【『ゲンロン13』より】ユートピアの裏側で──コムナルカとソ連の記憶(抜粋)|鴻野わか菜+本田晃子 司会=上田洋子

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webゲンロン 2022年10月26日配信
 11月初旬に発売予定の『ゲンロン13』より、鴻野わか菜さん、本田晃子さん、上田洋子による鼎談の一部を無料公開いたします。
 
『ゲンロン13』のご予約はこちらから! またゲンロン友の会では、東浩紀のサイン入り『ゲンロン13』がお得に手に入る「ゲンロン友の会 第13期+『ゲンロン13』付き特別パック」を販売中です。この機会にぜひご検討ください。(編集部)
上田洋子 ゲンロンカフェでは、2014年から建築史家の本田晃子さんとともに、ロシア・ソ連のユートピア建築を現代の視点から捉えなおす議論を重ねてきました。その一部は『ゲンロン10』でも紹介しています。今回は美術史家の鴻野わか菜さんをお招きして、ソ連の共同住宅「コムナルカ」を考えたいと思います。コムナルカなくして、ソ連の日常を語ることはできません。

 コムナルカとはなにかというと、ソ連時代のはじめに、帝政期に貴族や商人の住宅だった建物を国有化して作られた、都市の労働者むけの新しい住居のことです。その誕生によって労働者が貴族の家に暮らせるようになったのですが、ひとり当たりの割り当て面積が決まっていて、しかもあまりにも狭かった。一部屋に家族全員が押し込められ、おまけにトイレやキッチンなどのインフラは共用と、日常生活に多大な困難を強いるものでした。コムナルカでの暮らしは、多くの映画や小説、それに笑い話の想像力の源になり、さまざまに物語化されています。

 日本人のわれわれには、コムナルカがいったいどういうものだったのか、なかなか把握が難しい。江戸時代の長屋に近いのですが、そこにはソ連特有の問題がありました。本田さんには建築の視点から、鴻野さんには美術における表象の観点からお話をうかがいます。

[中略]

発表1:建築から見たコムナルカ


コムナルカの成立


上田 まずは本田さんにコムナルカとはどういう住宅なのかをうかがいたいと思います。基本的な質問なのですが、そもそもこれはソ連が生んだものなのでしょうか。

本田晃子 そのとおりです。「コムナルカ коммуналка」はボリシェヴィキ政権が作り出した言葉で、共同住宅という意味の「コムナリナヤ・クヴァルチーラ коммунальная квартира」の略称です。そこでは人々が、縁もゆかりもない他人とともにひしめきあって暮らしていました。

 コムナルカが生まれたのはロシア革命の直後です。ペトログラード(のちにレニングラードに改称、現在はサンクトペテルブルク)やモスクワといった大都市では、革命前から工業化に伴う労働者の住宅不足が社会問題となっていました。革命と、続く内戦によって住宅不足は深刻さを増しました。

 ロシアのような気候の厳しい地域では、ひとは住宅なしに生きることはできません。革命政府にとって住宅不足を解消することは急務でした。そこで考え出されたのが、それまで貴族やブルジョワが所有していた邸宅を接収し、大人数を収容できる共同住宅に作りかえ、労働者たちに分配することでした。こうして誕生したのがコムナルカです。

 とはいえコムナルカは、住宅不足という現実の課題を解決するためだけに作られたわけではありません。それ以前から、社会主義の伝統のなかには「共同住宅」の理想が脈々と受け継がれていたのです。

理想としての共同住宅


上田 社会主義の思想において、住宅とはどのようなものだったのでしょう。

本田 社会主義住宅を考えるうえで重要なのは、じつはマルクスよりもエンゲルスです。彼らが活動した19世紀のヨーロッパでは、産業革命によって大都市に労働者が押し寄せ、密集して暮らしていました。その状況を見て、エンゲルスは労働者たちの劣悪な住宅環境をなんとかしようと、初期のころからこの問題に取り組んでいます。

