の出会いから劇団ク・ナウカの立ち上げ、そして世界各地での公演までを追った第1回に続き、第2回はク・ナウカの活動を休止して就任した、SPAC -静岡県舞台芸術センターの芸術総監督としての実践をお話しいただいた。宮城氏は2007年からSPACの芸術総監督を務め、2017年のアヴィニョン演劇祭では、オープニング作品として『アンティゴネ』を法王庁中庭のメインステージで上演するというアジア人初の快挙を成し遂げている。その背後には、静岡の観客を意識することではじめて、演劇の「入り口」の重要さに気づかされた経験があったと宮城氏は語る。
 「コロナと演劇」では宮城氏のインタビューに加え、2019年の東京芸術祭ワールドコンペティションに参加したチリ中国、ニュージーランド、南アフリカ共和国の演劇人たちの寄稿全4本をお届けしている。こちらもぜひ合わせてお読みいただきたい。

 

独立を捨て、公立劇場へ


 ──第1回では、演出家・宮城聰さんと演劇との出会いから、学生時代の紆余曲折を経て劇団ク・ナウカを立ち上げ、世界で公演を重ねるようになるまでの軌跡について語っていただきました。お話をうかがっていると、宮城さんは一貫して、異なる考え方を持つ人々がどうすれば連帯できるか、その方法を求めて演劇に携わってきたように思います。けれども、そうした連帯の模索のなかで、宮城さんはしだいに演劇それ自体に取り憑かれていったのではないか。今回は宮城さんにとって演劇がどういうものになっていったのか、おうかがいしたいと思います。

 2007年、宮城さんはご自身が主宰されている劇団「ク・ナウカ」の活動を休止し、SPAC-静岡県舞台芸術センターの芸術総監督に就任されました。SPACは日本初の劇場を有する公立劇団で、演出家の鈴木忠志氏の尽力によって1997年に実現したものです。鈴木さんが10年の活動を経てSPACの芸術総監督を辞任し、活動拠点を富山県利賀村の利賀芸術公園に戻すというニュースには驚きました。しかし、宮城さんがSPACを継ぐことは、当時の演劇界に納得をもって受け入れられたように思います。他方、ク・ナウカはどうなってしまうのか、SPACと統合されてなくなってしまうのか、といった観客の動揺は少なくありませんでした。

 ク・ナウカは当時、日本の演劇界で稀有な位置にありました。スポンサーのついた興行でもなく商業的な演劇でもなく、プロデュース公演でもなく、あくまでも独立の劇団として存在していた。それを休止して公立劇団に移るにはどのような経緯があったのか、お話しいただけますか。

宮城聰 ク・ナウカの活動を休止してSPACに来ることを決めた理由は、大きくふたつありました。ぼくが本来、公立劇場とはこうあるべきだと思うあり方は、劇場に専属のカンパニー(劇団)があって、その劇団が劇場を管理しているというかたちです。英語で “theatre” という言葉は、劇団と劇場の両方を指しますが、現在の日本では、ハコ(建物)だけを劇場と呼ぶようになっている。しかし、たとえば歌舞伎座などの「座」という言葉は、本来は場所と人間集団の両方を指していました。SPACは劇場であり、劇団である。SPACは日本ではじめて、そのような世界基準の公立劇場のあり方を実現した、稀有な劇場=劇団なんです。

SPAC -静岡県舞台芸術センター

 ──たしかに、ヨーロッパをはじめ海外の多くの公立劇場には専属の劇団がありますね。でも日本の公立劇場には、そのような形態はほぼ見られません。劇場で行われている活動内容も、劇場主催のプロデュース公演はあるものの、民間の劇団などに貸し出す貸館事業が多くの割合を占めます。

 自治体の立場からすると、芸術家を恒常的に抱えることには、経済的にも、また住民にいかに納得してもらうかという面でも高いハードルがあると考えてしまうのだと思います。SPACができてからぼくが来るまでの10年のあいだに、残念ながら日本でこうした公立劇場は増えなかった。だからぼくには、鈴木さんのやってこられたことをぼくたちの世代が引き継がなければ、いつかSPACが「ふつう」の、劇団員を持たない公立劇場に戻ってしまうかもしれないという危機感がありました。この、時間を後戻りさせてはならないという世代的使命感が、ぼくがSPACに来たひとつ目の理由です。

