ゲンロン編集部の見たウクライナ侵攻|植田将暉

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webゲンロン 2023年2月24日配信
 ロシア軍によるウクライナ侵攻から一年、戦争は今も続いています。ゲンロンでは、侵攻開始直後に「ゲンロン ウクライナ・ロシア関連リンク集」を公開し、ウクライナやロシアに関する情報発信に努めてきました。現時点で、50本以上の無料記事と35本以上のイベント動画をご覧いただけます。
 今回の記事では、「リンク集」でご覧いただけるコンテンツの中から、いま見ておきたい5つをピックアップしてご紹介します。紹介を担当するのは編集部の植田将暉です。
 2022年2月24日はゲンロンの社内が騒然としていたのをおぼえている。当時のメールをさかのぼってみると、その日筆者はシフトに入っていなかったようなので、Slackのやりとりを心配しながら見ていたのだろう。

 特に記憶に残っているのは、翌25日、チェルノブイリツアーのガイドであり、ゲンロンと縁の深い、アレクサンドル・シロタさんの安否が伝えられたときのことだ。シロタさんは当時チェルノブイリの近くに住んでおり、そこはロシア軍の侵攻ルートに重なっていた。筆者はツアーに参加したことがないので面識があるわけではない。けれども『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に登場し、配信などでも何度も紹介されていたかれの無事は、ゲンロンの読者のひとりとしてとても嬉しいニュースだった。もっとも、それで心が晴れるにはあまりに重すぎる映像やニュースが世界を埋め尽くしていたのだけれども……。

 落ち着かない雰囲気はその後も社内に残っていた。とはいえカフェのイベントは開催しなければならないし、出版物の編集も進めなければならない。ゲンロンだからできることを行なっていこうと、26日にはウクライナ・ロシア関連記事を無料で公開し、「リンク集」を作成することが決定している。28日には西部に逃れたガイド一家のための寄付金が社内で募られている。そして同時期、「ロシア現代思想」を組んだ『ゲンロン6』と『ゲンロン7』はにわかに大きな注目を集め、注文が相次いでいた。3月1日には、ゲンロンカフェで東浩紀と上田洋子が登壇して「『ゲンロン』<ロシア現代思想特集>再読──21世紀のロシアの思想界はどうなっていたか?」が放送された。

 それ以降もゲンロンではウクライナとロシアについて情報発信を続けてきた。その一覧は「リンク集」から見ることができる。ここではその中から、いまあらためて見ておきたいコンテンツを5つ選んで紹介する。

ロシアの未来はどこへゆくか



 


 まず、なにより『ゲンロン13』を手にとっていただきたい。象徴的な装画に彩られた本号は、ゲンロンシリーズのなかでも最も時局的な目次となっている。なかでも、「小特集 ロシア的なものとその運命」に収められた座談会「帝国と国民国家のはざまで」が、ウクライナ侵攻に至ったロシアの政治的・思想的な状況をとらえるためには外せない。

 座談会に参加しているのは、ロシア研究者の乗松亨平さん、平松潤奈さん、松下隆志さん、そしてゲンロンの東浩紀と上田洋子。1990年代から2010年代にかけてのロシアを振り返った2017年の『ゲンロン7』の共同討議から5年、大きく変化したプーチン政権下のロシアを分析する議論が交わされている。

 注目してほしいのは、座談会で話題にされているトピックの幅広さである。もちろんウクライナ侵攻が話題の中心ではあるが、たんに政治的・軍事的な側面だけが取り上げられているわけではない。むしろその前で霞んでしまいがちな、文化的・思想的な側面がこの座談会では丁寧に論じられている。

 



 たとえばロシア現代思想が専門の乗松さんが紹介するのは、ロシアの一体性を重視した20世紀の思想家イワン・イリインのことである。プーチンが何度も参照し、その著書には副首相時代のメドベージェフが序文を寄せているイリインは、その重要性に反して、日本語での紹介がほとんど存在しない人物だ。乗松さんは、「ロシア世界」の統一を主張し、ついには侵攻に踏み切ったプーチン政権の思考を、ロシアの政治思想史を紐解きながら読み解いていく。ここでしか読めない、アクチュアルな思想史講義が見逃せない。

