【特別寄稿】ロシアをレペゼンするのは誰か──プーチン時代の政治とラップ(前篇)|松下隆志

web ゲンロン2022年11月17日配信
 本日、ゲンロンカフェにて『ゲンロン13』の刊行記念イベント、乗松亨平×平松潤奈×松下隆志×上田洋子「ウクライナ侵攻後、ロシアはどこへむかうのか──愛国と反体制のはざまで」が開催されます。小特集「ロシア的なものとその運命」の座談会の参加者がふたたび膝を突きあわせる注目のイベントです。
 webゲンロンでは、当イベントとあわせて、松下隆志さんの論考を特別公開いたします。ロシア社会におけるヒップホップ、そして政治との軋轢に迫る刺激的な内容です。全篇は、来年刊行予定の『別冊ゲンロン』(仮)に掲載予定。東浩紀のサイン入り『ゲンロン13』、『別冊ゲンロン』、そして『ゲンロン14』(ほか特典多数)が手に入る、友の会への入会もぜひご検討ください。(編集部)

 2022年2月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵攻以後、戦争の是非をめぐって、ロシアの知識人たちはマスメディアやSNSなどを通じて様々な声を上げてきた。そこには作家やジャーナリストだけでなく、ロックなどポップカルチャーの代表者たちも含まれており、とりわけ若い世代で目立ったのはラッパーたちだった。たとえば、若者の間で絶大な人気を誇るオクシミロン Oxxxymiron(1985-)は、侵攻後いち早く戦争反対を表明、予定されていたモスクワおよびサンクト・ペテルブルグでのライブをすべて中止し、3月15日にウクライナ人難民支援のためのチャリティーライブをイスタンブールで開催した。このことは日本の新聞でも取り上げられ、彼は「ロシアの反戦ラッパー」として紹介された★1

 世界的に人気のあるヒップホップは、ロシアでもここ十年間で若者からもっとも支持される音楽ジャンルへと成長した。それだけでなく、オクシミロンのような政治意識の高いラッパーたちの台頭により、アカデミズムの領域でも研究対象として取り上げられる機会が増えている。楽曲自体は YouTube や音楽配信などで今や世界のどこからでも手軽に聴くことが可能となったが、ビートやメロディもさることながら、リリック=言葉こそが重要な意味を持つジャンルなだけに、ロシアのヒップホップ・シーンについて日本ではまだあまり知られていないのが実情だ。

 本稿では、ロシアのヒップホップのこれまでの歩みを紹介するとともに、おもにプーチンが大統領職に復帰した2010年代以降のロシア語ラップと政治の関わりについて論じてみようと思う。実際、今や現代ロシアにおいてヒップホップは単にポップカルチャーの枠組みに収まるようなものでは到底ないのだ。ラッパーは言うなれば現代の詩人であり、社会の病理を鋭く抉り出す彼らの歯に衣着せない言葉は何百万人もの若者の心を動かし、その絶大な影響力は権力にとっても無視できないものとなっている。私たちはそこに、既存の文学とは異なるフィールドで繰り広げられるもう一つの「文学」の闘争を目にするだろう。

ロシアのヒップホップはソ連から始まった

 ロシアにおけるヒップホップの起源は実はソ連時代にまで遡る。当時のロシアはいわゆる「鉄のカーテン」によって西側世界から隔絶していたように思われがちだが、スターリン死後の1950年代に始まった自由化の流れの中で、西側の最先端文化が国内に流入するようになった。開放的な空気は長くは続かず、当局による規制が再び強まったものの、一度燃え上がった西側文化への憧れの火を消すことはできなかった。西側の流行ファッションに身をやつし、ジャズやロックを愛聴する不埒な若者は「スチリャーギ」と呼ばれた。人類学者のアレクセイ・ユルチャクによれば、体制と対立した異論派ディシデントとは異なり、体制の一部でありながら権威的言説の意味を読み替えることによって独自の文化を開拓した若者たちは、まさにソ連版「サブカルチャー」の担い手だった★2