世界から疎外された人々への橋掛り


 ふたつ目の理由は、ク・ナウカの評価が高まるなかで感じていたジレンマです。

 そのころのク・ナウカは、ぼくがかつて劇団として「こういうふうにしたい」と考えていた目標を、かなり実現していました。たとえば「決まった稽古場で稽古をする」とか「俳優やスタッフに生活できるだけのギャラを支払う」とか「1年のうち半分は海外で公演する」とか。そういう意味ではうまくいっていた。でも一方で、ぼくのなかでは「これでいいのか」という疑惑の入道雲が大きくなっていたんです。

 演劇界でク・ナウカのポジションが上がっていったとき、どのようなメカニズムが働いていたか。それは、おもに海外の演劇リテラシーの高いひとたちが、ク・ナウカを評価したということです。その評価が、国などから得る公的な助成金の金額にも反映される。ぼくらの舞台を観るために劇場に来るのは、先端的な現代演劇を観ることを人生の楽しみとしているひとたち。その点では、都内で公演しても、ニューヨークでもパリでも同じです。

 でもそのひとたちは、いまの地球上のいわば「上澄み中の上澄み」ですよね。つまり、教養の面で恵まれている、生活にも困っていないひとたち。彼らに支えられて、ぼくらのポジションは上がっていった。そのことを、途中までは「成功した」と思っていました。でも、だんだんと「このひとたち “だけ” に見せるために芝居を始めたんじゃないよな」と思い始めた。

 ──つまり、演劇界の、ある種のサクセスストーリーを順調に実現するなかで、それを支えるシステムそのものに限界を感じ、またご自身が演劇を始めた動機との齟齬を感じたということでしょうか。

 そうです。もともとク・ナウカなどの小劇団に入ってくる人間は、ぼくも含めてみんな、いまの世の中に自分はうまくフィットしないと感じていたひとたちです。自分はいまの世界から疎外されている、世界とつながっていない、そんな感覚にぎりぎり解決策を与えてくれる、いわば回路をつくってくれるのが、ぼくたちにとっての演劇でした。演劇という「細い橋」によって、なんとか自分と世界とがつながる。それが唯一の橋だったから、楽じゃないことはわかっているのに、演劇を人生の仕事に選んでしまった。

 しかし、自分たちの演劇は、世界から疎外されているひとたちに観てもらっているだろうか。そう考えると、「世界から疎外されている」と感じているひとの多くは、まず劇場に行かない。学生でもそういうひとは放課後さっさと帰っちゃう。部活なんかもやってない。

 ──そもそも家から出ないかもしれません。

 そうですよね。彼らは自分が生きていようがいまいが世界には関係ない、と諦めている。

 ぼくらも、もともとはすごくその状況に近い。でも演劇という細い橋を見つけたから、なんとか自分と世界とのあいだをつなげることができた。その橋を、世界から疎外されているひと・孤立しているひとに届けることができれば、そのうちの何人かは「この世界も悪くないな」と思うかもしれません。ぼくたちもそうだったように、「もうすこし生きてみよう」と。

 他方、さっきお話ししたように、ク・ナウカがだんだんと成功の階段を登っていくようなサイクルのなかでは、こういうひとたちがぼくらの芝居を観る可能性はむしろ低くなっていく。第三世界の、現代演劇のコードのない国々へ行くというのは、こうしたひとたちと出会うための活動の一種ではありました。他方で、自分のすぐそばに諦めきってるひとたちが無数にいるのに、そのひとたちにはちっとも演劇を届けられないわけです。

