異常論文のこと|樋口恭介

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ゲンロンα 2021年11月10日配信
「異常論文」をご存じでしょうか? はじめ『SFマガジン』で特集されたその論文=小説集は、ハヤカワ文庫より書籍版も刊行され、大きな話題となっています。その謎を解き明かすべく、本日11月10日、ゲンロンカフェで編者の樋口恭介さん、小川哲さん、東浩紀によるイベント「『異常論文』から考える批評の可能性」が開催されます。
 イベントに先立ち、「異常論文」の舞台裏を記す樋口さんのエッセイを公開いたします。経緯からして「異常」なプロジェクトの一端を、軽妙な文章とともにお楽しみください。なお本エッセイは『ゲンロンβ67』にも掲載予定です。(編集部)
小川哲×樋口恭介×東浩紀「『異常論文』から考える批評の可能性──SF作家、哲学と遭遇する」(URL=https://genron-cafe.jp/event/20211110/
 
『異常論文』プロジェクトはそのほとんどがTwitter上で進行した。そのため企画書や議事録やメモやその他中間成果物はまったく残されていない。Twitterを検索すればその足跡のいくつかは辿れるが、その過程で何度かバズってしまったのでノイズが多く、体系的に全体像を把握することは難しい。人選の意図や公募の過程などは私の頭の中にしかなく、記録がまったく残されていない。誰に需要があるのかはよくわからないが、どこかに残しておくことには何かの意味があるのではないかと思い、ここに筆を執った次第。

 はじまりは2020年の9月頃のことだった。私は家族で下呂を観光していた。私は名古屋に住んでおり、当時の東海地方はCOVID-19の被害が比較的穏やかだった。2月頃から8月頃まではCOVID-19の感染リスクがよくわからなかったので外出を自粛していたが、その頃には対策をすればそこまで怯える必要があるわけでもないということがわかってきていた。まだデルタ株などの変異株が現れる前のことだった。これは本筋とは関係ない話かもしれない。

 旅先で、『SFマガジン』2020年10月号を読んだ。柴田勝家の論文形式の小説「クランツマンの秘仏」がおもしろかった。柴田勝家は以前より、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」など、論文形式の傑作を書いていたので、もっと読みたいと思った。そのあたりで、伴名練が日本SFの知られざる傑作短篇をまとめたアンソロジー『日本SFの臨界点』を出していたのも大きかったかもしれない。柴田勝家に加え、石黒達昌や円城塔の架空論文形式の小説をまとめたアンソロジーがあるといいと思った。私はTwitterのヘビーユーザーであり、思いついたことを思いついたままにツイートする癖がある。そうしてそのまま「異常論文アンソロジー読みてぇ」というようなことをツイートした。ちなみに「異常論文」という名づけはTwitter上で流行っていたインターネットミームからの影響が大きい。「異常独身男性」とか「異常中年男性」とかいう、アレだ。それ自体には特に意味はないが、私のタイムライン上では様々な名詞の上に「異常」という形容詞をつけることが流行っていた。「異常論文とは単なる悪ノリにすぎない」という批判を目にすることがあるが、それは当たっており、「異常論文」という言葉はそのように、本当に、ネット上の些細な悪ノリから生まれている。

 ツイートしてすぐに、『SFマガジン』編集長の塩澤さんからリプライがあった。読むと、「やりましょう。樋口さんが監修で」とあった。何を言っているのか意味がわからなかったが、「ぜひ」と返した。普通に冗談かと思ったが、言質が全世界に向けて公開されてしまっており、私にせよ塩澤さんにせよ、ここから手のひら返しをするのは難しいだろう、と思い、やる前提でなんとなく「異常論文アンソロジー」の完成像を妄想しはじめた。そのようにして私の頭の中で、異常論文プロジェクトは始まった。