 もっとも、座談会で紹介されているのは、硬派な思想家たちばかりではない。文学研究者の松下さんは、ロシア人たちが日常的に接する、小説家やミュージシャンの活動を取り上げる。とくに衝撃的なのは、ラッパーたちの政治運動だ。かれらのミュージックビデオは、愛国主義的であれ、反体制的であれ、強い政治的なメッセージを持っている。座談会のなかで松下さんが紹介している、ハスキやオクシミロンのMVをぜひ見てほしい(脚注にタイトルとURLが記載されており、YouTube で視聴することができる)。そこには、日本ではなかなか想像も及ばない、ふつうのロシア人たちが見ている景色がうかがえる。

 



 なお、次号の『ゲンロン14』に掲載される松下さんの論考「ロシアをレペゼンするのは誰か──プーチン時代の政治とラップ」で、起源としてのソ連時代のサブカルチャーから現代のラップと愛国主義の関係まで、日本ではあまり知られていないロシアのヒップホップ・シーンがより詳しく紹介されている。その前半部分は、「webゲンロン」にて公開中。さらに読み応えが増していく、後半にも乞うご期待(筆者は人気ラッパー・フェイスの「転向」に息を呑んだ)。

 



 座談会でのもうひとつの大きな話題は、平松さんが取り上げる「記憶の戦争」だ。これはソ連崩壊後になって、かつての構成国や衛星国がソビエト連邦から受けた被害を訴え、それに対してロシアがソ連の継承国として反撃するという構図で生じた、記憶や歴史、そして悪や害とその責任をめぐる戦争のことである。「記憶」は、今回の侵攻のキーワードとして、この記事のなかでも何度か登場することになる。

 最後に、座談会の話題は、これからロシアが今回の侵攻の責任をどのように引き受けていくべきかという未来の話に移っていく。帝国の夢を捨てることのできないロシアは解体されてしまったほうが良いのだろうか?──この問いから座談会の議論はますます白熱していくのだが、その様子は『ゲンロン13』の誌面にて。

座談会には収まりきらなかったこと



乗松亨平×平松潤奈×松下隆志×上田洋子「ウクライナ侵攻後、ロシアはどこへむかうのか──愛国と反体制のはざまで」

 先の座談会が収録されたのは2022年4月23日のことだった。侵攻が始まっておよそ2ヶ月のタイミングで、参加者はみな落ち着かない様子を見せていた。

 『ゲンロン13』のロシア小特集に掲載されている2つの座談会は、どちらも筆者が構成を担当している。だから4月23日の座談会収録にも同席しており、その雰囲気は今でも鮮明に思い出すことができる。まさしく「沈痛」と呼ぶほかのない雰囲気がその場には満ち充ちていた。事実、座談会はロシア研究者たちの「反省」や「衝撃」という言葉に始まっている。

 その「反省」や「衝撃」は、同年11月7日にゲンロンカフェで開催されたイベント、乗松亨平×平松潤奈×松下隆志×上田洋子「ウクライナ侵攻後、ロシアはどこへむかうのか──愛国と反体制のはざまで」のなかでも語られている。ロシア研究者たちが、なんとか心の整理をつけつつ、現状分析を示してみせる、本イベントにもぜひ耳を傾けてほしい。

 なかでも、印象的だったのは、「記憶」の問題を詳しく紹介する平松さんのプレゼンである。イベントでは、ホロドモール(スターリン時代のウクライナで生じた大規模な飢餓。2006年にウクライナ議会はこれをウクライナ民族に対するジェノサイドとする法律を制定している)を記憶するキーウの博物館や記念碑、そして戦争を支持する「ふつうのロシア人」たちのことなど、座談会収録では時間の制約ですこし駆け足の説明になってしまった内容が、かなり詳しく紹介されている。

 とくに、プーチン政権を支持する「ふつうのロシア人」たちの紹介が重要だと筆者は感じた。政権に反対する知識人たちは、往々にして、戦争を支持する声の多い世論調査を否定してしまう。けれども実際のところ、戦争を支持する「ふつうのロシア人」は少なくない。その象徴的な事例として、平松さんは、大祖国戦争を顕彰する草の根的な運動である「不死の連隊」を挙げる。

 この運動については、プレゼンのなかで実際の動画つきで説明されているから、それをご覧いただくのがいちばんだろう。また、イベント視聴とあわせて、『ゲンロン13』に掲載されている「祝祭になる戦争、戦争になる祝祭──『戦勝記念日』にみるパフォーマティヴな顕彰」もぜひ読んでいただきたい。

