しなやかな正義を実現するために──江川紹子×石戸諭「社会にとって報道とはなにか」イベントレポート

ゲンロンα 2021年8月24日配信
 ネット媒体の登場と拡大でその姿を急速に変えているジャーナリズムの世界。そんな報道の現状とこれからを語りあう対談が、7月26日、ゲンロンカフェで行われた。
 登壇したのは、江川紹子と石戸諭。江川は90年代にオウム真理教事件を追いかけたことで知られ、現在も幅広い分野の取材で活躍する現役のジャーナリスト。ゲンロンカフェには初登壇となる。一方、すでにゲンロンではおなじみの石戸は、7月末に第1回PEPジャーナリズム大賞を受賞したノンフィクションライター。8月18日刊行の新著『ニュースの未来』では、ニュースやノンフィクションのあるべき姿について大いに語っているという。
 異なる世代のふたりによる対談は、「報道のこれから」という真面目なテーマを扱いながらも、終始とても和やかな雰囲気で進んだ。以下ではその内容の一部を紹介しよう。(ゲンロン編集部)

 

報道は必要とされていないのか

 イベントが開催されたのは東京五輪のまっただなか、大会開会式の3日後のタイミングだった。それもあって、冒頭ではまず五輪をめぐる報道や五輪とコロナ禍に対する政権の舵とりについてが話題になった。首相記者会見に長く出席してきた江川ならではの安倍元首相と菅現首相の人物像比較など、興味深い論点も多く出た。冒頭15分の動画は無料で視聴できるので、まずはそちらをご覧いただくのもよいだろう。


 テーマが時事的な話題から「これからの報道」というイベントの核心にぐっと近づいたのは、トーク開始から40分ほどが過ぎたころ。石戸はおもむろにこう切り出す。


「いまのこの社会において、報道は必要とされていないのではないか」


 現代社会で極端に嫌われるもの、それは「批判」である。石戸が象徴的な事例として挙げたのが、お笑い芸人のキングコング・西野亮廣が主催するオンラインサロンだ。数多くの会員を抱えるコミュニティの絶対的なルールは、「指摘はいいが、『批判』は禁止。指摘の最後は必ず『フォロー』の言葉で終わること」。そのような「優しい」コミュニケーションを志向する共同体が支持を集めるのが、いまの世の中である★1

 他方で、ジャーナリズムの原動力は、「物事に対する批判意識によって社会を良くすること」だ。長いあいだ、その精神は無邪気に「正しい」ものとして信じられてきた。しかしそれはいまの社会において、他人の盛り上がりに「水を差す」だけのものとしか見られていないのではないか。この現状に報道の現場はどう向き合うべきなのか──。

 

 
 

 石戸の問題提起に、江川は「批判」と「誹謗中傷」の混同という観点から応答した。江川の区別では、前者は言動ひとつひとつに対する良し悪しの判断であり、後者は人格そのものを否定する行為だ。そのふたつを混同してしまうと、健全な議論は成立しない。その事態が起こってしまっているのがいまの社会だという。

 江川が例として挙げたのは、イベント開催の数時間前に彼女自身が投稿したツイートへの反応だ。江川はそこで、「黒い雨」訴訟(広島の原爆被爆者への健康手帳交付などをめぐる訴訟)に対する菅首相の上告断念を「今回はよい判断」と評した。

 問題は、江川のそのツイートに一部から「菅首相の味方にまわるのか」と非難の声が上がったこと。江川は政権批判のスタンスをとることが多いリベラルの論客である。しかし、ひとつひとつの政治判断には悪いものもあれば良いものもある。いまのネット上には、そのような是々非々の態度を許さない「敵か味方か」の図式にとらわれるひと、つまり「〇〇のしたことをすこしでも誉めたら敵」という見方をするひとが少なからずいる。そのことにあらためて驚いたと江川は言う★2。その原因の一端は、メディア側がある時期から善悪二元論的な「わかりやすさ」を追求していくようになったことにもあるだろう。

次世代のジャーナリストを育成する

 では、どうすれば現状を変え、健全な議論の土壌をつくりなおすことができるのか。

 一言でいえば、報道の送り手と受け手がともに議論や情報獲得・発信についてのリテラシーを高めていくことしかない。もちろん、これだけでは当たり前すぎてなにも言っていないのと同じだ。「野球チームを勝てるようにする方法は、ピッチャー陣とバッター陣を両方とも強化することだ」と言っているようなものである。問題は、どうやってピッチャーを強くするか、どうやってバッターを強くするかである。


 江川は、後進を育てるために「やっていること」と「やりたいこと」がいくつかあるという。

 すでにやっていることのひとつは、報道に関する賞の選定だ。

 江川は、報道実務家フォーラム「報道調査大賞」の選考委員長を務める。その第1回受賞作に、読売新聞の「医学部不正入試問題を巡る報道」を選んだ。東京医科大学の入試で、女子と浪人生が不当に低く採点されていたことを暴いた2018年の報道である。複数の大学で行われていた類似の点数操作の裏側には、性差別や年齢差別はもちろんのこと、医療業界全体の過酷な働き方の問題も潜んでいた。この報道は、入試の採点方式の是正に貢献し、ジェンダー問題や医師の働き方についての広い議論も巻き起こした。報道が社会を変えたのである。

 このように、報道には正しい「批判」によって社会を良くする機能が備わっている。大切なのは、良い報道とそうでない報道をきちんと判別し、前者に賛辞を送って後押しする環境をつくることだ。石戸もこの話を受けて、新聞業界でもっとも権威ある賞である「新聞協会賞」の旧態依然とした報道観を「批判」しつつ、業界全体で価値観を多様化していく必要性を訴えた。

