「彼女の言うことはすべて正しい」──ゲンロンカフェ10周年記念! 土居伸彰×土居(有上)麻衣夫妻インタビュー

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webゲンロン 2023年5月26日配信
──ゲンロンカフェは今年で10周年を迎えました。そのなかでも最もハッピーな出来事のひとつが、アニメーション研究者でニューディアー代表の土居伸彰さんと、カフェのフロアマネージャーだった有上麻衣さん──今日は旧姓で呼ばせていただきます──のご結婚です。おふたりの出会いはゲンロンカフェでした。今日はカフェ10周年を記念して、そんなおふたりへのインタビューをしたいと思います。なんと昨年10月に生まれたお子さんも連れてきていただきました。 

土居 ほんとうにこれが10周年記念でいいんですか(笑)。 

有上 わたしもここに来るまでドッキリかと思っていました(笑)。 

 

ゲンロンカフェとふたりの出会い


──まずはおふたりがカフェに関わるようになった経緯からお聞きしたいです。 

有上 わたしはじつはオープンしてすぐに来ています★1。 

──そうだったんですか! それはすごい。 

有上 カフェがオープンするまえにワタリウムで開催された、Chim↑Pomの『ひっくりかえる展』のトークがきっかけで友の会に入りました。そこで東さんが福島観光地化計画の話をしていて、すごくおもしろいなと思って。その直後がカフェのオープンだったので行ってみたんですけど、当時女子大生だったわたしはけっこう浮いてしまって……。 

──お客さんの男性比率がすごく高かったですからね。 

有上 女性のお客さんはわたしを含めて2人か3人くらい、女性の店員さんもひとりくらいでしたね。途中で店員さんに「大丈夫ですか、居心地悪くないですか」と声をかけられたくらいです(笑)。それで足は遠のいたんですけど、その後もイベントは放送で見ていました。 

 

──土居さんの初登壇はいつだったのでしょう。 

土居 ぼくが最初に登壇したのは2014年でした。もともと上田さんと早稲田の演劇博物館時代からの知り合いで、そのつながりで誘っていただいた。当時、同世代のアニメーション作家たちとともにDVDレーベルを作ってグループ活動をしており、梅沢和木さんに聞き手をお願いしてインディペンデント・アニメーションについて話しました★2。 

──そのとき有上さんはもうスタッフだったんですか? 

有上 いえ、わたしがカフェで働きはじめたのは2015年からでした。きっかけになったのは利賀村です★3。わたしは平田オリザが主宰する劇団「青年団」で制作をしていて、2014年の夏に稽古で滞在していたんです。そのとき、上田さんがオリザさんたちと一緒に「利賀演劇人コンクール」の審査員をしていて、青年団の稽古見学にも来てくださった。当時は「ゲンロンのひとが来ている!」と思いつつ、話しかけられずにいました。コンクールの講評会では、演出家と審査員が意見を対立させるシーンもあり、対話も多くすごく面白かった。それで、秋にオリザさんがカフェに登壇したときに★4、観客として久しぶりにカフェに足を踏み入れました。そのすぐあとに経理の募集があり、関わってみたい、なにか役に立てることがあればと思って応募しました。 

──カフェスタッフへの応募ではなかったんですね。 

有上 「事務仕事をなんでもやるぞ」というつもりで面接に行きました。面接してくださったのは東さんと上田さんと徳久さんの3人で、志望動機などを一通り話したくらいのところで、「じつはカフェでも働いてくれるひとを探しているんだ」と提案がありました。 

──当時は坂上秋成さんが店長を辞めたあとで、わたし(上田)もお店に立っていた時期でした★5。カフェが大きくなることができたのも、有上さんのように店を任せられるひとが出てきたからだと思います。 

