思想とは曇ったガラスに絵を描くことだ──岩波書店『思想』編集部インタビュー

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webゲンロン 2023年7月21日配信
 今年1月25日にゲンロンカフェで開催されたイベント、「ゲンロンで働く大学院生で『思想』と『現代思想』を読んでみた」。ゲンロンのスタッフがさまざまな角度から「雑誌」というメディアを論じたこのイベントで、岩波書店の雑誌『思想』の丁寧な目次や特集の作りが話題になりました。大正10年(1921年)の刊行以来、日本の思想と学問をリードしてきた雑誌である『思想』は一体どうやって作られているのか。神田神保町・岩波書店本社ビルにて、『思想』編集長の押川淳さんと編集部の福井幸さんにお話を伺いました。聞き手はゲンロン編集部の植田将暉と栁田詩織です。(編集部)

だれが『思想』を作っているのか



──本日はお時間をいただき、ありがとうございます。今年の1月25日に、1年分の『思想』と『現代思想』を読み返し、思想誌のいまを考えるイベントを開催しました。

 2022年の『思想』は、哲学者チャールズ・テイラーの特集に始まり、「ポピュリズム時代の歴史学」や「戦争社会学」、「環境人文学」といった現代的なテーマまで、さまざまな話題を取り上げています。イベントではそこに、時代のありかたを敏感に捉えつつ、かといって流行に乗っかっているわけでもない、絶妙なバランス感覚があるのではないかと議論になりました。

『思想』は創刊から100年を超えた、歴史ある思想誌です。そこにはきっと、ずっと若い出版社であるゲンロンが見習うべき「雑誌づくりの秘訣」があるはずだと考えまして、今回こうして直接お話を伺わせていただいた次第です。

 



 そもそも、『思想』の編集部には何人のひとが所属しているのでしょうか。

押川淳 私と福井さんの2人です。『思想』編集部は単行本を担当する編集部の1セクションで、私たちも『思想』と同時に、書籍の編集も行っています。

 岩波書店の編集部は、新書、文庫、児童書、科学書、月刊誌の『世界』など、ジャンルごとに分かれています。単行本の編集部は2つあり、第一編集部が主に人文を、第二編集部が社会科学やルポルタージュを扱っています。ちなみに、私は第一編集部、福井さんは第二編集部の所属です。

『思想』編集部のお二人。左から編集長の押川淳さんと福井幸さん
──編集部がひとつしかないゲンロンとはかなり違いますね。編集部間の移動はどのように決まるのですか。

押川 辞令です。私たちは会社員なので(笑)。ただ、もちろん部署を超えた編集活動もあります。私も人文書しか担当しないわけではなく、企画の性質によっては他の編集部で作っています。それぞれの編集部にはジャンルごとのエキスパートがいますから、その知恵をうまく借りつつ、自分の興味を企画にしていく感じです。

 いっぽうで『思想』編集部は独立した部署ではないので、所属というより担当といったほうが伝わりやすいかもしれません。私は2018年から『思想』にかかわるようになって、21年9月から編集長を務めています。

──福井さんはいつから『思想』に?

福井幸 私も、押川さんが編集長になったタイミングで『思想』の担当になりました。これまでは文学や国語学の書籍をおもに担当していたので、『思想』の編集をやってくださいと言われて戸惑ったのですが……(笑)。数年前に『文学』という雑誌が休刊になったこともあり、広い視野から『思想』の編集に関わってほしいと言われました。

──以来、ずっとおふたりで編集をされているのですか?

押川 そうですね。毎号、各々が担当する論考を持ち寄って誌面を作っていきます。特集を組むときには、どちらかがメインの担当者として全体を取り仕切ります。ただ、まったく2人だけでやっているわけではなく、G. E. M.アンスコムやウィトゲンシュタインの特集は、他の編集者の発案によるものでした。

──2022年9月に特集されているアンスコムは、ウィトゲンシュタインの後任者としてケンブリッジ大学の哲学教授をつとめるなど、現代哲学に大きな影響をあたえた女性哲学者ですよね。知る人はまだ少ないだろう彼女の特集は、とても印象的でした。やはり主著『インテンション』の新訳が岩波から出たのにあわせて特集したのでしょうか。

押川 はい。新刊と『思想』の特集号でよい相乗効果を生みだせたらよいと思っています。本の企画から特集のアイディアをもらうのはもちろん、特集をすることで新刊への読者の関心を高めることにつながれば嬉しいです。

──なるほど、部署をまたいだ会議で決めるのですね。

押川 いや、私と福井さんは席が隣同士ですから、会議というよりも「今度は何を特集しましょうかね?」みたいな感じで普段からゆるく話をして、少しずつ決めている感じです。

──ええ!

