ひら☆マン戦記(2)波乱、そして奮起|さやわか

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ゲンロンα 2021年5月14日配信
 2017年からスタートし、現在第4期が開講中の「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」。歴代の受講生は、雑誌への読み切り掲載や連載、単行本刊行やマンガ賞の受賞など、数々の成果を上げています。その華々しい活躍の背景には、主任講師であるさやわかさんの、人知れぬ戦いがありました。 

 ひらめき☆マンガ教室第1期のはじまりに犯した「誤り」。そのほころびはやがて、「まごうことなき存亡の危機」と言うべき事態へとつながっていきます。その絶望的な状況で、手を差し伸べてくれたマンガ家たちの優しさに触れたさやわかさんは、ある決意をしました。スクール運営の苦闘を描く「ひら☆マン戦記」、第2回をお送りします(全3回)。(編集部)


 この時の、僕の判断が間違っていることが、今はよくわかる。もちろん、ひらめき☆マンガ教室をやると決めたこと自体は、間違っていない。そうではなくて、ここでの僕の完全なる誤りとは、やるかどうかの最終決定権を西島さんに預けたことだ。というより、預けるような振る舞いを見せた。 

 もともと「学校」に関しては、講談社で立ち上げてからずっと、西島さんが主導的にやっているプロジェクトなのだと思っている人が多かった。今もそう考えている人がいるに違いない。僕はマンガ原作者でもあるけれど、自分ではマンガを描かないのだから、そう思われても当然だ。 

 僕は、それに不満がなかった。自分はプロジェクトの代表ではなくとも、あるいは、コンビの二人ともが代表なのだと言いながらも、西島さんの脇で、コンセプトや、理論や、台本を作ればいいと考えていたのだ。それが我々の役割分担だと考えていた。 

 だから僕は、ゲンロンでスクールをやるかどうかを「西島さんの判断を仰ぐ」という形で決めたのだ。東さんから声を掛けられた時、西島さんだけでなく、僕だってゲンロンでスクールがやりたいと思っていた。にもかかわらず僕は、実質的に中身を作っているのは自分だし、自分がやりたいことでもあるのに、中心人物になる責任を逃れようとしたのだ。 

 しかもそれは、実は責任逃れにもなっていないのだ。西島さんは前述したように直感的に動く人であり、それゆえ西島さんの言動に人々が戸惑うことは過去何度もあった。けれども、みんな西島さんこそが「学校」の代表だと考えているのをいいことに、問題が起こっても「代表者なのに責任を取らない西島さんには困ったものだ」と周囲に思わせながら、結果的に僕が(もちろん西島さんも)責任を取らない仕組みを放置していたわけである。 

 思えば僕は、もともと受け身の態度で仕事をすることが多かった。「学校」をやることになったのも西島さんに誘われたからだし、「描きたい人のための漫画術」も今井哲也さんの発案だった。 

 僕は誰かに声を掛けられたら、その仕事を実際に動かすのは、それなりにできる。特に、その仕事全体の構造を捉え直したり、うまくいっていない部分を指摘したり、理論化やマニュアル化をするのは、うまい方だと思う。たとえば前述したように、西島さんの散発的なアイデアを含めながら「ひらめき」理論を完成させたのは僕だった。 

 しかし、そこまで作り込んでいるのであれば、僕はその責任を自覚して、主体的にこの「学校」を切り盛りしてもよかったはずだ。ところが僕は、そうしようとはしなかった。そんな態度になっていた理由には、僕がどれだけこの「学校」に労力を掛けても、どうせ人々は西島さんが主体的にやっていると考えるのだろうという、拗ねた気持ちもあったに違いない。自分の役割に不満はなかったとはいえ、代表者然としても大していいことはないと感じていたわけだ。 


 そうした体制の歪みは、実際に「教室」の講義が始まった2017年、すぐに問題化した。

 そもそも、開講からすぐに西島さんは、従来の「学校」に比べて技術論が多くなったことに不満を言い始めた。 

 西島さんはゲスト講師に対して、どうやって生計を立てているとか、どんなブレイクスルーがあって生活できるようになったかなど、実業としてのマンガ家論を中心に聞きたがっていた。それはそれで面白い話題ではあるが、そのような質問を投げかけてもゲスト講師からはあまり突っ込んだ回答が述べられることもなく、しまいには「素晴らしいゲスト講師に対して、主任講師たちが無礼な質問をしている」と捉えた受講生もいたようだ。 

