【特集:コロナと演劇】宮城聰ロングインタビュー──東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(3) 演劇は「不要不急」か?|宮城聰

ゲンロンα 2020年10月16日配信
第1回
第2回
 いまだ収束の気配が見えないコロナ禍で、多くのライブエンターテイメントが中止や延期を余儀なくされている。そんななか、「東京芸術祭 2020」の開催が発表された。特集「コロナと演劇」では、東京芸術祭の総合ディレクターである宮城聰氏に全3回のインタビューを行い、コロナ時代に演劇を閉ざさず、開いていくためにはなにができるのか、その可能性をうかがっている。
 第1回は宮城氏と演劇の出会いから劇団ク・ナウカの立ち上げ、そして世界各地での公演までを追った。第2回はSPAC -静岡県舞台芸術センターの芸術総監督としての実践と、静岡の観客を意識することが、アヴィニョン演劇祭での『アンティゴネ』の演出にどうつながったのかをたどった。
 そして最終回となる第3回では、コロナ禍の現在における演劇の役割について考えることになった。「不要不急」が切り捨てられる社会で、演劇を、文化を、どう守るのか。「演劇がないと死んでしまうひとたち」、「オンラインからも疎外されたひとたち」の存在から、ニューヨークへ飛んだ『アンティゴネ』、そしていまこのときに東京で芸術祭を開催する意義まで、演劇がいかに「エッセンシャル」たるのかお話しいただいた。
 なお「コロナと演劇」では、宮城氏のインタビューに加え、2019年の東京芸術祭ワールドコンペティションに参加したチリ中国、ニュージーランド、南アフリカ共和国の演劇人たちの寄稿全4本をお届けしている。こちらも合わせてお読みいただきたい。

 

コロナ禍で演劇をあきらめないために


 ──前回は宮城さんがク・ナウカの活動を休止し、原点に立ち返って「演劇からも疎外されてきたひとたち」に演劇を届けるため、静岡県にあるSPACの芸術総監督に就任された経緯をうかがいました。静岡で得た新しい観客たちとの出会いが『アンティゴネ』の独特の演出へとつながったこと、それがフランスの観客たちにアヴィニョン演劇祭の原点を思い出させ、ヨーロッパの演劇界に大きなインパクトを与えるにいたったというお話には、強く感銘を受けました。

 2020年、コロナの感染拡大が広がるなかで、5月に開催を控えていた「ふじのくに⇄せかい演劇祭」の中止を決定されました。この演劇祭は、急遽「くものうえ⇅せかい演劇祭」と名前を変えて、オンラインで開催されることになります。日本国内で、コロナ禍に対して演劇はどうありうるかという問題に、早い段階で応答し、また明確なスタンスを示した芸術祭だったと思います。このときどのようなことを考えていたのか、お聞かせいただけますか。

宮城聰 このとき、ふたつの異なる次元で思ったことがありました。ひとつはとても現実的なことです。3月下旬ごろに「不要不急」という言葉が流行ったとき、世の中の多くのひとが、劇場はその代表的なものだと考えました。たとえば演劇人が「劇場を閉じていいのか」と声を挙げても「劇場が閉まってもだれも死なないが、コロナではひとが死ぬ」と言われてしまう。そして圧倒的多数のひとが、そうした声に賛同しました。

 演劇人はもちろんのこと、多くのジャンルの表現者たちが、この事実を突きつけられた。そのときにぼくが思ったのは「自分たちの活動は社会インフラで、大事なんです」という言い方では、この圧倒的多数のひとには届かないということでした。

 ──ひとの命が問題になっているときに、「社会にとって重要」という抽象的な言い方で文化を擁護するのはむずかしいですよね。

 じゃあなにを言えばいいのかと考えてみて、主張すべきは「数は少ないけれど、『演劇がないと死んでしまうひと』が存在する」ということだと思いました。多くのひとにとっては身近ではないかもしれないけれど、演劇という心の水、それがないと精神が枯れちゃうひとたちが実際にいることを、ぼくたち劇場の人間は知っています。