 ソ連の若者たちは、短波ラジオで西側の放送をキャッチしたり、友人が西側から持ち帰ったレコードを回し聴きし、テープレコーダーで録音したりしながら、禁じられたジャズやロックに親しんだ。自国のグループも現れ、多くは非公式なものだったが、ライブも行われた。日本でも公開されたキリル・セレブレンニコフ監督映画『LETO-レト-』(2018)は、ソ連を代表するロックバンド、キノーのヴォーカルで、今なおロシアをはじめ旧ソ連地域でカルト的な人気を誇るヴィクトル・ツォイに焦点を当てながら、1980年代前半のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)におけるアンダーグラウンド文化の雰囲気を巧みに描き出している。

 1970年代にアメリカのブロンクスで誕生したヒップホップが密かにソ連に輸入されたのもまたこの時代だった。ロシアにおけるヒップホップの元祖と広く見なされているのは、クイビシェフ(現在のサマーラ)のロックバンド、チャース・ピーク Час пик(ラッシュアワー)による、その名もずばり『ラップ Рэп』(1984)というアルバムだ。ヒップホップの存在を世に知らしめた曲として名高いシュガー・ヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」(1979)をサンプリングし、それにロシア語で独自の歌詞を乗せたもので、内容はリズムに合わせて九九表を読み上げるといった戯れ歌的なものではあったが、曲はテープレコーダーでダビングされて国中に広まった。

チャース・ピーク Час пик『ラップ Рэп』(1984)
URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Час_Пик_Рэп.jpg CC BY-SA 4.0

 ソ連時代のより有名なラップ曲としては、オランダのMCマイカーG&DJスヴェンの「ホリデー・ラップ」(1986)をサンプリングした、セルゲイ・ミナーエフ Сергей Минаев(1962-)の「DJラップ Рэп Диск-жокея」(1987)がある。この曲は別名「フドソヴェート」といい、ソ連の国営レーベル「メロディヤ」の美術委員会フドソヴェートが検閲を理由に彼のアルバムのリリースを禁じたことを皮肉っている。その他にラップを取り入れた曲としては、ソ連で最初にサンプラーを使用したとされるブラーチヤ・ポ・ラーズム Братья по разуму(理性の兄弟)の「ラップ・スクラッチ Скреч Рэп」(1985)、ロック・バンド、アリーサАлисаの「音楽マニア Меломан」(1987)などがある。

 こうした数少ないラップの試みは当時の若者たちに一定のインパクトを与えたものの、ヒップホップがロックやジャズのように広く定着するには至らず、チャース・ピークやミナーエフといった初期のラップの実践者たちにしても、ジャンル的にはそもそもロックやテクノに分類されるようなアーティストだった。総じて80年代は「ラップ」というスタイルの新奇性に注目が集まり、人種差別へのプロテストなど、アメリカのヒップホップの背景にある黒人文化への理解を伴うものでは必ずしもなかった。ソ連時代のラップは社会の軋轢ではなく世代間の軋轢を反映し、「プロテストの要素はおもに上の世代に結びつけられる古臭くて退屈な古典的文化の見本に対して表明された」★3のである。

商業ラップとアンダーグラウンド

 その一方で、ソ連最晩年の1980年代末から90年代初頭にかけて、国内ではD.M.J.、バッド・バランス Bad Balance、ブラック&ホワイト Черное и Белое、マリチシニク Мальчишник(男の宴会)といったラップ・グループが誕生し、ロシア初の女性ラッパー、リカMC Лика МС (1973-)も活動を開始している。90年には最初の大規模なラップ・フェスティバル「ラップ・ピーク90」がレニングラードで開催されるなど、ブレイクダンスやグラフィティとともに「ラップは新たに輸入された西側のヒップホップ文化の一要素として初めて理解された」のだ★4

 アメリカのボーイバンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのソ連版として結成されたマリチシニクは、ロシアで最初の商業ラップ・グループだとされる★5。「ソ連にセックスはない」という不条理なジョークが広まるほどソ連では公の場でセックスの話題が忌避されたが、1991年末にソ連が崩壊し、マリチシニクは積年のフラストレーションをぶちまけるかのようにセックスについてラップしまくった。その後ソロでも活躍するドルフィン Дельфин(1971-)が作詞し、「セックス、セックス、すげえ気持ちいい」とセックスの快楽をストレートに叫んだ代表曲「絶え間ないセックス Секс без перерыва」(1992)は、テレビの娯楽番組「50×50」で歌ったところ大スキャンダルとなり、その後番組制作者が解雇され、マリチシニク自身もテレビやラジオに出禁となる事態となった★6。その裏で若者たちからは人気を博し、デビューアルバム『セックスの話をしよう Поговорим о сексе』(1992)は大ヒットを記録した。

 さらに、1990年代末にはデツル ДеЦл (1983-2019)という若きラップ・スターが現れる。彼の父親は有名な敏腕音楽プロデューサーで、ロシアでの放送が始まったばかりのMTVを見てラップやブレイクダンスに夢中になっていた16歳の息子へのいわば「誕生日プレゼント」に、「金曜日 Пятница」(1998)という曲をプレゼントした★7。Bボーイ(ブレイクダンスに興じる若者)の放課後の過ごし方を歌ったこの曲のビデオクリップはロシアのMTVで大々的に流され、翌年には当時の人気カルチャー誌『プチューチ』の表紙を飾った。2000年にリリースされたデビューアルバム『君は誰? Кто ? Ты』はミリオンヒットを記録したが、収録曲はいずれも本人ではなく、シェフ ШEFF (1971-)やリーガライズ Лигалайз (1977-)といった当時の実力派ラッパーやDJが作詞・作曲したものだった。

 しかしながら、本場アメリカのヒップホップに精通するリスナーにとって、マリチシニクやデツルはあからさまなパロディであり、「当時の基準からすると俗悪なもの」に見えた★8。こうした商業ラップへの反発として、ロシアでは90年代半ばからいわゆる「アンダーグラウンド」のムーブメントが生じ、本場を意識して全面的に英語のラップを取り入れるD.O.B.のようなグループも現れた。

 アンダーグラウンドにとって重要なのは、真正さの証となる強い「地元フッド志向」だとされるが★9、この潮流を代表するカスタ Кастаは、アゾフ海に注ぐドン川下流に位置する地方都市ロストフ・ナ・ドヌーをレペゼンするグループだ。「潜在意識にはストリートのリズムが浸透してる/俺たちのテクストは伝説でも神話でもない/これは自分たちの生活や経験のエピソードだ」とラップする代表曲「三次元のリズム Трехмерные рифмы」(1999)には、「首都ではないロシアの都市の郊外出身で、貧しく、社会的に疎外させられているが、非常に思慮深い若者たちの見解」★10が明確に打ち出されている。

 このように、ソ連崩壊後の1990年代のロシアでは、西側の文化が国内に自由に流入するようになったことでヒップホップの本格的な受容が進んだ。一方で、その背景には「ショック療法」とも呼ばれた急激な資本主義化がもたらした著しい経済格差があったことも見逃せない。ロシアのヒップホップ研究者セルゲイ・イワノフは「計画経済の失敗と自由市場への転換により、貧困層と富裕層(いわゆる〈新ロシア人〉)の分裂が生じた」と述べ、90年代のロシアとヒップホップが誕生した70年代のアメリカの状況との類似性を指摘している★11

「プーチンのロシア」へのプロテスト

 アメリカの黒人文化にルーツを持つヒップホップが世界に拡散しグローバル化していく過程で、それを受容する側の国では現地の文化とのミックスによるローカル化が生じることがある。たとえば、日本のラッパーたちはチェーンや高級車といったアメリカのギャングスタのシンボルを頻繁に使用する一方で、「サムライ」のような日本人性を強調する。日本のヒップホップを論じたイアン・コンドリーによれば、グローバル化とローカル化は決して二律背反的な関係ではなく、実際には「グローバルな標準化とローカルな土着化とがいっそう明白に同時並行している状態」がある★12