 なかでも重要なのは、『住宅問題』(1872-73年)と『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)です。エンゲルスが主張したのは、なんと「そもそも住宅を所有すること自体をやめよう」ということでした。

鴻野わか菜 ずいぶん飛躍しますね。

本田 彼の考えでは、家は人間を束縛する。たとえば住宅ローンは経済的な束縛です。また、この時代の、とくに中産階級の女性たちは、「庇護」の名の下、法的・経済的・精神的に家に縛り付けられ、その外に出ることは困難でした。家というのは不思議な空間で、そのなかで行われる家事や育児といった労働には対価は支払われない。さらに、路上での暴力は犯罪になるのに、家のなかで夫が妻や子どもに振るう暴力は黙認されてしまいます。エンゲルスの時代には、女性が物理的にも精神的にも家に縛られているという問題意識があったわけです。

上田 ノルウェーの劇作家イプセンの『人形の家』は1879年に書かれている。家を出て夫から自立する女性を描いたこの近代戯曲は、まさにエンゲルスが家の束縛について考えていた時期のものなんですね。

本田 英語には「住宅とはわが砦」という慣用表現があります。家という空間には、なかにいる人々を外から守るだけでなく、そのなかで起きていることを外の世界から切り離すという二重の働きがある。エンゲルスはあえて家をなくし、私有財産を廃止することで、家父長制にもとづく家族の解体を目論みました。それによって、一夫一婦制を前提とする婚姻関係も不要となり、束縛や暴力といった負の側面をまるごとなくすことができると考えたのです。

鴻野 エンゲルスの主張では、家を借りることも必要がなくなるのですか?

本田 そうです。住宅は共同体から労働者へ無償で貸与されることになります。そのような共同住宅を提示したのは、フランスの社会主義者シャルル・フーリエでした。彼はエンゲルスに先駆けて、19世紀初頭に「ファランステール」という共同住宅を構想しています[図1]。

図1 フーリエのファランステール

 
 フーリエが考えたのは、労働者たちが集住し、自給自足生活を送ることです。ファランステールでは住人はみなで労働し、得た糧はみなで消費する。そこに私的所有はなく、当然、建物も共同で所有するものだと考えられました。フーリエの主張には一夫多妻的な自由恋愛など、現代の視点からは受け入れがたいところもあるのですが、共同住宅という点では彼の思想は画期的でした。

 社会主義的な共同住宅の理想は、エンゲルスと同時代のロシアでも追求されます。最も重要なのは、作家で思想家のニコライ・チェルヌイシェフスキーです。1863年の小説『何をなすべきか』は、当時の社会に衝撃をもって受け止められ、レーニンをはじめ、のちの革命家たちに大きな影響を与えました。

 この小説の主人公はヴェーラという女性です。彼女は、夫から暴力を受けていたり、家に居場所がなかったりする女性たちを集めて裁縫工場を営み、コミューンをつくって共同生活をしています。

 この小説で有名なのが、彼女が夢を見る場面です。夢のなかにはガラス張りの建築物が登場する。そこでは人々が男女関係なく共同で働いていて、家族単位ではなく集団で生活しています。このガラス張りの建物のイメージには、1851年の第1回ロンドン万国博覧会で建てられた水晶宮の影響が見てとれます。つまりここでは、ヴェーラが夢見るユートピア的なコミューンの姿を通して、チェルヌイシェフスキー自身の願望が描かれているわけです。

『何をなすべきか』は空想小説で、SFのようなものですが、レーニンらボリシェヴィキの革命家たちはこの小説をモデルに社会主義的な住宅を構想したのです。そこで目指されたのは、エンゲルスが主張したように、家というものを根絶することでした。建築物には人間に物理的な影響を与えて行動を強制し、変えてしまう力があります。革命家たちは住宅を社会主義化することで、家族や血縁よりも共同体を優先する「新しい」人間を生み出そうとしたのです。

