「レーニンって、どの? レーニン廟に横たわっているやつ、それとも歴史上の人物? 赤の広場を散歩するのはいやなものよ、冬には死体のすぐ隣でスケートをするなんてね」(ナターリヤ、34歳)。
今、ロシアの若者がレーニンをどう考えているか。友人たちに質問したところ、否定的・無関心といった意見が多いながらも、長いメールがたくさん返って来た。ソ連邦崩壊の翌年にロシア語を学び始めた私にとって、〈レーニン〉は遠いテーマだった。共産党時代のエンブレム、芸術の対立項としての政治の象徴、構成主義デザインのキッチュな肖像。レーニン廟には一度行ったことがあるが、横たわるレーニンは蝋人形のごとく、本物の実感は持てなかった。私にとってはこの死体のように形骸化した遠い過去である〈レーニン〉だが、同年代のロシア人たちにとっては「一義的でない」存在らしい。
ソヴィエト時代、子供たちは必ずレーニン・バッジをつけなければならなかった。低学年は、巻き毛の模範少年レーニン。学年が上がると、禿の指導者レーニン。「子供の頃は当然、ヒーローだった。レーニンの子供時代に関する絵本や本がたくさんあって、学校でこういう本を読むのが好きだった」(ウリヤーナ、31歳)。「レーニンは揺るぎなき権威、ひたすら肯定的な人物、模範だった。労働者や農民のことを考え、24時間休まず働き、目的達成のために多くの不自由を耐え……こんな情報しかなかったから、僕の持ち得る考えはただひとつ、レーニンはものすごくいい人だ、ということだった」(セルゲイ、33歳)。
1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。