ゲンロン新芸術校 第6期グループC展「『C』 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない」レポート──「CURE/CAREがもたらすほわほわの種」|中田文

ゲンロンα 2021年2月26日 配信
 明日2月27日より、〈ゲンロン新芸術校〉第6期 最終成果展が開催されます。この成果展は、これまでのグループ展の選抜者8名と敗者復活の6名を合わせた選抜展『0地点から向かいます―「現代美術の再発明」の再設定』(最終成果展I最終成果展Ⅰ)と、惜しくも選抜には残らなかったものの高い実力を発揮する受講者たちによる『MEGURO NO SANMA』(最終成果展II)の、ふたつの展示で構成されています。この1年を通じておこなわれた授業の集大成となります。この機会にぜひお越しください。
 詳細はゲンロンα掲載のニュースをご覧ください。

 

 2020年11月7日(土)~11月15日(日)、ゲンロン新芸術校第6期グループCの展覧会「『C』 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない」が、ゲンロン五反田アトリエで開催された。出展作家として、宇佐美妃湖、加瀬雄一朗、サトウ、junjun、出川慶亮、中平志穂、新田紘平、HIRA、伏木健太、BOCHA、村井智の11名が参加。CL(コレクティブリーダー)課程より中田文がキュレーションを担当した。展示指導は田中功起氏と磯村暖氏、講評会のゲスト講師として飴屋法水氏という顔ぶれだった。
 

展示会場の入口

 自分が関わった展示について何かを語るということは、徹底的に客観的な視線を保てなければただのセンチメンタル・ジャーニーになってしまう。コントロール不能だったグループCにおいてはキュレーションどころではなかったので、このレポートはその顛末記と言ってもいいだろう。

 グループCは作家11人という大所帯である。私が最初に頭を悩ませたのは、これだけの人数の展示をどうやって配置するかということだった。会場図にプランを書き込んでは修正を繰り返していたある日、田中講師より本棚を活用した3Dでの配置案が発表され、新境地の回路が開いた。

 本展のタイトル「『C』 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない」についても、田中講師のサポートがあった。私は早い段階で思いついた『CURE もう二度と、元の世界には戻れない』というタイトルに固執していたのだが、時間の経過に伴い、ふとCURE(治癒)だけでなくCARE(ケア)も内包した『C』がいいのでは? という考えに行き着いた。そのタイミングで田中講師より暗号めいたサブタイトル案が出されたのだ。こうして、このすんなり読めないけれども不思議な魅力を持つタイトルが決まった。

 さらに、忘れてならないのが、本展におけるインストーラーの功績だ。磯村講師の判断により、搬入時に数名のインストーラーが参加し、難しい設営をテキパキと実現させていった。

 各作家の個性を生かしながらも、的確で遊び心に満ちた決断を下す2人の講師によって、皆の力を合わせた展示を有意義に成し遂げることができた。個人的にも学ぶところが多かった。

 

 以下、各作家の作品について取り上げていきたい。
 

junjun《Ain’t the Wall》

 入口近くの壁に固定された、闘争本能を表した立体作品。junjunの作品は格闘ゲームを扱いながら、その根底に哲学的なニュアンスを内包している。自然界で森の木々が静かな闘争を繰り広げるように、人間界においても隣人との牽制のし合いなど様々な関係性がある。流動的に移り変わる可動域や想定外の誤作動、バグなど……実は限定されたフレームに囲まれ、幾重にも重なる認識のズレの中で、わかり合えない他者の豊穣さを認める眼差しを忘れたくない思いが、剥がされていくレイヤーの隙間から見え隠れする構造だ。

 

出川慶亮《ゆらゆらと、時に「バンッ」》

 蝶番で扉のように設置された3枚の巨大な「自画像」は、まるで解体され吊るされた家畜のようだ。アトピー性皮膚炎に悩まされてきた作家自身が強烈な痒みに耐え切れず掻きむしった後の罪悪感や葛藤、自意識の揺らぎが、絵肌を通して表出している。以前、天使の立体物を制作していた頃から、生と死の間でせめぎ合う自己を掘り下げてきた出川。さらに深層の潜在意識を絵画表現に落とし込んでいけば、引き剥がされた悪夢の断片まで記録していけるのかもしれない。

 

新田紘平《モナ》

 日々出現する多種多様な存在のイメージに「モナ」と名付け、モナとのコミュニケーションを描き続けている新田のドローイング作品。会場全体に溢れ出したように展示されている様は、あたかも「モナ」が増殖・氾濫しているかのようだ。そして、俯瞰的な視点によって「ひとつであり多(ライプニッツのモナドロジー)」が示されている。個人的には、フランス語の「モナムール」の響きもしっくりくる。最初に私がこの作品に抱いたイメージが、「亡くした娘の複製を創造し続ける狂気の博士」の物語だったから。
 

BOCHA《群体動物》

 無限に増殖する無脊柱生物・ヒドラを通して、群体について探求したBOCHAの作品群。水槽内のヒドラ、レストルーム内の祭壇めいた台に飾られたカラフルな無数の点状物質などから成るヒト様の模型、少し離れた本棚に設置された絵画……という風に会場内に点在していて、それら自体が群体を形成しているようだ。もし自分が群体であれば、自分と他者の曖昧な境目で生き物のように混じり合ったり離れたり増殖したり……など少しだけ自由な希望に結びついていく。そんなBOCHAの群体ワールドにしばし浮遊していよう。
 