 なお、革命家たちが作り出そうとした社会主義的な生活様式は「新しい生活様式 новый быт」と呼ばれました。

上田 コロナ禍の日本で使われたのとまったく同じ言葉ですね。感染拡大を防ぐために目指された画一的な行動は、社会主義と親和性が高いのかもしれません。

本田 ロシア革命後に理想とされた「新しい生活様式」では、それまでの社会を構成していた最小単位としての家族を解体し、個人と社会を直接結びつけることが目指されました。

図2 コムナルカの間取り図の例。単位はcm。出典の図をもとに編集部制作 出典=“Apartment II floor plan,” Communal Living Life in Russia: A Virtual Museum of SovietEveryday Life. https://kommunalka.colgate.edu/index.cfm

 

[中略]

ルールと人間関係


本田 コムナルカにはさまざまな規則がありました。1929年には「共同住宅内の秩序に関する規則」という法令がつくられますが、そこでは「夜八時以降には大きな物音を立ててはいけない」「コムナルカのなかで家畜を飼育してはいけない」など、細かいことが定められています★1。これを守らないと素行がなっていないとされ、最終的には強制的に退去させられることもありました。

上田 ペットは問題なかった?

本田 はい、犬や猫は大丈夫です。

 法令のほかに住民同士がつくる規則があります。とくに共同キッチンでは、だれがどのコンロを何時から何時まで使ってよいかが厳密に決められていました。これを破ると隣人たちから叱られることになる。

 共同キッチンはコムナルカの主戦場で、キッチンを見ると、そのコムナルカの治安のよしあし、住人関係のよしあしが一目瞭然だったとも言われます。というのも、人間関係が険悪な場合は、すこし目を離すと、鍋のなかにいろんなものを入れられるようなことがあったのです。

上田 えええ、怖い……。

本田 いちばん軽いもので、つばを吐き入れるなどです。場合によっては、下剤を入れられたり……。

鴻野 ひどい。トイレもひとつしかないのに。

本田 とはいえ、逆に治安がよいコムナルカだと、鍋を火にかけたままちょっと目を離してもだれかが見ていてくれるし、調理器具や皿などを盗まれる心配もない。調味料が足りなければ貸し借りをする。コムナルカは、人間関係によって、天国にも地獄にもなりえました。

上田 コンロにしても、本当に必要なときには話をつけて融通しあうことができましたよね。コムナルカに暮らしていると、必然的に交渉が上手くなるようにも思います。

本田 そうなんですよね。なお、コムナルカがどういう空間だったのかを知るには、『古いアパートの歴史 История старой квартиры』(2020年)という児童書がわかりやすいです★2[図3]。コムナルカとなった住宅とそこに住んでいた人々が、革命前から現在までの間にどのような変遷を遂げたのかを俯瞰図で描いた大判の絵本です。英語版がKindleでも手に入りますが、共同キッチンにひとが集まったり、大部屋を区切って分けあったりしているのがわかります。子ども向けなので、殺伐とした人間関係の話はほとんどないのですが。

図3 アレクサンドラ・リトヴィナ、アンナ・デスニツカヤ『古いアパートの歴史』(Самокат, 2017)

 
上田 メモリアルという人権団体が作っているものですね★3。よく読むと、1930年代、スターリンの粛清でひとがいなくなる描写があったりする。子どもに複雑な歴史を教えるための工夫がなされている良書です。わたしも複数のロシア人からこの本を薦められました。

本田 玄関のドアが表紙なのですが、呼び鈴がたくさんある。コムナルカには複数の家族が住んでいたので、家族ごとに異なる呼び鈴が設置されていたころの様子です。でも、初期のコムナルカには呼び鈴がひとつしかありませんでした。住人全員のなかから目当ての相手を呼び出すためにどうしたかというと、所帯ごとにベルを鳴らす回数が決まっていたんです。回数を間違えると、客も、客を招いた住人も、隣人たちに怒られることになります。

上田 わたしは90年代末から2000年代にコムナルカを訪れたことがあるのですが、まだベルの回数で住人を区別しているところが残っていました。失敗して別のひとが出てきて冷たくされたこともあります。

