ひら☆マン戦記(3)それでも僕は戦い続ける|さやわか

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ゲンロンα 2021年5月21日配信
 2017年からスタートし、現在第4期が開講中の「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」。歴代の受講生は、雑誌への読み切り掲載や連載、単行本刊行やマンガ賞の受賞など、数々の成果を上げています。その華々しい活躍の背景には、主任講師であるさやわかさんの、人知れぬ戦いがありました。 
 存続の危機を乗り越え、ハッピーエンドを迎えたかに見えた第2期。しかしその数時間後、そんな「慢心」を打ち砕く事態が起こります。ひらめき☆マンガ教室は必ず何かが起こる──「ループもの」の主人公のように、繰り返す困難に立ち向かい、そして毎期の受講生と向かい合う主任講師。その4年間で、決してリセットされず、積み重なった「ひらめき」の成果とは。自らの信念を支えに戦い続ける、「ひら☆マン戦記」、最終回をお送りします。(編集部)
 こうして、ひらめき☆マンガ教室は、ひとまず第1期から第2期にかけての存亡の危機を乗り越えることができた。第2期の最終講評会は、参加してくださった皆さんはもちろん、ネット配信の視聴者からも非常に好評で、居酒屋で行われた打ち上げの席でもゲンロンの東さんがわざわざ僕に「さやわかくん、君はすごいよ!」とまで言ってくれた。 

 この宴で、乾杯の音頭を取るために立ち上がった僕に対し、皆さんが惜しげなく送ってくださった拍手万雷を聞きながら、僕にはほとんど景色がスローモーションのように見えた。あまりによくできた最終回のようだった。僕は見事な大逆転勝利を手にしたのだ。「ああ、俺はやったんだ……本当に、うまくやることができたんだ……」と、僕は感動を噛みしめた。 

 だが、まさにこの席上で、僕は「そんな甘い考えは許されない」と思い知らされることになる。というのも、この拍手万雷から数時間後、深夜も深まった明け方のことである。聴講生の一人が突然に心肺停止状態となり、救急車で運ばれる事態となったのだ。意識は全く戻らず、運び込まれた病院の医師によると、回復したとしてもこれまで通り生活ができるかわからないとのことだった。 

 後にわかったことだが、この聴講生はほとんど酒を飲んでおらず、倒れたのは持病が原因だったらしい。しかし盛り上がった飲み会でのこと、当初は急性アルコール中毒などが疑われてもおかしくはなかった。そうでないにしても、深刻な事態が生まれたことは変わりない。ひらめき☆マンガ教室の前途は、またも、危ぶまれることになった。わずか数時間前には、あんな感動的なシーンを体験していたのに。 

 ただ本当にうれしいことに、この聴講生はそれから1週間ほどして、奇跡的に意識を回復したのだ。しかもその後どんどん元気になり、2ヶ月後見舞いに行った際には笑顔で歩いて出迎えてくれたし、退院した今では、活発に商業活動を行っている。 

 しかしいずれにしても、僕はこの経験から「ひらめき☆マンガ教室は、どれだけうまくいっているように見えても、毎年、必ず、何か困ったことが起こる」と考えるようになった。最近は毎年、周囲の皆さんが「ひら☆マン、調子いいですね」と言ってくださるようになったが、僕はにこやかに「ありがとうございます」と答えつつ、実は、「だが、必ず何かが起こる」と思っている。勝って兜の緒を締めるというのとも、少し違う。それが何かはわからないが、あらゆることに気をつけていても、リスクヘッジをしても、絶対に、必ず、何かよくないことが起こる。だからこそ油断せず、公明正大さを保ち、その何かが起こった時に、できるだけ穏便に、迅速に、状況を好転させるしかないのだ。 