 ロシアの研究者らによるこの論文で分析されるのは、過去の戦争を記憶するために行なわれる数々の実践が、どのように戦争の支持に結びついていくかということだ。たとえば軍帽やミリタリーグッズの着用をつうじて、人びとは戦場の兵士たちと一体感を持つようになる。その分析は、いまロシアやその他の地域で起きている、「記憶」をめぐる問題を考えるための重要な手がかりとなるはずだ。

信仰と感染症と戦争と



つながりロシア(13) コロナ・パニックと東方正教会(1)──この世の終わりとよみがえったラスプーチン|高橋沙奈美

 ところで、『ゲンロン13』に掲載された論文「祝祭になる戦争、戦争になる祝祭」の翻訳者である高橋沙奈美さんは、ロシアとウクライナの正教会を専門とする研究者である。ゲンロンカフェにも何度も登壇されており、そのひとつは『ゲンロン10』にも収録されている(高橋沙奈美+本田晃子 司会=上田洋子「宗教建築と観光──ツーリズムとナショナリズムから見るロシアの現在」)。

 ここでは、そんな高橋さんが執筆された「webゲンロン」の記事を紹介したい。

 



 まずは、2020年8-9月に公開された2回の連載「コロナ・パニックと東方正教会」だ。タイトルに示されているように、ここで高橋さんが取り上げるのは、新型コロナウイルス感染症の流行にロシアとウクライナの正教会がどのように向き合ったかということだ。

 いまでは次第に記憶も薄れてきているが、感染症が流行しはじめたころ、真っ先に槍玉に挙げられたのは「教会」だった。感染症の死者を弔うことや礼拝のために集まることが感染拡大のリスクを増加させる行為として制限されたのである。高橋さんの連載では、感染症対策と教会運営をめぐって大いに揺れたロシアとウクライナの正教会の事情が詳しく説明されている。いま読み返してみて気がつくのは、すでにこの時点から、いまにつながる大きな問題が指摘されていたということなのだ。

 連載の最後に、高橋さんはつぎのような一文を書いている。「コロナ・パニックの中で人びとに受け入れられやすい情報が提供され、社会を危険にさらす『敵』の存在がメディアの中で容易く形成されてしまうことに恐怖を覚えるのである」。その敵とは、たとえばコロナ下のウクライナでは、「ウクライナ正教会」のことである。

 いささか複雑なので、詳しい経緯は高橋さんの丁寧な解説を読んでいただきたい。大雑把にまとめてしまえばこういうことである。パンデミックの直前、ナショナリズムの機運が高まっていたウクライナでは、ロシアの影響下に置かれた伝統的な「ウクライナ正教会」とは別に、新たな、ウクライナ独自の正教会がつくられた。そこにパンデミックが生じた。感染症対策に消極的で、教会内部での集団感染などを引き起こしてしまったウクライナ正教会は、パンデミックのなか、激しい批判を浴び、ひいては脅迫や放火も受けてしまう。

 感染症と宗教対立のなかでつくりだされる「敵」の表象。その危惧をより深刻な現実としたのは、2022年2月に生じたロシアによる軍事侵攻だった。そのときウクライナにとってロシアは文字通りの「敵」になった。そしてまた、ロシアの影響下にあるウクライナ正教会を「敵」とみなす声も強まっていったのだ。コロナ禍と軍事侵攻は、じつは「敵」の表象において通底しており、ウクライナでは宗教対立やナショナリズムと絡み合ってそれが噴出していた。

 



 じつは高橋さんには、新たに侵攻以降の状況を踏まえた原稿をお書きいただいている。「祖国か、神か──戦争がウクライナの正教徒に強いる選択(1)」と題された第1回の記事は、2月23日に「webゲンロン」にて公開されたばかりだ(第2-3回も順次公開予定)。ロシアとウクライナの関係を考える上で欠かせない論点である、正教会の「いま」をとらえた充実の論考を、ぜひお読みいただきたい。