 ──ク・ナウカは独自に学生料金などを設定し、若いひとたちにかなり安い値段で芝居を観る機会を提供していましたよね。

 ええ。「ロハメンバーズ」という無料チケットを設けてみたり★1、いろいろと変わったこともやりました。ぼくらは杉並の児童館でずっと稽古していたから、地元の福祉施設で公演することを考えて区長さんに相談に行ったりもしたんです。でも、残念ながら、ク・ナウカという民間団体を経済的にも回していくには、さきほどお話しした、世界的な評価を得るようなサイクル以外の活動に割くことのできるエネルギーは少なかった。助成金の審査で評価されるのは、やはりニューヨーク・タイムズにレビュー記事が出たとか、そういうことになってしまう。鈴木忠志さんから「SPACをやらないか」と声をかけてもらったのは、ちょうどそんなジレンマを抱えていたときでした。

 ぼくはそのとき「公立劇場に行けば、劇場になんか絶対来ないような、自分は世界と関係ないと諦めきっているような中学生・高校生に無理やりにでも芝居を観てもらうことができるんじゃないか」と考えました。まだなにも具体的な策はなかったんですが。

県内すべての中高生に演劇を届けたい


 ──SPACに来てから、若者に芝居を届けるためにどのような方法を用いてこられたのでしょうか。

 最初のうちはどうやったら彼らに芝居を観てもらえるのかわかりませんでした。2年目になってやっと、中高生を入場無料で招待し、学校から劇場まで来るバス代をSPACが負担する取り組みを始めました。

 ぼくが静岡に来る以前から、1年のうち1週間くらい中学生にSPACを鑑賞してもらうという委嘱事業を県がやっていたんです。そこで、まずそのフレームを拡大することを県に要望しました。でも、県にはその予算はないということだったので、じゃあSPACの予算をそれに割いたらどうだろう、と。

 ある劇場に足を運ぶ範囲の人口を分母とすると、東京なら首都圏一帯で約3000万人、静岡県は350万人、劇場のある静岡市で見れば70万人弱です。東京と比べて県でも10分の1程度、静岡市で見れば50分の1程度です。これはどういうことか。東京で公演を打てば、3000万人のうちのすごくとんがった「1万人に1人」が来てくれるだけで3000人の来場者になる。ところが静岡市でそれをやると、68人しか来ない。1ステージも成り立たない世界です。

 ということは、静岡では「とんがったひと」以外の、いままで劇場に縁のなかったひとたちに足を運んでもらわねばならないということですね。でもそれは急にはできません。あの当時(2008年)だと、一般向け公演は、1作品あたり数ステージぶんのお客さんしかいなかった。週末土日だけで2回とか、せいぜい2週末にわたって4回とかで終わってしまう。ウィークデーに公演をやってもほとんどお客さんは来てくれない。でも、どちらにしても俳優は月曜から金曜まで拘束しているし、土日の公演のために稽古はやるわけです。だったらそのウィークデーに、中高生を無料で招待したらいいんじゃないかと考えました。そんなわけで「月曜から金曜まではバス代をSPACが払いますから、演劇を観にきませんか」と県内の学校に呼びかけてみました。

 ──なるほど。予算的にもさほどかからない。けれども俳優には観客のまえで演じる機会が増える。

 そうです。そして、この事業がなければ一生、劇場に来ることはなかっただろう連中に芝居を観てもらえるようになった。無理やりです。先生に「明日は全員で静岡芸術劇場に行きます」って言われて、「えーかったるー、休みにしてくんないの」みたいな。そんなかんじで連れてこられちゃって「訳わかんねえよ」とか帰りに言っている。でも、なんか興奮している。中高生は「おもしろかった」なんてあんまり言わないです……言うとしたらオトナに聞かせるために言ってるだけで(笑)。

 ──そうした取り組みは、レパートリー(劇場が用意する演目)にも影響しているのでしょうか?