 1990年代のロシアにおいては、アメリカのヒップホップのパロディである商業ラップにせよ、ルーツを意識してオリジナルに近づこうとするアンダーグラウンドにせよ、アメリカという「模範」が基準となっている点では共通しており、そこまで強いロシア人性の表出は見られない。興味深いことに、ロシアのヒップホップを真の意味で「ロシア的」たらしめたのは、日本と違って過去の歴史的遺産ではなく、99年にエリツィンの後継者としてロシアの玉座に座ったウラジーミル・プーチンという一人の政治家だった。

 プーチン政権下のロシアでは、石油・天然ガスの国際価格の高騰もあって著しい経済成長と社会的安定が達成されたが、その一方で大手メディアが次々に国の傘下に入るなど言論統制が強まった。アメリカの音楽研究家フィリップ・イーウェルによれば、この期間に高まったプーチンと国民との間の緊張状態がラッパーたちの作品に現れ、「ジャンルとしてのラップは、プーチンの14年の治世の間にロシアにおいてついにその地盤を見いだし、1990年代にラップを定義したアメリカのアーティストたちの全面的な模倣から脱却した」★13のである。

 社会派ラッパーの筆頭としてはノイズMC Noize MC (1985-)が挙げられる。音楽学校を優秀な成績で卒業しモスクワ大学に入学した彼は、ロックに取り組むかたわらラッパーとしても活動し、2007年にはロシア全土から三千人以上のラッパーが参加したRap.ru主催のMCバトルで見事優勝を収めた。翌年にはソ連時代の有名な学園映画の現代版リメイク『悪ふざけ Розыгрыш』(2008)で主演を務めるなど、デビュー前からすでに広く名が知られていたことから、最初のアルバムは『グレイテスト・ヒッツ Vol. 1 The Greatest Hits Vol. 1』(2008)と名づけられた。

 ノイズMCが世界的な注目を集めるきっかけとなったのは、2010年2月25日に朝のラッシュ時にモスクワ都心で発生した、メルセデス・ベンツとシトロエンのとある衝突事故だった。シトロエンに乗っていた二人の女性は死亡、ベンツの乗客の方はいずれも軽傷ですんだ。ベンツの方が渋滞を避けようと無理な車線変更をしたという目撃証言があったにもかかわらず、当局は早々と事故の責任はシトロエンの運転手にあると断定、ベンツに乗車していたロシア最大の石油会社ルクオイルの当時の副社長アナトーリー・バルコフは無罪とされた。

 事故で亡くなったシトロエンの運転手の女性は実はノイズMCの知人で、彼はすぐさまYouTubeに「メルセデスS666 Мерседес S666」と題した曲の動画を投稿した。その内容は、サタンの格好をしたバルコフの語りという体でノイズMCが「私は賄賂で解決しない問題など知らない/私はその命が自分の利益より重要な人間など知らない」などとラップするという諷刺的なもので、事故現場の生々しい写真も交えながら、権力に守られている一握りの特権階級の存在を真っ向から批判した。百万回以上の再生数を記録したこの告発動画のおかげもあって事故の再調査が行われ、ラップが「ロシアの出来事の流れを変えることができる」ことを世の中に印象づけた★14

「メルセデス S666」は不正や腐敗が蔓延る「プーチンのロシア」に向けられた明確なプロテスト・ソングだった。2010年代初頭のロシアは下院選挙での不正疑惑に端を発する反政府運動が活発化した時期だったが、諷刺ラッパーのワーシャ・オブローモフ Вася Обломов (1984-)はこの時期に、二人の著名な反体制ジャーナリスト──大統領選にも出馬したクセニヤ・サプチャーク、時事番組「ナメードニ」で知られるレオニード・パルフョーノフ──と共演し、大統領と首相のポストを交換するメドヴェージェフとプーチンに向けられた「バイバイ、メドヴェード! Пока, Медвед!」、「VVP ВВП」★15、そしてプッシーライオット事件を扱った「ラップ祈祷 Рэп-молебен」(いずれも2012年発表のアルバム『安定 Стабильность』に収録)と、公然と政権を批判した極めて政治色の濃い作品を立て続けに発表している。多くの国民の反発がある中でプーチンが大統領職に復帰した2010年代のロシアでは、社会の問題を議論するに当たり、政権への態度、すなわち「お前はプーチンと現在の権力構造を支持するか否か」 ということがますます多く問われるようになった。★16