鴻野 ところで、関係の悪化はなにも隣人同士に限らず、それぞれの家庭内でも起こることですよね。コムナルカではなくバラックですが、イーゴリ・ホーリンという詩人が共同住宅での人間関係を歌った詩を書いています。

窓辺には花
部屋は快適
バラックの脇には樽
隣室ではウォッカを飲んでいる
隣人はこの時間になると
娘を殴るんだ★4


 最後がすごく辛いのですが、とはいえこれはどこの世界にもある光景です。バラックやコムナルカのような共同住宅だからこそ、家のなかの暴力が外にも見えた。現代の日本では、家庭内で暴力が振るわれていても、ほとんど外には伝わらないのではないでしょうか。

本田 実際、コムナルカの共用空間でDVが始まると、隣人たちが駆けつけて止めてくれた。けれども、暴力がそれぞれの部屋のなかで起こると、物音がいくら筒抜けでも助けには行きませんでした。コムナルカでは「ここまでは個人のテリトリー、ここからは介入してもよい公共の場所」という暗黙の了解がありました。

鴻野 コムナルカはたしかに極限的な場所でしょう。けれども、そもそも生きるということ自体が苦難に満ちたものであることを思うと、コムナルカでの生活にはなにか普遍的なものがあるように思います。

[中略]

発表2:芸術家の見たコムナルカ


鴻野 わたしからは、ソ連時代にアンダーグラウンドで活動したアーティストがどのようにコムナルカを描いたかお話ししたいと思います。

 コムナルカを描いたアーティストは何人もいますが、なかでも重要なのはイリヤ・カバコフです。カバコフは水戸芸術館の個展「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」(1999年)や、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレへの複数回の参加など、日本でも紹介されることの多い作家です[図4]。1998年からは夫人のエミリア・カバコフとコラボレーションを始め、連名で作品を発表しています。

図4 イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》、2000年 撮影=Osamu Nakamura

 
上田 2021年には越後妻有のまつだい「農舞台」フィールドミュージアムで常設展もオープンしました★5。鴻野さんはそのキュレーションを行っています。

鴻野 代表作のいくつかが見られますので、ぜひ見にきてください。コムナルカは、彼の制作の中心的なテーマのひとつです。カバコフの作品に登場する架空の登場人物の多くは、コムナルカの住民であり、コムナルカからの脱出やそこでの生活が大きな主題となっています。

 イリヤ・カバコフは1933年にドニエプロペトロフスクに生まれます。現在のウクライナのドニプロですが、第二次世界大戦下の1941年から43年まで、この街はナチスドイツの占領下にありました。カバコフはユダヤ人だったこともあって、ナチスや戦火を逃れて疎開しました。

 戦後、カバコフはモスクワに出て美術学校で学び、モスクワ芸術大学に進学します。しかし、ソ連の文化統制下では、彼のような空想的なモチーフの作品を制作するアーティストには、作品を発表する機会がほとんどありませんでした。そこで、生計を立てるために在学中から絵本作家として活動を始めます。

 一方で、カバコフは自分のための作品を制作しつづけていました。この時期の代表作の《10のアルバム 10 альбомов》(1970-74年)は、コムナルカに暮らす10人の夢想家の架空の人生を言葉とドローイングで描き、10冊のアルバムにまとめたものです。彼のアトリエや仲間のアパートで、友人や知人に紙芝居のように読み聞かせるかたちで発表されました。

上田 この作品は前述の「農舞台」でも展示されていますね。コムナルカの住人と思わしき人々の人生が、おとぎ話の絵本のように展開されていく。子どもが喜ぶ知育絵本のような仕掛けもあるなど、遊び心に満ちています。

閉鎖空間からの飛翔


鴻野 《10のアルバム》の大きなテーマは、コムナルカのような閉塞的な環境でひとがいかに夢を見るかということです。10人はそれぞれ極限的な状況に直面している。けれど、その状況が具体的に描かれることはありません。ここから逃れる方法を夢想する人物たちが叙情的に描かれるなかで、それぞれの悲劇性が立ち現れてくる。