 その予習に高橋さんの記事をもうひとつ紹介しておこう。「webゲンロン」で公開中の「ウクライナ正教会独立が招いたさらなる分断」である。この記事では2019年1月に誕生したウクライナ独自の教会、「新生ウクライナ正教会」の設立経緯が論じられている。記事に書きとめられた、ほとばしるウクライナ・ナショナリズムやロシア系とのあいだに広がる分裂、そして教会独立を取り巻くロシアやアメリカ、コンスタンティノープルの政治的な思惑と妥協……、それらは、2022年の軍事侵攻にもつながる話題でもある。

視線を転じてタタールスタン



つながりロシア(19) ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール──結束と分断の狭間で|櫻間瑞希

 いま空前のタタール・ブームが日本に到来しているらしい。2022年12月末に白水社の語学書シリーズ『ニューエクスプレス』から「タタール語」が刊行されたかと思えば、翌1月にはたちまち重版。さらに2017年に刊行されていた『タタールスタンファンブック』(パブリブ、2017年)も重版になったと聞く。

 そんなタタール・ブームを牽引する研究者が、タタ村さんこと、櫻間瑞希さんだ。先の2冊の著者でもある。「webゲンロン」では2022年4月に「ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール──結束と分断の狭間で」という記事をご寄稿いただいた。

 上述の「ブーム」を裏付けるかのように、「webゲンロン」のタタール記事もかなりの読者を得ており、大幅な加筆がほどこされた原稿が『ゲンロン14』に掲載されることも決まっている。そんな櫻間さんの人気記事を、ここですこし紹介しておきたい。

 



 「タタール」というのは民族名だ。タタール人はロシア連邦のなかで最大の少数民族で、タタール語を母語とし、その多くはスンナ派のイスラム教を信仰している。櫻間さんの記事は、そんなタタール人とその約半数が暮らすタタールスタン共和国について、カラフルな写真を多く交えながら、軽妙に解説してくれる。

 ぜひお読みいただきたいのは、「トゥガン・テル」こと「母語」としてのタタール語が置かれている状況である。タタール語は、タタール人らしさの象徴とされながらも、ロシア語に押されて話者人口が減少しているという。それを増加させようとする共和国の取り組みや若者たちの挑戦は興味深い。また、それぞれの民族の「母語」との軋轢は、ロシア語の抱える大きな課題でもある。ウクライナもまた、ロシア語とウクライナ語などとの軋轢をかかえる地域である。歴史的にウクライナには、ロシア語から「母語」としてのウクライナ語を守ろうという動きがあった。その動きは侵攻でさらに強められている。

 ウクライナ侵攻の話題は、櫻間さんの記事にも何度か登場する。とくに注目しておきたいのは、「特別軍事作戦」に対する賛否両論が、世界各地に移り住んだタタール人たちの結束に分断をもたらしかねないという指摘だろう。SNS上ではタタール人たちが「作戦」の是非について激しく議論を闘わせているという。

 そのような状況のなかでも、記事の最後に櫻間さんが書いている「希望」を筆者も共有していたい。国境が閉じられ、対立の焦点となる時代だからこそ、それを超える結束が重要となるということだ。そこで思い出すのは、ウクライナ人たちも歴史を通じて各国へ移住してきたことである。ロシア人たちも同様である。その国境を超えた人びとのつながりは、いま、そして今後どのように機能するだろうか。移動する民がつくりだす歴史の可能性を、筆者は櫻間さんの文章を読みながら考えていた。

 



 なお、櫻間さんはシラスで配信中の「上田洋子のロシア語で旅する世界УРА!」にも2度にわたって出演されている。合計約13時間にわたって繰り広げられた充実のタタール・トークとタタール語講座、そしてタタール・ヒップホップの紹介(なんと字幕つき!)を、ぜひとくと堪能していただきたい。

櫻間瑞希×上田洋子「ロシアのなかのマイノリティ民族の世界──タタールの文化、言語、音楽から」(2022年9月28日)
櫻間瑞希×上田洋子「語っても語っても語りきれないタタール文化──ロシアの中のマイノリティ文化2」(2022年10月18日)

ふたたびウクライナへ



ゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー写真レポート(1)|上田洋子

 ウクライナ・ロシア関連の記事やイベントを紹介しようというこの記事も、いよいよ長くなりすぎてきた。最後に紹介したいのは、他でもない、「ゲンロン H.I.S. チェルノブイリツアー」である。筆者にとって、ゲンロンといえば、なにより「チェルノブイリツアー」の会社だった。