 人選について思い出す。宿の温泉に浸かりながら、柴田勝家・石黒達昌・円城塔はまず外せないだろう、と思った。次に思いついたのは木澤佐登志、山本浩貴、仲山ひふみの3人である。なぜかと言えばこの3人は、日本で〈セオリー・フィクション〉と呼ばれるジャンルをいち早く紹介、あるいは実践している文筆家だと思ったからである。
 話が前後するが、「異常論文」という言葉を思いついたとき、念頭にあったのはSFが伝統としてきた架空論文だけではない。2018年頃のことだったと思うが、ニック・ランドを中心とするCCRU周辺の活動を紹介する木澤佐登志の仕事により、私は〈加速主義〉とセットで〈セオリー・フィクション〉という概念を覚えていた。セオリー・フィクションとは何かと言えば、小説と批評と詩が溶け合ったようなもので、理論的な説明ばかりの小説もあれば、架空の批評もあり、ほとんど散文詩のようなものもあり、共通する点としては過剰な思弁とやけに詩的な表現の氾濫である、とひとまず言うことができるだろう。CCRU周辺の動きでは、加速主義よりもセオリー・フィクションのほうがおもしろいと個人的には感じていたので、どこかの機会でしっかりまとめて紹介したいと思っていた。「異常論文」は、パッケージとしてはセオリー・フィクションではないが、セオリー・フィクションに関する批評とセットで出すことで、広がりが出てくるのではないかと思った。結果としては、木澤さんにも山本さんにも小説を書いていただき、残念ながら、仲山さんは体調不良により原稿をいただくことがかなわなかったので、そのあたりの接続性はうまく可視化することはできなかったが、仲山さんはそのうちどこかでそういう批評文を書いてくださるのではないかと思っている。ちなみに私の考えるセオリー・フィクションとは何かと言えば、巻頭言に書いた内容と形式がそのすべてである。

 人選の話に戻る。Twitter上で私と塩澤さんのやりとりを見ていた大滝瓶太さんと倉数茂さんから、「書きたい」とリプライがあった。二人とも、ジャンル越境的な活動をしていて、どの作品もかなり思弁的で、既存の枠組みでは評価をしにくい作風であり、「異常論文」という言葉にぴったりだろうと思ったので、ぜひ書いていただきたいと思いそう返した。あとは、架空論文と言えば松崎有理だろう、そう言えば小川哲はアラン・チューリングの研究者だったらしい、石黒達昌フリークで架空の往復書簡や報告書のような形式の作品を書いている伴名練も入れたい、あとはそうだな、『SFマガジン』の「日本SF第七世代特集」に載っていた青山新という人の評論文は狂っていてよかったな、というように連想していき、原稿依頼をしたい著者リストはすぐにできあがっていった。もともと知り合いだった作家には直接メールして、連絡先を知らない作家には早川書房から原稿依頼をしてほしい、と塩澤さんにメールした(正確にはTwitterのDM機能で連絡した)。ところで、書きながら思い出したが、この頃はなかば冗談で、「グレッグ・イーガンに依頼してほしい」「テッド・チャンに依頼してほしい」などとも言っていた。イーガンやチャンだとさすがに書き下ろしは難しいだろうが、海外作家を入れるという可能性もあったのだ。ちなみに早川書房はそのへんの雰囲気を察知してくれて、『SFマガジン』の「異常論文特集」号には、論文形式の翻訳作品が2篇収録されている(サラ・ゲイリー「修正なし」、ニベディタ・セン「ラトナバール島の人肉食をおこなう女性たちに関する文献解題からの十の抜粋」)。

 風呂から上がってベッドに入るとTwitterに通知があり、塩澤さんから「えっ? 勝手に著者に原稿依頼したんですか?」とDMが返ってきていた。「えっ? それが期待されていたんじゃないですか?」と私は思ったが、そうは言わなかった。書籍版の刊行にいたるまで、こうしたやりとりがひたすら続くとは、このときの私は思っていなかった。たぶん塩澤さんも思っていなかった。
 そうそう、そう言えば大事なことを書き忘れていたが、公募もしていた。10枚から50枚くらいで、「あなたの考える異常論文」をGoogle Docsで書いてDMしてきてください、というようなことをツイートした。全部で50篇くらいが集まった。ツイートして数十分で、柞刈湯葉さんが「裏アカシック・レコード」を提出してきて驚いたし、読んでみるとそのクオリティの高さにさらに驚いた。陸秋槎さんも「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」を割とすぐ出してきた。あとから訊くとお二人とも、出し先のわからないストック作品としてかかえていたようだった。公募ではあとは、難波優輝さんの「『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延──静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ」を採用した。今でこそSFプロトタイピングなどで活躍している難波さんだが、当時は著書もなく、私は彼のことを普通に知らなかったので、普通にアマチュア枠として採用した。大体このあたりの作業はすべて、旅先の下呂でスマホだけでやっていた。今では完全に忘れ去られていると思うが、当時はワーケーションとかいう言葉があって、私はその言葉をちょうど旅先で耳にしていた。だからどうということではないが、異常論文の半分くらいは、失われたワーケーションという概念の体現によって作られている。