 アルバムのなかから、ひとがコムナルカから逃れようとする状況がわかりやすく描かれたふたつを紹介したいと思います。

 まず、第1のアルバム「クローゼットにこもるプリマコフ」です。主人公はプリマコフという男の子。彼はコムナルカに住んでいるのですが、あるとき、クローゼットのなかに閉じこもるようになります[図5]。

図5 「クローゼットにこもるプリマコフ」(イリヤ・カバコフ《10のアルバム》、1970-74年)より、クローゼットのなか

 
《10のアルバム》では、ひとつひとつのアルバムに、それぞれの主人公についてさまざまな他者が寄せたコメントが付されています。つまり、物語の構成それ自体が、つねに他者に囲まれ、他者の声が聞こえてくるコムナルカの暮らしを反映しているのです。プリマコフのアルバムにも、家族や隣人、さらに物語の外部にいる「コメンテーター」のコメントが収められています。それらを読み解いていくと、あるとき彼がクローゼットに入り込んで出てこなくなったことが見えてくる。

 プリマコフが大きくなるにつれて、彼はますますクローゼットから出なくなります。しまいには食事すらクローゼットのなかで取るようになります。

本田 完全に「引きこもり」ですね。わたしもこの作品はなんども見ているのですが、プリマコフの姿がいっさい描かれないのがまた、彼の夢想的な性格をよく表しているように思います。

鴻野 あるときプリマコフが3日も扉を開けないことがありました。さすがに心配した家族が扉を壊して開けてみると、クローゼットのなかにはだれもいなかった。共同住宅なので部屋にはいつもひとが出入りしていたし、病気で寝たきりのお姉さんもいて、彼がいちどでも出てきたなら気づいたはずなのに。

 プリマコフがどこへ消えたのか、説明はありません。かわりに、「家の裏庭」「チェルニゴフ州」などのキャプションのついたさまざまな屋外の風景が、明るいタッチで描かれていきます。そして、その景色は、だんだん上空へとのぼっていき、最終的には「澄んだ空」の情景が現れてきます[図6]。やがて、言葉だけが浮遊するいくつかの場面を経て、物語は死や天を思わせる真っ白な場面で終わります。

図6 同作より、澄んだ空

 
本田 プリマコフは大空に消えていった。つまり死んでしまったのでしょうか。

鴻野 書かれていませんが、そういうことになるのでしょう。

 次のページから、彼に関するコメントが紹介されていきます。たとえばルーニナという女性が「閉じこもって、すっかり闇に包まれた魂だけが、陽光あふれる彼方やはてしのない地平線を、あれほどの力で夢みることができる…… 魂はすべるように昇っていき、青い空に消えていく……」とコメントしたことになっている★6。挿絵もテクストも暗示的で、どう理解するかは鑑賞者に委ねられています。

上田 コメントのページも、まるで絵画のようにていねいに言葉が描かれている。絵本や古い聖人伝みたいですね。

本田 カバコフはタブロー絵画でも言葉をよく使いますよね。

鴻野 もうひとつ、第6のアルバム「飛び立ったコマロフ」を見てみましょう。冒頭のテクストを紹介します。

 でも今となっては、僕たちが会うことは、苦しい悪夢のようだ……
 夜遅くまで僕たちは、見えない目で見つめあい、非難で苦しめあい、はてしない攻撃の応酬で取り乱し、涙は叫びに変わった……
 今日も他の日々と同じだったが、なぜかとくに絶望的で耐え難かった。完全に錯乱してしまわないために、僕は立ち上がってバルコニーのドアを開け、外に出た。すると、僕のまわりでたくさんの人が灰色に暮れかかった空に浮かんでいるのが見えた……★7


