アラブの春10年、喧噪のカイロより(1) ナイル川沿いの夕涼み──コロナ禍のエジプトに暮らして|真野森作

ゲンロンα 2021年11月2日配信
 アラブ随一の大国エジプト。1億人の人口を擁するこの国では、コロナ禍下でどんな日々が過ごされていたのでしょう。このたび、毎日新聞カイロ特派員として現地に駐在中の真野森作さんにご寄稿いただきました。屋形船のディスコにコロナワクチン、スエズ運河の座礁事故、ミイラの特別輸送と大統領の権威、そしてここに暮らすさまざまな出自の人々と故郷への誇り──「アラブの春」から10年を経た国の日常が垣間見えるエッセイを、全3回にわたってお届けします。こちらのエッセイは『ゲンロンβ67』にも掲載予定です。
 またゲンロンカフェでは、11月2日に、かつてモスクワにも駐在された真野さんと軍事評論家の小泉悠さんによるトークイベント「ロシアにとって国境とはなにか2」を開催しました。アーカイブはシラスからご視聴いただけます。合わせてお楽しみください。(編集部)
URL=https://genron-cafe.jp/event/2021102/

 

第2回
第3回

 

「エフワーティー(私の兄弟たち)! エフワーティー!」。エジプトはカイロ中心部のナイル川をゆっくり進む小型船から若い男女のかけ声が響く。ドンチャカ、ドンチャカと現代アラブ音楽のリズムに合わせて実に楽しそうだ。エジプト版の屋形船はカラフルな電飾で彩られ、その実態は水上ディスコである。浮世を忘れて騒ぎ楽しむには、ゆるゆる流れる大河の上はもってこいかもしれない。川風が心地よいはずだ。

 最高気温がセ氏40度を超える当地の夏は、少し涼しくなる夜に人々が街へ繰り出す。熱帯夜の東京では死語となりつつある夕涼みが、このカイロでは大事な時間として存在する。玄関先の椅子に座ってイスラムの聖典コーランに読みふける老人がいる。川の堤に腰掛けておしゃべりを楽しむ女の子たちがいる。外に開けた喫茶店のテレビでサッカー中継に見入るおじさんたちがいる。ひいきのチームが勝てば大騒ぎになる。新型コロナウイルス? ぱっと見、どこかへ消えてしまったかのようだ。

 水上ディスコの屋形船は暗い水面に音楽と歓声、ピンクや青色の明かりを運んで行き来する。午前1時、2時、3時と宴は力強く続く。川沿いの道路も夜中じゅう車の往来が絶えず、クラクションがビビビと絶えず鳴り響く。川辺の西向きビルに事務所兼自宅を構える私は夏の毎夜、喧噪の中で眠りに就く。10月、ようやく秋に入った。日中は30度、夜は20度を下回るようになり、夕涼みと喧噪の季節は終わりを迎えつつある。盛夏にはゴム手袋をしてサボテンの実(フルーツである)を売っていた露天商は焼き芋を売り始めた。

 

客を待つカラフルな屋形船=カイロで2021年2月2日撮影
 

夕暮れ時、ナイルの川辺で夕涼みする人々=カイロで2021年9月30日撮影
 

路上の椅子で夕涼みする猫たち=カイロで2021年9月28日撮影
 

 2020年春に始まった私のカイロ生活は早1年半が経過した。ただし、コロナ禍の影響で日本に一時退避した4カ月間は差し引かねばならない。そう、遅ればせながら自己紹介いたしましょう。毎日新聞記者の私は初任地の北海道、東京と異動を重ねたのち、ロシア語学留学を経てモスクワ支局に3年半勤務、帰任して大阪経済部で働いた。大阪のある夜、国際報道を担当する東京本社外信部の部長に誘われておでん屋へ行った折、「中東は興味ある?」と思いがけない打診を受けた。もちろん興味はあるので「はい」と答え、トントン拍子にカイロ赴任が決まって今に至る。ただ、駐在生活はスタート直後からコロナ禍の暗い影につきまとわれた。