 中高生たちには、一般の公演とまったく同じものを見せています。作品を手掛ける海外の演出家たちにも「子ども向けにわかりやすくやる必要はない」と言っています。ただし「観客席にいる大半は『ハムレット』でも『ロミオとジュリエット』でも、ストーリーを知りません。半分以上のひとは、劇場に来るのもはじめてです」と伝えます。ヨーロッパで『ロミオとジュリエット』を上演する際に、筋を知らないひとは客席にひとりもいないでしょう。でも、ここではそうじゃない。だから「生まれてはじめて『ロミオとジュリエット』を観て、魅了されるような舞台をつくってください」と依頼する。

 これって、ヨーロッパの演出家にとってむしろめずらしい依頼なんです。そして、古典の上演を依頼されたにもかかわらず、想定される観客の半分は筋を知らないという状況は、つくり手にとっても腕試しになる。だから海外の演出家たちも高揚してくれます。しかも世界のどこに出しても恥ずかしくない、たとえばそのままアヴィニョン演劇祭に持っていっても通用するようなものをつくらなくちゃいけないわけですから。これは、むずかしい。

 ごく少数のつうがおもしろがってくれるように、ひねりにひねるのか。だれにでもわかるように「わかりやすく」するのか。ふつうは、そのどちらかになってしまう。でもどっちかじゃいけない。クオリティが高くて世界で通用すると同時に、生まれてはじめて観るひとにもおもしろい舞台。作品のコア(核)には芸術特有の「謎」があるのに、観るひとが選別されない舞台。SPACに来て以来、ぼく自身が作品をつくるときも、それも心がけるようになりました。だからク・ナウカ時代とは、ずいぶん違います。

SPAC『ガラスの動物園』 演出:ダニエル・ジャンヌトー(2011年)© 三浦興一

 ──なるほど、それは作家にとっては挑戦しがいのある課題ですね。宮城さんご自身の作品は、どのように変わっていったのでしょうか。

 ぼくはSPACに来て最初の3年間は、ク・ナウカで行なっていた「二人一役」の手法をいちども使いませんでした。二人一役の手法では、ひとつの役を動き手と語り手のふたりが演じるのですこし複雑です。こういうタイプの演劇は、もうあたりまえの演劇は見飽きたような通のひとにおもしろがってもらえるものであって、演劇を見慣れていない観客に見せれば混乱するだろう、と思っていました。だから3年間はやらなかった。「これは初心者向けじゃない」と思い込んでいたんです。

 でも、たまたま4年目に、海外でク・ナウカ時代のレパートリーである『メデイア』(エウリピデス)をやることになった。それで、そのまえに「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で──当時はまだ「春の芸術祭」と呼んでいたと思いますが──『メデイア』を静岡で上演してみたんです★2。静岡の観客に二人一役を見せるのは、それがはじめてだったと思います。すると、危惧していたような「しゃべっている役者と動いている役者と、どっちを見ればいいの?」みたいな混乱は起こらず、観客は素直に観てくれた。

 考えてみると、日本の子どもは小さいころから紙芝居なんかを観ていて、絵と声の出どころが違っても混乱するようなことはありません。むしろそのまま絵の世界に入っていく。だから心配する必要はなかったんですね。これはほんとうはク・ナウカ時代に経験していたことでもありました。たとえば海外公演でインドや中国に行くと、古い演劇のかたちとして言動分離のかたちが残っている。インドの「クーリヤッタム」という舞踊劇は言・動と演奏の3つに分かれていて、「これク・ナウカと同じじゃん」と思ったんです★3。そのときはインドまで行ってひいおばあさんに出会った、みたいな感覚をおぼえました。

 もしかすると、人間がフィクションの世界に入っていく仕掛けとしては案外、肉体と言葉が分かれているほうがすんなり入れるのかもしれない。静岡に来てみて、ク・ナウカでやってきた二人一役という手法がじつは開かれた表現だったことがわかりました。

静岡からアヴィニョンへ──入り口をつくる


 ──静岡の観客のまえで上演することによって、ご自身の手法の普遍性を再発見することになったわけですね。

 二人一役については、そのとおりでした。一方で、静岡に来なければ生まれなかったものもあります。たとえば2017年、アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演した『アンティゴネ』では、冒頭にあらすじを紹介する場面をつけましたが、これは静岡に来なければけっして思いつかなかったものでした。

