【『ゲンロン13』より】「訂正可能性の哲学2、あるいは新しい一般意志について(部分)」(抜粋)|東浩紀

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webゲンロン 2022年10月20日配信
 2022年10月に発売した『ゲンロン13』より、東浩紀の巻頭論文「訂正可能性の哲学2、あるいは新しい一般意志について(部分)」の一部を無料公開いたします。すでに冒頭が『文藝春秋』に「ハラリと落合陽一 ―シンギュラリティ批判―」の題で掲載され、大きな話題を呼んだこの論考。以下に続くのは、ハラリ氏や落合氏のような「シンギュラリティ民主主義」がルソーの思想の直系であることを示す、第3節から第4節にかけての議論です。民主主義と情報技術の入り組んだ関係を明らかにし、『一般意志2.0』の理論をアップデートします。
 
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第1章 シンギュラリティからルソーへ


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[……]
 冒頭でいま民主主義の危機が世界中で叫ばれていると記した。その危機はそもそも情報技術と深く関係している。

 情報技術革命は1990年代に始まったといわれる。先進国で個人用コンピュータとインターネットが普及し、同じ環境は多少の遅れを伴いながらも世界中に急速に広がっていった。だれもが自分の主張をほぼ無料で世界中に発信できまた即座に応答をもらえるという、かつては想像すらされていなかったコミュニケーション環境が誕生し、それは当然のことながら人々の政治的なふるまいに大きな影響を与えた。

 アメリカの憲法学者、キャス・サンスティーンなどのように、ネットが民主主義に与える影響を否定的に捉える論者がいなかったわけではない★1。それでも2000年代のあいだは、情報技術と政治の関係はまだおおむね肯定的に捉えられていたように思われる。当時好んで語られたのは、最先端の情報機器で武装された意識の高い市民が、国境を越えて情報を交換し、不正を正し、地球規模の民主主義をボトムアップで立ち上げるといった美しいイメージだ。そのような理想論はハワード・ラインゴールドの「スマートモブズ」論や伊藤穰一の「創発民主制」論に代表され★2、産業界に近い論者のあいだでとくに熱心に議論されていた。ぼくはこの時期にたまたま情報産業に近い研究所に籍を置いていて、そのような楽観論を浴びるように聞かされたことを覚えている。

 けれども、いまではだれもが知るとおり、現実はそうはうまく展開しなかった。2000年代半ばにはスマホとSNSが生まれた。初代iPhoneが発売されたのが2007年、フェイスブックが始まったのが2004年、ツイッターが2006年だ。2010年代に入るとこの両者は急速に普及し、ネットの性質をがらりと変えてしまう。それまでのネットは基本的には、自宅やオフィスといった特定の場所からアクセスする、雑誌やテレビのようなメディアに近い存在だった。それがスマホとSNSの誕生以降、だれもがつねに接続し、それをつかってたえず情報を交換する生活の場そのものへと変わっていく。その変化も一時期は民主主義を強化するものだと考えられた。実際、2010年から2012年にかけての北アフリカおよび中東諸国での政変「アラブの春」や、2011年のアメリカの「ウォール街を占拠せよ」運動、2014年の香港の「雨傘運動」などでは、活動家と市民のあいだの連絡や世界への情報発信において、スマホとSNSが大きな役割を果たしたことが知られている。
 ところが2010年代が下るにつれて、そのような常時接続と常時交流の環境は、民主主義を強化するどころか、むしろそもそもの政治的なコミュニケーションをたいへんむずかしくするものであることがわかってくる。

 たしかに人々はいまや、かつてなく高機能の情報機器をもち、かつてなく大量の情報に接している。けれどもそれだけでは人々は賢くならない。むしろ見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞くようになってしまう。結果として陰謀論やフェイクニュースばかりがネットを満たし、社会の分断は深まっていく。

 そのような認識は一部の研究者のあいだでは、「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」、「サイバーカスケード」といった言葉で2000年代後半あたりから共有されていた。けれども世間一般では、2016年のアメリカ大統領選を揺るがせたSNS主導のポピュリズム、いわゆるトランプ現象でようやく常識になったといえる。2022年のいま、スマホとSNSが政治をよくすると素朴に考えているひとはほとんどいないのではないか。

 



 情報技術をもちいた新しいコミュニケーションは当初は民主主義を支援すると考えられた。けれども2000年代の半ばに状況が変わり、いまでは民主主義を危機に陥らせるものだとみなされている。本論はこのような状況を踏まえたうえで、一般意志について考える。

