ザハのチャレンジがもたらそうとしていたもの――五十嵐太郎×山梨知彦×東浩紀 「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」イベントレポート

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ゲンロンα 2021年6月14日配信
 シラスの番組にたくさんのレビューが寄せられるなど、専門性の高いイベントにもかかわらず大きな反響を集めた「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」(5月14日、ゲンロンカフェにて開催)。登壇者は、ゲンロンカフェでもおなじみの建築評論家・五十嵐太郎さん、日建設計でデザイン部門のトップを務め、新国立競技場でザハと協働した建築家・山梨知彦さん、弊社の東浩紀の3人です。
 建築の話はわからないとハードルの高さを感じる方もいるかもしれません。しかしイベントで語られた内容は、建築という分野をこえ、最新の技術をつかったものづくりや、ものづくりの仕事にかける職人たちの情熱など、普遍的で重要なトピックに広がっていきました。その一部をレポートします。(ゲンロン編集部)
 

語られてこなかった「ザハ案」



 新国立競技場「ザハ案」を覚えていますか? 2012年、新国立競技場のデザイン案の国際コンペで最優秀に選ばれたのは、イラク出身の女性建築家、ザハ・ハディドのプランでした。その後、ザハのデザインをもとに新国立競技場の設計が進められるも、2015年に安倍首相(当時)により白紙撤回が発表され、ザハ案はまぼろしとなりました。その後もザハは新国立競技場のデザインに関わろうとしてきましたが、2016年に心臓発作で亡くなりました。65歳の若さでした。

 白紙撤回の理由として挙げられたのは、予算が膨れ上がったことや世論の反対が高まったことです。また、明治神宮外苑が敷地だったことで、景観の観点から文化人も反対の声を上げました。建築が国民的関心事になった稀有なできごとだったといえるでしょう。

 いっぽうで、ザハ案の鮮烈なイメージは東京のオリンピック招致にも一役買ったといわれています。2020年の東京開催が決まったのは2013年9月で、ザハ案が選ばれたあとのことです。ザハ案がなければ、そもそも東京オリンピックはなかったのかもしれません。

 あらためてオリンピック開催の是非が国民的関心事になっているいまこそ、ザハ・ハディドをふり返るべきときが来ています。

 ところで、ザハへの注目に比べると、ザハ案を実現するために働いてきた日本の設計者たちにはほとんど関心が払われてきませんでした。

 建築は、建築家ひとりがつくるものではありません。現場で身体を動かして建設をおこなうひとたちがいるのはもちろん、建築をデザインする側にも、表には出てこない設計者たちがいるのです。

 とくに国外の建築家がデザインを行う場合には、国内の建築家や設計事務所がパートナーになり共同で設計を行うのが一般的なのだそうです。新国立競技場でザハ・ハディドの中心的なパートナーとなったのが、日建設計を幹事とした、梓設計、日本設計、Arupの4社による設計JVでした。山梨によれば、100名を超えるスタッフが新国立競技場のために働いていたそうです。ザハ案の撤回により、日建設計もまた、新国立競技場の事業から外れることになりました。

 今回のイベントでは、日建設計のなかでもデジタルデザインチームを指揮していたという山梨が登壇したことで、ザハ個人を超えた、新国立競技場をめぐるものづくりの真相が掘り下げられていきました。

 


批判を受けとめて、ものづくりに取り組む



 まずは年表をつかって新国立競技場問題のふり返りが行われました。当時は守秘義務があったので、日建設計から批判に反論する機会はなかったそうです。建築家や市民から湧き上がった批判について、山梨はどのように感じていたのでしょうか?

 山梨は多くの批判に対し、反論や弁明をするのではなく、まずは受けとめる姿勢を示しました。たとえば、新国立競技場は巨大すぎるという意見は、どんなスタジアムにするかを決めた発注者の問題であるとはいえ、妥当な批判だったと山梨は評価します。

 巨大な建築はそもそも嫌われがちだと山梨はいいます。たとえばエッフェル塔は、当時の文化人から激しい批難にさらされたことで知られています。しかし、当初は嫌われていたエッフェル塔も、いまでは誰もが認めるパリのシンボルになっています。山梨は新国立競技場についても、これだけ革新的で巨大な建築であれば、まずは社会からも専門家からも批判は受けるだろうと覚悟していたと語りました。

 


 さらに印象的だったのは、山梨の「反論は建築ですればいい」と考えていたという発言です。新国立競技場のザハ案には、そもそも建設不可能だという批判がありました。全長350mを超える「キールアーチ」がその象徴として取り上げられていたことを覚えている方も多いと思います。しかし、山梨は、現実にそれより大規模な橋が架けられてきたことを思えば、困難であっても不可能ではないと考えていたそうです。

 困難な問題に直面したときにこそ、技術は進歩するものです。では、ザハ案が持っていた技術的な困難や革新性はなんだったのでしょうか?