有上 企画を考えたり、表に立ったりが得意なひとはきっといたんでしょうけど、準備する側が向いているタイプはあまりいなかったのかもしれないです。でも、わたしも最初から経験があっていろいろできたわけではありませんでした。ちょうどゲンロンから一度ひとがいなくなり★6、また増やしていくタイミングでもあったので、カフェの成長とあわせてわたしもすこしずつスキルを身につけていくことができた。来場者もニコ生の視聴数もだんだん増えてくる時期で、そこにちょうど自分自身もうまく乗れた感じです。

──土居さんは当時、観客としてはイベントを見られていたのでしょうか。 

土居 それがじつは、結婚してからそれ以前の記憶がまったくなくて……。 

──もう「結婚してからの人生」しかない!(笑) 

土居 本当にそうなんです(笑)。ただがんばって思い出すと、佐々木敦さんとロロの三浦直之さんのイベントなどは現地で見ていました★7。佐々木さんはぼくの『個人的なハーモニー』の刊行イベントでも対談させていただいて★8、ぼくが有上さんをちゃんと認識したのはそのときです。イベントの担当だったのが有上さんでした。 

 
 

有上 わたしが土居さんのことをきちんと知ったのもそのイベントでしたね。 

 

コロナ禍と犬がつないだ縁


──ふたりがお付き合いをはじめたのは2020年にコロナ禍が始まって以降だと伺いました。 

土居 はい。コロナ禍の直前まで、ぼくは自分の会社「ニューディアー」で、かなり無理をして働いていました。暴飲暴食しながらまったく気が休まる暇もないままに仕事をしていたので、2019年にはあるイベントの開幕直前に完全にダウンしてしまい、埼玉の山奥の療養施設に自主入院したくらいです。10日間くらい完全にネットを断って、毎日マッサージと温泉に行く生活をしてなんとか復帰しました。コロナがなかったらぼくはほんとうにやばかったかもしれません。 

有上 当時、わたしにとっても土居さんのイメージは、Twitterによく「また床で寝てしまった……」と投稿しているひとでした。もうひとつ、カフェのアフターで「彼女ができない」と漏らしていた姿も印象に残っています(笑)。

土居 お酒がだいぶ入っていたので……(笑)。話を戻すと、そんな限界状況がコロナによって一変し、いろいろな企画やイベントが中止になった結果、落ち着く時間ができたんです。有上さんとはそれまで仕事で連絡をとっていたこともあり「コロナでお客さんも来ないし、イベントも潰れるしで大変ですね」と食事にお誘いしたのが最初でした。外に出なくなって寂しくなったというのもありました。 

有上 わたしもコロナで演劇の仕事がなくなっていたし、首を痛めて療養していたところでもあったので、「暇だし行くかな」と。最初はほんとうに、イベントをやっている人間としてコロナ以降どうしていくかを情報交換し、「お互い大変ですけどがんばりましょうね」とご飯を食べる会でした。それから「もう1回ご飯行きませんか」というお誘いがあり……。 

──かなり積極的ですね。 

土居 彼女をいいなと思っていたので。結婚したのは付き合いはじめてから1年くらい経ったころですね。きっかけはぼくが犬を飼いはじめたことでした。お互いに犬好きだったのが大きかったですね。 

有上 あるとき土居さんが「犬を飼いたい」と言いだしたのですが、どんな犬が欲しいかは決まっていないようだったので、いっしょに保護犬情報を集めたり、ドッグカフェに行ったりしました。 

土居 そこでぼくがビーグルに一目惚れして、のちに「アステ」を飼うことになりました。 

 
 

有上 子犬を飼われるとどうしてもわたしは通ってしまう(笑)。ずっと一緒にいたくなるから、「同棲しよう」という話になって、いま住んでいる家に引っ越しました。そのときにはもう、結婚することは決まっていましたね。 

