【『ゲンロン14』より】コレクションはタイムトラベルだ──博物学的な知と「どっちつかず」の美学|荒俣宏+鹿島茂+東浩紀

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webゲンロン 2023年3月16日配信
 2023年3月28日、『ゲンロン14』が発売されます。その刊行を記念して、本誌の巻頭を飾る座談会の一部を無料公開いたします。荒俣宏さん、鹿島茂さんをお迎えし、東浩紀が聞き手となって「古書のコレクション」やサブカルチャーの歴史について語り尽くした鼎談。「天命に従って」本を集めるというおふたりからは、驚愕のエピソードの数々が繰り出されました。
 ゲンロンショップでは、『ゲンロン14』が東浩紀のサイン入りで届くキャンペーンを実施中。また、当該イベントのアーカイブ動画は、シラスで公開中です。ぜひあわせてお求めください。
 
荒俣宏×鹿島茂×東浩紀「博物学の知とコレクションの魅惑──古書、物語、そして『帝都』」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20221120
東浩紀 作家の荒俣宏さんとフランス文学者の鹿島茂さんにお越しいただきました。2022年の5月から7月まで、日比谷図書文化館で鹿島さんのコレクション展が行われました★1。関連企画としておふたりの対談があったのですが、荒俣さんが何十枚も用意された写真のうち2、3枚を紹介しただけで時間が尽きてしまった。そこで鹿島さんから「ゲンロンカフェで続きをやったら」という話をいただき、この会が実現したわけです。今日は存分にお話しいただければと思います。

 まずはおふたりの出会いから伺えますでしょうか。

家には本が住んでいた


鹿島茂 最初にお会いしたのは1989年です。瀬戸川猛資さんが創刊した雑誌『BOOKMAN』に、荒俣さんが「ブックライフ自由自在」を連載されていた時期です★2。共通の知り合いの編集者の紹介で横浜のわたしの家にいらした。書斎に積んであった古本屋のカタログをずっとご覧になっていたのを覚えています。そこにはタイトルと値段以外、ほとんどなにも書いていない。けれど、わたしたち愛書家にとって一番幸せなのは、カタログを見ている瞬間なんです。

荒俣宏 インターネットがない時代、いいものを探すための唯一の導きになるのがカタログでした。いまのように情報が入る時代ではないので、すこしでも安く、状態のいいものを探すために、とにかくみんな真剣だった。

 当時は本そのものに魔力があったんです。子どものころは本のなかにすべての秘密があると思っていました。わたしは団塊世代なので、親が受験を心配して、中学から大学までの一貫校に入れた。それもあって、もう勉強はいいやと思い、高校時代はすべてを本に費やしていました。自慢ではないですが、わたしは大学卒業まで、お昼ご飯を食べたことがありません。食費を本代にあてていたからです。そうすると昼休みが手持ち無沙汰になってしまうので、図書室に行ってますます本が好きになる。

鹿島 わたしも似たような少年時代でした。親は商売人でいわゆるインテリではなく、家には1冊も本がありませんでした。かわりに小僧さんが買っている雑誌や、商売の関係で取っていた新聞三紙を読み漁っていた。当時は『日本経済新聞』の「私の履歴書」が黄金時代で、田中角栄や三島海雲や大谷米太郎など、伝説的な政治家や実業家が登場していました★3。これがまたじつにおもしろかった。当時の新聞や雑誌やマンガはどれも総合性があり、自分の興味があることもそうではないことも、どちらも目に入った。それでわたしも荒俣さんも、いろんなことに手を出す人間になったのではないかと思います。

荒俣 マンガは、「読むと必ず不良になる」と禁書扱いでしたね。なかでも劇画は悪だとされ、さいとう・たかをなんて学校で読めなかった。しかしそういう弾圧には立ち向かった。学校で持ち物チェックがあるときは「お腹が痛いです」とトイレに行く。じつはトイレには隠し場所があって、禁止物品の避難所になっていた。
鹿島 同じです。どんな状況でも抵抗勢力は出来上がるんだなと感心しましたね。

荒俣 わたしたちが本格的にコレクションを始めたのは1980年代ですが、サブカルチャー系の本はまだほとんど二束三文で売られていました。古本屋もすべての本を知っているわけではありませんから、彼らのまちがいを正すのを趣味にしてるマニアもいた。洋古書店で英語の訳がまちがっていることもあった。有名なのは007シリーズの『ドクター・ノオ』が「医者はいらない」というタイトルになっていたり(笑)。

 (笑)