 そして多くのひとは、そういう存在がいることがわかりさえすれば「そいつらは死んでもいいよ」とはさすがに言わないだろうと考えました。「あ、そういうひとたちもいるのか。じゃあそのひとたちのことも考えなきゃいけないな」と思うくらいの度量はあるだろうと。

 そうなると問題は、いかにして「演劇や劇場がないと死んでしまうひとがいる」ことを表現できるのか、です。しかも劇場での公演ができない状況で。そういった道筋で『くものうえ⇅せかい演劇祭』のプログラムを組んでいきました。

 いちばんわかりやすい例は、ZOOMを使った立ち稽古だったと思います。公演の「本番」というものがなくなってしまったにもかかわらず、俳優たちはひたすら稽古を続ける。稽古場に行くこともできないのに。その様子を見せれば、少なくとも「このひとたちは稽古をしないと生きていけない」ということが伝わるんじゃないか。演劇人にとっては、稽古って、生命維持装置みたいなものですよね。外したら息ができない……みたいな。

 
『くものうえ⇅せかい演劇祭』の期間中にオンラインで公開されていた、ZOOMを利用した稽古の様子 写真提供=SPAC

 ──コロナで活動がむずかしくなった時期に、まず自分たちにとっての演劇の意味を問い直す。 ZOOM稽古の配信やZOOM演劇の試みには、俳優にとっていかに演劇が必要不可欠であるかが見えたように思います。

 ぼく自身、直前までは「ひとりでも演劇が必要だというひとがいる以上、公演はやらないといけない」と思っていました。でも感染拡大が止まらないなかで「稽古場に集まってはいけない」と判断することになった。ところがそう決断したとたんに、自分たちこそが、演劇がないと生きていけない人間だと痛切に自覚されたんです。このとき、演劇がないと生きていけない観客たちとぼくたちが、いわば同じ岸辺に立った。そして、ぼくたちが、ぼくたち自身にとっていかに演劇が必要不可欠かということを表現していれば、その周りにまたそういうお客さんがいることも示せるんじゃないかと考えました。

 あのときは演劇人あるいは公立劇場にとって、生き延びられるかどうかの瀬戸際でもありました。演劇がなくても構わないなら、「当面はコロナに打ち勝つことに文化予算もぜんぶ回します」と言われても「まあしょうがないか」という話になりかねない。それでは別のひとが死んでしまうということを、ぼくたちが言っていかなければいけないと思いました。

オンラインから疎外されるひとたちに演劇を届ける


『くものうえ⇅せかい演劇祭』を準備するなかでもうひとつ直面したのは、第2回でもお話しした、「演劇をやっていると、演劇からさえも疎外されるひとを生んでしまう」というパラドクスでした。今年は『ふじのくに⇄せかい演劇祭』をリアルには実現できない。ならばもうオンラインでやるしかない、となったときに、インターネットから疎外されているひとたちが、じつはけっこういたわけです。

 ──この問題は、とくに学校のオンライン授業などを通じて可視化されましたよね。

 ええ。各家庭のネット環境がずいぶんちがう、とかね。ぼくたちの劇場の熱心なお客さんのなかにも「今年はオンラインで演劇祭をやります」とDMを送ると「わたしこういうの観られないのよね」と言いつつ差し入れを持ってきてくれる年配の方がいたりするんです。そのひとたちを疎外したら、また自分たちがひとを分断する側に回ってしまう。ではどうすれば、そうしたひとたちに寄り添えるのか。

 よく言われていることですが、コロナ禍で露呈した問題というのは、だいたいもとからあったものです。「インターネットからの疎外」という状況もほんとうはもともとあったものでした。たとえば家のなかでも、昔とちがってみんなでひとつのテレビを見るようなこともなくなってしまった。家族それぞれが自分のケータイとかを見ているなかで、おじいさんやおばあさんは子どもや孫の見ているものは見られなかったりする。そういうことがわかりやすいかたちで露呈した。じゃあどうしたらいいんだろう、と考えたことが、SPACが演劇祭以降に始めた事業へとつながっていきます。