 さて。ここから半年ほど時間が空く。2020年9月の時点では、「次か、その次くらいの『SFマガジン』掲載を目指しましょう」というようなやりとりを交わしていたが、その間に小林泰三さんがご逝去されるなど、大きなできごとがあった。「Twitterで盛り上がってたアレ、結局どうなったの?」と、友人知人からときどき訊かれることがあったが、はっきり言って私もよくわからなかった。SF界はそれどころではなくなっていたのだ。ただ、その間にも私の元には続々と原稿が届いていたので、来るならいつでも来いと思っていた。一方で山本浩貴さんは執筆に苦しんでいたようで、何度か、締め切りを延長させてほしいとか、もう無理かもしれない、といったような連絡をくださったが、そのたびに、「いや、全然話は進んでいないので大丈夫だ。ゆっくり書いてほしい」というようなことを返した。最終的に山本さんが書いてきた「無断と土」という作品は大変な傑作で、あとから振り返ると、スケジュールがめちゃくちゃだったことが逆によかったのではないか、というようなことを雑誌刊行後に山本さんと話した。しかし再現性はないので、もうやらないほうがいいだろう。

 2月頃だったか、塩澤さんから「異常論文ですが、四月売りの『SFマガジン』に決まりました。ついては入稿準備をお願いします」というような連絡が突然届く。とりあえず手元にあった原稿を塩澤さんに渡し、一緒に感想を言い合っていった。ちなみにこの時点では「無断と土」の原稿はまだ上がっていなかったので、山本さんに「状況が変わった。申し訳ないが急いで書いてくれ!」と急に言って驚かれた。塩澤さんからいくつかの原稿に対してダメ出しが入った。柴田勝家さんや倉数茂さんは、たしか2020年の11月あたりですでに原稿を出してくださっていたのだが、そこから数ヶ月置いて「来週までにここを直してください」などと言われて、けっこう意味不明だったと思う。あとから訊いたら倉数さんはけっこうキレていたらしい。ところで当初予定していた著者リストのうち、『SFマガジン』の特集に入っていない人については、単に塩澤さんが依頼をし忘れていたらしいとのことだが、真偽のほどはわからない。
 そんなこんなで、3月の中旬には入稿を終える。が、それだけで終わりではない。私は雑誌を作ったことがなかったのでよくわからなかったが、目次や解説や特集の巻頭言も作らなければいけないよ、というようなことを塩澤さんから言われる。急いで解説と巻頭言を書き、目次案を考えた。樋口から目次案を出すと、「トップバッターはSFのおもしろみのある柞刈湯葉作がよいのでは?」と言われたが、「いや、最初は字面のヤバさでカマしたいので木澤作がよいのです」と言って押し通した。「それだと巻頭言の字面もかなりヤバいから、ヤバい字面が連続してしまうのでは?」と塩澤さんから懸念されたが、なんやかんやとそれらしいことを言って反論して、結局目次は樋口案のままとなった。そのあと塩澤さんから表紙案が上がってきて確認すると、表紙一面にヤバい巻頭言がびっしりと記載されていて笑ってしまった。塩澤、俺よりよっぽどカマしてくるやん……。塩澤さんは「これで」とか言っていた。「これで」じゃないよと思ったが、おもしろかったのでそのままいくことになった。

 4月になって『SFマガジン』「異常論文特集」号が刊行された。Twitter上ではバズっていて、Amazonの文芸誌ランキングでも2週間くらいずっと1位だった気がする。部数のことは具体的にはよくわからないが、なんだかめちゃくちゃ売れているらしい、と塩澤さんから聞いた。そう言えば、個人的な話として、私は普段は会社員として普通に普通のオフィスで働いているのだが、私がSF作家として活動していることを知らないはずの派遣社員の方が、ある日の業務終了後に『SFマガジン』を持ってきて、「Twitterで見て買いました。樋口さんって作家だったんですね。サインください」と言ってきた、ということがあった。本を出そうが、どれだけTwitterで話題になろうが、現実の生活とは無関係だ、と私は思っていたので、そのできごとにはとても驚いた記憶がある。変な汗をかきながらサインをした。そのできごととの因果関係は不明だが、派遣社員の方はそのあとすぐに辞めてしまった。