ワーシャ・オブローモフ Вася Обломов
URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:20_years_of_Runet_(by_Dmitry_Rozhkov)_13.jpg CC BY-SA 3.0

現代の詩人としてのラッパー

 ワーシャ・オブローモフは本名をワシーリー・ゴンチャロフといい、ラッパーネームは19世紀ロシアの文豪ゴンチャロフの代表作『オブローモフ』に由来する。サンプリングが重要な要素であるヒップホップでは既存の楽曲やリリックの流用が頻繁に行われるが、自国の文学作品への豊富な言及もロシア語ラップの特徴の一つだ。

 2011年3月にロシアサッカーのアンジ・マハチカラ対ゼニートの試合で起きたロベルト・カルロスに対する人種差別事件(当時アンジ・マハチカラの選手だったカルロスに向けて、ゼニートのサポーターが黒人差別の象徴であるバナナを投げつけた)を受けてノイズMCが発表した「プーシキン・ラップ Пушкинский Рэп」(2011)では、「ロシア文学の父」と称されながら、同時にアフリカ系の黒人の血を引いていることでも知られる大詩人プーシキンの来歴を語り、「レイシズムとロシア/この二つの言葉が同じ語源だと考える/そんなお利口どもはどこから現れたんだ★17/いいか、プーシキンはそういう連中に反対するのさ」と人種差別にノーを突きつける。

 ロシアの大手検索エンジンであるヤンデックスには、ロシアのラッパーによる文学作品の引用を検索するユニークなページがある。たとえば「Noize MC」で検索すると、プーシキン以外にも、彼が楽曲の中でマヤコフスキーやマンデリシターム、エセーニン、ブロツキーの詩をリリックで引用していることが三次元バブルチャートの形でわかりやすく表示される。続けて「プーシキン」のバブルをクリックすると、今度は、25/17、クロヴォストク Кровосток、トリアーダ Триадаなど、ノイズ以外にも楽曲の中でプーシキンの詩を引用しているラッパーやグループの名前が浮かび上がる[図1]。さらに、ラッパーと詩人や作家とのつながりだけでなく、具体的にどの楽曲のどの箇所でどの詩のどの箇所が引用されているかもわかるようになっており、教育的効果もありそうだ。

図1 ラッパーによる文学作品の引用を検索するウェブページのスクリーンショット
URL=https://yandex.ru/promo/gigi-za-mozgi

 2018年にアメリカでケンドリック・ラマーがラッパーとして初めてピューリッツァー賞を受賞したことは記憶に新しいが、近年ロシアでもラップの文学性に注目が集まっている。そのきっかけとなったラッパーが、本稿の冒頭で触れたオクシミロンことミロン・フョードロフだ。1984年にレニングラードのユダヤ人家庭に生まれ、幼い頃から家族とともにドイツとイギリスで暮らし、2004年には名門オックスフォード大学に入学、英文学を学ぶ。高度な教養を持つ一方で、大学在学中に双極性障害と診断され、大学卒業後も就職先を見つけられず、レジ打ちや通訳をするなどアルバイト生活を送っていた。そんな彼の人生を変えたのが十代の頃にやっていたラップで、自身の名前ミロンと「撞着語法」を意味する英語オクシモロン oxymoronを合わせた「オクシミロン」の名で活動を再開、2009年にHip-Hop.ruで開催されたラップバトルで準決勝まで勝ち進み、視聴者投票で選ばれる「ベスト・バトルMC」に選出された。