荒俣 当時、植草甚一という評論家が古本屋を歩き回り、タイトルや値付けを勝手に修正しているという話が、都市伝説のようになっていた。

鹿島 ありましたね。わたしも東京泰文社★4で植草さんが値付けしている現場を目撃しました。本屋さんも困る。

荒俣 そういう状況なので、本屋もよくわからない珍本や良い本が簡単に手に入れられた。それがわたしたちの時代の良かったところです。明治維新のとき、浮世絵や錦絵が一斉に市場に出ました。状態のいいものは海外に流れてしまいましたが、神田の本屋で一束いくらの紙クズをよく見ると、当時はまだ明治の錦絵みたいなものが残っていました。加えて当時は円が強くなって、洋書が安く買えるようになったこともよかった。いまでは日本円が弱くなり市場で海外のバイヤーの存在感が増していますが、逆のことが起きていました。海外の雑誌もどんどん入ってきていた。たとえばイタリアのフランコ・マリア・リッチという城を持ってる美術雑誌の出版物。『COS』という豪華美術雑誌では毎号、日本の美術界には知られぬジャンルが特集されてた。蝋人形とかカラクリとか博物図なんかがね。

鹿島 そういった紙束や雑誌のバックナンバーを大量に買いつけるから、家がすぐ古本で埋まるんです。

荒俣 そうそう。わたしは一時期平凡社に住んでいたので、家にはまったく帰らなかった。家にはだれが住んでいるかといえば、本が住んでいた。

集め「させられる」体験


 平凡社の話が出ましたが、荒俣さんの代表的なお仕事で、1980年代から90年代にかけて同社から全7巻(別巻含む)で刊行された『世界大博物図鑑』があります。この図鑑には豊富な図版が掲載されていますが、基本的には荒俣さんが自費で集めたとか。

荒俣 そうなんです。この図鑑の執筆には莫大なお金がかかっています。たとえば、1710年代に出版された、ルナールによるインド洋の魚類図鑑がある。世界ではじめて生きている熱帯の魚を彩色写生した本だと言われていますが、刊行当初は空想の本だと思われていた。極彩色の熱帯魚なんて、フランスの海には存在しなかったからです。

 ところがのちすべて写生で、実在の魚であることが判明し、200年ぐらい経って古書市場で価格が高騰するようになった。いまでは世界に30部くらいしかない稀覯本なんですが、当時カタログでオランダの古本屋が売っているのを見つけました。値を尋ねると、なんと500万円。まだふつうのサラリーマンだったわたしにはとても払えない金額です。でもどうしても欲しい。それで、その時代にできたばかりだったサラ金に駆け込みました。

鹿島 サラ金は我らコレクターの味方でしたね(笑)。

荒俣 ところが給与明細を見せたら「20万円しか貸せない」と言われてしまった。すがる思いで古本屋に相談したら、特別に月賦にしてもらえたんです。真剣な客だとわかってくれたんでしょうね。

 とはいえ、月賦で500万円を返済するのはかなり大変なのでは。

荒俣 だから昼ご飯はやはり食べていなかった。平凡社では会社の床に段ボールを敷いて寝泊まりをさせてもらっていました。出版社はコピーが取り放題で、そこは非常にありがたかったですね。サラリーマン生活は32歳くらいのときに辞めたのですが、50歳ごろまでそんな生活をしていました。

鹿島 当時、荒俣さんは家に全然いないから連絡が取れなかったんです。そこで出版社に直接会いに行った。すると、何百万円もする古本をバーっと開いてコピーにかけていたんですよ。本当に驚きました。本が壊れちゃうじゃない!
荒俣 畳半分くらいの大きさの古書もあり、いちいち現物をひろげて読んでいられないんですよね。コピーを取ると読みやすい。

鹿島 といっても、ふつうは躊躇いますよ(笑)。

 コレクターというと本をきれいに保存する印象がありますが、必ずしもそうではないのですね。

鹿島 ひとによります。荒俣さんほどではないですが、わたしも装丁よりも中身とくに挿絵が見たいので装丁の状態にこだわりはない。そもそも状態を追求してしまうと、価格が数十倍になって買うことができなくなる。逆にいえば、美品なら何億円もするような本が、状態次第では数百万円で手に入ることもある。だから、それほど裕福でなくてもコレクションに踏み出すことができるんです。

 しかし中身が重要なのだとすると、図書館から借りてコピーするだけでもいい。「所有する」ことの意味はどこにあるのですか。

鹿島 それはむずかしい問題です。わたしにも借りるだけでいいという本はあります。しかしこの世には「所有しないとまずい本」というものがあるんですよね(笑)。たとえばマンガや挿絵本は、情報として参照できるだけでは意味がない。モノとして持たないと意味がないと感じてしまう。だから、オリジナルの古書を買うと同時に読むための再販本も買う。

荒俣 ひとことでいえば、知とは情報ではなく物量なんですよ。質や検索性よりも、山のように「積める」かどうかが大事なんです。鹿島さんは中身が大事だとおっしゃったけど、中身の質を判断して集めているわけでもない。積んでいるものの多くはたんなるゴミかもしれない。でも集める。コレクションの本質は、価値があるかどうかわからないものを集めるから創造性が出てくるところにある。コレクションとして集積されると、紙クズも宝に位置づけられてくるから、ふしぎです。

