ひろがりアジア(3) 中国における団地──共産主義から監視社会へ|市川紘司

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ゲンロンα 2020年12月29日配信

ゲーテッドコミュニティの集合体


 中国は、新型コロナウィルスの感染者が最初に報告された国であるとともに、その後の感染拡大を巧みに抑え込むことに成功した国でもある。しかし、感染拡大は一体どのように防ぐことができたのだろうか? ひとつには、すでに多くの指摘があるように、近年中国で急速に進んでいるITを駆使したデジタル監視社会化が挙げられるだろう。たとえば、北京を拠点に活躍する建築家・青山周平は、筆者も登壇した2020年11月にゲンロンカフェでおこなわれたトークイベントにおいて、肌身離さず持ち歩くスマートフォンによって行動履歴が蓄積され、アプリによって都市や店舗への出入りの可否が厳しく、かつ効率的にチェックされる状況を紹介している★1

 本稿では、建築と都市の歴史を専攻する人間の視点から、もうひとつの要因を指摘したい。すなわち、現代の中国の都市空間は、そもそもが人びとの動きを捕捉し、管理しやすいように構成されている、ということである。先日のトークイベントでは時間の関係で割愛してしまった部分の補足のエッセイとして読んでいただければ嬉しい。

 思い切って概括してしまえば、中国都市とは、巨大で閉鎖的な居住ブロックの集合体である。中国では都市住宅の大部分がアパートやマンションなどの集合住宅であり、戸建住宅はきわめて限定的にしか存在しない。そして、集合住宅が複数まとめられた居住ブロック、すなわち「団地」が、都市を構成する基本単位となっているのだ。もちろん、このほかにも伝統的な中庭型住居(たとえば北京の四合院★2)や、単独で屹立する高層マンションなどがあるが、もっともベーシックな居住空間は団地である。

 中国語では団地は「小区シャオチー」と表現される。重要な特徴は、中国団地=小区では、その敷地全体が路面店や塀、柵、植栽などによってぐるりと囲われるのが一般的ということである。つまり非常に閉鎖的なのだ。そして都市空間と団地空間をつなぐエントランスの数はかなり絞られていて、鍵付きのゲートと警備員が住民や来客の出入りを逐一管理する(実際は適当であることも多いが)。

 要するに、中国団地の空間はゲーテッドコミュニティにきわめて近い。ゲーテッドコミュニティは1990年代以降のアメリカで増加したことが知られる。ただし、アメリカでのそれがセキュリティを求める富裕クラスの居住空間であるのに対して、中国では全国各地の都市に普遍的に見られる点が大きく異なる。フェンスで囲われた巨大団地は「要塞」や「島」に喩えられるが、それらが集合して構成される現代の中国都市は要塞群都市、島嶼都市とでも言えよう。

 ゲーテッドな中国団地は都市空間から隔絶されている。ゆえに、都市が本質的な性格として抱える、素性の分からないよそ者、過密、騒音や大気汚染に悩まされる心配が減る。そこでは安全安心な暮らしが可能になるだろう。しかし逆に、壁に囲われ、エントランスが限定されることで、住民や来客の出入りはきわめて補捉しやすくなる。そして必要があれば──たとえば伝染病などが発生したりすれば──、少ない出入口に管理の手と目を集中させることで、効果的な処置が可能になるのだ。ゲーテッドコミュニティは「安全安心」と「管理」がトレードオフであることを端的に示す建築空間である。

団地の防疫策


 中国団地の一例として、北京の「核工業第二研究設計院小区」(以下「核二院小区」)を紹介したい。筆者が留学した清華大学では、外国人留学生の多くはキャンパス内の留学生寮に住むのだが、筆者は地元の人びとの生活を体感したいと考え、いくつかの団地を転々としたことがある。核二院小区はそのうちのひとつだ。団地を意味する「小区」という中国語の前に、何やらいかめしい名前が付いているが、これについてはあとで触れる。

 核二院小区は、首都北京の中心部からやや西に離れた場所に立地する、典型的と言うべき中国団地である【図1】。北京には幾重もの環状道路があるのだが、その3層目の環状道路(西三環北路シーサンフアンベイルゥ)と、岭南路リンナンルゥ北窪路ベイワールゥ阜成路フゥチョンルゥの3つの道路に囲われた街区の約半分を占め、面積にして9万平米程度である。日本的に換算すると、東京ドーム2個分(約4.7万平米×2)、あるいは森タワーやテレ朝社屋などから構成される六本木ヒルズの敷地(約8.4万平米)と同じくらいの規模感だと想像していただければと思う。この団地は1950年代末に建設された。
 