 文芸批評家のイリヤ・ククーリンによれば、ロシアでは2010年代半ばにラップに対する社会の見方が劇的に変化し、「今やそれはポップ・カルチャーの〈下品〉で〈サブカル的〉な分野ではなく、もっとも興味深く誉れ高い成長トレンドの一つと受け取られている」までになったが★18、その変化を象徴しているのが、ロシア・ヒップホップ初のコンセプチュアル・アルバムとされるオクシミロンの『ゴルゴロド Горгород』(2015)だ。ケンドリックの自伝的作品『グッド・キッド、マッド・シティー』(2012)に触発されたというこのアルバムでは、独裁的な市長が牛耳る「ゴルゴロド」という悪徳の都を舞台にしたディストピア的な物語が展開する。若手の人気作家マルクは街の腐敗を知りながらそれと闘おうとはせず、熱狂的なファンからは臆病だと非難されている。しかし、恋人のアリサ、そして彼女から紹介された反体制派の「グル」との出会いを通して、ついに権力に立ち向かうことを決意する。しかし反乱の計画は失敗に終わり、マルクは捕らえられ、市長から娘のアリサに二度と近づくなと警告される。解放されたマルクは、自分に残された道は自殺か禁欲しかないと考え、かりに自殺を選ばないとすれば、象牙の塔にこもって禁欲的に生きられるかと自問する。そのとき銃声が響きわたり、マルクの言葉は途切れる(「象牙の塔 Башня из слоновой кости」)。

 様々な神話的・文学的アリュージョンに満ちた『ゴルゴロド』のリリックはアカデミックな論文でも取り上げられており、聖書やギリシャ神話、プーシキンなどとの比較分析が行われている★19。2018年には「ラップ叙事詩」としてアレクサンドル・ピャチゴルスキー文学賞のロング・リストにもノミネートされた★20。こうして名実ともにロシアを代表するラッパーとなったオクシミロンだが、21年にYouTube上で発表したシングル曲「マルクを殺したのは誰か? Кто убил Марка?」で再びセンセーションを巻き起こした。10分に迫る長大な曲の中で赤裸々に告白されるのは、保守派のラッパー、ローマ・ジガン Рома Жиган (1984-)との長年にわたる確執だ。

 オクシミロンはかつて相棒のラッパー、ショック Schokk(1980-)とともに「ヴァガボンド Vagabund」というインディペンデント・レーベルで活動しており、しばしばジガンの保守的な価値観を批判していた★21。事件が起きたのは2011年。二人がモスクワでのライブを終えて借りていたアパートに戻ったところ、ジガンおよび複数の武装した男たちが押し入り、カメラの前で二人に平手打ちを食らわせるなどの暴行を加えた。謝罪しなければ暴行動画を公開するとジガンに脅され、オクシミロンのみ後日YouTubeに謝罪動画をアップした★22。結果、ヴァガボンドは解散し、彼はショックと袂を分かつことになった。ところがその後もジガンの脅しは続き、彼はジガンが監督したドキュメンタリー映画『ビーフ──ロシアのヒップホップ BEEF: Русский хип-хоп』(2019)にも出演させられる。

「マルクを殺したのは誰か?」のビデオクリップでは、冒頭でまず自身がひざまずかされてジガンに平手打ちされる様子を映した映像が流れ、続いてラッパーがこれらの経緯を洗いざらい語りはじめる。そして長大なリリックは、ジガンとの一件だけでなく、現在ロシアで起きている様々な政治問題について沈黙してきたことの懺悔へと展開していく。

沈黙は沈黙する者を引きずり込む、まるで沼のよう
ボロトナヤ広場★23、プッシー・ライオット、弾圧、ウクライナ
俺はすべてを無視するが、痛みは消えない
嘔吐するまで飲み、血痰が出るまで吸う
アル中、ドラッグ、俺はずっと逃げ続ける
ベッドにはまた別の女、だがそれは何の助けにもならない
バトルの対戦相手はどいつも俺への平手打ちの話を持ち出す
禁断のテーマ、しかし公然の秘密
俺はひたすら沈黙し、だからこそ世代のヒーロー

『ゴルゴロド』ではあくまでよくできた「フィクション」として腐敗した権力との闘争や葛藤を語ってみせたが、この曲でオクシミロンはマルクという自ら創作したキャラクターを自ら葬り去ることによって、虚構ではない現実の世界と真正面から向き合う覚悟を示している。(後篇へつづく)