SPAC『アンティゴネ』演出:宮城聰(2017年・アヴィニョン演劇祭)© Christophe Raynaud de Lage

 その数年前の「せかい演劇祭」の野外公演で、たしか芝居が始まるまえの前説のときだったと思いますが、ぼくは客席の観客を見ていました。そのときふと、観客のほとんどが「周りのひとには理解できて、わたしだけは理解できないんじゃないか」と心配をしながら客席に座っていることに気づいたんです。それで、ぼくはものすごく愕然としたというか、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そんな状態でぼくの芝居を観てくれていたんだ、と。

 東京の劇場では、そういうことはあまり起こらない。先端的な舞台とか西洋の古典とか、「自分はこういうものを選ぶ人間だ」と思って来ているから。でも静岡だと「家族に誘われた」とか「新聞に載ってた」という理由で、とにかく来たというひとも多い。それで、客席で「わたしひとりだけついていけないんじゃないか」と不安に思っている。そのひとたちがぼくたちの芝居の観客なんだ、と気づいた。そして、そんな心配をせず心置きなく観てもらうためには「入り口」が大切だと思うようになりました。

 ──入り口とは、具体的にはどういったことでしょう。

 たとえば、イベントで上演する15分くらいの小さな作品であっても、まずあらすじを紹介する。古事記のヤマタノオロチ退治とか、すごくわかりやすいものをやっているつもりのときでも「いや、そうでもないかもしれない」と考える。そして「ここだけおぼえていてくれれば、だれでも同じように楽しんでいただけます」というような入り口を用意するんです。

 さきほど触れた、『アンティゴネ』のあらすじの場面は、こうした入り口としてうまく機能してくれました。『アンティゴネ』は、アヴィニョンでの公演に先立ち、まずは静岡(ふじのくに⇄せかい演劇祭)で、公園の仮設舞台で小規模なプロトタイプをやることになりました。フランス人にとってのアンティゴネというのは、日本人にとっての『花咲かじいさん』のようなもの。教科書とかに載っていて、だれでも知っている。そんな物語を、東の端のわれわれがどうやるか。

 でも静岡の観客にしてみれば、多くのひとがアンティゴネなんて初耳です。ギリシア悲劇と聞くだけで敷居が高くて「わたしきっとわかんない!」と尻込みしてしまう。そういうひとたちにも楽しんでもらうにはどうしたらいいか。そこで最初に「ミニ・アンティゴネ」という、あらすじを説明する寸劇をつけることにしました。

 ──あらすじをパンフレットの解説に頼らず、芝居に組み込んだんですね。

 言われてみるとそうですね。そして、静岡公演に向けて作品をつくっている時点では、この場面はアヴィニョンでは必要ないと思っていました。でも静岡で上演し終わったあと「あ、これアヴィニョンでもやろう」と考えを変えたんです。そして結果的にやってよかった。それは一体どういうことか。

 アヴィニョン演劇祭は1947年に始まりました。その初心というのは、当時、パリへの文化芸術の一極集中が起こっていたフランスで、パリのトップクラスの演出家や俳優が地方都市であるアヴィニョンまで来て、世界の古典的名作を法王庁の中庭で見せる、というところにありました。ぼくらの『アンティゴネ』冒頭のあらすじの場面は、制度に守られて高度に発展してきたヨーロッパの演劇界の通の観客を、原点に立ち返らせたんです。

 70年前は演出家のジャン・ヴィラールが、法王庁の中庭に地元のひとたちをたくさん集めて(そのひとたちは演劇の「古典的名作」にもあまりなじみがなかったわけですが)、当時スター俳優だったジェラール・フィリップとかを呼んできてコルネイユの『ル・シッド』みたいな古典を見せていた★4。ところがそこから70年経つあいだに、いつしか世界の演劇祭の頂点になった。そして、演劇リテラシーの高いひとたちだけが観にくるような場になっていた。ぼくらの『アンティゴネ』を観て、人々はそのことに思いいたった。

 そういったインパクトを彼らに与えることができるようになったのは、静岡に来ていたおかげです。もしもぼくが東京でずっとやっていたら、まさに高い演劇リテラシーを持つ観客を前提とした「アヴィニョン・ルール」のなかでしかやれなかったと思います。

