料理と宇宙技芸(6) 肉は切らねど骨は断て──排骨湯と「庖丁解牛」の自然哲学|伊勢康平

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webゲンロン 2023年4月10日 配信
2023年4月21日 タイトル更新
 今回取りあげるのは排骨湯パイグータン、つまり骨つき肉のスープである。現代の中華料理では、豚肉のスペアリブをぶつ切りにして煮込んだものが一般的だが、牛や羊、鶏をつかう場合もある。初回の麻婆豆腐や前回の賽螃蟹サイパンシエ(野菜で蟹を「錬成」したもの)など、ここまであつかってきた料理は比較的歴史の浅いものが多かったが、排骨湯はたいへん古い料理だ。おそらく今後の連載のなかでも、これ以上に歴史ある料理は登場しないと思う。

 10年ほどまえ、中国で衝撃的な発見があった。なんと約2400年前のスープが液体のまま出土したのである。場所は陝西省の西安咸陽国際空港。その第二次拡張工事のさいに、状態のよい青銅器がふたつ見つかった。そのひとつであるかなえ(煮込みにつかう三本足の容器)には、骨の浮かんだスープが半分ほど入っていたという。もちろんかなり劣化しており、銅の腐食によって緑に変色していたが、調査の結果、中身は犬の骨つき肉のスープだったと判明したらしい★1

 ことのあらましを確認するだけで十分おもしろいが、細部にも注目すべき点がある。まずは出土したのが犬のスープだったことだ。第5回で、六朝期(3〜6世紀)ごろまでは肉食が一般的ではなかったことに触れた。それにつけ加えると、かりに食べることがあっても、当時は社会的な地位によって食べられるものが決まっていたのである。たとえば牛はもっとも格が高く、天子や諸侯が儀礼のときにだけ食べてよいものとされた。その下には羊、犬と(大きな豚)、豚、魚とつづく。庶民の常食は野菜で、儀礼のさいにだけ豚と魚が許されていたらしい★2。つまり、春秋戦国時代にあたる2400年前、犬の肉はそこそこ上等で、庶民には手が届かないものだった。だからこのスープは、ごくふつうの食生活の一部ではない。

 もうひとつのポイントは、これが骨つき肉の料理だったことだ。骨つき肉のスープを作るためには、肉を骨ごとぶつ切りにしなければいけない。これはいたって当然のことである。けれども、中国哲学と料理の関係からいうと、このような一品が春秋戦国時代の遺物として発見されたのは、じつは少々やっかいな事実かもしれない。そのわけをいまから語っていこう。今回は骨と肉と、それから切ることの話だ。

1 肉屋か料理人か


 中国哲学で肉を切るひとといえば、おそらく庖丁ほうていがもっとも有名だろう。かれは日本語の「包丁」の語源になった人物である(中国語で包丁は「菜刀」)。そのエピソードは「庖丁解牛」と呼ばれ、『荘子』養生主篇に収録されている。そこでは、庖丁が魏の恵王のために牛を解体し、自身の卓越した腕の秘けつを語っている(ちなみにここで言う魏は、三国時代ではなく戦国時代の一国である)。少し長くなるが、じっさいに庖丁の言葉を見てみよう。


恵王が言った。「おお、すばらしい。技もここまでになれるのか」
 
庖丁は刀を置くと、答えて言った。「私が心を寄せるのは道というもので、技をこえたものでございます。私がはじめて牛をさばいたとき、目に映るのは牛ばかりでした。3年もたちますと、もう牛全体は目に入らなくなりました。今では心で牛を捉えており、目で見ているわけではありません。五官の作用は止まり、精神のはたらきだけが動いているのです。牛の自然の筋目のままに、大きな隙間に刃を振い、大きな穴にそれをみちびき、牛の体の本来のしくみにしたがっていきます。骨と肉との入り組んだ部分にだって刃を当てたことはありません。まして大骨に打ち当てるなんてとんでもないことです。
 
腕利きの料理人は1年ごとに刀を取りかえますが、それは肉をくからです。普通の料理人は毎月取りかえますが、それは骨に当てて刃こぼれするからです。私の刀は19年も使っていて、さばいた牛は数千頭にもなりますが、刃先はたったいま砥石で研ぎあげたかのようです。骨の節々には隙間がありますが、刃には厚みというものがありません。厚みのない刃を隙間にいれてゆくのですから、ひろびろとしていて、刀を振るうのに十分なゆとりがあります。だから19年も使ってなお、刃先が研ぎたて同然なのです」★3