──土居さんが有上さんとの結婚をFacebookで発表したときの、「麻衣を愛しつづけます」という宣言のような投稿は忘れられません★9。 

土居 ちょうど『シン・エヴァンゲリオン劇場版:‖』を観たタイミングだったんです。ぼくがはじめてハマったアニメは『エヴァンゲリオン』のTVシリーズで、当時は主人公の「シンジ」と同じ14歳でした。『シン・エヴァ』のラストで、大人になったシンジくんがパートナーのマリとともに駅の外に駆け出していく。その姿に自分を重ね合わせて感極まっていました。

ゲンロンカフェは先駆者だった


──いまはニューディアーもふたりで経営されているんですよね。 

有上 そうです。興行の仕事に関わっていると、文化をお金にして従業員を雇って会社として経営するということが、いかに奇跡に近いことかがよくわかります。 

土居 そもそもぼくが会社を立ち上げようと思ったきっかけのひとつは、ゲンロンの事業でした。東さんは東大の表象文化論の大先輩で、ぼくが大学院生のころはみなが『動物化するポストモダン』を取り上げる時代でしたが、直接のつながりは全くありませんでした。そもそもぼくは『動ポモ』とはちがうタイプのアニメーションを研究していたし、それに東さんは、ちょっと怖いイメージでした(笑)。 

 それでも東さんがゲンロンを続けているのを見て、「文化を事業にしてやっていけるんだな」と思わせてもらえた。当時は大学院の先輩を見ていると、基本的に大学に就職するという進路しかなく、しかもそのポストも枯渇してきていたんです。そんななか、ゲンロンカフェをはじめ、佐々木敦さんのHEADZや樋口泰人さんのboidが★10、外に開かれた文化的なイベントを成立させていた。その姿に背中を押されました。 

──会社を立ち上げるとき、具体的なビジネスモデルはあったのでしょうか。 

土居 海外の長編アニメーションの配給、新千歳空港国際アニメーション映画祭やひろしまアニメーションシーズンのような国際的なアニメーション映画祭の運営★11、それに自主イベントと執筆で、自分ひとりぶんくらいの稼ぎはできるだろうとは考えていました。ただ認識が甘かった部分もあって、たとえばぼくは「経費」は申請をすれば無限に降ってくるものだと思っていたんです。 

──つまり、補助金のように「申請したら返ってくる」と思っていた? 

土居 そうです。ところがその申請先は自分の懐だった(笑)。ほかにも、日本では小さい会社を立ち上げるときにゼロ金利に近い融資を受けられる優遇措置があるんですが、身の丈に合っていないお金をどんどん借り、「自分はいま無限にお金を持っている」という幻想にとらわれてしまいました。 

 その結果、気づいたら「今月の生活費がない!」という事態に陥っていました。助成金をもらってイベントを開催したりもしましたが、肝心のお客さんが来なくては黒字にはならない。ギリギリの状態で働かないととても生きていけませんでした。 

 そんな会社がようやく黒字になったのは3年目の2018年くらいからです。東さんがゲンロンの経営理念について書かれた「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」をリアルタイムで読み★12、事務的な運営は大事だと共感したのを覚えています。 

有上 でもいざ付き合ってみると、すごく忙しいひとだと思っていたのにめちゃくちゃ暇そうなんです! ベランダで植物を育てたり、すごく凝った料理本を買ったり、寝るまえに1時間くらいストレッチをしていたり、傍から見ていると「もうちょっと働いた方がいいんじゃないか」とだんだん不安になってくるくらいで……。 

土居 コロナ禍でしたからね(笑)。ただ重要なのは、それでも会社が黒字になっていることです。あとから考えると、コロナ禍以前にやっていた自主企画が、いかにコストに見合っていなかったか。 

 仕事を続けるうちに業界全体についても強く意識するようになりました。アニメーションの世界で、経済圏をちゃんと作らなければいけない。最近、すこし上の世代のひとと話していて、「最近の若いひとは覚悟がないから、お金にならないとすぐにやめちゃう」と言われたことがあります。でも、それは日本経済が豊かだったころを知る世代だから出てくる言葉ですよね。いまではそれをモデルケースにはできないし、変わりゆく経済状況を踏まえながら戦略を考えないといけない。でないと文化は死んでしまう。 