 一般意志は、近代民主主義の起源に位置するとても重要な概念である。のちにあらためて説明するが、ひらたくいえば社会全体の意志を意味する。18世紀の哲学者、ジャン゠ジャック・ルソーが有名な『社会契約論』で中核に据え、広く知られるようになった。ルソーは、社会は一般意志にしたがい統治されるべきだと訴えた。民主主義の歴史はそのルソーの思想を抜きにしては考えられない。それゆえ、上記のような情報社会の混迷を前提として、もういちど一般意志という古い概念に戻ることには大きな意義がある。それはこれからの民主主義と政治を考えるうえで、欠かせない作業でもある。

 とはいえ、ぼくはここで、情報社会の嘆かわしい現状を批判し、一般意志の理念をあらためて謳いあげるといったありふれた民主主義擁護論を展開したいわけではない。むしろ本論で明らかにしていくのは、民主主義と情報技術のあいだにある、とても複雑で入り組んだ関係だ。その関係を検討していくと、逆に情報技術が民主主義を危機に陥らせたとは単純にいえなくなるからである。

 



 どういうことだろうか。前述のように、2010年代は「人間は情報技術をつかってすごいことができる」という夢が支配的になった時代だった。いま記したような民主主義の危機は、いっけんその夢を切り崩すものにみえる。いくら情報技術が進歩しても、人間はいっこうに賢くならないし、社会もよくならないことが証明されたのだからだ。

 けれども、ポストヒューマンの流行を人間中心主義の批判の現れと捉えるのが安易だったように、その理解もまた安易である。そもそもカーツワイルにしろ落合にしろハラリにしろ、コンピュータを利用することで人間ひとりひとりが賢くなるなどとは主張していなかった。彼らはあくまでも、人類という種や社会の全体が、人工知能の助けを借りることで、「群れ」として個体をはるかに超えた知性をもてるようになると主張していたのである。だから愚かな個人がいなくなるわけではない。彼らの愚かな判断が社会運営に影響を与えないように、人工知能が支援してくれるだけなのだ。それが落合が「機械を中心とする世界観」と呼び、ハラリが「データ至上主義」と呼ぶ思想に導かれた未来のすがたである。

 したがって、2010年代の民主主義の危機は、シンギュラリティの夢と衝突するどころか、むしろそれを強化するものとして機能する。いくらすぐれた情報機器を与え、いくら良質の情報を提供しても人々が変わらずフェイクニュースや陰謀論に淫し続けるのであれば、落合やハラリが提案していたように、重要な意志決定は機械に委ねるべき、少なくとも機械の支援を受けて行われるべきだと考えるほかなくなっていくからだ。そこでは情報技術は、民主主義を危機に陥らせるどころか、逆に民主主義を救うものとして立ち現れることになる。

 そしてそのような情報技術への期待は、いま現実に広がりつつある。たとえば2022年現在、SNSの運営会社や動画配信のプラットフォームがユーザーの投稿内容を機械的に精査し、特定の政治的な立場からの呼びかけを削除したり、削除しないまでもアクセスを制限したりすることはあたりまえになっている。新型コロナ感染症でワクチンの有効性に懐疑的な動画は削除されるし、ウクライナ戦争でロシアを擁護するメディアへのリンクには警告がつく。

 それらの制限は多くのひとに支持されているが、これはネットの歴史に照らすといささか驚くべき変化だといえる。初期のネットサービスの開発者や利用者には、国内外を問わず、リバタリアニズムと呼ばれる強い自由主義の支持者が多かった。2000年代までは「サイバーリバタリアニズム」という表現もよく聞かれた。彼らサイバーリバタリアン、あるいは「ハッカー」は、言論や表現の自由にとくに強い関心を向けており、暗号やブロックチェーンなどの技術もその自由の確保のために開発されてきた経緯がある。そのような空気は長いあいだネット界に残り続けていた。それがいまや上記のような「検閲」が広く支持され、プラットフォームの義務だとすら論じられている。世論は大きく変わった。人々はいまでは、人間はみな愚かなので、まともに議論させるためには人工知能によるたえざる監視と検閲が不可欠だと本気で信じ始めているようにみえる。
 このような状況は、本論の出発点にある危機の認識にも変更を迫る。ぼくはさきほど、民主主義の危機は情報技術と関係していると無造作に記した。そこでは、スマホやSNSの登場が人々の政治的なコミュニケーションを阻害するという逆説が危機だと考えられていた。