 まずは基本的なところから確認しよう。そもそも庖丁とは何者だろうか?
 じつを言うと、「庖丁」はこの人物の名前ではない。かれは「丁」という姓であり、「庖」はその職業にあたる。庖という字はくりやつまりキッチンをあらわす。孟子の言葉に「君子は庖厨を遠ざく」とあるのはその一例だ。そこから派生して、庖は料理人を指すようにもなった。なので庖丁とは「料理人の丁さん」といった意味である。あるいは、「丁」は文字どおりには職人をあらわすため、庖丁の2文字で単に料理人を意味しているという見方もある。

 つまり、丁をどう理解するかで多少解釈は分かれるものの、庖という漢字が料理人を意味することは確かである。ところが、ヨーロッパの言語では、ときに庖が肉屋と翻訳されることがある。たとえば、私が昨年夏に邦訳を出したユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)では、この故事が「肉屋の庖丁 butcher Pao Ding」の話として紹介されている(細かいことだが、butcher が「庖」の英訳なら、これは一種の重言だといえる)★4

 また、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールの『象徴交換と死』には、この傾向が一種の食いちがいとしてあらわれている。同書には「荘子の肉屋」という短い章があり、その冒頭に庖丁の故事が引かれている。ボードリヤール自身は(おそらく既存のフランス語訳をつかい)庖を「boucher」つまり肉屋と訳しているのだが、同書の日本語版は、この引用箇所に漢学者による邦訳を用いている★5。そのため日本語版では、はじめの引用には「肉屋」の文字がなく、もっぱら料理人のことが書かれているのに、それを受けたボードリヤールの議論が一貫して肉屋を語るものになってしまっているのだ。これはじつに奇妙な話である。

 この問題はかなり根深く、じつに1881年までさかのぼる。ヨーロッパではじめて『荘子』を全訳したイギリスのフレデリック・バルフォアが、庖丁を「the butcher of the name of Ting」、つまり「丁という名の肉屋」と記しているのだ★6。もちろん、西洋にも庖を料理人とする翻訳はある★7。これはいまでも統一されていない。

 だが私の知るかぎり、中国ではそもそも肉屋か料理人かという問題そのものが存在していないように思う。中国語の伝統にしたがうかぎり、庖丁が料理人なのは自明だからだ。ちなみに肉屋は「屠」という字にかかわっており、「屠夫」や「屠家」などと言われる。

 それではなぜ、西洋では庖を肉屋とする翻訳が生まれたのだろうか? これを単なる誤訳や無知として片づけるのは簡単だが、やはりそれではつまらない。ここでは少し別の考えかたをしてみよう。

2 肉は切らねど骨は断て



 食文化の研究者であるビー・ウィルソンによると、18世紀のイギリスでは骨髄のローストがたいへん流行したという。これは牛の骨をぶつ切りにして焼き、なかの骨髄をすくって食べる料理で、ウィルソンが言うには「骨髄料理用に特製の銀製スプーンが続々発明された」ほどの人気だったらしい★8。しかも一時の流行で終わったわけではなく、のちに定番の料理となった。現在でもイギリスやフランス、イタリアなどの料理をあつかう店で食べることができる。

骨髄のロースト。本稿のためにはじめて食べてみたが、コラーゲンが多く非常に濃厚なのに、きわめてシンプルな味わいだった。有意義な経験ではあったが、率直に言うと、スープやパスタソースの材料にするのがよいと思った。