 文化が続くためには、作り手だけではなく、お金を払ってくれるひとのコミュニティもしっかりなければいけない。ゲンロンが「観客」の重要性を理念にして、「友の会」という組織とビジネススキーム作っていることは、まちがいなくひとつの良い例だと思います。ぼくにとってはひとつの衝撃でした。 

 

──ニューディア―が映画祭のプロデュースやディレクションを手掛けているのもコミュニティづくりの一環なのでしょうか。 

土居 そう言えるかもしれません。ただ矛盾するようですが、映画祭のキュレーションは金銭ではない尺度で作品の価値を提示するものでなければならないと思っています。映画祭で流れる短編アニメーションのコミュニティは小さな人間関係のなかで回っていて、実写と比べてヒエラルキーがなく、アヌシーのような大きな映画祭でもレッドカーペットすらありません。立場や国にかかわらず平等で、大物ともすごくフランクに話せます。僕は理想的なコミュニティのあり方のひとつであるとさえ思っています。 

 しかし好きなひとで集まっているということは、それだけではお金にもならないということでもあります。その点で、これはゲンロンとは違うところだと思いますが、ぼくは補助金には反対ではありません。ぼくが研究していたユーリー・ノルシュテインは国営スタジオの公金で制作をしていたし、ヨーロッパの映画祭文化は補助金なしでは成立しない。もちろん、たんにお金を垂れ流すのではなく、良いコミュニティを持続させるためにどう活用するか考えるのは大事です。たんなる収支だけでなく、公金との関係という点でも、お金にはシビアでないといけないですね。 

 

家庭と仕事を両立する


土居 いま、ニューディアーの売上の大きな部分を占めているのは、ひろしまアニメーションシーズンなどの文化イベントの運営です。去年のひろしまでは身重の彼女にもかなりがんばってもらっていました。 

有上 文字通り朝から晩まで働きました(笑)。とはいえ、もともとわたしは結婚や出産をしても仕事を続けたかったので、仕事と家庭が一体化したいまの状態はありがたいと思っています。 

 
 

──映画祭は海外とのやり取りが多く労働時間が不規則になりがちでしょうから、家族で運営をしていると分担がしやすいのかもしれませんね。 

土居 それもコロナ禍が大きいです。もともと海外や地方とのやりとりはリモート中心でしたが、東京のミーティングもオンラインが増えて、家でできることが増えました。映画祭では絶対に出張しなければならないですが、そういうときは家族全員で現地に行っています。 

有上 仕事だけではなく、育児も基本的には50%ずつで分担しています。変な言いかたかもしれませんが、いっしょにアステを育てたのも結果として育児の予行練習になり良かったです。いまでは、子どもの面倒を見るのと犬の散歩を、完全にシフト組んで交互にやるようにしています。 

 最近は社会全体の空気が変わっていて、わたしの周りでも育休をとっている男性がすごく多いし、夫婦両方で育児をするんだというムードがありますね。具体的に助かるものとしても、ミルク製品はかんたんでいいものがありますし、便利グッズやアプリもたくさんある。分担は昔よりもしやすくなっていると思います。 

──公私ともに順調なのが、おふたりとお子さんの様子から伝わってきます。 

有上 ありがたいことに、いまは会社も上向きです。 

土居 子どもが生まれてから仕事のモチベーションについても完全にモードが変わりました。これまでは「自分の見せたいものを見せる」ということが多くを占めていたのですが、いまは「家族のためになんとしても稼がなければ」と。具体的には、床暖房がある家に引っ越したい。

──それは具体的ですね(笑)。 

有上 アステが床暖房が好きなんです。出張での宿泊先に床暖房があって、すごく幸せそうにしていて。 

土居 これからはお金になる仕事の精度を上げたいと思っています。じつはいま、天下の東映アニメーションとのプロジェクトが動いています。以前いっしょに『マイエクササイズ』というゲームを作った和田淳監督のミニアニメーションシリーズ『いきものさん』が、深夜枠で全国ネット放送されます★13。 

──それはすごい! 