 これはゲスト講師も受講生も含めて、主任講師陣以外が「ひらめき」の特色を全く理解していないからこその反応だとも思う。だが他方で、たしかにマンガ家のリアルな経済事情の話が、マンガを学び始めたばかりの受講生たちにただちに役に立つとは限らない。そんなわけで、技術論と「ひらめき」の話を両立させるという、本来やりたい講義内容はうまく成立しなかった。 

 さらにネックになったのは、受講生が毎回提出する作品から優れたものを5つ事前選出し、講義当日に上位3位を決める、教室の評価システムだ。この制度はゲンロンスクールで広く採用されているものを真似ており、これ自体に問題はない。年間の上位得点者が、最終課題に進むことができるというのも、他のスクールを真似ていた。 

 ただ「ひらめき」的には、マンガ賞などに投稿する場合、編集者が「面白い」と感じてしまえば、たとえ応募要項を満たしていなくても受賞しうる、という考え方があった。「超実践的」を謳う「ひらめき」ならではの発想だ。そこで我々は、優れた作品があれば既定の5つを超えて選出したり、最終的に選出した上位3位以外に点数を与えることもあった。また、受講生が締め切り後に提出した作品が良作であれば、それも評価の対象にした。 

 要するに、点数制度の形骸化を行ったのだ。そもそも点数制度は受講生のやる気を1年間継続させるための手段という面が大きく、誰に何点入るかは重要ではないのだと、我々は考えていた。

 この考えは、今もさほど変わっていない。マンガは表現の幅が非常に広いものだ。少年マンガもあれば少女マンガもあるし、エッセイマンガや実用マンガ、SNSだけで読まれているマンガだってある。しかも、それぞれのジャンル内でも作品の種類は多種多様だ。ゆえにマンガを得点というひとつの評価軸で計るのは、必ずしも意味がない。もちろん、受講生へ気にするなと言っても、点数を競わせるシステムである以上、なかなかそうもいかないだろう。だが最終課題に至るまでの各講義で得点できる作品数が多いほど、つまり自分の作品が評価される機会が増えるほど、受講生はうれしいだろう、というのが我々の考えだった。 

 ところが講義が1年の終わりを迎える頃、ある受講生が不満を訴えた。講師陣が恣意的に点数制度を運用しているので、この得点を無効にすべきだと言うのだ。 

 実は、その恣意性自体は大した問題ではない。「ひらめき」としての理屈は通っており、僕はそれをきちんと説明できる。ただ、問題は我々がそのような理屈で講義を行っていることを、まさに責任の所在を曖昧にしているがゆえに、全く説明していなかったことだ。 

 要するに、前述のゲスト講師に対する態度と同じである。我々はだらしのない運営をゲラゲラ笑いながら行い、点数制度もルーズに扱ったと受け取られた。いや、それは事実であるから、弁明するつもりはない。しかし主任講師のどちらかが、「ひらめき」とはどんな考え方なのかを、それこそ責任を持って常日頃説明していれば、そもそも点数制度をルーズに扱っているようには思われなかったかもしれない。講師陣がふざけた態度を取りながらも、実は本質的な指導をする、というのが「学校」時代からのスタイルだったのだから、我々の態度にも納得してもらえた可能性すらある。 

 だがそれ以上にまずかったのは、この問題が起きても、やはり僕と西島さんの両方とも、事態の収拾をゲンロンに任せっぱなしにしていたことだ。我々のこの態度はゲンロンから大いに不審がられ、忘れもしない、第1期の最終講評会を1ヶ月半後に控えた2018年2月4日、僕と西島さんは五反田を訪れて、東さんと上田洋子さんに申し開きをすることになった。ゲンロンの怒りはもっともなことであり、それがゆえに、第2期の実現は絶望的だった。ひらめき☆マンガ教室は、まごうことなき存亡の危機を迎えたのだ。



 ちなみに、申し開きに出向くことが決まった時、僕が電話すると、西島さんは「潮時だね。辞めよう」と言った。短いひと言だった。僕は、あまりのことに目の前が真っ暗になった。この人は、本当に責任感がないんだ。だからあれだけ、軽はずみに引き受けたり、辞めたりすることはできないと言ったのに! 