 はじめは、上演できなくなった新作に出演予定だった俳優たちが同人誌みたいな冊子をつくって、お客さんに配ったりしていました。その後、俳優たちが観客に電話口で一対一で朗読を届ける『でんわde名作劇場』を始めました。これ、もともとはコリーヌ国立劇場(フランス、パリ)芸術監督のワジディ・ムアワッドのアイデアなんです。ワジディの劇場では、観客が俳優を指名して詩の一節を読んでもらうものと、ワジディ自身が書いた日記をネットラジオで音声配信するもの、このふたつを4月のロックダウン中にやっていたんです。

 ──電話で演劇を届けるという手法はとても新鮮でした。

 コリーヌ劇場がオフィシャルサイトでそれを発表したのを見て、「さすがワジディだ」と思った。それで、素直にパクらせてもらって、いざSPACでもやってみたら、ここには演劇のエッセンスがあることに気づきました。

 つまりオンライン演劇みたいに「肉体のない」ものを、ぼくは「カニじゃなくてカニかまぼこ」と呼んで、「カニがないあいだはカニかまぼこで生き延びよう」と言っていたんですが、でも『でんわde名作劇場』は、ちっちゃいけれど本物のカニなんだね。サワガニみたいな(笑)。そこで起こっているのは、まさに一期一会なんです。「そのとき、相手と自分とのあいだに一回だけ出現する現象」。それこそが演劇の本質ですよね。

 俳優たちがみんな「電話で自分がセリフをしゃべっているあいだ、お客さんは黙っているのに、かすかにお客さんの息の音が聞こえるだけで自分の喋りが変わる」と言うんです。そして「終わったあとでこれほど感謝されたことは、これまでの人生でもありませんでした」って。あのころはほとんど外に出られない時期でしたから、お客さんからはもうほんとうに感謝されたそうなんです。だから、いちどやった俳優は必ず「またやりたい」と言います。

 ──通常の上演ができないなか、この通話は双方にとって豊かな時間ですね。『でんわde名作劇場』のお客様はどんな方たちだったのですか? ご高齢の方が多かったのでしょうか。

 最初のうちはそうでした。『くものうえ⇅せかい演劇祭』ではオンラインで40ほどのコンテンツをやっていたんですが、それらを観られないひとが『でんわde名作劇場』に申し込んでいましたね。ほとんどの場合、いちどはSPACに足を運んだことのあるひとです。DMは届くけれど、ネット環境がないひとたち。

 あとは、スーパーにポスターを貼ったりもしました。ウェブサイトに広告を出しても見られないひとたちに知ってもらうためです。コロナで外出を控えていたお年寄りもスーパーには行っていましたから。ほかには、友人どうしの口コミで広がったりもして。『でんわde名作劇場』は演劇祭が終わってからも続けていて、9月以降も通年の事業として継続することに決めました。最初のうちは原則無料でしたが、秋以降はふつうの公演と同じように有料にします。1回1000円ほどです。

 ──『くものうえ⇅せかい演劇祭』のコンテンツはすべて無料でしたね。あの状況では無料にせざるをえないということはあったかもしれません。けれども、いくら公共劇場であっても、継続していくためにはある程度の収入を確保することを考える必要があるのではないでしょうか。

 コロナ禍で演劇のオンライン化が始まった当初は諸外国でも無料がほとんどでしたし、ぼくたちにとっても「みんなが外に出られないときに心の栄養を届ける」という公共的な目的のために、予算を投入する必然があると考えました。でもこの先2年間くらいは、観客動員数が減ることが予測されます。だから、そのかわりに別の収入源を増やす、いわば品揃えを増やす必要が出てくる。電話もそのひとつです。ふだんなら入場料を支払って劇場に行くひとが、年齢や体調の不安から劇場に行くのはちょっと……と思ったときに「これは電話で1回1000円だから、劇場で1本観る金額で3回体験できるわね」と思ってくれるかもしれない。お友だちや家族に『でんわde名作劇場』をプレゼントするという企画も進めています。図書券のプレゼントみたいなものですね。