 そうやって達観したようなことを言ってはいるが、それでも、辛いことは色々あった。まず、第1期の終盤に作った『マンガ家になる!』という講義録だ。これを作るためにも本当に苦しいいきさつがあり、やはり胃の痛くなる思いを続けたのだが、ようやく本が完成してみれば、全く売れなかった。内容には自信があり、今なお誰もが(特に、ゲスト講師のマンガ家の皆さんが)すごくいい本だと絶賛してくれるのだが、それでも、好ましい結果でないのは間違いない。僕は自らゲンロンのオフィスに毎日常駐して編集作業を行い、心身ともに限界を感じつつ校了にこぎつけたのだが、売り上げだけでなく、とにかくこの本の件では、実にへこむことになった。 

 また、「ひらめき」の理論は、その後もなお理解されないところがあり続けた。たとえば心ない受講生からは「そんなにすごいマンガ理論があるなら、さやわかさんが大ヒットマンガを描けばいいじゃないですか?」と嘲笑された。僕がマンガを描けないのに、偉そうにマンガ教室を開いて、受講生を騙しているというような口ぶりだった。 

「ひらめき」の理論では、マンガやマンガ家は多様化しているのだから、誰もが大ヒットマンガを目指さねばならないわけではない。ゆえに僕が大ヒットマンガを描かなくたって別に構わない。それでももし、その受講生が大ヒット作を描きたいと言うなら、むしろ僕は責任ある主任講師として、一緒にどうしたらいいか考えもするのだ。だが、そもそも、そういう理論であることが理解されていないわけで、悲しくなった。

 また、卒業した1期生からは「2期はさやわか先生がカリキュラムを整えてしまったせいで、去年のような何でもありの雰囲気がなくなった」とも言われた。2期生からは飲み会で「さやわか先生はいい先生だけど、男性としては西島さんが好き」と、尋ねてもいないことを笑いながら言われたこともあった。これはセクハラと言っていい。 

 その西島さんはと言うと、2期で就任した「ひらめき☆プロデューサー」の職をあまりうまく活用することはなかった。僕の見た限りだと、彼は「プロデューサー」という言葉を誤解してしまったように思う。ひらめき☆マンガ教室の校歌を作ったり、受講生たちと部活として音楽活動をしたり、あるいは講義の前後に流す音楽を決めたりと、音楽方面やイベントとしての講義「プロデュース」はやったが、もともと僕が彼に期待したのはそんなことではない。前述のゲンロンとの話し合いにあったように、求めていたのは「受講生のプロデュース」だった。 

 もしかすると「何でもありな雰囲気が好きだった」という受講生は、そういう自由さを楽しんだかもしれない。あるいは、西島さんは自分たちに理解しやすい、いい先生だとすら思ったかもしれない。しかし僕に言わせてもらうなら、それは運営ということを蔑ろにしすぎである。つまりそれは、誰かにお金を出させて、あまつさえそのお金を湯水のごとく使い果たし、やがて飽きれば放り出し、「型破りだった」「ヤバかった」「伝説に残った」「いい場所だった」みたいな言葉で総括し、その場所を作るために誰かが損をしていても、苦しんでいても、それは仕方ないことだなどと平気で言える、そういう態度だ。 

 マンガ教室はアーティストを育てる場所だから、運営側が我慢してのびのびした環境を、自由さを許していいわけでもない。第一、ひらめき☆マンガ教室が育てようとしているのは、そういう奔放さがアーティストらしさだという勘違いを是正し、他人と協業して自分の仕事を行える、真の意味でのアーティストなのだ。 

 それで3期からは、この「ひらめき☆プロデューサー」の役職は廃止することになった。西島さんには、第3期ではいちゲスト講師として参加してもらうことにした。そんな経緯を知ってか知らずか、過去の受講生たちや、外野の人たちまでが「どうして西島さんのひらめき☆プロデューサーを辞めさせたんですか」などと、面白おかしい事情があるんだろうという顔をして言ってきた。さらに、西島さんは第4期から講師陣に名を連ねないことになったのだが、それについても、僕がその理由を語らないことをいいことに、わざわざ僕に「残念」などと言ってきたりもした。そういうことは、いまだにある。 