押川 他の編集者から相談された特集の場合は、その人も交えて話し合いますが、基本は2人で話して決めています。ただ、いうまでもなく、特集の場合は参加する著者の皆さんと話し合いを重ねて、全体の方向性や各論のテーマについて決めていきます。ですから、どのような場合でも、1人だけで何かを決めるということはありません。
──ほかの本を作りながら月刊誌を出すのは大変だと思うのですが、どのようなスケジュールでうごいているのでしょう。

押川 『思想』は毎月25日前後に刊行されます。その2週間くらい前の6〜9日ごろが校了日です。原稿は50枚(原稿用紙換算。2万字)でお願いすることが多いのですが、執筆に必要な期間を考えて、企画は半年、少なくとも3、4ヶ月前から動かしています。

 ただ、特集の内容によって違いはあり、たとえば21年12月のジャン゠リュック・ナンシー追悼特集は、9月にナンシーが亡くなってから企画したものなので、非常にタイトな進行となりました。

 逆に時間をかけて作る特集もあります。23年3月の「雑誌・文化・運動」特集は、刊行の2年以上前にスタートしました。また著者の方々と研究会を重ね、草稿の合評会を行う場合もあります。そうした特集は、やはり刊行に至るまで長い時間が必要となります。

──書籍にくらべてタイトそうですね。

福井 そうですね。私は『思想』にかかわるまで月刊誌の編集の経験がなかったので、時の流れがものすごく早く感じました。毎月、「もうひと月経ったの!」と驚いています(笑)。毎月の山場があるのは新鮮だった一方で、短いスパンのなかで帳尻を合わせないといけないので、時間のやりくりが問われます。書籍だと3〜4カ月くらいのあいだに、集中する時期と少しゆっくりやれる時期があるので、私は書籍編集のほうが心持ちとして少し楽かなと思います。

押川 慣れてしまうとそんなに大変ではないと思うんですが…(笑)。私は『思想』の編集に関わる以前にも別の月刊誌の編集をしていたので、月刊のペースが体に染み付いてしまっているかもしれません。単行本の編集の方が、大変だと感じることが多いです。

 



特集と目次のつくりかた



──企画の組み方もお聞かせいただけますか。特集号とそうでない号がありますが、どう区別しているのでしょうか。

押川 特集を組まない号を、私たちは便宜的に「通常号」と呼んでいます。最近では1:2〜3の割合で特集号が多いのですが、特集主義を掲げているわけではなく、年に何回以上は特集を組む、という決まりもありません。

 通常号は『思想』という雑誌にとって大切な存在です。毎回5~10本程度、さまざまなジャンルの論考を掲載することになりますが、テーマや領域に縛られないため、より自由に、あたらしい書き手にご寄稿をお願いすることができます。加えて、『思想』への寄稿を打診される方も、ありがたいことに多くいらっしゃいます。そのようにして、特集号ではお願いできないような書き手とつながる機会になっていると感じています。

 一方で、特集号についても、先ほど述べたような新刊と連動する企画以外にも、やりたいテーマをたくさん抱えています。書き手の方々から提案されることもあります。自分では思いつかないようなテーマが多くて、いつも驚きますし、とてもありがたいです。

 ですから、取り上げたい特集テーマはたくさんあるのですが、お願いしたい書き手の方々も大勢いて、どうしよう…といつも悩んでいる感じですね。そのなかで、バランスを考えながら年間の刊行スケジュールを作っています。

 ちなみに特集号のなかでも微妙な区別があって、タイトルの色でわかるようになっているんです。タイトルが赤色の場合、特集外の記事が載っていない「総特集」、青色の場合は特集以外の論考も掲載される「小特集」、緑色は、あまり多くはありませんが、144ページ未満の総特集を示します。

──言われてみれば緑色は薄いですね!

