架空の歴史は現実に何をあたえるか?──稲葉振一郎×河野真太郎「ポップカルチャーを社会的に読解する」イベントレポート

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ゲンロンα 2021年4月22日配信
 2021年3月19日、ゲンロンカフェにて稲葉振一郎と河野真太郎の対談が開催された。ポピュラーカルチャーを通じて社会を分析してきた2人の対談では、両者がともに著書の中で大きく取り上げた『風の谷のナウシカ』(以下『ナウシカ』)や、完結したばかりの漫画『大奥』、公開中の映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下『シン・エヴァ』)を中心に、膨大な量の娯楽作品・文学作品が話題にのぼり、作品同士の関係、それらと社会との関係が分析された。 
 話題として登場する作品のファンにとって、この対談の緻密な分析が価値あるものであることは言うまでもない。だが、言及される作品のファンではない方、未見の方にとっても、私たちが生きている現実について考えるヒントとなる点が少なくないイベントであった。本レポートでは、作品についての予備知識がない方にとっても楽しめる点を中心にお届けしたい。(ゲンロン編集部)

『シン・エヴァ』をどう見るか


 対談は河野によるプレゼンからスタート。話題の一つは公開されて間もない『シン・エヴァ』だ。 

 河野は、庵野秀明監督の作品から「官僚的努力への信」を感じるという。庵野作品では『シン・ゴジラ』などの過去作から一貫して、官僚的な努力、人間の努力がたたえられ、「美学的な快楽」を感じさせるほどに高められている。対照的なのは宮崎駿監督で、『ナウシカ』に代表されるように、作品からは制度破壊的な欲動が感じられる。『シン・エヴァ』に登場するシェルター「方舟」は、さながら庵野監督が探求してきた「官僚的努力」の集大成。それをナウシカが見たらなんと言うだろうか。そんなことを思いながら河野は『シン・エヴァ』を観たという。 

 
 

 他方で稲葉は『シン・エヴァ』から、「きれいごと」で終わらせようという強烈な意志を感じたという。これは単に否定的な意味ではない。「きれいごと」にどれだけの射程が感じられるかによって、この作品をどう評価できるのかが決まるのではないかというのだ。「お先真っ暗でどん詰まりの世界が美しく肯定さていることこそがこの作品の鍵なのではないか」と述べたうえで、『シン・ゴジラ』『さよならジュピター』『日本沈没』(1973年版)などの作品へと遡って見比べることもできるだろうという。 

 ここに議論のすべてを紹介することはできないが、両者の膨大な知識に裏打ちされた読み解きは圧巻。『シン・エヴァ』と比較すべき作品としては、ほかにも『未来少年コナン』『超時空要塞マクロス』『ベルセルク』『王立宇宙軍 オネアミスの翼』など多くの作品が挙げられ、様々な角度から分析された。ぜひ番組を購入し、実際の議論をご覧いただきたい。 

 

『大奥』の意味するところとは?


 稲葉のデビュー作は『ナウシカ解読――ユートピアの臨界』(1996年)。その増補版が刊行されたのは2019年末のことである。増補版では宮崎駿にくわえ、長谷川裕一、虚淵玄、伊藤計劃、庵野秀明などが取り上げられた。残念ながらタイミングが合わず、増補版で取り上げられなかった出来事として、稲葉は『シン・エヴァ』の公開とともに『大奥』の完結を挙げた。「男性のみが罹患する疫病の蔓延により、江戸時代の大部分が女性支配による社会になる。やがて、疫病の治療方法が見つかるとともに、社会は男性による支配へと戻り、女性支配による長い歴史は忘れ去られてしまう」というあらすじの『大奥』は、いわゆる「偽史」(イベント中では「架空歴史」「オルタネートヒストリー」などいくつかの用語が使われたが、ここでは「偽史」に統一する)を扱った作品である。 

 
 

 対談中でたびたび話題にのぼったのは、『大奥』という作品が意味するところのあいまいさ、繊細さである。ジェンダーの問題を扱った作品であることは言うまでもないが、決して「男性の代わりに女性が将軍になったからすばらしい」という単純な物語ではない。江戸200年の中で女性が支配する社会が生まれ、そして最後にはその歴史が存在しなかったことになる。だからといってすべてが無に帰したというわけではなく、歴史の記憶は水面下で受け継がれていく。河野は、このような『大奥』の性質について、「現実世界で過去の残滓は現在に影響を与えるように、『大奥』の物語のような「仮定の歴史」も、現在のわれわれを構成するルーツとして考えることができるのではないだろうか?」と指摘した。 

 

「偽史」をあつかう作品の系譜


 河野の指摘を受けて、稲葉は「偽史」を扱った作品の系譜について語っていく。文学史において、「偽史もの」として重要な作品には、ディック『高い城の男』、サーバン『角笛の音の響くとき』やスピンラッド『鉄の夢』などがある。これらがSF作品として需要されている一方で、娯楽作品の一大市場を築いている「架空戦記」の存在も忘れてはいけない。英語圏には、たとえば「もし南北戦争で南軍が勝っていたら」「もし第二次世界大戦で連合国が勝っていなかったら」といった物語を大量に書いている作家がおり、日本でも荒巻義雄『紺碧の艦隊』をはじめ、旧日本軍の異なる運命を描いた作品が存在する。このように、「誰もが知る出来事から架空の歴史を紡ぎたい」という欲望は、決して一部の地域に固有のものではない。だが、娯楽としてローカルに消費されるものが多く、国際的な話題にはなりにくいのだ。 

 しかし、『大奥』とそれらの架空戦記の多くとの違いは、架空の過去が架空の現在ではなく、現実の現在の前史として扱われている点である。同じように、現実の現在と接続し得る漫画作品としては、長谷川裕一『鉄人28号 皇帝の紋章』、久正人『ジャバウォッキー』などを挙げることができ、類例がないわけではない。しかし、『大奥』が意味するところのものは、その中でも特に繊細である。対談中で稲葉は「『大奥』にはわかりやすいメッセージはなにもない。ほかの可能性はあるし、ほかの物の見方もあるんだけど、それがなにか素晴らしいことを約束してくれるわけでは全然ない」と指摘している。だが、「ここで語られている過去が本当だったとしたら……」と想像すること、「架空の歴史を語りたい」という人類の欲望や、その欲望が今まで生み出してきた作品たちの存在を感じることは、『大奥』が秘めている不思議な力を受け取るための手がかりにも、現実世界の見え方が変化するきっかけにもなるだろう。 

 

 



 カズオ・イシグロ、筒井康隆、『鋼の錬金術師』、『進撃の巨人』、『鬼滅の刃』……。このほかにも、娯楽作品における女性像や不死性に関する議論、SF史における『ナウシカ』のルーツとそこから見出せる作品構造についてなど、話題は多岐に渡った。シラスで番組をご購読いただくと、お2人にご用意いただいた約60枚のプレゼン資料をダウンロードできるので、資料を見ながらじっくり、繰り返し見るのもおすすめだ。そして、もし好きな作品、気になる作品が登場したら、鑑賞のきっかけにしていただければ幸いである。(堀安祐子) 

 
 

 シラスでは、半年間アーカイブを公開中(税込990円)。ニコニコ生放送では、今後の再放送の機会をお待ちください。 

 


 稲葉振一郎×河野真太郎「ポップカルチャーを社会的に読解する──ジェンダー、資本主義、労働」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210319/

 

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