 いちいち、本当に悲しくなるのだ。もともと人見知りなので、コミュニケーションでへこたれることは多い。そして、僕がとにかく責任感を持って、全力で、善良に、誠実に、確実に、必死でやると決めたからこそ、そしてやったからこそ、余計にこういった言葉には、辛い気持ちになるのだ。一体、彼らは僕が、どんな気持ちでこの教室を存続させたと思っているのだろうか? 僕が何とかして続けようと思わなければ、この場所は、あっけなく終わったはずだ。それでも彼らは、「伝説に残った」などと言って、満足するのだろうか? そんな気にもなる。だがもちろん、彼らはそんなことを知るよしもない。

 そんな例には事欠かない。3期生には、僕が原作をやったマンガの内容を誤読した上でつまらないと言われたし、僕が受講生を搾取して儲けていると言った人もいる。優れた成果を出した受講生がいればいたで、他の受講生からは、教室の教え方がよかったとか、その教えを実践したからうまくいったわけでなく、その人に才能があっただけだと、たびたび言われた。また、ひらめき☆マンガ教室的には、自分の描いているようなマンガはダメなんでしょうと、全然見当違いのことを言われたこともある。僕が、自分の好みで作品の善し悪しを評価していると言った人もいる。ひらめき☆マンガ教室はマンガの多様化を前提としているので、特定のマンガがよくて、別種のものがダメだなどと話したことは、一度もないのだが。 

 もちろん、現在進行形で接している4期生にも、気持ちがポッキリ折れそうになるようなことを言われることがある。今年は特に、僕に勧められた作品の描き方や活動方針が、強い調子で否定されることもたびたびあって、そういう時は、ポッキリいきそうになる。 

 しかし僕は、何も知らないくせに、などと言って彼らを否定したり、頭ごなしに自分のやり方を押しつけることは、決してしない。なぜなら、そもそも僕は彼らにものを教える立場なのだから、彼らよりも僕の方が何かを知っているのは、当たり前なのだ。よくハラスメントの話題で「非対称的な関係」という言い方をするが、僕は最近、人間関係はすべて非対称なものだと思うようになった。受講生は僕と同じ知識を持っていないし、同じ立場ではないのだから、僕が言うことが正しいと思えなくても、理解できなくても、しかたがない。むろん、僕がどんな気持ちで、どんな経緯があって、この教室をやっているかも、わからなくても、しかたがない。 

「ひらめき☆マンガ教室」という言葉には「☆」が入るのだが、そういう繊細な部分を蔑ろにしちゃってくれる人も多い。「ひらめきマンガ教室」「ひらめき☆まんが教室」「ゲンロンマンガ教室」などなど、いろんな言われ方をするが、ただ、じっと耐えるのみである。そもそも「学校」の頃から、このプロジェクトが何なのか、一部の人以外にはずっと理解されなかったのだから、今さら全面的に認められることはなかろう。 

 そりゃあ僕は批評家という、繰り出そうと思えばどんな屁理屈でも繰り出せる仕事をしているから、本当ならいくらでも受講生に反論できてしまう。だが、たまに勘違いしている教職も見かけるが、人にものを教えるというのは、そんな真似をすることではない。 

 それは、僕が「優しい」ということではない。僕の方針は、受講生の創作上の悩みを共有するために、マンガの描けない主任講師として「同じ目の高さでは話す」が、決して「同じ土俵では話さない」ということだ。すなわち、彼らに対しては常時ホールドアップで臨み、無茶苦茶なことを言われても、嫌みや皮肉を言って突っかかってきても(前述したように、実際にそういうことはされるのだ)ほとんど相手にしないのだ。幸いなことにひらめき☆マンガ教室は義務教育ではなく、表現者として世に出ようとする人が自ら高額な受講料を払い、つまり彼らもこの教室に賭ける真剣さを持ってここを訪れ、講師陣がその気持ちに応えるための私塾だ。したがって、それに資さないコミュニケーションは避けることができる。 