 もちろん筆者はツアーに参加したことはないし、何度かツアーの話を聞いたことがあるという程度でしかない。にもかかわらず、なぜかチェルノブイリツアーは、筆者の「ゲンロン」像と切り離しえない存在なのだ。ツアーの経験談を耳にするたびに、実際に足を運ぶことの重要さを痛感し、とうぶん訪問することが叶いそうにない自分の不幸を悔やんでいる。議論するだけでなく、実際に行ってしまうところが「ゲンロンらしい」と感じるのだ。

 そんなチェルノブイリツアーの様子は、「webゲンロン」の記事をつうじてうかがい知ることができる。ここでは時期の異なる記事を3本紹介したい。

 



 ひとつは2014年に公開された、上田洋子による「ゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー写真レポート」である。その名のとおり、70枚以上の写真とともに第3回チェルノブイリツアーを振り返ったこのレポートには、ユーロマイダン直後のキーウや観光地化の進むチェルノブイリの様子が鮮やかにとらえられている。写真を目で追うだけでもいいから、ぜひ覗いてみてほしい。

 もうひとつは、2018年に公開された「チェルノブイリは観光地化を進めるべきか──観光客によるインタビュー」だ。これは、チェルノブイリのガイドであるアレクサンドル・シロタさんとツアー参加者との対話を起こした記事である。通訳と翻訳は上田洋子が務めた。この記事には、チェルノブイリで進む観光地化や原発事故を克服すること、そして記憶を語りつづける使命について、シロタさんと参加者のあいだに交わされた真摯なやりとりが記されている。

 最後のひとつはすこし内容が異なっている。2019年に公開された東浩紀と上田洋子による報告「現実のすこしよこで──大量生と虚構の問題」は、同年10月にふたりが行なったウクライナとリトアニアの取材の報告イベントを記事にしたものだ。イベントでは、ドラマ『チェルノブイリ』を入口にしつつ、ゲンロンがツアーを開催してきたことの哲学的な意味や『ゲンロン10』『11』の「悪の愚かさについて」論考につながる話題が論じられる。

 なかでも、報告の最後にあたる「慰霊碑と政治の問題」は、本記事のなかでも何度か言及してきた「記憶」の問題を扱っている点で興味深い。たとえば東は、キエフ近くの森にあるスターリニズムの犠牲者を追悼する記念碑を紹介している。そして、ロシアに対抗するウクライナとポーランドの政治的な連携があらわれたその記念碑に、東は「死者の政治利用」を指摘する。ナショナリズムに結びついた死者の追悼、それは軍事侵攻によって浮かび上がった、いまアクチュアルな問題のひとつでもある。

 



 ロシアによるウクライナ侵攻によって私たちが直面している問題の多くは、じつは侵攻以前からさまざまなかたちで存在してきた問題だった。それはたとえば、ウクライナ侵攻を受けて組まれた『ゲンロン13』の小特集とゲンロンがこれまでに公開してきたウクライナ・ロシア関係の記事がさまざまに響き合っていることに示されている。

 言うまでもなく、この記事で紹介することのできなかった記事やイベントのなかにも、いま起きていることを考えるヒントは詰まっているだろう。たとえば筆者が気に入っている座談会「ユートピアの裏側で──コムナルカとソ連の記憶」(『ゲンロン13』)のなかで、本田晃子さんがこんなことを口にしている。「ひとは変わるけれど、モノは変わらない。ひとよりもモノのほうが永続性が高い」(294頁)。コムナルカ(ソ連時代特有の集合住宅)について語られているこの言葉に、筆者は記憶や記念碑、そして国家や大地などを考えるための手がかりを感じた。

 



ウクライナ・ロシア関係リンク集」は今後もさらに充実していく予定である。来たる『ゲンロン14』でも、「戦争」は大きなテーマとしてあらわれている。依然としてウクライナでは戦闘が続いている。ロシアの今後を見通すことは難しい。そのような状況のなかで、ゲンロンは引き続き独自の観点から情報発信をつづけていく。まずは気になる記事を読んだりイベントの動画をひとつ観たりすることからでも始めてほしい。専門知に支えられた議論が読者にとどくこと、それをもとに考えるひとが増えること。ゲンロン編集部の一員としてそれに勝る喜びはない。

植田将暉

1999年生まれ。早稲田大学大学院法学研究科修士課程在籍。専門は憲法学。ゲンロン編集部所属。
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