土居 東映アニメーションの新規IPを担当するチームに、ニューディアーのイベントに来てくれていたひとが入り、いっしょに企画をしようということになりました。それで分かったのは、大きな会社で働いているひとにも、インディペンデント系の上映に来てくれていたひとが意外と多くいるということです。ぼくがかつて事務所の床で寝ながらも続けていた、お金にならなかった自主イベントが、結果的に種撒きになっていた。『いきものさん』の営業のため、映画祭での和田さんの評価を知らない人に映像を見せる機会が多いのですが「めちゃくちゃ売れそうじゃん!」と言われたりします。マーケットに乗りづらい短編アニメーションを作っているだけだとなかなかたくさんの人の目に触れることはないですが、フォーマットを変えてみれば、作風はそのままでも一般化できるポテンシャルはある。その手応えから、最近は短編作家にシリーズや長編のフォーマットに挑戦してもらう機会を多く作りたいと考えて動いています。 

 

ゲンロン読者へのメッセージ


──最後に、webゲンロンの読者に向けてメッセージをいただきたいです。 

有上 ゲンロンカフェ10周年企画ということで、わたしからはカフェで働いていて印象的だったことをお話しします。5年間フロアマネージャーをやっていたので、いろいろなイベントが記憶に残っています。入社して真っ先にやらせてもらった演劇のイベントももちろんですし、批評再生塾とSF創作講座にもすごく思い入れがあります★14。 

 なので絞るのはとても難しいのですが、それぞれの世界のひとがどういうひとかを、肌で感じられたことはとても勉強になりました。たとえば政治家の柿沢未途さんが登壇されたときには★15、いちスタッフであるわたしに、挨拶で握手を求めて手を差し出してくださったんです。すごくびっくりしてしまったんですが、向こうもこちらが驚いたのはわかっていて「これが政治家なんですよ」とおっしゃった。そういうことはポスターとかを見ているだけではわからないので、はっとしました。ほかにも、社会学者のオンオフのギャップとか、小説家にはその小説家らしいメールの文体や話し方があるなとか、ひとつひとつが面白かったです。 

 登壇者のそれぞれをとっても、ある方にいつもどおりワインをサーブしようしたら「そこまでしていただかなくてもいいです。自分で注ぎます」と言っていただいたり。そういう人となりが知れた瞬間は、やはりひとつひとつ心に刻まれていますね。 

──ありがとうございます。10周年にふさわしいお話が聞けました。 

有上 わたしは結婚前のことも覚えていますから(笑)。ゲンロンカフェでの経験は何ものにも代え難い財産ですし、仕事も結婚も自分の人生とタイミングが合ってよかったと思っています。 

──土居さんからもメッセージをいただけますでしょうか。 

土居 「自分がいま大事だと思っていることは、じつはそこまで大事じゃないこともある」。これを伝えたいです。文化に携わっていると、自分が推している作品や作家こそが価値のあるもので、それが自分のアイデンティティなのだと思いがちです。でも、妻や、犬や、子どもと暮らしはじめると、「彼らにとっての自分」こそが一番になってくる。これまで作ってきた自分を捨てる、ということではなくて、優先順位を変えることで見えてくるものもあるということです。自分の好きなものも、より客観的にその価値を見つめ直すことができる。 

──深いですね。 

土居 あとは「ご飯の趣味が合う」。これも大事なことだと思います。 

──どういうふうにご飯の趣味が合ったのですか? 

有上 ふつうに野菜が好きとかですかね? 