 けれども情報技術にはいまや、スマホやSNSによって人々の政治参加を拡張するという肯定的な可能性だけではなく、隠れたアルゴリズムによってその参加をひそかに制限したり、排除したりする否定的な利用法もまた期待され始めている。だとすれば、現代社会が直面しているほんとうの危機は、前者のような政治参加の失敗にではなく、むしろ後者のような人間排除の思想にこそ宿っていると考えるべきではないだろうか。その思想は、民主主義という特定の体制やイデオロギーの危機を超え、政治そのものの危機を招きかねないものだからである。

 あるいはより大きく、人間そのものの危機を招きかねないというべきかもしれない。そこで頭をもたげているのは、現代のように複雑な時代においては、そもそも人間の貧しい自然知能に統治を任せることが危険で無責任なのではないか、というきわめて根底的な懐疑だ。

 ハラリは未来の人類は人間かデータかを選ぶことになると記していた。人間には正義と真実は見抜けない。だから機械に見抜いてもらうほかない。多くのひとがそう考え始めているのだとすれば、ぼくたちはすでにハラリのいうデータ至上主義の時代に足を踏み入れている。

 



 情報技術が民主主義を危機に陥らせたのではない。人間の愚かさが民主主義を危機に陥らせた。だからぼくたちは、情報技術を活用し、政治の場から人間を追放することで逆に民主主義を救わなければならない。ぼくはのちこのような思想を「シンギュラリティ民主主義」と名づける。

 本論は、そんなシンギュラリティ民主主義に抵抗し、あらためて政治と人間の価値を擁護するために書かれた論文である。人工知能に抗して人間の価値を擁護するというと、単純な話に聞こえるかもしれない。
 実際にはその議論の歩みは平坦ではない。さまざまな準備と迂回が必要になる。なぜならば、これから詳しくみていくように、シンギュラリティ民主主義の人間排除の思想は、じつは、近代民主主義の歴史のまさに中心も中心、ルソーの『社会契約論』の正統な継承者だとも位置づけることができるからである。ルソーは、社交が苦手で、社会が生み出す不平等を憎み、一般意志の権力をむしろ自然が生み出したものであるかのように語ろうとした思想家だった。ひらたくいえば、人間が人間の手によってつくる秩序をまったく信頼していなかった。近代民主主義の歴史には、そんな彼によって人間排除が隠れたプログラムとして埋め込まれており、シンギュラリティ民主主義はそれを250年ぶりに華開かせただけだと捉えることもできるのだ。だとすれば、民主主義と人間の擁護は単純には連動しない。

 それゆえぼくはこの論文では、まずはルソーからシンギュラリティへ連なる人間排除の道をいちど辿りなおし、そのあとでふたたびシンギュラリティからルソーへ戻り、起源にある一般意志の概念をこんどはあらためてシンギュラリティ民主主義へと辿りつかないようなかたちで読みなおす、そんなジグザグのややこしい手続きをとることとしたいと思う。その迂回を避けるかぎり、民主主義と政治と人間の価値を同時に一括して再肯定することはできない。

 ぼくはさきほど、現代は共産主義という大きな物語のかわりに、シンギュラリティの到来という第二の大きな物語が席巻している時代だと記した。両者は異質な物語ではない。共産主義は、人間が葛藤しなくてすむ世界を革命によって実現しようとした。シンギュラリティの思想は、同じ夢を技術によって実現しようとしている。けれどもおそらくは、人間が人間である限り、彼らが渇望するような葛藤のない世界は永遠に実現しない。そして、ぼくは、ぼく自身としてできるだけ人間でいたいので、革命の物語にもシンギュラリティの物語にも反対なのである。

 



 続く第2章では、まずはルソーに宿る謎を検討し、それがシンギュラリティ民主主義につながるメカニズムを明らかにする。第3章ではそのシンギュラリティ民主主義がなぜ批判されるべきなのか、理由を明確にし、第4章以降ではその理由を前提にしてルソーの思想をあらためて読みなおす。最終的には、一般意志の概念を、ルソーからシンギュラリティへ続く道から解き放ち、政治と人間の擁護として再定義すること。それが本論の目的である。

第2章 一般意志のふたつの混乱



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 一般意志とはなにか。さきほども記したように、それはひらたくいえば社会全体の意志のことだ。

 これもまた単純な話に聞こえるかもしれない。ところがここには大きな謎が隠されている。

 