 そこでつぎのように考えてみてはどうだろうか。おそらく19世紀にイギリスで『荘子』を翻訳したバルフォアもまた、骨髄のローストを食べていた可能性が高い。だとすると、かれは料理人が料理人であるかぎり、技術のよしあしにかかわらず、骨を断ち切らねばならないときがあると認識していたのではないか? そうであるならば、骨に刃を当てないので刀を替える必要がないと語る庖丁のすぐれた技量を、料理人のものとみなすのは少々困難になる。じっさい、いまの私たちの感覚からしても、庖丁が行なっているのは料理ではなく精肉加工である。その意味で、かれは肉屋だと言ったほうがわかりやすいのは事実だ。
 だがその一方で、当時の中国では骨を切って食材にすることはなく、骨から切り離された肉を調理するのみで、たとえば排骨湯のような料理も案外のちの時代に生まれたものだった。だから庖丁のわざを料理人のものと考えて差し支えなかったのではないか──と言うことができれば、話は単純だった。けれども、みなさんもすでにお察しのとおり、この考えは正しくない。なぜなら、西安の空港での発見が示すとおり、遅くとも2400年前には骨つき肉のスープが作られていたからだ。

 これこそが、はじめに「やっかいな事実」と言ったゆえんである。庖丁は、肉をくのではなく骨と肉のすきまに刃をとおすのだと言って、自身の卓越した技術を形容している。いや、正確にいえばそれはもはや技術ではないらしい。かれはただ、牛の身体の筋目に、つまりは「道」という自然の摂理にしたがっているだけだからだ。これはいわば、技術が極限まで洗練されることで半ば自動化し、身体が意図せず勝手に動くような──しかもその動きがきわめてよい結果をもたらすような──境地をあらわしている。それ自体は結構なことだ。

 しかし、かりにも庖=料理人であるならば、庖丁はけっしてそこで止まってはならないはずだ。たとえ肉を割かずに牛を解体してみせたとしても、料理においては、否応なく骨ごとぶった切らなければならない局面があるはずだ。少なくとも、そうしなければ排骨湯を作ることは不可能である。「19年も刀を替えていない」などと言っている場合ではないのだ。

 私がこのように言う理由は、単に中国の料理人が大昔から(どれほど腕がよくても)ときに身体の節目を無視して骨を断ち切らねばならなかったことにかぎらない。むしろ、そもそも当の荘子が、庖丁の故事を肉屋の話として書くこともできたはずだからである。じっさい、よく似た故事が肉屋のものとして記された例がある。たとえば『管子』制分第二十九には、「屠牛坦」つまり牛の解体を生業とする屠夫=肉屋の坦という人物が紹介されている。かれはあっという間に牛を9頭解体しただけでなく、仕事のあとでも刀が鉄を削れるほどに鋭いままであった。しかもその秘けつは「刃がすきまを自在に動く」ことにあるという★9。中国の学者のなかには、こうしたバリエーションの存在を受けて「庖丁解牛の故事は荘子にはじまるものではなく、おそらく以前から民間に伝説があったのだろう」と言うひともいる★10

 とすると、おのずとひとつの問いが浮かぶ。なぜ荘子は、あきらかに肉屋のほうが合っているようにみえる故事を、あえて料理人の話として語ったのだろうか? 私の考えるかぎり、荘子が肉屋ではなく料理人を登場させたのは偶然や気まぐれではない。そこには必然性があるのだ。この点を理解するためには、まず当時の中国における料理人の仕事の範囲を知っておく必要がある。

3 「宰」のあわい:料理はどこから始まるか



 さきほど私は、「君子は庖厨を遠ざく」という孟子の言葉を紹介した。これは文字どおり、君子(徳をそなえたひと)は厨房に近寄らないことを意味している。といっても、もちろんこれは「えらいひとは料理なんかしません」という単純な話ではない。むしろ、孟子の道徳思想のかなり深い部分にかかわっているのである。

 この発言の出所は、『孟子』でも有名な「以羊替牛」という故事だ。これは、儀礼の生け贄とするために牛が連れて行かれるのを偶然見かけた斉の宣王が、「オドオドと恐れている」牛を不憫に思い、代わりに羊を犠牲にするよう命じたというものである。理屈で考えればおかしな話だが(羊は不憫ではないのか?)、しかし孟子はここに「尊い仁(まごころ)への道」があると説く。というのも、王の判断は「牛はご覧になったが、羊はまだご覧にならなかった」という経験の有無に、さらに言うとそうした経験から咄嗟に生じるあわれみの情にもとづいていたからだ。孟子にとっては、原理原則よりも経験と偶然がもたらす感情こそが、道徳の条件として決定的に重要だったのである★11