演劇人はエッセンシャルワーカーたりえるか


 演劇や劇場の活動が不要不急だと言われるなかで直面したのは、不要不急の正反対──「エッセンシャル」つまり必要不可欠であるとはどういうことか、という問いでもありました。そもそも劇場がエッセンシャルな施設なんだと思ってもらわなければ、当面、劇場は閉めておいていい、ということになってしまいます。

 緊急事態になって、これまでみんな気づいていなかったけれど、じつはエッセンシャルだった、と発見されたものがいくつもありました。たとえば保健所は、じつは必要不可欠で、このところ年々予算を減らして縮小してきたのは失敗だったと気づきましたよね。それから、スーパーのレジ係。そうしたエッセンシャルなものの代表として Uber Eats がありました。配達してくれるひとがいるからステイホームができる。配達人だけはステイホームできなかったわけです。

 ──おっしゃる通り、スーパーマーケットや物流サービスがわたしたちの生活を支えていることが浮き彫りになりました。他方、多くの文化施設は「不要不急」として閉鎖を余儀なくされました。

 劇場が閉まっているあいだ、図書館も閉まっていました。だけど、ほんとうにひとは本を読む必要がないかというと、そんなことはありませんよね。ステイホームで家にいると、いよいよ本が読みたくなったり、本を読まなかったら死んじゃうひともいます。そういうひとたちがどうしているかというと、Amazonで買う。それはおかしくない? と思ったんです。公立図書館は税金でやっているのに、いま本が必要なひとに届けないで、Amazonが届けている。

 これは他山の石なんです。ほんとうは、全国の図書館のひとがこぞって「わたしたちは移動図書館をやります」って軽トラとかに本を積んで配達してもよかったとぼくは思う。でもみんなアワアワして、「いつまで閉鎖してなきゃいけないんだろう」なんて受け身でいるうちに2、3ヶ月が経ってしまった。多分図書館で働いているひとこそ「本がないと死んじゃう」ひとたちで、本を貸し出せないことはとても苦しかったと思うんだけど……「公立図書館はいざというときに必要なものを届けてくれる必要不可欠な組織だ」とアピールできた図書館はあまりなかったですよね。

 ──『SPACの劇配!』というプロジェクトは、その名の通り演劇を配達する試みなんですよね。どういったものなのか、少し詳しく教えてください。

『SPACの劇配!』は、自分たち劇場人は本当はエッセンシャルワーカーのはずだ、だとしたらなにをするべきか、という考え方で、「くものうえ⇅せかい演劇祭」が終わった直後から始めました。「ひとが劇場に来られないなら、ひとがいまいる場所を劇場にしよう」と言って。そのうちのひとつが、さっき話した『でんわde名作劇場』です。

 SPACの美術や衣裳の部署が、アート作品の型紙を届ける『SPACアートおとどけ工房~身近な素材できみもアーティスト!』という事業もあります。いま学校で、算数や英語の授業数が足りないからという理由で、音楽や美術の時間がどんどん削られているんです。そうした状況を少しでも補えたらと思ったのがきっかけで、学校や施設にこのキットを届けています。このキットを利用すれば、生徒さんは身の回りのものを使って簡単に美術作品がつくれる。まさにAmazon的です。

 他方、たとえば高齢者施設などでも、コロナ禍のせいで、若いひとたちが入るのが危ないからと、これまで定期的に訪れていたレクリエーションの業者さんなどが来なくなってしまった。もともと入居者が気軽に外に出られないそうした施設が、さらにすごく閉じてしまったわけです。

『SPAC出張ラヂヲ局~電波で演劇とどけます!~』という事業では、FMトランスミッターを車に積んだ役者が施設に行って、窓の外で一人芝居なんかをやる。音声はFMで飛ばして、建物のなかにいるお客さんにラジオで聴いてもらいます。それを聴きながら、窓の外で演じている俳優を観ることもできるし、たとえば寝たきりのひとでもラジオで声だけは聴ける。ぼくは「ウーバー“アーツ”」と呼んでいます(笑)。

『SPAC出張ラヂヲ局』、上演の様子 写真提供=SPAC

 ──『SPAC出張ラヂヲ局』は、語り手と動き手が別れるという宮城演劇のスタイルの応用になっているのがおもしろいですね!