土居 ちゃんと素材を生かしたものを美味しいと思えることですね。 

──土居さん、昔はジャンクフードが好きだったはずでは……? 

土居 若いときは激辛とか特濃とか、とにかくすべての食事に対して刺激と脂を求めていました。いまでもジャンクフードも好きですが、そのときどきに、自分の身体が欲しがっているものに目を向けることができるようになりました。 

ゲンロンカフェ初登壇時の土居伸彰。当時は刺激と脂を求めていた

──有上さんが土居さんのすべてを変えてしまったのですね。 

土居 ほんとうに彼女が言っていることはすべて正しいですから。それまで自分についていた悪霊が、お祓いされて葬り去られた感じです。 

有上 わたしはふつうのことを言っているだけです。締め切りは守りましょうとか、一日は24時間です、とか(笑)。 

土居 彼女はめちゃくちゃちゃんとしてるんですよ。ぼくは「このプロジェクトをやりたい」と思ったら、一時的な情熱で現実的なことを考えずにやってしまい、結果、大変なことになる。ところが彼女はいつもびっくりするくらい冷静で、ぜんぜんブレない。 

有上 土居さんはどんどん仕事を引き受けちゃうところがあって、客観的に見たらだれもが引き受けすぎと思うレベルだったはずです。ただ土居さんは、それを整理して考える時間もなければ、周りの言うことを聞く余裕もなかった。けれど、わたしには相談してくれて、聞く耳も持ってくれた。それだけです。 

──有上さんだけが土居さんの心を開かせることができた。 

土居 人生が変わりました。 

──まったく謙遜せず全肯定なのが素晴らしいですね。 

土居 ほんとうにそうなんだから仕方ないです。 

──幸せを分けていただいた気がします。ちがう世界にいたふたりの人生が交わり、豊かなものになっていったことも、多様な人びとが交流するゲンロンカフェならではの出来事だったのかもしれません。本日はどうもありがとうございました。 

 
 

 

2023年3月8日 
東京、ゲンロンカフェ 
構成・注・撮影=編集部

 