「君子は庖厨を遠ざく」という言葉は、この話の結論として述べられている。だからその意味は、君子は厨房で動物が殺されるのを目の当たりにし、哀しげな鳴き声を聞いてしまったら、とてもその肉を食べることなどできない、なのでそもそも厨房には近寄らないのだ、ということになる。ここで肉食一般の否定ではなく、殺生の現場を経験しないという解決策が採られているのは、孟子ひいては儒家の道徳を考えるうえで興味深い。とはいえ、私が注目したいのは別の点である。それは、当時の中国では厨房で日常的に屠殺と解体が行なわれていたということだ。
 こんにち私たちは、ふつう屠殺および食肉加工と、加工された肉の調理を別のプロセスだと考える。(私も含む)大半のひとにとって、料理とは加工済みの肉を調達してから始まるものだ。これは多かれ少なかれ近代的な分業の産物といえる。

 もっとも、かつての中国にも一種の分業は存在しており、屠夫と庖の区別はまさにそれにあたる★12。しかしその境界は現代とは異なっている。端的にいえば、屠夫の業務に料理は含まれないが、料理人の仕事は屠殺と解体を含んでいた。このような境界のあいまいさ、より正確にいえば料理人の仕事の広さは、「宰」という文字に象徴的にあらわれている。

「宰」は家畜を殺し、その肉をくことをあらわすが、料理人を意味する単語の一部に用いられることも多い。たとえば「宰殺」は屠殺の同義語であるが、「宰人」や「宰夫」は屠夫ではなく料理人を指す。くわえて、「宰」は切り盛りすること、とくに一定の地位に就いて物事の処理や社会の統治を行なうことを意味する場合もある。「宰相」という言葉はその最たる例だ。

 つまり「宰」という字には、肉を割くこと、料理をすること、そして政治と権力が含まれている。ここで重要なのは、こうした複数の意味がしばしば相互に結びつけられたことだ。たとえば、さきほど挙げた「宰人」は、じつは料理人と役人の両方の意味をもつ。また、刀で肉を割くことを指す「宰肉」は、ときに社会の物事を公平に処理することをあらわすのである。

 こうしたつながりには、ある程度比喩的な側面がある。要は肉を均等にさばくように、公正な政治的判断を下すといった具合だ。けれども、儒家はそのつながりをもっと直接的に考えようとした。つまり、料理人が肉を割くことそのものに、社会的秩序を明確化し、維持するはたらきを見いだしたのである。

4 「自然」の果てに……



 たとえば『論語』郷党第十のなかで、孔子はつぎのような料理や食事の決めごとを語っている。


飯はいくら白くともよく、なます[生の肉や魚の細切れ]はいくら細かくともよい。飯がすえて味が変わったり、魚や肉がくさったりしたら食べない。色がわるくなったものも食べず、においがわるくなったものも食べない。煮方のよくないものも食べず、季節はずれのものも食べない。また、正しく割かれていないものは食べない★13


 腐ったものや変色したものを避けるのは当然である。煮方のよくないものや季節はずれのものを避けるのは、おいしい食事のためには重要なことだ。しかし「正しく割かれていないものは食べない」とはどういうことだろう?

 たとえば南宋の朱熹は、ここで言う正しさとは、規則正しく四角に切り揃えることだと考えた。たしかに中国には、漢の陸続という人物の母が、つねに肉を真四角に切ったという言い伝えがある。だがこの朱熹の解釈は、あまりにきまじめなだけでなく、おそらく正確ではない。じっさい、明末清初の思想家である王夫之の(注釈書を注解したもの)には、このように書かれている。


[朱熹の]『論語集注』に、肉を切るさいには規則正しい方形でなければならないと書いてあるが、これは「割く」が「切る」ではなく[……]「正」が「方形」ではないことを理解していない[……]「正」とは、その箇所が正当であることだ。かつて肉を割くときには[……]それぞれに分け方の道理があった。骨には貴賎があり、たとえば大腿骨は[供物を載せる台]のうえに置かれなかった。また、地位の高いひとは豚や犬の胃腸を食べなかった。[……]俎に供物を置くにも、肩、腕、すね、胃袋、わき、背骨の前側と横側、長短のあばら、倫膚りんぷ[筋目正しい柔らかな肉]、觳折かくせつ[生け贄の後脚]に分かれ、左右の区別もあった。肺にも真ん中を切断しないものとするものがあった[……]これらすべてが、いわゆる「割くことの正しさ」なのだ。★14
 少し長くなってしまったが、ここではふたつのポイントを確認しておこう。まず、古代中国の料理用語では、「割く」と「切る」が区別されている。「割く」とは「豚や牛、羊を宰殺するさいの手足や身体の分解」のことである★15。そうして分解された肉をさらに細かく分けていくのが「切る」ことだ。つまり孔子は、料理人による「宰」の正しさが、それこそ食材の鮮度や旬とおなじくらい重要だと考えていたのである。