 このように、コマロフの物語は重苦しい独白から始まります。しかし、彼がバルコニーへ出ると、一転して素晴らしい世界が広がっている。空の広々とした空間では、たくさんのひとが散歩していたり、飛行機の翼をつかんで遊んでいたり、鳥に引かせたソリで疾走していたり、客を招いてお茶を飲んだりして、楽園的で牧歌的な生活が営まれているのです[図7]。

図7 「飛び立ったコマロフ」(《10のアルバム》)

 
本田 浮遊している人々の自由な感じがいいですね。

鴻野 そうなのですが、物語はそこでは終わりません。じつは最後に、バルコニーに出た男は空で生活を始めたのではなく、バルコニーから転落して死んでしまったのだということがわかります。

 このアルバムでも、物語の外にいるコメンテーターが解説者の役割を果たします。たとえば先にも出てきたルーニナは、彼のビジョンには「私たちが永遠に失ってしまった天国の光景」があったのではないかと言っています★8。ここに描かれた広い空を自由に飛ぶひとたちの姿は、コムナルカのような閉塞的な空間のなかで主人公が夢見ずにはいられなかった光景なのでしょう。

上田 コムナルカに閉じ込められ、そこから脱出を試みて、心のなかで自由を確保したはずが、結局死んでしまう。ソ連時代は外国に出ることはおろか、国内の移動にも許可が必要だった。カバコフがソ連という国で感じていた抑圧が、そのまま作品になっているような気がします。

 ところで、コムナルカで複数の他者の声に囲まれ、かつ複数の他者の言葉から人生が再構築される様子は、ミハイル・バフチンのいう「ポリフォニー」を思わせますね。バフチンは、ドストエフスキーの小説では、複数の他者の声がそれぞれ固有の意見を述べ、不協和音を奏でることによって物語世界を描いていると指摘しています。カバコフの作品も、複数の他者が語ることによって物語世界の像が見える構造になっているのが興味深いです。

鴻野 カバコフの作品もそうですし、カバコフと同じアンダーグラウンドの芸術サークルである「モスクワ・コンセプチュアリズム・サークル」で活動した詩人レフ・ルビンシュテインが、断片的な言葉の引用で詩を書いているのもそうですね。絶対的な言葉を発する唯一の語り手はいないことを示すことで、権力を否定し、多元的な世界を表しているのだと思います。

トータル・インスタレーション


鴻野 1980年代になって、カバコフはソ連を離れてアメリカに移住します。

 ソ連時代のカバコフには作品を公に発表する自由はありませんでしたが、他方、作品の文脈が理解されない可能性を考える必要はありませんでした。観客は彼の作風を知っている仲間だったし、社会環境も共有していましたから。それが亡命によって、50歳を過ぎてはじめて、まったく違う文化圏の、しかも自分の作品にはじめて触れる不特定多数の観客にさらされることになった。

 そこで彼が考え出したのが「トータル・インスタレーション тотальная инсталляция」です。カバコフが西側の世界に受け入れられ、有名になったのは、このトータル・インスタレーションによるものです。

本田 カバコフのトータル・インスタレーションは、ふつうの美術のインスタレーションとどう違うのですか。

鴻野 トータル・インスタレーションとは、作家が暮らし、制作をしていたソ連という空間そのものを再現するような全体空間芸術のことです。カバコフはこれを「天井、壁、床、オブジェ、光、色などのすべての要素が結合」した総合芸術だと説明しています。コムナルカはソ連の縮図として、トータル・インスタレーションの作品でなんども再現されていくのです。

 最初のトータル・インスタレーションは、1988年のニューヨークで制作された《10の人物 10 персонажей》で、やはりコムナルカをモチーフにしていました。この作品でも、《10のアルバム》と同じように、架空のソ連人10人が登場します。彼らがそれぞれ自分の部屋で暮らしている様子がインスタレーションとして再現され、鑑賞者は、部屋をまわってカバコフの解説文を読み、その部屋の住人の生活をながめます。