 演劇からさえも疎外されているひとたちがいる。演劇という、世界と自分とをつなぐ「細い橋」をなんとか手渡そうとする活動が、結果的に、その演劇からも疎外されるひとを生んでしまう。日本だけでなくフランスの演劇界でも、実際にそれが起こっていたんです。

 ──ヨーロッパの演劇界では、若いひとたちが目指すべきとされる目標も、かなり固定化されてしまっていますよね。

 演劇界のなかでより高いポジションに登っていくための階段がひとつしかないからでしょうね。みんな気がついてはいるんだけれど、変えられない。ある種のエリート教育のようなものの弊害です。「演劇でさえもひとを疎外してしまう」という状況を、どう解決するか。『アンティゴネ』でアヴィニョンの観客は、そのひとつのヒントを見出してくれた。

 ──つまり宮城さんは、静岡に来て「新しい観客に出会った」と言えるのでしょうか。

 ええ。『アンティゴネ』のときも、静岡の観客に見せるまえは「こんな芝居、おもしろがってくれるのかな」と思っていました。でも、とてもおもしろがってくれたんですよね。そのことに驚きました。自分たちの表現を「開く」ことができたのは、静岡に来たおかげでした。

(第3回につづく)

 第3回では、2020年から静岡で毎年開催してきた「ふじのくに⇄せかい演劇祭」の開幕を目前に新型コロナウイルスの感染拡大および緊急事態宣言の発令に直面したとき、なにを思い、考えたのかを語る。急遽オンライン開催した「くものうえ⇅せかい演劇祭」を通じて感じたこと、「エッセンシャルワーカー」としての演劇人がなにをすべきかという問い、そこから生まれたSPACの新たな挑戦。そしていま、東京で国際舞台芸術祭を開催する意味とは。コロナ禍にあって演劇を閉ざさず、より開いていくために、宮城氏の目に映る未来のビジョンを探る。

2020年8月7日
聞き手=石神夏希、上田洋子
構成=石神夏希、ゲンロン編集部


★1 ク・ナウカが一時期実施していた若手支援の会員制度。演劇批評や研究者などを志す学生等が対象で、メンバーは対価なしでク・ナウカの公演をいつでも無料(ロハ)で観ることができた。
★2 1999年の初演以来、国内はもとより韓国、ロシア、イタリア、フランス、インドなど11ヶ国22都市で上演を重ねた宮城聰の代表作のひとつ。原作は劇作家・エウリピデスによる、ギリシア悲劇の代表作。古代ギリシアの英雄イアソンとその妻メデイアをめぐって繰り広げられる壮大な「子殺し」の悲劇を、宮城版では舞台を明治時代の日本に移し、歓楽街の座興で演じられる劇中劇として再現。「二人一役」(詳しくは第1回を参照のこと)の形式が用いられ、セリフはすべて男性の俳優が演じ、動きは女性の俳優が演じるが、やがて言葉の支配をくつがえすように女性たちが反乱を始める、という演出であった。
★3 南インド・ケーララ州に唯一現存する、千年以上の歴史を持つサンスクリット古典劇。世界最古の舞踊劇ともいわれ、2008年にはユネスコ世界無形文化遺産に指定されている。
★4 現在では世界で最も古く、最も有名な演劇フェスティバルとして国際的にも揺るぎない地位を誇るアヴィニョン演劇祭だが、はじまりは演出家ジャン・ヴィラールが第2次大戦後間もない1947年に開催した「アヴィニョン芸術週間」という1週間の小規模な演劇祭であった。当初は古典劇に限定されていたが、その後、ダンス、映画、美術、音楽など様々なジャンルを含む総合的な芸術祭として発展した。詳しくは「【アヴィニョン演劇祭の60年】アヴィニョン演劇祭の歴史と再出発(藤井慎太郎)」を参照のこと。 URL= https://spac.or.jp/culture/?p=470

 