 では、その正しさとはなにか。これがふたつめのポイントだ。この引用箇所の後半からは、家畜をどのように割くか、そしてどの部位をだれに分配するかが(少々うんざりするほど)細かく決まっていたことがうかがえる。こうした決まりが守られなかった場合、その肉は「正しく割かれていないもの」とされ、忌避されたのである(これを孟子の「君子は庖厨を遠ざく」と合わせて考えるなら、君子とはいわば自分では厨房に立たないのに切りかたには細かく注文をつけてくるタイプの人間だということになる)。

 割くことの正しさをめぐるこうした細かな規範は、人々の身分や立場のちがいを確認し、社会の秩序を維持するために必要なものとされた。つまりは厨房で肉を割くこと自体がある種の儀礼だったのである。あるいは、『礼記』礼運篇に「礼というものは、まず飲食から始まっている」と書かれているのを踏まえれば、むしろこうした料理の決めごとこそが、儀礼のひとつの起源となったのかもしれない★16

 一方で、こうした儀礼や規範性を人為的なものとして批判し、無為と自然を強調したのが、荘子ら道家である。「庖丁解牛」の故事は、このような文脈のなかで理解しなければならない。

 まず、解体されているのが牛であることが重要だ。すでに確認したように、戦国時代においては、牛は相当かぎられた局面でしか屠殺されなかった。しかも庖丁は、それを王のために行なっている。だからこの場面設定は、あきらかに儒家的な国家の儀礼とつながっている。

 そして原文をじっくり見てみると、庖丁がいちども「切る」という言葉をつかっていないことがわかる。かれは「腕利きの料理人は一年ごとに刀を取りかえますが、それは肉を割くからです」という発言のなかで、ただいちど「割く」と言っているだけである。
 さらにいえば、庖丁自身は割くことを否定している。かれはたくみに肉を割くという「技をこえた」境地に達しているからだ。それは「牛の自然の筋目のままに、大きな隙間に刃を振い、大きな穴にそれをみちびき、牛の体の本来のしくみにしたがって」いくことである。ここでおもしろいのは、「牛の自然の筋目」という箇所の原文が「天理」であることだ。この「理」は、なによりまず筋目や模様を意味しているが、天によって定められた牛ほんらいのことわりのことでもある。要するに、儒家が「宰」は礼にもとづかなければならないと考えたのに対し、荘子は「宰」は自然の理にしたがうべきだと言っているのだ。

「庖丁解牛」の故事は、かれの腕前と哲学に感銘を受けた恵王が、「余は庖丁の話を聞いて、生命を養う道が分かった」と語って幕を閉じる。じつはこの話は、第5回で紹介した「養生」の思想のはじまりに位置しており、そのもっとも重要な原理が説かれたものとされる。それはすなわち、過剰さを避け、自然の理に身をまかせて生きることだ。したがって「庖丁解牛」とは、料理があたりまえのように屠殺と解体から始まる時代に、その原初的なプロセスにおける技術と自然、そして人間の生の関係を見つめなおし、儒家的な料理の儀礼に対抗するために記されたものである。だから庖丁はかならず料理人でなければならないのだ。

 けれども、このような見方は、やはり庖丁の限界を同時に明らかにしてしまう。料理人が料理人であるかぎり、その仕事はまだ先へとつづくからだ。しかし、庖丁がそこに至ることはないのだろう。かれの説く自然への到達とは、いわば肉を割くという技術をつうじた、技術そのものの否定である。それは、あとにつづく技術的プロセス──つまり割かれた骨肉をさらに細かく切ることを、さらには現代の私たちが「料理」と呼ぶ調理の行程を、必然的に消してしまうだろう。結局のところ、料理は自然にはできないからだ。だから、庖丁の哲学はここで止まらざるをえない。