 

 
 

 他方で、江川が「お金と時間があればやりたいこと」として挙げたのが、「地域新聞」をウェブで運営することだ。

 地域新聞とは、県単位よりもさらに小さい範囲、つまりいくつかの市やどこかの沿線地域の足元情報を扱う新聞である。地方にはいくつか例があるが、首都圏ではまだまだ数が少ない。見渡す地域のサイズを絞れば、一人ひとりがその地域の全体像を把握することが可能になる。そのなかで、住民が記者に、新聞社のOBがデスク(取材指揮・編集係)となって、学生にもインターンなどで経験を積ませることができれば、働くひとのやりがいと後進の育成を両立する環境がつくりだせるのではないか。それが江川の考えだ。ゲンロンが「五反田新聞」を始める日が来ても面白いのかもしれない★3

 イベントではそのほかにも、江川が神奈川新聞初の女性記者として採用された経緯や、独立後にどのように出版業界で「育てられた」かについての貴重なエピソードも披露された。ぜひ動画で見ていただきたい。

「取材をする自由」と法令遵守意識

 最後に紹介しておきたいのが、江川と石戸のふたりが口を揃えて批判した北海道新聞の問題だ。

 今年6月、不祥事報道が続いていた旭川医科大学が、学内で取材中だった北海道新聞の1年目記者を常人逮捕(私人逮捕)した。そこで問題は、原則立ち入り禁止としていた旭川医大に記者が無許可で立ち入ったことにあるのではない。記者の逮捕を受けて出された北海道新聞の「社内調査報告」に、「記者を守ろう」「真実を伝えよう」という意識が見えなかったことが問題だという。

 新人記者が上司に指示されるがままに厳しい取材現場に駆り出されることはざらにある。ときには取材先と衝突が起きることもある。そこで新聞社側が記者を守るという姿勢を貫かなければ、取材をする自由を自ら手放すことにつながり、伝えるべき真実も伝えることができなくなってしまう。本来であれば新聞各社が声を上げて批判すべき大きな問題だったと、ふたりは口を揃えた。


 このイベントレポートの読者には、「法令的に危ないことをしたんだったら取材してるほうが悪いんじゃないの?」と感じたひともいるかもしれない。しかし、そのような「法令遵守意識」の意識は、ここ数年で急速に形成されたものにすぎない。印象的だったのは、江川がある高校教師から聞いたというエピソードだ。

 高校の英語教材で扱われる定番の文章に、ローザ・パークスのバス事件についてのものがある。1955年のアラバマ州で、公営バスの座席にすわっていた黒人のローザに対し、白人に席を譲るようにと運転手が命令をした。それに従わなかったローザは逮捕され、その事件に対する抗議運動(バス・ボイコット)が最終的には全米を巻き込む公民権運動につながった。有名な事件であり、みなさんのなかにも、「そういえば教科書で読んだことあるな」という方がいらっしゃるはずだ。

 もちろんこの話のポイントは、「人種差別に基づく間違った法令に抵抗し、それを変えることに貢献したローザは偉い」ということにある。しかし最近の教育現場では、「法令に逆らったローザが悪い、逮捕されて当然だ」という生徒が増えているというのだ。これは世代がどうこうの問題というより、世間全体の「法令遵守意識」の変化を反映したものととるべきだろう。

 江川は、裁判で有罪・無罪が決まるような「白か黒か」の世界は法律運用の一部にすぎないという。正義はほんらい、「社会のためになる」「社会に資する真実を伝える」「規則や法律を守る」などいくつもの尺度のなかで折り合いをつけることにこそあるはずだ。

 石戸もその意見に同意する。しかし同時に、そのような価値観を共有しない読者に対して、事実のみを伝えてすませるわけにはいかなくなっているとも感じるという。これからのニュースは、事実について書き手がどのような判断を下しているか、いわば「物語」の次元にまで踏み込んで伝える必要があるのではないか。新著『ニュースの未来』でも、ニュースにおける「物語」の重要性について詳述しているという。

 機械的な判断に縛られることのない「しなやかな正義」をいかに実現するか。それがこれからの報道の大きな課題なのだ。


 3時間にわたるイベントでは、このほかにもさまざまな事柄(記者志望者のキャリア形成、オウム真理教事件の取材とその後、江川の大学での授業についてなど)が語られた。

 そして、イベントでなにより印象的だったのは、江川の話しぶり・聞きぶりから伝わってくる、その真摯かつやわらかな人柄である。取材先や仕事仲間、大学の教え子や質問・コメントの投稿者など、目の前のひと一人一人の歩みと思いを大切にするその姿勢に、「これぞジャーナリスト」と筆者は感銘を受けた。ぜひみなさんにも動画でそれを感じてみてほしい。(住本賢一)

 

 
 

 シラスでは、2022年1月23日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。

 

江川紹子×石戸諭「社会にとって報道とはなにか──ジャーナリズムの未来を考える」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210726/

 

★1 石戸は『文藝春秋』2021年8月号で西野亮廣とその周辺を取材・分析した記事を寄せている。
★2 なお、この「黒い雨」訴訟のニュースについては、翌朝の各新聞がどのような扱いで報じるのか(東京五輪での日本選手の金メダル獲得よりも優先的に報じるのか)に要注目だとも江川は語った。その結果は、江川がイベント翌日にツイートしたとおりである。
★3 石戸によれば、上述のキングコング・西野亮廣の活動拠点があるのも五反田である。五反田は近年、多くのスタートアップ企業が集う地域としても知られるようになっている。
 

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