 

曲目リスト
1. Час Пик «Рэп»
[https://www.youtube.com/watch?v=tu3bxuN_oiU&t=1581s]

2. Сергей Минаев «Рэп Диск-жокея»
[https://youtu.be/z3r1gP8APn4]

3. Мальчишник «Секс без перерыва»
[https://youtu.be/osNuCid0iJo]

4. ДеЦл «Пятница»
[https://youtu.be/fjybUqmef-g]

5. Каста «Трехмерные рифмы»
[https://www.youtube.com/watch?v=DCqL7EXHguI]

6. Noize MC «Мерседес S666»
[https://www.youtube.com/watch?v=XX5NPcg_FxE]

7. Вася Обломов, Ксения Собчак и Леонид Парфенов «Пока, Медвед!»
[https://www.youtube.com/watch?v=5gdIvjF99ac]

8. Вася Обломов, Ксения Собчак и Леонид Парфенов «ВВП»
[https://www.youtube.com/watch?v=fvzmRDCQ_QY]

9. Вася Обломов, Ксения Собчак и Леонид Парфенов «Рэп-молебен»
[https://www.youtube.com/watch?v=bqTbNvC9XjA]

10. Noize MC «Пушкинский рэп»
[https://www.youtube.com/watch?v=rnm3aieV1wg]

11. Oxxxymiron «Башня из слоновой кости»
[https://www.youtube.com/watch?v=DfD5oFvRSI8&list=OLAK5uy_nTIyPCKP8jes6Ya2NKqvIu1m0R3sqqPh4&index=10]

12. Oxxxymiron «Кто убил Марка?»
[https://www.youtube.com/watch?v=q92DWs1MwRA]

 

★1 「ロシアの反戦ラッパー」『しんぶん赤旗』2022年3月18日。
★2 アレクセイ・ユルチャク(半谷史郎訳)『最後のソ連世代』みすず書房、2017年、230–231頁。
★3 Sergey Ivanov, “Hip-Hop in Russia: How the Cultural Form Emerged in Russia and Established a New Philosophy,” in Sina A. Nitzsche and Walter Grünzweig, eds., Hip-Hop in Europe: Cultural Identities and Transnational Flows (Zürich: LIT, 2013), p. 89.
★4 Ilya Kukulin, “Playing the Revolt: The Cultural Valorization of Russian Rap and Covert Change in Russian Society of the 2010s,” Russian Literature, no. 118 (2020), p. 83.
★5 Зайков А. История русского рэпа в 15 важнейших треках: От «Мальчишника» до Оксимирона и далее / Союз музыка. 22.12.2017 [https://www.soyuz.ru/articles/1092](2022年11月1日閲覧、以下同).
★6 Большому Дельфину большое плавание // Музыкальная газета. 26. 10. 1999. この曲のビデオクリップが1992年に製作されているが、監督によると日本のテレビ局でも放映されたという。 Не надо стесняться. История постсоветской поп-музыки в 169 песнях. 1991–2021. М., 2021. С.68.
★7 Децл нашего времени // Радио свобода. 04.02.2019 [https://www.svoboda.org/a/29750416.html].
★8 Johann Voigt, “From Moscow with Flow: How Rap Became Russia’s Most Important Genre,” Vice, 03.23.2018 [https://www.vice.com/en/article/3k73yb/from-moscow-with-flow-how-rap-became-russias-most-important-genre].
★9 Ivanov, “Hip-Hop in Russia,” p. 93.
★10 Kukulin, “Playing the Revolt,” p. 84.
★11 Ivanov, “Hip-Hop in Russia,” p. 95.
★12 イアン・コンドリー(上野俊哉監訳、田中東子、山本敦久訳)『日本のヒップ・ホップ──文化グローバリゼーションの〈現場〉』NTT出版、2009年、86頁。
★13 Philip Ewell, “Russian Rap in the Era of Vladimir Putin,” in Milosz Miszczynski and Adriana Helbig, eds., Hip-Hop at Europe’s Edge: Music, Agency, and Social Change (Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press, 2017), p. 46. なお、「14年」はイーウェルの論文執筆時の年数だと思われる。
★14 Ewell, “Russian Rap in the Era of Vladimir Putin,” p. 52.
★15 「メドヴェード」はメドヴェージェフの愛称、「VVP」はプーチンのフルネームのイニシャル(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン)。
★16 Ibid. p. 55.
★17 レイシズムはロシア語で「ラシーズム расизм」と発音し、「ラシーヤ(ロシア) Россия」と発音が似ている。
★18 Kukulin, “Playing the Revolt,” p. 81.
★19 以下のような論文がある。Дементьев И.О. Оксимирон и Пушкин: опыт интертекстуального анализа альбома «Горгород» // Literatūra. 2018. Т. 60, № 2. С. 107–121; Дмитриев В.А. Античные мотивы в творчестве Oxxxymiron’а : «Русская античность» в рэп-формате? // Метаморфозы истории. 2019. №14. С. 96–112; Летохо Е.В. Библейские аллюзии как способ мотивной организации в альбоме Oxxxymiron’а «Горгород» // Проблемы современной науки и образования. 2019. № 11. С. 74–79.
★20 Альбом Oxxxymiron “Горгород” номинирован на литературную премию имени Александра Пятигорского // Flow. 21.01.2018 [https://the-flow.ru/news/poema-gorgorod].
★21 たとえば、ジガンの「俺は反対する! Я против!」(2009)という曲には、「俺たちはエイズや麻薬やホモに反対する」というフックがある。これに対し、ショックとミロンは「退廃芸術 Дегенеративное искусство」(2010)と題した曲を発表、ジガンのフックを反転させ、「俺のラップは退廃芸術/俺たちとお前たちの党路線は一致しない/エイズや麻薬やホモを支持する方がいい」と歌っている。
★22 Oxxxymiron про ситуацию с шоком и ромой жиганом
[https://www.youtube.com/watch?v=Uoe-6DCa6Pg].
★23 2011年の反政府デモのシンボルとなったモスクワ中心部の広場。「ボロトナヤ」はロシア語で「沼」を意味する。