 このシリーズでよく知られているのが「自分の部屋から宇宙に飛び出した男 Человек, который улетел в космос из своей комнаты」[図8]です。この男は、いつか自分の部屋から宇宙に飛び出すことを夢見て、そのための発射装置を作っていた。それがある日、実際にその装置を使って、天井を突き破ってどこかに消えてしまう。つまり、これもやはり、コムナルカの閉じた世界から外の大きな世界への脱出を夢見た人物の話なのです。おそらく、実際は実験に失敗して死んでしまったのでしょう。

図8 「自分の部屋から宇宙に飛び出した男」(イリヤ・カバコフ《10の人物》、1988年)

 

 カバコフ自身、トータル・インスタレーションという手法を用いることによって、ソ連の雰囲気をはじめて西側の世界に持ち込むことができたと言っています。コムナルカはカバコフにとってリアリティのある空間であり、また、西側の注目を集めることのできるソ連独特のものでもありました。彼がソ連の表象としてコムナルカをモチーフに選んだのは、西側で成功するための戦略でもあったのです。(『ゲンロン13』へ続く)

 


★1 Лебина Н. Cоветская повседневность: нормы и аномалии. От военного коммунизма к большому стилю. М., 2018. С. 106-111.
★2 Литвина А., Десницкая А. История старой квартиры. М., 2021.
★3 メモリアルはペレストロイカ期の1987年にモスクワで始まった国際NPO。ソ連における政治犯弾圧の記録を掘り起こし、その記憶を継承するために活動する。初代の委員長を務めたのは物理学者のアンドレイ・サハロフ。記念碑設立、弾圧のあった場所をめぐるツアーなどの啓蒙活動のほか、人権擁護活動も行なっている。2021年12月、ロシア政府は法人としての国際メモリアルを解体。メモリアル側はこれを不服として控訴したが、解体は合法とされた。メモリアルはいまも任意団体として活動を続けている。
★4 Холин И. Жители барака. М., 1989. С. 5.
★5 まつだい「農舞台」フィールドミュージアム。URL= https://matsudai-nohbutai-fieldmuseum.jp/art/
★6 鴻野わか菜編著、北川フラム監修『カバコフの夢』、現代企画室、2021年、23頁。
★7 同書、28頁。
★8 同書、29頁。
  図版提供=鴻野わか菜(図4-8)
シリーズ史上もっともアクチュアルなラインナップ。2022年2月のウクライナ侵攻に応じて、「ポストソ連思想史関連年表2」を収録。

『ゲンロン13』
梶谷懐/山本龍彦/大山顕/鴻池朋子/柿沼陽平/星泉/辻田真佐憲/三浦瑠麗/乗松亨平/平松潤奈/松下隆志/アレクサンドラ・アルヒポワ/鴻野わか菜/本田晃子/やなぎみわ/菅浩江/イ・アレックス・テックァン/大脇幸志郎/溝井裕一/大森望/田場狩/河野咲子/山森みか/松山洋平/東浩紀/上田洋子/伊勢康平
東浩紀 編

¥3,080(税込)|A5|500頁|2022/10/31刊行

鴻野わか菜

1973年生まれ。早稲田大学教育・総合科学学術院准教授。共著に『イリヤ・カバコフ「世界図鑑」絵本と原画』(東京新聞)、『都市と芸術の「ロシア」 ペテルブルク、モスクワ、オデッサ巡遊』(水声社)、訳書にレオニート・チシコフ『かぜをひいたおつきさま』(徳間書店)、『「幻のロシア絵本」復刻シリーズ』(淡交社)など。

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。

本田晃子

1979年岡山県岡山市生まれ。1998年、早稲田大学教育学部へ入学。2002年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論分野へ進学。2011年、同博士課程において博士号取得。日本学術振興会特別研究員、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター非常勤研究員、日露青年交流センター若手研究者等フェローシップなどを経て、現在は岡山大学社会文化科学研究科准教授。著書に『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』、『都市を上映せよ ソ連映画が築いたスターリニズムの建築空間』(いずれも東京大学出版会)など。
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