HIRA《肌を読む》

 母の手の肌にこだわりを抱くHIRAによる映像、立体、写真、言葉などから成るインスタレーション作品。HIRAは母の手に浮かんだ皺をなでるくせがある。HIRAにとって皺は記憶が詰まった地図だ。それゆえ肌は記録媒体であり領土でもあるとも思っていて、皺を辿ることで記憶を取り込もうとしているらしい。母の祖国、自身の出自や生い立ちに向き合った作品を通して、他者への想像力を喚起させ、どう向き合うか考えるきっかけを作りたいという。肌とはそうした思考が育まれる豊かな領土のようであるように、私には思えた。

 

宇佐美妃湖《不在の犬》

 繁殖犬を通して、ペットの生産における暴力をテーマにした作品。アトリエの一角に設置されたガードレール、空中に浮かぶ散歩用リード、そして開け放たれた窓外の隣家の壁に照射される映像で構成された宇佐美の作品は批評性に満ちている。私たちは自分の痛みには敏感でも他者の痛みには鈍感だ。リードに繋がれた無防備な犬が示すのは、人間の優しさには一方的なエゴや暴力性が潜んでいるのではないかという問いだ。本作は、もっと自分の加害性や他者の痛みに敏感であるべきだと訴えている。他者なくしては生きていけない自身をもっと直視すべきであると。

 

サトウ《かすかな声》

「労働」と「仕事」の違いについて思考するサトウによる布の作品。労働という安定に依存していると言うサトウが、そんな現在の自己像を眺め受け入れるために制作し吊るされた布には、謎の器官が縫い付けられている。縫製作品にしたのは、元々ファッション系出身だった彼の労働を表しているからで、折り目正しいプリーツは社会性を示している。見る側としてはもう一歩踏み込んだ過剰な何かを求めてしまうものだが、当事者にとっては抑制された自分をストイックに表現しているものなのかもしれない。

 

中平志穂《会食リズム地獄》 撮影=中平志穂

 モニターとSNSのスマホ画面、透明のマネキンで構成された作品。「食べる」という行為は、生命維持のための生理的欲求だけでなく、根底に様々な目的や欲望がある。そうした目的や欲望には違和感を覚えることが多いが、同時に心魅かれるケースもあると中平は語る(料理を利用して殺人を重ねた木嶋佳苗死刑囚など)。そんな矛盾や葛藤を、中平は「モテ」や交際にまつわる映像と、マネキンに流動食を流し込むパフォーマンスで表現してみせた。作品中のユーモアのある映像やパフォーマンスは、面白可笑しく受け流される恐れもある。一方で、社会における犯罪者の存在や、その受け取られ方などが、TVバラエティやネットで面白可笑しく消費されているのも事実だ。見せ方の匙加減は難しいが、捏造された毒女の手記や手紙を添えてみても面白いかもしれないと思った。
 

加瀬雄一朗《KAO》

 社会の中で顔というものが持つ記号性。その記号性ゆえに孤独を感じながらも顔に依存する自分について、映像と言語、立体の組み合わせで表現している作品。おそらく今後、仮面と素顔の区別などほとんど意味を成さないほど、自己という存在はどんどん希薄になっていく。加瀬の作品における複合的な装置ではシンプルな認識をささやきかけているにすぎなくても、この装置などを入り口に顔など通り越した領域まで到達できたら……という未知なる可能性に気づく。私たちはすでに顔での認識などさして重要ではないことを知っているのではないだろうか。
 

伏木健太《Trans(Trans)Parents》

 伏木の作品はアトリエの中央付近に吊るされた赤い球体と映像、バックヤード奥の窓から外に垂らした銀色の風船などで構成されている。実は、展示を準備する段階で作家の出していたプランは非常に抽象的でわかりにくいものだった。田中講師は、この未知数の作品を、あえてアトリエの中央に置くことを提案。伏木は水平線の空と海の境界においてせめぎ合うパワーバランスを表現するために、transparentという言葉をtransとparentに分解し、室内に親を表す赤い球体と親子などの関係性が語られる映像、窓外に子を表すシルバーの風船を設置。意外なメディウムを駆使した物体と映像詩が、不可思議なバランスを織り成していた。

 

村井智《旅の扉》

 額縁の中に映像が組み込まれ、音楽が鳴り響き続ける作品を入口として、様々な形のオブジェ「旅の扉」がアトリエのあちこちに設置されている。私たちは生まれ育った環境など諸々の事情で宗教に出会う。そこから離れて別の何かを求めたとしても、また偶然出会うこともある。そんな風にして人生のその時々で心魅かれるものに関わって生きていく。家族になることで宗教が生活に入ってきたり、純粋な気持ちで何かを信じるがゆえに追い詰められたり……2つの宗教の狭間で思い悩む気持ちを込めて制作された作品は、扉と扉の間などをワープしながら進化を遂げていく。

 

講評の結果、伏木健太とHIRAが選抜成果展に進出することになった。他の作家たちにも敗者復活の機会が用意されている。限られた空間での作品が解き放たれた様を想像しながら、もう二度と元の世界には戻れない自分をCAREしていこうと思う。

実は私は調香師でもあるので、本展では裏テーマとして香りの遊びを仕込んでみた。各作家について短いストーリーを書き、それに合わせてそれぞれ天然香料を当てはめた。それらすべてを調合すると『ほわほわの種』というネーミングの香水になるという仕組みだ。作家は在廊の際に、匂い袋を名札に忍ばせていたのだ。

撮影=株式会社ゲンロン

 

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映画作家&アロマ研究家。

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