 だから僕は、まあ、たまにこうやって愚痴を言ってしまうけれど、それでも受講生に相対した時は、常にほぼ定型文のような、しゃちほこばったメールを書いているし、トークを面白くするためにツッコミを入れることはあっても、基本的には慎重に話すよう心がけている。メールの文章だって、万が一、僕の言ったことで何か問題が起きても、いつでも公開していいように、絶対に投げやりなことを書かないようにしている。



 そんなやり方で、どうやら4年が過ぎようとしている。何とか軌道に乗せたが、カリキュラムだってまだ完成とは言いがたく、さらに精度を上げていきたいものだ。いずれにせよ、僕はまだまだ、この教室を続ける気マンマンでいる。 

 ただし、毎年、受講生が入れ替わってしまうことだけは、なかなかしんどいな、と感じている。1年かけて、ようやくその年の受講生が「ひらめき」の精神をおぼろげながら理解し、場合によっては結果を出し、僕に感謝すらしてくれ、感動的に最終講評会を迎えたとしても、次の年になると、すべてがリセットされて、新たな受講生から、また僕が「司会の人」として認識されるところから始まるのだ。 

 僕は、まるでループもののアニメやゲームの主人公のような気持ちでいる。この1年、何が起こるのか、僕は既に知っていて、どうすればうまくいくかもわかっているつもりだ。だが、受講生たちは、そう簡単に信じてはくれないのだ。なるべく早く信じてほしくて、毎年、最初の講義で僕は言う。 

「僕を信じてくれて構いません。最短ルートをお教えします。皆さんは既に、高いお金を払ってここに来ていますから、僕には皆さんを騙す理由はないんです。本当です」 

 もちろん、ほとんどの人が信じない。僕の言うことが役に立ったと言ってくれる卒業生もいるのだが、今年はキックオフイベントでそれを見た4期生から「宗教みたいだと思った」と言われた。 

 しかしそれでも、僕はやるのだ。なぜなら僕が作ったのは優れたマンガ理論で、彼らが信じなかろうが、既に効果は実証済みなのだから。 

 それに、最近よくありがたいと思うのだが、実は、1年ですべてがリセットされるわけではないのだ。というのも、たくさんの卒業生や、ゲスト講師の皆さんや、そして編集者の皆さんまでもが、今では何度も何度も、このスクールに遊びに来てくれるようになった。卒業したけれど、もう一度受講してくれる人もいる。 

 別に、彼らは僕の理論に惹かれたわけじゃないのかもしれない。ここに集まる者同士で、刺激しあえるのがいいと思っているのかもしれない。ただ、そうやって人々との関係に積極的に踏み出すのは、それこそ「ひらめき」の思想そのものだ。人見知りの僕が、その思想を自ら体現して、やがて自分が引き受けるべき責任だと認め、それを続けた。もしかしたら、そうやって、意地になって4年守ったこの教室は、マンガに親しむ人たちの、新しいコミュニティを、いま本当に生み出しているのかもしれない。 

 ……いやいや、そうとは言い切れない。危ないところだった。油断してはいけないのだ。まだまだ、そんな大団円みたいなエピローグを書くわけにはいかない。必ず、どの期でも、よくないことは絶対に起こるのだ。これからも、この教室で、僕は失敗したり、嫌な思いをしたり、悲しい言葉を突き付けられたりもするだろう。ループものなのだから、それももう、わかっていることだ。それどころか、どんどん、人々が僕を信じてくれなくなっていくのかもしれない。だから、慢心してはいけない。 

 しかしそんなことが待ちかまえているとしても、僕はやる。受講生が毎年リセットされようが、やる。やるだけだ。責任を持つというのは、そういうことなのだから。自分の理論に対して、そして、人々に対して。

さやわか

1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。
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