+ その他の記事

1984年生まれ。岩手大学人文社会科学部准教授。著書に『ナショナルな欲望のゆくえ──ソ連後のロシア文学を読み解く』(共和国)、訳書にソローキン『青い脂』(共訳、河出文庫)、『親衛隊士の日』(河出文庫)など。

1コメント

  1. この素晴らしい記事のおかげで、新しい音源に出会えました。私はロシア語は全くわからないのですが、「Vendetta」(注1)と「ГАМОРА」(注2)というラップグループの、トラックとPVのあまりのカッコ良さに衝撃を受け、半年くらい前からずよく聴いています。
    特に、上述のГАМОРАのその主要メンバーと思われるСерёжа Местный(注3)の、お経のような(?)音程のラップスタイルに衝撃を受けています。
    Oxxxymironのエピソードについても、とても参考になりました。英語も堪能であろうと思われるインテリである彼のRussian Rapを聴くと、母国語で表現する事の意味を考えさせられますね…
    なお、私はДетектор Лжиという曲(注4)のPVがカッコ良すぎてOxxxymironが好きになった経緯がありますが、ローマ・ジガンの名前が出てきます。この記事のおかげで意味がわかりました。
    歌詞の内容を知りたいと思いましたが、Deep LやGoogle翻訳ではどうも不十分で、プロの研究者の手による翻訳のありがたみを痛感した次第です…松下先生の次回作を心から楽しみにしています!

    (注1)Vendetta feat. Восточный Округ – Пополам
    https://www.youtube.com/watch?v=VuLJFW5Ci54

    (注2)ГАМОРА – Ау (Official clip 2016)
    https://www.youtube.com/watch?v=xYrH6H5_sg0

    (注3)Сережа Местный – Яд
    https://www.youtube.com/watch?v=IaNKPkbww4o

    (注4)Oxxxymiron – Детектор Лжи
    https://www.youtube.com/watch?v=FxtrqGXY37g&t=83s

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