 まずは『社会契約論』のおさらいから始めよう。人間は自然状態では孤独に生きていた。まとまってもせいぜいが家族ていどだった。けれどもそれだけでは強い外敵には対抗できない。そこで、わたしはあなたに暴力を行使しないからあなたもわたしに暴力を行使しないでくれという相互契約を交わし、みなの暴力を一カ所に集中させて、大きな強い集団、すなわち社会をつくることになる。それがタイトルにもなっている「社会契約」だ。

 一般意志は、そんな社会契約が成立したとき、必然的に生まれる集団全体の意志として定義される(第一篇第六章)★3。つまりは、社会が成立すると自動的に一般意志が現れることになっている。この規定はいささか抽象的だが、ルソーは「特殊意志」というべつの概念も導入している。特殊意志は個人の意志を意味する言葉だ。それゆえ、多くのひとは、ここの論述を、特殊意志が集まって一般意志が生まれるということだろうと理解して読みとばしてしまう。個人の意志が集まり社会の意志が生まれるというのは、だれでもわかる話だからだ。

 ところが『社会契約論』をきちんと読むと気づくのだが、そのような理解は正しくない。というのも、ルソーは別の箇所で「全体意志」と呼ばれる第三の概念も導入しているからである(第二篇第三章)。

 そしてじつはその全体意志のほうこそが、特殊意志の集まりとして規定されている。他方でルソーは一般意志については、それもまた特殊意志の集まりではあるのだが、しかしたんなる集まりではないという厄介な書きかたしかしていない。しかもその差異は公共性の有無と関連づけて論じられている。『社会契約論』の記述によれば、私的な利害はいくら集まっても私的なものでしかない。だから、特殊意志という私的な意志が集まってつくられた全体意志もあくまでも私的な意志でしかなく、社会全体の公的な意志にはなることがない。けれども一般意志には、全体意志と異なり、公共性が宿るというのである。

 これはどういうことだろうか。一般意志と全体意志は具体的にはどう異なるのだろうか。全体意志は特殊意志を集めればよいとして、一般意志は、それになにを加えれば、あるいはなにを減じれば生成するのだろうか。

 ぼくの考えでは、近代民主主義の困難は最終的にはこの問いに集約される。なぜならば、「一般意志は全体意志とはちがうものであるはずだ」というその信念にこそ、この二世紀半のあいだ世界中で民主主義が望ましい政体として語られ続けてきた、その最大の理由があるからである。

 


 日本語で民主主義あるいは民主政と訳されるデモクラシー(デモクラティア)という言葉は、けっして近代ヨーロッパの発明ではない。よく知られているとおり、起源は古代ギリシアに遡る。

 そして古代においては、このデモクラティアは、人民(デモス)が支配(クラティア)するという、統治者の数を意味する言葉にすぎなかった。統治者がひとりなら君主政、少数なら貴族政、多数なら民主政と呼ばれるだけの話で、いずれが望ましいかについては議論があった★4。実際プラトンをはじめ、多くの哲学者は民主政に批判的だったことが知られている。

 その状況をがらりと変えたのが『社会契約論』である。じつはルソー自身は民主政を支持していない。むしろ君主政を支持していた。けれども、そんなこととは関係なく彼の議論は民主政の熱烈な擁護として読まれた。そして現実にフランス革命の大きな原動力となったのである。

 なぜそんなことになったのか。理由のひとつは、ルソーがそこで、あらゆる統治は一般意志に導かれるべきだと宣言したことにある(第二篇第一章、第三篇第一章)。

 一般意志は社会全体の意志を意味するが、ルソーはしばしば「人民」という言葉もつかう。一般意志は人民の意志のことだ。統治が人民の意志に導かれるべきだというならば、統治そのものも人民が担うべき、つまり民主政がもっとも望ましいという発想がでてくるのはじつに自然なことだろう。民主主義こそが理想的な政治体制だという近代の常識がここから生まれる。

 もういちど繰り返すが、ルソー自身はけっしてそうは考えていなかった。実際『社会契約論』を読むと、一般意志についての議論と政治体制についての議論がはっきりと区別されていることに気がつく。『社会契約論』は四篇から成立しており、第一篇と第二篇が前者に、第三篇と第四篇が後者に相当している。つまり、一般意志が人民のものだという主張は、政治体制が人民のものであるべきだという結論とは結びついていないのだ。ルソーはむしろ、統治者が君主ひとりしかいなくても、そのひとりが人民の意志を理解し、それに基づいて統治するのであれば問題はないと考えていた。けれども多くのひとはそこは重視しなかった。