★1 ゲンロンカフェのオープニングイベントは2013年2月1日に行われた。当初はイベントスペースとしてだけでなく、通常のカフェとしても営業していた。 
★2 大山慶×土居伸彰(司会 = 梅沢和木)「世界をつなぐ短編アニメーション──独立系作家集団CALFのプライベートかつパブリックな活動」、2014年7月13日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20140713b/ 
★3 演出家の鈴木忠志が主宰する劇団SCOTの拠点、富山県南砺市利賀村のこと。国際演劇祭「SCOTサマー・シーズン」(旧称「利賀フェスティバル」)が毎年開催されているほか、本文に登場する「利賀演劇人コンクール」(現在は「演劇人コンクール」として平田オリザが引き継いでいる)など、さまざまな公演やイベントが行われる「演劇の聖地」として知られる。ゲンロンでは2016年秋に2泊3日のイベント「利賀セミナー」を開催。その模様は『ゲンロン5 幽霊的身体』に収録されている。 
★4 平田オリザ×東浩紀(司会 = 内野儀)「日本は『芸術立国』になれるか──文化から社会を変える」、2014年11月3日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20141103/ このイベントは「webゲンロン」で鼎談記事として公開されている。(前篇URL= https://webgenron.com/articles/ge016017_02/ 後篇URL= https://webgenron.com/articles/ge016017_03/) 
★5 初期のゲンロンカフェには「店長」という役職が存在し、批評家・小説家の坂上秋成は2013年11月から翌年1月にかけて店長を務めた。坂上を最後にこの役職は廃止され、イベントを管理運営する「フロアマネージャー」に置き換わった。 
★6 有上が入社した2015年は、年始にスタッフが東、上田、徳久の3名まで減った時期であるとともに、後出のゲンロンスクールが開講しカフェの事業が拡大した年でもある。その経緯は以下に詳しい。『ゲンロン戦記』、中公新書ラクレ、2020年。 
★7 三浦直之×佐々木敦「『あなた』と構築する世界の物語──ロロと演劇の魔法」、2017年1月25日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20170125/ このイベントは批評家の佐々木敦をホストに迎えたシリーズ「ニッポンの演劇」の第8回にあたり、有上は同シリーズの担当だった。 
★8 佐々木敦×土居伸彰「アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで──『個人的なハーモニー』(フィルムアート社)刊行記念イベント」、2017年1月31日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20170131/ 
★9 URL= https://www.facebook.com/nobuaki.doi.9/posts/10224402344875444 
★10 HEADZは佐々木敦が主宰する音楽レーベルで、1995年に立ち上げられた。イベントの主催や出版も行っており、現在は東京三鷹にイベントスペース「SCOOL」を運営している(吾妻橋ダンスクロッシングとの共同運営)。boidは1998年に映画・音楽評論家の樋口泰人の個人レーベルとして発足し、2008年に法人化。現在は映画の配給・上映、CD製作、書籍の編集・出版等の事業を行なっている。 
★11 新千歳空港国際アニメーション映画祭は2014年にスタートしたアニメーションの国際映画祭。すべてのプログラムが空港内で行われることが特徴で、土居は初回から2021年の第8回まで企画・運営に携わった。ひろしまアニメーションシーズンは2022年に、2020年に終了した広島国際アニメーションフェスティバルの後継としてスタートした映画祭で、土居はプロデューサーを務めている。 
★12 ゲンロン社内のトラブルを受けて2018年12月に東浩紀が記したエッセイ。現在は『テーマパーク化する地球』(2019年)に収録されている。 
★13 スマートフォン・PC用のゲーム『マイエクササイズ』を原作とした短編アニメーション。東映アニメーションの製作で、アニメーション作家の和田淳が監督を務める。2023年7月よりMBS/TBS系全国28局ネット「スーパーアニメイズム」枠おしりにて放送開始予定。 
★14 いずれもゲンロンが運営する通年の事業「ゲンロンスクール」のひとつ。佐々木敦が主任講師を務める「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」は2015年にスタートし、2018年の第4期まで開講された。書評家・翻訳家の大森望が主任講師を務める「ゲンロン 大森望 SF創作講座」は2016年にスタートし、2023年で第6期を数えている。 
★15 柿沢未途×竹田圭吾×西田亮介「政界再編第2章──安保法案、都構想、落選運動」、2015年10月14日。URL= https://genron-cafe.jp/event/20151014/
【予告】土居伸彰×東浩紀「新海誠をめぐる対談(仮)」 
  
 本インタビュー収録後に突発的に行われた、土居さんと東による新海誠にまつわる対談記事が近日公開予定です。ぜひご期待ください。 
 

土居伸彰

1981年東京生まれ。株式会社ニューディアー代表、ひろしまアニメーションシーズン(ひろしま国際平和文化祭 メディア芸術部門)プロデューサー。アニメーションに関する研究、執筆、配給、イベント企画運営、プロデュースおよび制作に携わる。国際アニメーション映画祭での日本アニメーション特集キュレーターや審査員経験多数。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』、『21世紀のアニメーションがわかる本』(いずれもフィルムアート社)、『私たちにはわかってる。アニメーションが世界で最も重要だって』(青土社)、『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書、2022年10月発売)。2023年7月より企画・プロデュースするTVシリーズ『いきものさん』(和田淳監督)が、MBS/TBS系 全国28局で放送。

土居麻衣

1988年生まれ。株式会社ニューディアー取締役、舞台芸術・イベント制作者。2014年より劇団「青年団」/こまばアゴラ劇場制作。2015年よりゲンロン カフェ/ゲンロンスタッフ。2021年より株式会社ニューディアー取締役に就任、舞台芸術や文化イベントのほかアニメーション事業に携わる。
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