 わたしはかつて家族の介護をしていた経験があります。長期入院をしているひとにとって、病院では同じような毎日がずっとずっと続いていきます。なかなか散歩にも行けないし、家族が面会に来たりするのが唯一の楽しみなのに、コロナ禍ではその可能性すら奪われてしまった。けれど、「生きててよかった」と思えることが定期的にないと、人間はどんどん心が死んでしまう。だから、「劇配」はひとに生きる歓びを与えることのできる、とてもいい試みだなと思います。

 いまは、ほんとうに自分の世界にとっての「外部」がなくなってしまっているんですよね。学校でも、給食の時間でさえ「黙って食べましょう」と言われている。机を寄せてみんなでわいわい食べることも当然しない。だから、楽しいはずの給食の時間がお通夜みたいになっている。そこでSPACの俳優が放送室に入って、朗読をしたり、今日の献立を紹介したりする『SPACの一日放送委員~給食タイムに俳優登場!~』という取り組みもやっています。せめてもの「外部」として、学校に入っている。

 それから『噂のSPAC俳優が教科書朗読に挑戦!〜こいつら本気だ』という事業では、YouTubeに100本以上の動画を上げています。子どもたちはみんな、教科書を「つまんねーな」と思って義務的に読んでいるけど、それを俳優が本気で読むと、ある種の開放感が見えるというか、「こんなのでもいいんだ」と思ってもらえるんじゃないかと。もともとは、ステイホーム期間中は子どもたちも家にいる時間が長くなるので、動画でも観てもらおうと考えたんです。でも、いざ学校が再開されたら、詰め込み授業で先生がめちゃくちゃ忙しいんですね。いまはそういう先生たちの助けにいくらかでもなれば、と思っています。

 外部がなくなるという状況は、コロナ禍に始まったことじゃなく、それ以前からあったことです。そうした、閉ざされた環境にいる人たちのところに、ぼくらが「押しかける」。

 ──ク・ナウカのころから、宮城さんの「押しかける」という精神はつながっていますね。旅芸人の時代から、役者ってそういうものかもしれません。

 そうですね。もともとニーズがあるわけじゃない。勝手に押しかけてみると、投げ銭してくれるひともいれば、追い払われることもある。日常の裂け目みたいなものでね。それは「仕事のあとの一杯」みたいなものとはちがう。「こういうのがほしいな」と思ったときにあるような、デマンドに対するサプライじゃないんです。「まれびと」というか、思いもよらず出会うもの、出くわしてしまうものです。

 ──そしていちど出くわしたら、つぎを待ってしまう。

 うまくいけばね。だから、もう二度と来ないでくれって言われないようにやらないと(笑)。

『アンティゴネ』、ニューヨーク、鎌倉仏教


 これは余談ですが、去年ニューヨークで公演したとき、気づいたことがあるんです。ぼくはここのところずっとヨーロッパ的な論理、つまり芸術は人間にとって必要なものなのだから、政府は文化政策として劇場なり芸術なりをきちんと守るべきだという考え方でやってきました。でもアメリカには基本的に、文化政策というものがない。

 ヨーロッパのアーティストは、自分たちの劇場の予算や演劇人の地位を政府(むかしなら王様)に訴える。ところがアメリカだと、アーティストは観客に直接訴える。そして、観客のなかのお金のあるひとがお金を出す。あるいはお金がないひとも「このくらいなら出すよ」と出す。とくにニューヨークは、いまだにみんな「自分は移民だ」という感覚があって、国というものに寄りかかっていないひとたちが多い。彼らは「わたしはひとりの人間としてこの芝居がいいと思う」とか、「このひとを応援したい」と考える。だからニューヨークでは、いま目の前にいる1000人にどうしたら動いてもらえるのかが大事なんです。