 なるほど。たいへん興味深いお話です。関連して質問したいのですが、そのような感性にインターネットはどう影響していますか。おふたりから見て、若い世代のコレクターに変化はありますか。

鹿島 どうでしょう。いまは情報だけ保存できてしまうので、逆にモノとしての本が廃棄されるスピードは上がっています。本が探しやすくなっているのは確かなので、コレクションはしやすい。ただ、コレクションを築くためにはあるていどジャンルを限定しなければいけませんが、ジャンルを限定しすぎるとコレクターではなくオタクになってしまう。その兼ね合いがむずかしいところですね。
荒俣 鹿島さんはフランス本が専門、わたしは英語本とフランス語本が中心だけど、いまはいろんな国のいろんな古書にアプローチができる。だからいまの時代ならではの新しいジャンル・コレクションが作られる可能性はあると思います。ただ大事なことは、コレクションをするなかで、主導権をどちらが握るか。古書か自分か。オークションや市で出る本を、どうしても入手したいと思ったら、お金も時間もなくなる。ほんとに自分に必要なら、いつかかならず手元に落ちてきます。それを気長に待つから、ある種のワビサビになる。

鹿島 わかります。主導権のありかが大事ですね。

荒俣 わたしたちの時代には、自分ではなく古書、つまりコレクターではなくコレクションが主導権を握っていました。ところがいまでは、コレクションがコレクターの自己表現の一要素になっているように見えます。「これを集めたところでなにになるんだろう」と疑問を抱きながら集める、という諦念がないんじゃないか(笑)。

 コレクションが自己表現になってはいけないと。

鹿島 いけません。わたしが集めているのではなく、集めさせられている。その境地に至るのが大切です。コレクションとはマゾヒズムの経験なんです。

荒俣 コレクターは天命に従っているにすぎません。自分が集めたいわけじゃない。高価な古書をかき集めてやっと出した『世界大博物図鑑』の最初の印税は、3、40万くらいでした。資料代を考えると、本を出すことは経済性が成り立たない行為です。地獄へ落ちるようなものです。

 けれどもそれでますます古本に愛着が湧く。書いた人は大赤字で、100年後の古本屋にすべての利益が落ちる。いい換えれば、世の中のすべての本は安い。わたしの本だけじゃない。本というのはみな莫大な労力をかけて作られているものです。何年もの人生がかかっている。それだけの労力のかけられたすばらしい本が、たったこれだけの値段で買える。それはすごいことです。そうなってくるとこれはもう買わせていただくしかない。わたしたちの生活なんてどうなってもいいんですよ(笑)。

本というモノの魅力


荒俣 ところで鹿島さんは少年時代、少女マンガも読まれましたか。

鹿島 はい。となりの商家で雑誌を売っていたので、そこにあるマンガはジャンル関係なく読んでいました。

荒俣 劇画とならんで、少女マンガを読むのも不良少年の特徴でしたね。(『ゲンロン14』へ続く)

★1 2022年5月20日から7月17日まで開催された特別展「鹿島茂コレクション2──『稀書探訪』の旅」を指す。後出の対談は7月3日に行われた。
★2 『BOOKMAN』はミステリー批評家で編集者の瀬戸川猛資が1982年に創刊した雑誌。創刊号の岩波文庫特集以降、新書や洋書、辞書や古書店、それにSFや探偵小説など、本をさまざまな側面から特集した。荒俣宏や呉智英らが執筆陣に名を連ね、1991年までの10年間で30号を数えた。古書蒐集をテーマとした荒俣の「ブックライフ自由自在」は、83年から91年にかけて連載された。
★3 三島海雲はカルピス株式会社の創業者。大谷米太郎は大谷製鋼所(後の大谷重工業)およびホテル・ニューオータニの創業者。ゲンロンに近い五反田TOCビルの建設を計画したのも大谷米太郎である。
★4 東京、神保町にあった洋書専門の古書店。特にSFやミステリーのペーパーバックの品揃えが優れており、安価であったという。1996年閉店。

荒俣宏

作家・博物学者。1947年生まれ。武蔵野美術大学客員教授、サイバー大学客員教授、京都国際マンガミュージアム館長。『帝都物語』(角川文庫)で日本SF大賞、『世界大博物図鑑』(平凡社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に『平田篤胤が解く稲生物怪録』『水木しげると行く妖怪極楽探検隊』(ともに角川書店)、『江戸の幽明――東京境界めぐり』(朝日新書)、『お化けの愛し方――なぜ人は怪談が好きなのか』(ポプラ新書)など多数。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。

鹿島茂

フランス文学者。元明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『神田神保町書肆街考』(ちくま文庫)、『多様性の時代を生きるための哲学』(祥伝社)などがある。 写真提供:ANJ©鈴
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