 私がカイロへ赴任したのは、世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的な大流行)」を宣言した3月11日の五日後のことだった。到着当日、エジプト政府は空路全面停止を発表。前任者は慌てて日本へ帰国した。「滑り込みセーフ」の交代だった。エジプトではこの時期、コロナへの警戒感が一気に強まっていた。1億人の国民の大部分がナイル川沿いに密集して居住する一方、医療水準は高いとは言えないからだ。シシ大統領は3月下旬に国民に外出自粛要請を出したほか、イスラム教礼拝所(モスク)やキリスト教会の閉鎖を決定した。夜間外出禁止令も罰則付きで導入され、飲食店は配達のみの営業に追い込まれる。夜ほどにぎやかになるカイロで夜間外出禁止である。いつもは車やバイクで混雑し、クラクションがひっきりなしに鳴り響く大通りが静まり返った。沿道の商店街はまさにシャッター通りと化し、街はしばらく死んだような姿になった。

 取材にも出られず、もどかしい特派員生活のスタートから3週間がたった4月7日、東京の上司から連絡が入る。「5月までにいったん日本に帰国し、夏ごろまで様子を見るように」と。エジプトでは早くも自粛への緩みが出てきたほか、外で働かなければ生活できない人たちも多数いる。国民の9割を占めるイスラム教徒にとって金曜日の集団礼拝などの伝統を中止するのは簡単ではなく、閉鎖されたモスク前に人々が集まるケースも見られた。幸い、4月16日に臨時便が飛ぶという。こうしていったん日本へ戻り、東京の民泊を転々としながら中東のニュースを追い、時々出社して編集補助に入るという生活を4カ月過ごした。

 
古いモスクが多数ある旧市街の眺め=カイロで2021年2月7日撮影
 

 20年8月に再びカイロへ戻ってからの1年を振り返ると、そこにもやはりエジプトらしさが見て取れた。象徴的なのはコロナのワクチンだ。エジプトで使用されているワクチンは英国のアストラゼネカ、米国のジョンソン&ジョンソン、中国のシノファーム、ロシアのスプートニクなど多種多様。米英との深い関係を持ちつつ、最近では中国やロシアとも接近を図るエジプト外交が直に反映されているように感じた。

 一方、そのシステムはといえば、政府のサイトを通じて接種希望を登録するのだが、人によっていつ「接種日確定」の返信が来るか大きく異なる。その基準はあいまいだ。私の場合は登録後、3カ月半にわたって梨のつぶてだった。一方で集団接種会場に乗り込んで係員を説得し、早期の接種をもぎとる “つわもの” の在留邦人もいた。人脈やコネ、交渉がものを言う世界なのだ。知人のエジプト人女性は「アストラゼネカのワクチンは副反応が怖い」とわざわざシノファームのワクチンを自力で業者から入手し、「母親に接種してもらった」とほっとした様子で話した。

 私はといえば結局、カイロへ戻って1年後の今年8月に再び夏休みを兼ねて日本へ一時帰国し、在外邦人向けの羽田空港でのワクチン接種を受けた。エジプトのワクチン接種率(必要回数ベース)は10月下旬で8%と遅れている一方、市民の警戒心は相当に緩んでいる。それでもインドのような死屍累々の惨事にならなかったのはなぜか。不思議な思いは尽きない。(第2回につづく

 

ナイル川の夕景=カイロで2021年2月2日撮影
 

撮影=真野森作

 

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1979年生まれ、東京都出身。一橋大学法学部卒。2001年、毎日新聞社入社。北海道支社報道部、東京社会部、外信部、ロシア留学を経て、13年10月から17年3月までモスクワ特派員として旧ソ連諸国をカバーした。大阪経済部などを経て、20年4月からカイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当。単著に『ルポ プーチンの戦争―「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』(筑摩選書、18年12月刊)、『ポスト・プーチン論序説 「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新社、21年9月刊)がある。
毎日新聞サイトでの記者ページ「中東・砂の迷宮から

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