ザハ案の可能性



 山梨のプレゼンテーションでは4つのポイントが解説されましたが、ここではそのうち、「シミュレーション」と「マス・カスタマイゼーション」を取り上げたいと思います。巨大な建築は嫌われがちだという山梨は、ザハ案の先に新しい巨大建築のつくり方を見ていました。

 まず山梨が披露したのが、コンピュータで解析したシミュレーションの数々でした。大規模建築を実現するうえでは、事前の細やかなシミュレーションが役立ちます。たとえば、キールアーチの些細にもみえる形のちがいで、必要な鉄骨の量がどれだけ変わるのか。芝生に十分な日が当たるか。膜屋根に雪が積もらないか。さまざまな観点からシミュレーションが行われていたそうです。細部にいたるまで入念な検討がされていたことがうかがえます。

 


 こうした個々のシミュレーションは当時すでに珍しいものではありませんでしたが、複数のシミュレーションを連動させた設計方法は最新のものだったと山梨はいいます。新国立競技場の形状は、さまざまなシミュレーションの連立方程式で成り立っているものだったそうです。

 さらに、建築の形の決め方だけではなく、建築をつくる部材にもイノベーションを起こそうとされていました。それがマス・カスタマイゼーションです。日本語で言うと「大量受注生産」となります。コンピュータの発達により、大量生産された部材ではなく、一つ一つ違う形の部材を必要な数だけ安価に生産し、それを使う手法が可能になってきました。それを最大級に巨大なものづくりの現場に応用しようとしていたそうです。

 周囲への影響をシミュレーションし、それを反映するための複雑な形状がつくれるようになれば、巨大建築もより社会にフィットしたかたちで作れるようになるのではないか。山梨はザハ案でのチャレンジの先に、そんな可能性を描いていたようです。

巨大プロジェクトとイノベーション



 オリンピックを中止すべきだと気軽にはいえなくなる。東は、山梨のプレゼンテーションを受けてそう反応しました。オリンピックは巨大なプロジェクトです。その準備のためにたくさんの労力と長い時間をかけてきたひとたちは、ほかにもきっといるはずです。なかには、日建設計のように、目の前の建築だけではなく、その向こう側のイノベーションを見据えていた現場もあるかもしれません。

 


 もしザハの新国立競技場が実現していたら、いまはワクチン接種会場に使われていたのではないかという可能性も語られました。ザハがデザインしていた新国立競技場は収容人数8万人で開閉式屋根も備えていたので、たしかにうってつけの施設になったでしょう。

 もちろん、新型コロナウイルスの発生を予想できたはずはありません。けれども、そんな想定外の事態にも対応できるだけの巨大な建築が、オリンピックのためにつくられようとしていたのです。

 日常的な感覚からは想像できない巨大プロジェクトを立ち上げること。それが、ひとびとに夢を見せるオリンピックの可能性であるとはいえないでしょうか。

 イベント後半で行われた五十嵐のプレゼンテーションでは、ザハの経歴と彼女が世界中で実現させてきた建築の数々が紹介されました。ザハの代名詞「アンビルトの女王」は30年も前のことだと五十嵐はいいます。

 当時は、ザハの魅力的なドローイングと斬新な建築のイメージが評価されるいっぽう、実現の段階で頓挫することが多く、「アンビルト=建設されない」の建築家と見られていました。しかし、いまではヨーロッパだけではなくアジアや中東にもザハの建築は建っています。そんな過去の「アンビルト」というイメージが、なぜか日本では新国立競技場の報道のなかで復活し、誤解を与えてしまいました。

 


 ザハが世界中でつくってきた複雑な形態の建築の数々。山梨のプレゼンテーションのあとに見ると、どの建築にも技術的なチャレンジがあったのではないかと思えてきます。ザハは、オリンピックのように世界を巡回し、イノベーションを誘発してきた建築家なのかもしれません。

 ザハ入門に最適な五十嵐のプレゼンテーション。それだけでなく、「アンビルトの女王」という言葉からはなれて、彼女がどんな建築家だったのかを捉え直すきっかけにもなるのではないでしょうか。

白紙撤回したのはだれか



 最後に、予算の問題を取り上げておきたいと思います。どれだけザハ案に可能性があり、日建設計が膨大な仕事をしていたとしても、予算を大幅に超える設計ならば国民の反対を受けて白紙撤回になるのも当然ではないかと考えるひとも少なくないでしょう。

 しかし新国立競技場は、はじめに予算が決まっている一般的なプロジェクトとは異なるものだったことが山梨の証言からうかがえました。日建設計は明確な予算が伝えられないまま設計を進めていたといいます。またJOCが発表した工事費の見積もりは、日建設計が進めていた設計をもとに計算されたものではなかったそうです。

 新国立競技場についての報道のなかでも、もっとも大々的に取り上げられていたのはカネの問題だったと思います。そうした報道を山梨はどう見ていたのでしょう。

 報道をとおして世論の反応を探っていたのではないか。山梨は私見だと断りを入れながら、そんな見方を示しました。新国立競技場のプロジェクトに関わっていた官僚は、世界にザハ案を掲げてオリンピックを招致したことと国内の世論を考えて費用を抑えたいという事情とのあいだで板挟みになっていたのではないかといいます。

 カネの問題は数字ではっきりと示されるがゆえに、わたしたちの感情を刺激します。いっぽうで、その費用が適切かどうかを判断するのはかんたんなことではありません。国家プロジェクトの費用や税金の問題は、まさにポピュリズムの問題がまっさきに表面化してくるところだといえそうです。新国立競技場ザハ案の白紙撤回は、現代の政治が抱える問題がはっきりと表れた事件だったのかもしれません。

 じつは今回のイベントでもっとも心を動かされたのは、イベント前半で山梨が語った、白紙撤回を報道で知らされたときの日建設計の様子でもありました。他者の仕事への想像力やリスペクトの重要さを痛感させられる、たいへんな重みのある証言でした。その重さは、とても文字では紹介できません。ぜひ動画で、山梨の声をとおして感じとっていただければと思います。(國安孝具)

 


 こちらの番組は、シラスでアーカイブを公開中。1年後の2022年5月14日まで、990円でご視聴いただけます。
五十嵐太郎×山梨知彦×東浩紀 「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210514/
 
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