 だが僕は、その時初めて、自分だって西島さんと同じだと気づいたのだ。 

 そもそも我々はなぜ、トラブル対応をゲンロンに任せるような結果になったのか。自己弁護するわけではないが、むろん当時の僕は、熱意を持って事態の打開に当たっているつもりではあった。しかし前述したように、二人がトップであるからこそ、我々はどちらも責任者としてことに当たらなくていい形になっていたのだ。ましてや、トラブル対応を誰がやるかなどは決めたこともなかった。そこに、どちらも主体的に振る舞わない無責任さがあったのは間違いない。 

 その無責任さは、かつて受講生から金も取らず、ゲリラ的に貸し会議室でやっていた頃には「学校」の野放図な魅力にもつながっていた。また、無料であったがゆえに、トラブルが発生しにくいという事情もあった。だが、「教室」でそれが通用しないのは、当然だった。それは、このスクールを最初にやる段階で自覚せねばならないことで、僕はそれを先送りにしてきたのだ。 

 2月4日のことを思い出すと、今でも胃が痛くなる。本当に、今これを書いていても痛くなったので、あまり思い出したくもない。 

 まずゲンロンは、そもそも、既存の出版業界でデビューする作家を育てようとする「ひらめき」の考え方にあまり共感していなかった。つまり受講生のみならず、ゲンロンにも「ひらめき」の思想はあまり理解されていなかった、というか、きっぱりと全否定された。 

 ゲンロンが言うのは要するに、我々がやっていることは、どのような作品や作家を生み出すかの責任を持たずに、受講生を既存の出版社へ丸投げするような態度ではないか、ということだった。つまりゲンロンとしては、我々のスクール運営の無責任さは、我々のカリキュラムにも及んでいると考えたのである。そこまで彼らの不審感は根深かった。 

 だが僕としては、それは違うのだ、と思った。「ひらめき」の考え方は、マンガのポストモダンを生き抜くために、それこそ曲がりなりにも「ゼロアカ」に影響されて生まれたはずなのだ。それなのに、要するにポストモダンとか、多様性とかいう言葉を隠れ蓑にして、我々は適当にやっているだけだと思われたわけだ。僕が責任を取らなかったばかりに、ゲンロンにそれを否定されるとは、あまりにふがいない。本当に情けない思いだった。

 だが、僕は辞める気にはならなかった。「時が来た」と言って気軽にスクールを始め、「潮時だね」と言って辞めようとする西島さんとは違うのだと、僕は適当にやっているわけではないと言うには、意地でも、絶対に、断固として、責任を持ってこの理論を掲げ、スクールを続けねばならないと思った。 

 そうしなければ、僕も同様に無責任だし、講談社時代にちゃんと作家を生み出し、成果を挙げた「ひらめき」の理論も嘘だということになってしまう。それは講談社時代からの、2009年からのすべてを否定することだった。だから僕は思った。絶対やろう。そうだな、10年やろう。そのくらい続けないと、これが確かな価値を持つものだと言うための、その責任を引き受けたことにはなるまい。 

 この時、僕には一応、ゲンロンに納得してもらうための秘策があった。それについては後述するが、まずここでゲンロンには、技術パートと「ひらめき」パートを明確に分けることを提案した。その上で、(そうとは言わなかったが)ゲスト講師の技術論をただ聞くことに苦痛を感じていた西島さんには、より自由な形で受講生に接しながら、彼らの活動方針にアドバイスするような役職を与えるのはどうかと言った。ゲンロンが主任講師を僕だけにすべきではないかと言ったため、僕は西島さんにも何か役割を与えて、引き続き在籍してもらおうとしたのだ。 

 だがゲンロンは当初、それに対しては否定的だった。特に彼らが気にしたのは、その役職について「副主任講師」「ひらめき講師」などの名称を付けることだった。その役職が責任ある立場だということにしたくない、との意向だった。だが僕が「しかし、西島くんだからこそ、受講生を導き、プロデュースするような能力があると思うんです」と何気なく口にしたところ、東さんがふいに我が意を得たりという表情になり、「なるほど、プロデュースか……。つまりわかった、彼は〝ひらめき☆プロデューサー″というか、〝講師″みたいな立場じゃない人ってことね? それなら、いいんじゃないかな……」と提案してくださり、急速に話は、第2期をやる方向でまとまった。