 中国で発見された2400年前のスープが液体のままだったのは、おそらくかなえに頑丈な蓋がついていたからだ。しかしスープのなかに具材が残っていたのは、骨が容易には分解されない異物だからである。この太古のスープは、まるで分解されない骨のようにやっかいでままならぬ技術的現実を、そして「庖丁解牛」が抱える料理人の哲学としての端的な不十分さを、私たちにつきつけている。

5 排骨湯の作りかた



◯食材
・豚肉のスペアリブ 500〜600g
・人参 1本
・蓮根 1本
・しょうが(スライス) 3枚
・なつめの実 2、3個
・枸杞の実 10個

◯調味料
・塩

おもな材料
下準備

・人参はひと口大に切り、蓮根は 2-3cm 程度の厚切りにする
・豚肉に下味をつける
※文量外の塩胡椒や紹興酒など、方法はお好みで。今回は塩麹を用いた。

炒め

・滑鍋を行なう(第1回参照)
・しょうがと豚肉を炒め、肉の表面に焼き色をつける
※これはリソレ(rissoler)と呼ばれるフランス料理の技法で、煮込みのさいにうまみが肉から流出しないように閉じ込めるためのもの。中国語でこれに該当する用語があるのかはわからないが、煮込み料理のレシピで「ちょっと炒める」(翻炒一下)とよく見かけるのがそれだと私は理解している。

 


煮込み

・鍋に1500cc 程度の水を入れ、強火で沸騰させる。肉を炒めた中華鍋をそのままつかってもよいし、土鍋などほかの容器に移してもよい

 
・アクを取ってから野菜を入れ、ふたたび沸騰させる
・沸騰したら弱火にして、なつめ、枸杞の実、塩を入れ、蓋をして40分ほど煮込む
・人参に軽く箸が刺さるくらいになったら、味見をしつつ微調整をする

 


 


 スーパーでふつうに買えるスペアリブは、やや大きめに切ってあるのが一般的だが、それをさらに細かく切るかどうかは個人の裁量にまかせたい。レシピを作るなかで、私も自分の中華包丁で何度か切ってみたが、なかなか切れないだけでなく、骨が欠けてしまうこともあって難儀した。つかう包丁によっては刃こぼれのリスクもあるだろう。もちろん、安全にもご注意いただきたい。

 野菜や香辛料は基本的に自由なので、いろいろとお好みで試してみてほしい。私の印象では、人参や蓮根のほか、とうもろこしや山芋などもよくつかわれる。また、党参とうじん沙参しゃじんといった中国人参をくわえれば、たちまち薬膳料理になるだろう。

***
 はじめに書いたとおり、西安の空港で発見された青銅器は2点あった。ひとつはスープが入ったかなえだったが、もうひとつは酒器だったという。次回は酒の話をしよう。

写真=編集部 撮影場所=渋谷キッチンスタジオ

 