 そうこうしているうちに重版が決まり、書籍化が決まった。書籍化に当たっての作業は、基本的には雑誌版の繰り返しである。ふたたびTwitter上で公募をかけ、雑誌版では依頼がかなわなかった著者たちに依頼をかけた。公募では青島もうじきと久我宗綱というすばらしい新人を発掘できて本当によかった。プロでは石黒さんや円城さん、伴名さんや松崎さんからご快諾いただいた。また、並行して、雑誌版で好意的な感想を言ってくださっていた作家にどんどん声をかけて執筆依頼をした。神林長平さんや飛浩隆さん、酉島伝法さんや麦原遼さんなどである。保坂和志さんにはダメ元で連絡をしてみたが、すぐにご返信があり、しかもご快諾いただけてかなり驚いた(保坂さんはこういう悪ノリみたいなものが嫌いなイメージがあったので、断られるどころか、なんなら怒られるかもと思っていた)。Twitter上でそのような動きをしていると、自分も書いてみたい、と声をかけてくださる作家もいた。高野史緒さんなどである。なお、神林さんからは執筆を断られたが、「作品が難しいなら解説ではどうでしょう?」と返し、そちらはご快諾いただいた。我ながら、いい仕事をしたと思う。
 7月から8月にかけて、新規の執筆陣から続々と原稿が集まってきた。保坂さんは手書き原稿で、原稿用紙に直接手書きした上に、部分部分でワープロ打ちしたテキストを紙出しして糊付けしており、さらにその上に黒ペンで書き込みをし、さらに青や赤の色ペンで何度も重ね書きをしている、といったもので、とにかく物体としての迫力がすごかった。思わず塩澤さんに「保坂さんの作品は手書き原稿をそのまま掲載しましょう」とDMしたが、「それはダメ」と即レスが返ってきた。そんなやりとりを繰り返しながら、書籍版の入稿作業は進行していった。書籍版の表紙については、装丁家の川名潤さんが「山本浩貴さんによる装丁が楽しみ」と半分冗談でツイートしていたのを見かけ、たしかに、と思ったので、そのまま山本さんに依頼した(山本浩貴さんは作家のほかに、編集者としても装丁家としても活動している)。結果、山本さんからはすばらしい装丁が上がってきた。ところで、このあたりのやりとりにもおもしろいことがいくつかあったが、話が細かすぎるので割愛する。一言だけ、塩澤さんは優れた編集者だが、やはり変な人であって、異常編集者である、とだけ言っておきたい。

 最後に。一つ心残りなのは、石黒達昌さんから原稿をいただけなかったことだ。8月は、五輪の影響もあってCOVID-19のデルタ株が急拡大していた。石黒さんは締め切りギリギリまで、書いてみたいとおっしゃっていたが、本業が医師であり、収束しないCOVID-19の対応に追われ、執筆の時間がまったく取れていないとのことだった。作品を書くのが難しいと聞き、それでは帯文を書いていただくのはどうだろうか? と塩澤さんには提案したが、結局それもかなわなかった。

 石黒さんの新作も読みたいし、私の知らない歴史の中の異常論文や、海外作品も読んでみたい。そして、〈ポスト異常論文〉としてこれから書かれるだろう、新人の作品も読んでみたいので、異常論文という言葉が一過性のムーブメントで終わるのではなく、一つのジャンルとして定着するといいと思う。将来的には私のことなど忘れられ、血気盛んな若者から、「お前が異常論文の何を知ってるって言うんだ?」というような批判を浴びせられるようになっていると、本当に最高だな、と考えている。

樋口恭介

SF作家。会社員。2017年、『構造素子』(早川書房)で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し作家デビュー。外資系コンサルティングファームに勤務する傍ら、スタートアップ企業 Anon Inc. にて CSFO(Chief Sci-Fi Officer)を務め、多くのSFプロトタイピング案件を手掛けている。2021年、SFプロトタイピングの活動をまとめたビジネス書『未来は予測するものではなく創造するものである』(筑摩書房)で、第4回八重洲本大賞を受賞。その他の著書に評論集『すべて名もなき未来』(晶文社)。『異常論文』(早川書房)は初の編著となる。
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