 ただ、僕はおそらく、ゲンロンは僕らの言っていることに納得し、信じて任せようと決めたわけではないだろうと思っていた。また、「潮時」と安易に言って辞めようとした西島さんの姿勢も、なお気になっていた。しかし、だからこそ、僕はこの教室を断固として続けるため、徹底的にやってやろう、と思った。 

 しかし実際のところ、僕だけが主任講師になるという新体制には、あまり期待はされていなかったと思う。大井昌和さんにもご登壇いただいたキックオフイベントにも、全く観客が来なかった。これでは、そもそも開講することができない。 

 ところが今井哲也さんとふみふみこさんがキックオフイベントの会場に現れ、登壇者として飛び入りで参加してくれた。そして「まあ何でもいいからマンガの話しましょうよ」と言って、好き勝手に僕らはマンガの話をした。図らずもそれは、「描きたい人のための漫画術」のアフターの、みんな車座になってマンガの話をした時の再現のようでもあった。 

 お陰でイベントは盛り上がり、ネット配信で見ていた人たちが次々に受講申し込みを行って、第2期は無事に開講できることになった。イベント後、今井さんにお礼を言ったら「さやわかさんが困ってるんだったら、そりゃ行きますよ」と言われた時のことを思い出すと、僕は今でも泣きそうになる。僕は受動的な態度を取り続けてきたからこそ、「僕のために」誰かが何かをしてくれるというのが、思いがけずうれしかったのだ。こんな人たちのために、本当に僕は、ちゃんと責任を持ってこの仕事をしよう、と思った。

 こうして、僕は正式に、ひらめき☆マンガ教室の、ただ一人の主任講師になったのである。そして僕が受講生にいつでも、どんな手段でも相談や質問をしていい、と言うようになったのも、実はこの時からだ。 

 なぜ僕はそんなことを言うようになったのか? 僕の考えはこうだった。受講生たちが、「ひらめき」理論よりも、とても豪華なゲスト講師陣を目当てにこのスクールを受講するのは、今後も避けられないだろう。そして実際、ゲスト講師たちが、優れた技術論を展開するのは間違いない。 

 しかし、そうであるならば、技術パートについては、とりあえず問題は少ない。ならば僕は、「ひらめき」パートの価値を技術パートと比肩させるために、徹底的に、懇切丁寧に、受講生をフォローしまくってやろう。 

 既に述べたように、僕はあまり人とコミュニケーションするのが得意ではないし、マンガを描く人間でもない。また、おそらく西島さんも、一般的なマンガ読者が読むようなものを自分が描いていないことに引け目があったに違いない。それもあって第1期では、我々はどこかゲスト講師の技術論を聞く側に回って、いいところを見せられなかった。「ひらめき」の理論も、あまり開陳できなかった。 

 だが、2期からは違う。僕が全くマンガを描けないし、あまり社交的でないのは同じだが、その代わり、僕は受講生に徹底的に寄り添ってみせることにしたのだ。そもそもコミュニケーションを密に行うのは「ひらめき」理論の根幹であり、マンガ家として、あるいはアマチュアであっても、実際に作品を作る上で重要なことだった。だから僕は、これを全面展開すれば、必ずいい結果が出るに違いないと考えたのだ。 

 それは毎回入れ替わるゲスト講師には、できないことをやるという意味でもある。ゲスト講師が来ず、僕と西島さんだけが登壇して「ひらめき」の理論を語り、受講生の一人ずつにきめ細かな面談を行う回も設ける。最初は受講生が僕のことをゲスト講師のお話を引き出す「司会の人」のように思っていたとしても、いつの間にか「この人、自分に寄り添って、何か大事なことを教えてくれているな」と気づくところまで持っていくのが僕のミッションなのだ。 