 ──まさに民主主義そのものですね。

 ニューヨークで上演した『アンティゴネ』という作品は、言ってみれば鎌倉仏教的なんです。鎌倉仏教は、人間は死んだらみんな仏様になる、という考え方です。死んだら天国か地獄に分けられるんだ、だからちゃんと生きろ、というんじゃなくて、善人も悪人も死んだらみんな仏様になる。これは鎌倉仏教が考え出した人間を救済する方法です。つまり別け隔てをなくす。驚愕の思想ですよね(笑)。ぼくの『アンティゴネ』は、2500年前のギリシア悲劇と鎌倉仏教のあいだでのこの偶然の符合を使った演出でした。生きてるあいだに厳しく対立した人間たちも、みんな必ず死ぬ。そして死ねばみな成仏して、ノーサイド。そして死後のほうが生きてるあいだよりずっとずっと長い。アンティゴネの主張のうちのこの部分に着目して、芝居全体を鎮魂の儀式として上演したわけです。

SPAC『アンティゴネ』ニューヨーク公演。アヴィニョンでは法王庁中庭で、ニューヨークでは19世紀後半に建設された元軍用施設の屋内スペース、パーク・アベニュー・アーモリーが会場となった 演出:宮城聰(2019年、パーク・アベニュー・アーモリー(ニューヨーク)) © Stephanie Berger / Park Avenue Armory

 そしてニューヨークのまえはアヴィニョン公演だった。第2回でもお話ししましたが、アヴィニョン演劇祭は、フランスという国の文化政策の象徴です。アヴィニョン演劇祭の公式演目の客席は演劇通の観客や知識人が主体で、政策決定に影響力のあるひとも多い。アヴィニョンで上演し、続いてニューヨークで上演してみて、気がついたんです。アヴィニョンでやるのは平安仏教、ニューヨークは鎌倉仏教だと(笑)。平安仏教では教えが権力者を動かして、平等院などの立派なお寺が建ったりしているわけでしょ。権力者がその教えに心酔してくれさえすれば坊主は安泰です。つまり、国の文化政策で芸術家にお金が出てくるのと似ている。他方、ニューヨークは鎌倉仏教で、民衆からお金が来ないと坊主は食えない。

 ──だから鎌倉仏教では、みんな仏様にして救済しちゃうんですね(笑)。

 しかも、平安仏教の場合、相手はインテリなんです。漢籍なんか読んでいるようなリテラシーの高いひとたちを相手にうまいことを言って「なるほどなあ」と思ってもらえればいい。ところが鎌倉仏教は、ふつうのひとたちが相手だから「漢籍にこのように書いてある」なんて言ってもだれも知らない。じゃあどうやって支持を集めていくかというと「説教がおもしろい」とか、そういうことです。つまり芸能者としての技術がそこで問われる。だから、時宗じしゅうみたいに芸能化していく★1。鎌倉仏教によって、お坊さんひとりひとりに表現のプロとしての技術が必要になっていったんです。

 ぼくの芝居なんて、ある意味ではお坊さんの説教みたいなもので、魂にまつわる仕事です。魂を扱っているんだから、本来はすごい技術をもっているとか、観客の喝采を受けるとか、そんなこととはむしろ無縁なはずです。にもかかわらず俳優たちは技術を磨く。そして観客の支持を得て、いわばトーナメント戦を毎試合勝ち残っていく。これは一見、魂の営みと正反対のように思われます。けれども、そうじゃないんだ、これは鎌倉仏教なんだから、ひとりひとりが技術者として上手であり、しかも目の前の多くの人々が支持してくれなければこの教えも広まらないんだと、ニューヨーク公演で気づきました。

いま、東京で芸術祭を開催する理由


 ──最後に、東京芸術祭2020で開催される、ワールドコンペティションについてお聞きしたいと思います。これまで『ふじのくに⇄せかい演劇祭』でも国際交流プログラムに取り組まれていますが、ヨーロッパとの行き来が中心だったように思います。これに対してワールドコンペティションには、アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカという5つの地域から作品が集まっており、より多様な新しい演劇が上演されていますね。