【特集】コロナと演劇公開日
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東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(7)|レミ・ポニファシオ(ニュージーランド)2020年11月中旬公開予定
*「コロナと演劇」第7回として掲載予定でしたレミ・ポニファシオ氏による寄稿は、事情により掲載されないことになりました。お待ちいただいた読者のみなさまにお詫び申し上げます。(編集部)
 

【東京芸術祭ワールドコンペティション】
ウェブサイト:https://tokyo-festival.jp/

主催:東京芸術祭実行委員会[豊島区・公益財団法人としま未来文化財団・フェスティバル/トーキョー実行委員会・公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)]

東京芸術祭ワールドコンペティション2019年度受賞作公演

「東京芸術祭ワールドコンペティション」は、2019年から新たに始動した、東京芸術祭のプログラムです。昨年度はコンペティションを開催し、アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの5地域と日本の推薦人により選ばれたアーティストが東京に集い、6つの作品を発表しました。最終日には、舞台芸術を評価する新たな「尺度」をめぐって審査員たちによる白熱した議論が交わされ、2作品が受賞作に選出されました。

 今年は、本コンペティションで最優秀作品賞を受賞した、戴陳連ダイ・チェンリエン[北京、中国]による『紫気東来―ビッグ・ナッシング』と、観客賞を始め多数の賞を受賞した、ボノボ[サンティアゴ、チリ]による『汝、愛せよ』の2作品を映像上映・映像オンライン配信の形式でお届けいたします。「2030年代に向けて舞台芸術の新たな価値観を提示し、その提示方法が技術的に高い質を持つ」と評された作品を、改めてご覧いただく貴重な機会となります。この1年、大きな社会の変化を経て上演される作品が、皆さんの新たな議論のきっかけとなれば幸いです。

<映像上映>
料金:前売り・当日 1演目500円

『紫気東来−ビッグ・ナッシング』
演出・出演・舞台美術・照明・音響プラン:戴陳連/北京、中国
日時:11/6(金)-11/7(土)13:00/16:00/20:00
   11/8(日)13:00/16:00
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
関連記事:【特集:コロナと演劇】これは私たち共通の物語──東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(4)|戴陳連
https://genron-alpha.com/article20200925_01/

『汝、愛せよ』
作:パブロ・マンシ/演出:アンドレイナ・オリバリ、パブロ・マンシ(ボノボ)/サンティアゴ、チリ
日時:11/6(金)-11/8(日)17:30
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
※ソーシャルディスタンスを保ち、客席数を減らした状態で開催します
※未就学児童の入場不可

<映像オンライン配信>
料金:1演目500円

『紫気東来−ビッグ・ナッシング』
演出・出演・舞台美術・照明・音響プラン:戴陳連/北京、中国
日時:11/6(金)-11/8(日)13:00

『汝、愛せよ』
作:パブロ・マンシ/演出:アンドレイナ・オリバリ、パブロ・マンシ(ボノボ)/サンティアゴ、チリ
日時:11/6(金)-11/8(日)17:30

※映像上映と同じ内容となります(当日24:00まで視聴可能)
※『紫気東来−ビッグ・ナッシング』の戴陳連によるレクチャーパフォーマンスも無料配信予定

 各プログラムの詳細およびチケット情報などは、東京芸術祭ワールドコンペティションのウェブサイトをご覧ください:https://worldcompetition2020.tokyo-festival.jp/

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1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京芸術祭総合ディレクター。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、またアウトリーチにも力を注ぎ「世界を見る窓」としての劇場運営をおこなっている。2017年『アンティゴネ』をフランス・アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演、アジアの演劇がオープニングに選ばれたのは同演劇祭史上初めてのことであり、その作品世界は大きな反響を呼んだ。他の代表作に『王女メデイア』『マハーバーラタ』『ペール・ギュント』など。2006〜2017年APAFアジア舞台芸術祭(現アジア舞台芸術人材育成部門)プロデューサー。2019年東アジア文化都市2019豊島舞台芸術部門総合ディレクター。2004年第3回朝日舞台芸術賞受賞。2005年第2回アサヒビール芸術賞受賞。2018年平成29年度第68回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2019年4月フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。写真=Takashi Kato

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