 この考え方は、かなりいいところを突いていると感じている。言い換えると僕は、受講生がひらめき☆マンガ教室を、毎回違ったゲスト講師が来る連続ファンイベントのように捉えるようになったら失敗だと思うのだ。そうではなくて、ゲスト講師を自分とはかけ離れた存在だと思っている受講生たちが、最終的に「ひらめき」の意味を理解して、自分もゲスト講師と同じく、表現者として一歩踏み出そうとできるようにならないといけないのだ。


 ちなみに、第1期の「教室」がゲンロンから指摘されたことのひとつに、スクール内のコミュニティが育っていないということもあった。ゲンロンはその理由を、主任講師陣が受講生と積極的に触れ合わないからではないかと考えているようだった。 

 ただ僕には異論があった。第1期で技術論が多く展開された結果、受講生がゲスト講師の話を聞く「観客」のようになってしまったせいも、いくぶんあったのではないか。これを防ぐには、受講生自身が「主役」になる必要があり、そのためにはスクール内にいるうちに「ひらめき」を自覚して、表現者としての積極性を持ってもらわねばならない。 

 もっとも僕は、正直、コミュニティ作りについて、かなりの苦手意識があった。人付き合いがうまくないのに、コミュニティなんてオーガナイズできるわけないじゃないか。そんなの、どうやったらいいのだろう。わからないが、とにかく受講生が「主役」になるよう、彼らに寄り添うということだけは頑張ろうと、この時には思った。 

 僕はさらに、ゲスト講師たちの言っていることを総合して、マニュアライズして、自分が技術的な「いいマンガの描き方」を判断できるようになっていこうとも決めた。前述したように、僕は、そういうことは得意なのだ。そうすれば、僕も技術パートの方をゲスト講師に丸投げにすることにはならない。それが、僕が主任講師として責任を取るということなのだ。僕の理論が正しいと、僕が証明するためには、僕はこれを、絶対に続けてやろうと思った。人見知りが何だというのだ。 

 加えて、先ほど触れた僕の秘策とは、「ひらめき」の理論を使って、何らかの結果を出してやろう、ということだった。ちょうど、ゲンロンのSF創作講座が華々しい成果を挙げ続けているのを見て、「これだ!」と思ったのだ。

 たしかにゲンロンは、「ひらめき」の理論を訝しんでいた。だがおそらく、あのくらい結果が出れば認めてくれるに違いない。僕は、特に東さんという人は「自分にはわからないけど結果を出している人」を、認めようとする公正さがあって、そこが素敵な人だと感じていた。だからきっと、この第2期のあいだに、何らかの結果が出ればいい。別にそれが既存の出版業界とつながることだとしても、あるいはSNSでバズるみたいなことだとしても、たぶん認めてくれるし、喜んでくれるはずだ。これが僕の計画だった。 

 ただし、それと同時に、既存の出版業界に対して、僕は必ずしもペコペコしないと決めた。なぜなら第1期のあいだ、いろんな出版社の編集者が何人も講義を見に来たが、ほとんどの者がゲスト講師の付き添いで来ているだけで、受講生になんてろくに興味を持たず帰っていったからだ。ひどいのになると、その回に出ているゲスト講師に名刺を渡しに来ているような人も(しかも複数)いた。 

 そんな人たちは、出版界と受講生をつなぐパイプとして重要でも何でもない。彼らの頭を飛び越えて、優れた才能を世に出してやればいいのだ。「ひらめき」の理論なら、必ずそれができるはずだ。僕には自信があった。受講生も、ゲンロンも、まだ誰も信じていないかもしれないが、僕には10年もの「ひらめき」講師としての実績があり、ちゃんと作家を世に送り出しているのだから。輝かしい活躍をしている過去の卒業生たちは、いつも僕に「ひら☆マンで学んだことは正しかったです」と言ってくれるのだから。 

 以上のような方針のもと、僕は、第2期を全力で頑張った。すると、本当に結果は出始めた。受講生がマンガ賞を受賞したり、担当編集者が付いたりするようになったのだ。僕は、受講生からちょっとずつ感謝され始めた。少なくとも、この人熱心だな、と思われるようになった。「熱心だ」と思われるようにやっているのだから、当然である。ゲンロンとの関係も、第2期が終わる頃にはようやくチームとして機能するようになっていった。

つづく

さやわか

1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。
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