 とはいえ、コロナの状況はこの秋以降もあまり大きくは変わらないでしょう。つまり海外との物理的な行き来ができない状況で、それでも演劇が、あるいは演劇を通じた世界との交流がいかに可能で、いかに必要不可欠なのか、ということを伝えなければならない。どのような考え方、どのようなかたちでそれを実現しようと考えていらっしゃるのか、教えていただけますか。

 日本で、東京が果たすべき役割はなんなのだろうか、ということを考えていました。コロナのようなことが起こると、一時的には東京の悪い面ばかりがクローズアップされる。東京みたいな場所だから満員電車があるんだ、とかね。でも東京には東京の役割があるはずで、それはやっぱり多様性の担保になることだと思います。

 首都圏以外の日本の都市は、いまもなんとか、ある種のコミュニティの結束のようなものをイメージできる。けれどもそのために、ともすれば戦前の隣組のような、排外的な方向に向かいかねない。コロナ禍では、そういった事例が多く見られました。そのような状況で、東京は、多様性を最後まで担保するダムとして機能しなければならない。つまり、いろいろな言論がある状態を確保しければならないと思います。

 他方、歴史的には、ファシズムというものは大都市から広まります。小さなコミュニティの排外主義はコミュニティの内側で完結するけれども、大都市の排外主義というのは止めどがないのでしょう。だから、ファシズムの暴風が吹き荒れるときには、最初の震源地は大都市だったりする。それはたぶん、大都市のほうが貧富の差などの分断が深刻になるからです。けれども、もしもいまの東京が、一層分断を深め、閉じこもってしまったなら、日本全体にとってきわめて危険なことになるでしょう。だから日本のほかの地域が閉じてしまったとしても、東京だけは閉じてはいけない。そのためにアーティストになにができるのかを考えなければならないと思います。

東京芸術祭ワールドコンペティション、2019年の最優秀作品『紫気東来−ビッグ・ナッシング』(2019年、東京芸術劇場)。今年のワールドコンペティションでは、同作品をオンラインで上演する 撮影=Shunsuke Watanabe 提供=東京芸術祭

 ──東京が最後の砦であると。

 東京芸術祭は、小さいとはいえ「東京が閉じない」ということにいくらかでも寄与したい。たとえばぼくのディレクターコメントでは「いま、窓の外を見よう」ということを書きました。もしも外を出歩けなくても窓の外を見ることはやめちゃいけない。窓を閉め、カーテンを閉ざしてしまってはいけない。そして、なんとか窓を残すためには、いままでの演劇の形式にこだわることはできない。形式にこだわると、すべてか無かの二択になり、「外に出られない以上は窓も開けられない」となってしまう。

 もしかすると、やがて外を出歩けるようになっても、人々の心のステイホームは続くかもしれません。肉体はおもてに出ても、精神が窓を開けない。

 だからこそ、いまアーティストは柔軟性を問われています。形式を守るためにきみの人生はあるのか、それとも人々を開くためか。そう問われているんじゃないか。もちろん最終的な上演のかたちはいろいろあっていいと思います。でも、とにかく窓をつくる、外の景色を見せるという目的のために、どれだけ自分を変えていけるか。東京芸術祭はそれが問われる場所です。アーティストって頑固に見えるけれど、じつはすごく柔軟なんだよと証明できればいいな、と思っています。

2020年8月7日
聞き手=石神夏希、上田洋子
構成=石神夏希、ゲンロン編集部

★1 一遍(1239-89年)を開祖とする時宗(時衆)は、中世日本の芸能との強い結びつきでも知られる。「南無阿弥陀仏」などの念仏を唱えながら激しく踊る「踊り念仏」を行いながら全国を行脚し、その信仰と思想が身分の貴賤を問わず受け入れられた。時衆のこの信仰活動は盆踊り、田楽、能や狂言、連歌といった芸能・芸術に影響を与えた。

 

【特集】コロナと演劇公開日
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東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(7)|レミ・ポニファシオ(ニュージーランド)2020年11月中旬公開予定
*「コロナと演劇」第7回として掲載予定でしたレミ・ポニファシオ氏による寄稿は、事情により掲載されないことになりました。お待ちいただいた読者のみなさまにお詫び申し上げます。(編集部)
 