 いずれにせよ、ルソーは社会は人民の意志にしたがって統治されるべきだと主張し、それを読んだ人々は、それならば統治も人民が担うべきだと考えた。近代の民主主義の歴史はそこから始まる。そして、そんなルソーの力強い宣言を可能にしたものこそが、さきほど触れた一般意志と全体意志の区別だった。

 個人の意志が集まって社会の意志が形成されるとして、それにしたがうだけで政治がよくなるわけはない。それはだれもが知っている。ギリシア人も知っていたしルソーも知っていた。現代風にいえばポピュリズムの問題だ。

 それゆえルソーは、統治は一般意志に導かれるべきだと主張するまえに、まずはその概念を全体意志から区別しておく必要があった。全体意志、つまり個人の意志の集積は、結局のところは私的な利害の集まりでしかない。社会がそれに導かれては公共の利益は損なわれる。それはみなさんも知っているとおりだ。けれども、一般意志なる新しい集合意志には、全体意志とは異なって公共性が宿る。だから大丈夫だ......。

 社会は人民の意志にしたがって統治されるべきで、それゆえ民主主義こそが望ましい政体であるという近代の常識は、じつはこのようなアクロバティックな概念操作によってはじめて可能になっている。ルソーは「一般意志はつねに正しい」とまで記していた(第二篇第三章)。一般意志がつねに正しいのであれば、たしかに導かれても安全だ。

 


 それではあらためて、一般意志と全体意志はどうちがうのだろうか。(『ゲンロン13』へ続く)

 


★1 キャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』、石川幸憲訳、毎日新聞社、2003年、ほか参照。
★2 ハワード・ラインゴールド『スマートモブズ』、公文俊平・会津泉監訳、NTT出版、2003年。伊藤穰一「創発民主制」、公文俊平訳、『GLOCOM Review』第8巻第3号、2003年。URL= https://www.glocom.ac.jp/project/odp/library/75_02.pdf
★3 作田啓一訳。以下ルソーからの引用は原則として『ルソー全集』に拠った。白水社、全14巻、別巻2巻、1979-1984年。同全集は収録作品により訳者がまちまちなので、参照時は訳者名を補った。ただし『社会契約論』のみは、引用が多く煩雑なので、篇と章の数字を本文内に記すにとどめ全集での頁数は割愛した。『社会契約論』は同全集第五巻に収録されている。
★4 ぼくは古代ギリシア語はできないので、この要約は専門家の視点からは単純すぎるかもしれない。ここで念頭に置かれているのは、アリストテレスの『政治学』第三巻第七章における記述である。そこでは国家体制が、主権者がひとりか少数か多数か、そしてその主権者が公的な利益を追求するか私的な利害に囚われているかにしたがい、合計六種類にじつにクリアに分類されている。アリストテレスは、主権者がひとりで公的利益を追求するものを「王制」(バシレイア)、同じくひとりだが私的利害に囚われているものを「僭主制」(テュランニス)、主権者が少数で公的利益を追求するものを「貴族制」(アリストクラティア)、同じく少数だが私的利害に囚われているものを「寡頭制」(オリガルキア)、主権者が多数で公的利益を追求するものを「国制」(ポリテイア)、同じく多数だが私的利害に囚われているものを「民主制」(デモクラティア)と呼ぶ。ルソーが記した君主政(monarchie)は正確にはバシレイアとはべつの言葉(モナルキア)を語源とするもので、またアリストテレスの分類ではアリストクラティアとデモクラティアは並列されるべきではないが、本文の紹介では簡略化した。アリストテレス『政治学』、山本光雄訳、1961年、岩波文庫、138ページ以下参照。
 
シリーズ史上もっともアクチュアルなラインナップ。2022年2月のウクライナ侵攻に応じて、「ポストソ連思想史関連年表2」を収録。

『ゲンロン13』
梶谷懐/山本龍彦/大山顕/鴻池朋子/柿沼陽平/星泉/辻田真佐憲/三浦瑠麗/乗松亨平/平松潤奈/松下隆志/アレクサンドラ・アルヒポワ/鴻野わか菜/本田晃子/やなぎみわ/菅浩江/イ・アレックス・テックァン/大脇幸志郎/溝井裕一/大森望/田場狩/河野咲子/山森みか/松山洋平/東浩紀/上田洋子/伊勢康平
東浩紀 編

¥3,080(税込)|A5|500頁|2022/10/31刊行

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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