★1 “咸阳一战国青铜鼎发现半鼎狗肉汤 密封完好(图)”,《搜狗新闻》2011年4月1日。URL= http://news.sohu.com/20110401/n280089347.shtml
★2 桂小蘭『新装版 古代中国の犬文化──食用と祭祀を中心に』、大阪大学出版会、2020年、77−96頁。とりわけ、92頁の表5を参照。
★3 『荘子 内篇』、福永光司、興膳宏訳、ちくま学芸文庫、2013年、98-99頁。訳文は一部変更している。
★4 ユク・ホイ『中国における技術への問い──宇宙技芸試論』、伊勢康平訳、ゲンロン、2022年、151頁。
★5 Jean Baudrillard, L'échange symbolique et la mort (Paris: Gallimard, 1976), p. 187. 邦訳はジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』、今村仁司、塚原史訳、ちくま学芸文庫、1992年、290-294頁。なお、原文には『荘子』仏語訳の出典が書かれていない。
★6 The Divine Classic of Nan-hua; Being the Works of Chuang Tsze, Taoist Philospher, tr., Frederic Henry Balfour (Shanghai and Hong Kong: Kelly & Walsh, 1881), p. 32. このタイトルは、『荘子』の別名である「南華真経」を英訳したものである。
★7 たとえば以下を参照。Zhuangzi, The Complete Works of Zhuangzi, tr. Burton Watson (New York: Columbia University Press, 1968). また、バルフォアの翻訳とほぼ同時期の1891年に刊行されたジェイムズ・レッグの英語訳も、庖を一貫して cook と訳している。レッグの訳文は、「中国哲学書電子化計画」に収録されており、閲覧できる。 URL= https://ctext.org/zhuangzi/nourishing-the-lord-of-life ちなみにバルフォアの翻訳では、本文の引用箇所にある「腕利きの料理人」(良庖)と「普通の料理人」(族庖)という言葉が、それぞれ "good cook" "inferior cook" とされている。つまり庖という字が肉屋と料理人の両方に訳されているのである。この不統一さは、ヨーロッパの翻訳に生じている「肉屋か料理人か」という問題の起源として、象徴的である。
★8 ビー・ウィルソン『キッチンの歴史』、真田由美子訳、河出書房新社、2014年、230頁。
★9 遠藤哲夫『管子(中)』、〈新釈漢文体系第43巻〉、明治書院、1991年、 534頁。ちなみに本文で「鉄を削る」とした箇所の原文は「莫鉄」だが、一説ではこれは「銻莫」と表記し、剃毛を意味するという。いずれにせよ切れ味の鋭さをあらわしているので、どちらを採ろうが解釈のうえで大きな問題はない。とはいえ剃毛の場合、いったい何の毛を剃るのだろう? 人間の体毛であれば(衛生的な面で)ほとんど命がけの切れ味検証と化すが、私はおそらく牛の毛の可能性が高いと思う。『礼記』祭義篇に記されているとおり、牛の耳の毛はもっとも貴重な供物の一種とされていたからだ。
★10 孙绍振,“从宰牛之举重若轻到养生之顺道无为──读《养生主・庖丁解牛》”,《语文建设》2019年第4期,第52页。
★11 『孟子(上)』、小林勝人訳注、岩波文庫、1968年、52-55頁。
★12 庖(あるいは庖人)と屠夫、もしくは料理人と肉屋を区別するものは、仕事の内容や範囲だけでなく、身分の相違もある。のちほど本文で触れている「宰」の字が示すとおり、料理人はしばしば一定の地位をもって政治的な組織のなかに組み込まれた。だがその一方で、当時の中国では、屠殺を専門とする肉屋が総じて卑しいものとされたのである。「屠沽とこ」という言葉はその一例だ。これは屠殺を生業とし、ときに酒や軽食もあわせて売るひとのことだが、同時に卑しい職のひと一般を指す場合もある。
★13 『論語』、金谷治訳注、岩波文庫、1999年、191-192頁。訳は一部変更している。
★14 程树德撰,程俊英、蒋見元点校,《论语集释 第二册》(北京:中华书局,1990年),第692-693页。
★15 杨伯峻译注,《论语译注》(北京:中华书局,1980年),第109页。
★16 竹内照夫『礼記 上』、明治書院、1971年、339頁。
 

伊勢康平

1995年生。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。専門は中国近現代の思想など。著作に「ユク・ホイと地域性の問題——ホー・ツーニェンの『虎』から考える」(『ゲンロン13』)ほか、翻訳にユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)、王暁明「ふたつの『改革』とその文化的含意」(『現代中国』2019年号所収)ほか。

1 コメント

  • Hiz_Japonesia2023/04/25 10:28

    石田先生の記事にコメントした勢いで書いてしまいます。いま、ユク・ホイ著/伊勢康平訳『中国における技術への問い:宇宙技芸試論』(ゲンロン)を、kindleのAI音読ですこしずつ読み?進めています。この記事は、①『荘子』庖丁話にまつわる具体的な考察としても②実際に自分が仕事や生活で置かれている技術的環境とそれに対する哲理や倫理(道)を希求することのメタファーとしても③自然科学の「法則」と料理の「レシピ」がどこか似ているのでは?と思っていた問題意識への似た視点からの省察としても、とても興味深いものでした。訳書を読了したら、シラスの番組に併せて感想を書きます。謝謝。

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