【東京芸術祭ワールドコンペティション】
ウェブサイト:https://tokyo-festival.jp/

主催:東京芸術祭実行委員会[豊島区・公益財団法人としま未来文化財団・フェスティバル/トーキョー実行委員会・公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)]

東京芸術祭ワールドコンペティション2019年度受賞作公演

「東京芸術祭ワールドコンペティション」は、2019年から新たに始動した、東京芸術祭のプログラムです。昨年度はコンペティションを開催し、アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの5地域と日本の推薦人により選ばれたアーティストが東京に集い、6つの作品を発表しました。最終日には、舞台芸術を評価する新たな「尺度」をめぐって審査員たちによる白熱した議論が交わされ、2作品が受賞作に選出されました。

 今年は、本コンペティションで最優秀作品賞を受賞した、戴陳連ダイ・チェンリエン[北京、中国]による『紫気東来―ビッグ・ナッシング』と、観客賞を始め多数の賞を受賞した、ボノボ[サンティアゴ、チリ]による『汝、愛せよ』の2作品を映像上映・映像オンライン配信の形式でお届けいたします。「2030年代に向けて舞台芸術の新たな価値観を提示し、その提示方法が技術的に高い質を持つ」と評された作品を、改めてご覧いただく貴重な機会となります。この1年、大きな社会の変化を経て上演される作品が、皆さんの新たな議論のきっかけとなれば幸いです。

<映像上映>
料金:前売り・当日 1演目500円

『紫気東来−ビッグ・ナッシング』
演出・出演・舞台美術・照明・音響プラン:戴陳連/北京、中国
日時:11/6(金)-11/7(土)13:00/16:00/20:00
   11/8(日)13:00/16:00
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
関連記事:【特集:コロナと演劇】これは私たち共通の物語──東京芸術祭ワールドコンペティションにむけて(4)|戴陳連
https://genron-alpha.com/article20200925_01/

『汝、愛せよ』
作:パブロ・マンシ/演出:アンドレイナ・オリバリ、パブロ・マンシ(ボノボ)/サンティアゴ、チリ
日時:11/6(金)-11/8(日)17:30
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
※ソーシャルディスタンスを保ち、客席数を減らした状態で開催します
※未就学児童の入場不可

<映像オンライン配信>
料金:1演目500円

『紫気東来−ビッグ・ナッシング』
演出・出演・舞台美術・照明・音響プラン:戴陳連/北京、中国
日時:11/6(金)-11/8(日)13:00

『汝、愛せよ』
作:パブロ・マンシ/演出:アンドレイナ・オリバリ、パブロ・マンシ(ボノボ)/サンティアゴ、チリ
日時:11/6(金)-11/8(日)17:30

※映像上映と同じ内容となります(当日24:00まで視聴可能)
※『紫気東来−ビッグ・ナッシング』の戴陳連によるレクチャーパフォーマンスも無料配信予定

 各プログラムの詳細およびチケット情報などは、東京芸術祭ワールドコンペティションのウェブサイトをご覧ください:https://worldcompetition2020.tokyo-festival.jp/

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1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京芸術祭総合ディレクター。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、またアウトリーチにも力を注ぎ「世界を見る窓」としての劇場運営をおこなっている。2017年『アンティゴネ』をフランス・アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演、アジアの演劇がオープニングに選ばれたのは同演劇祭史上初めてのことであり、その作品世界は大きな反響を呼んだ。他の代表作に『王女メデイア』『マハーバーラタ』『ペール・ギュント』など。2006〜2017年APAFアジア舞台芸術祭(現アジア舞台芸術人材育成部門)プロデューサー。2019年東アジア文化都市2019豊島舞台芸術部門総合ディレクター。2004年第3回朝日舞台芸術賞受賞。2005年第2回アサヒビール芸術賞受賞。2018年平成29年度第68回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2019年4月フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。写真=Takashi Kato

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