【図1】核工業第二研究設計院小区・配置模式図 作成=市川紘司
 

 核二院小区には5層前後の古い板状の住棟(「板楼」)と、20層に迫るより新しい高層塔(「塔楼」)が、計20棟ほど建つ。住人の総数は6,000から7,000人くらいだろうか。加えて団地内には、小さな野菜市場やスーパーマーケット、レストラン、来客用の招待所、幼稚園、公園などが附設されている【図2】。地下駐車場がないため路上駐車で歩道が埋め尽くされているのが玉に瑕だが、最低限の生活を送るぶんには申し分ない空間と言ってよい。
 

 


 


 


【図2】核二院小区。上から順にスーパーマーケットと住棟(板楼)/住棟(塔楼)/公園(改修中)/幼稚園 撮影=孫思維
 
 日本人の住居感覚からすれば、核二院小区はかなり大規模な団地だろう。しかしゲーテッドコミュニティ的な中国団地一般の例に漏れず、この団地もエントランスがとても少ない。核二院小区は敷地の東面・南面・北面で都市の街路に接続するのだが、各面にひとつ、つまり計3つしかエントランスがないのだ。それ以外の場所は1.5メートル程度の柵が建てられており、さらに街路側には緑地、植栽、低い手すりが設けられることで、空間的な厚みをもってはっきりと外部から遮断されている【図3】。六本木ヒルズの敷地全体に出入口が3つしかないような状況を想像していただくと理解しやすいだろう。日本的なスケール感を基準に見ると、なかなか異質な居住空間である。しかし中国都市ではこれがあくまでも「普通」なのだ。ここに住んでしばらくすると、買物や通学のために団地を出入りするのがどんどん億劫になったものである。
 

【図3】核二院と西三環北路の境界に設けられている塀・緑地・手すり 撮影=孫思維
 

 ともあれ、核二院小区に見られる団地空間の閉鎖性は、コロナ禍において効果的に機能することになる。なにせここに暮らす数千人の人びとは、東・南・北面にひとつずつしかないエントランスを通過しなければ、団地内外を行き来することができないのだ。この、数少ない結節点を重点的に管理しさえすれば、すぐに誰が・いつ出入りしたのかが把握可能となる。

 では実際のところ、コロナ禍における住民管理はどのように実施されたのだろうか。現在も核二院小区に部屋をもつ友人に聞いたところでは、①北門を完全に封鎖し、②東門に検温所を設置して唯一の入口、そして南門を唯一の出口としたうえで、③住民に身分証明のうえ発行される出入証明書を常時携帯させてチェック、というものである【図4】。つまり、出入ルートが実質的にひとつに絞られた。このように、ただでさえ少ないエントランスをさらに縮減させる管理方式は、最初にコロナパンデミックが起こった湖北省武漢市を始め、中国各地の団地で実施されたものでもある。
 

【図4】核二院小区・東門。現在も検温のためのテントが設置されている 撮影=孫思維
 

 もちろん、団地が空間的に閉鎖的であるというだけでは、十分な防疫は不可能である。これに加えて、閉鎖性という空間的特性を最大限利用するための運用の仕組みもまた、重要となるだろう。この点については、中国研究者・田中修のエッセイが参考になる★3。中国都市ではコミュニティ単位で「居民委員会」(通称「居委会」)が組織されている。田中によれば、これは建前上は「町内会」的な住民の自治組織であるが、実態としては行政の下部組織、ないし中国共産党の現場部門としての性格が色濃く、コミュニティ内での人間関係上のトラブルを解決したり、党が打ち出す政策の周知徹底にも一役買っている。そして今回のコロナ禍では、この居委会の働きによって、正確な情報や効果的な対策法が人びとにすばやく共有された。こうして感染者の隔離や都市のロックダウンは大混乱を招くことなく実現された、というのだ。実際、核二院小区でも同様で、住民には居委会と不動産管理会社(中国語で「物業」)の連名で、団地封鎖の説明などがSNSで配信された。つまり、居委会という仕組み(ソフト)と閉鎖的な団地という物的環境(ハード)のふたつが揃うことで、中国都市内における防疫は成立したのである。

市川紘司

1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科助教。桑沢デザイン研究所非常勤講師。専門はアジアの建築都市史。博士(工学)。東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、明治大学理工学部建築学科助教を経て現職。2013〜2015年に清華大学建築学院に中国政府奨学金留学生(高級進修生)として留学。著作に『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房)など。論文「20世紀初頭における天安門広場の開放と新たな用途に関する研究」で2019年日本建築学会奨励賞を受賞。
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