2022年の『思想』。赤色の総特集が2回、青色の小特集が6回、通常号が4回
押川 定価を固定していないので、内容によってかなりページ数を変えています。ただ、あまり分厚く高価なものにすると、書籍との違いがなくなってしまいますからね。盛り込みたいことはたくさんあり、ついつい分厚くしてしまいがちなのですが、ページ数の上限をどこに設定するかは、いつも気をつけています。

──『思想』の特集は時事問題との距離感が独特だと感じます。特集を組むまでに、考える時間を置いているような印象を受けます。

押川 時事問題や世間の関心を誌面に反映したいとは常に考えています。今であれば、どうすればウクライナ戦争や生成AIといったイシューを取り上げられるか、ということでしょうか。ただ、例えば『世界』のような総合誌と同じことをしても読者には届かないですよね。情況については常に意識しつつも、それらをただビビッドに反映するのではなく、「遅い」と思われても、すこし違ったタイムスパンや視角から取り上げていきたいです。

──具体的な目次の組み立て方はどうされているのでしょうか。『思想』には毎号、「思想の言葉」という巻頭言にあたる文章が付されています。これは大きな特徴であるように思いますが、編集部としてはどう位置づけられているのでしょう。

押川 編集部としては、「思想の言葉」は巻頭に掲載するエッセイという位置付けです。書き手の方には、現在のご研究やご関心にそって自由にお書きください、とお願いをしています。特集号の場合は、特集テーマに沿った内容にはなりますが、それでもできるだけ自由に書いていただきたいと考えています。

──それに続く目次も、論考同士がつながっていたりそうではなかったり、号によって様々だと感じます。

押川 基本的には「思想の言葉」があり、その後に論考が続くという単純な構成です。ただ、翻訳論文や書評、研究動向の紹介なども組み合わせ、できるだけ変化が生まれるようにしています。また、特集を組む場合は、テーマや各論文の位置付けを説明するような巻頭言を置いたり、座談会を入れたりもします。論考の並べかたも、近しい切り口のものを揃えてセクションを作ったり。どうすれば特集の面白みが伝わるかな、ということはいつも考えています。

 通常号は統一したテーマがないため、本当にさまざまな内容の論文が集まるわけですが、緩やかにでも流れを作ることができそうだと感じたら、目次に反映させています。ただ逆に、同じようなテーマを扱っていても、まったく切り口が違っていたりする場合は、無理にまとめないようにしています。

 読者の興味や関心はさまざまでしょうから、たとえ特集号であっても、掲載されたすべての文章に興味を持つことはないかもしれません。ただ、編集としては、やはり『思想』を1冊の雑誌として丸々面白く読んでもらいたいので、目次にはいつも悩みます。宣伝や告知のためには早く決めなければいけないのですが、校了前になって、申し訳ないと思いつつ変更することも、時にはあります。

──座談会についてはどのようにお考えですか? たとえば2022年10月号のマルチスピーシーズ特集や23年1月のウィトゲンシュタイン特集の座談会では、世代が違ったり、立場が異なったりする研究者が集まっていることが印象的でした。

福井 編集部としては特集となるテーマを専門分野とされている方々はもちろん、それ以外の方々にもぜひ『思想』を読んでもらいたいので、そういった意味でも座談会は重要ですよね。異なる視点もった方に参加していただくことで、その分野に関してのそもそもの共通認識や、ちょっとした違和感であったり、はたまた他分野との共通点であったりが応答のなかで広がっていくように感じています。

100年の歴史と『思想』らしさ



──『思想』の歴史は100年を超えていますが、これだけ長い歴史を持つ思想誌は日本では唯一で、日本における思想の発展に寄与してこられました。創刊号を拝見すると、判型こそいまより縦長なものの、ほとんどデザインが変わっていないことに驚きました。これはあえて変えていないのでしょうか。

押川 なぜこのような判型になったのかは私もよく知らないのですが、たしかにほとんど変わっていませんね。デザインや判型についての明確な規則はないので、然るべき手順を踏めば変更はできると思います。ただ、変えようと思ったこともないです。急に変更すると読者を驚かせてしまうでしょうし、限りなくシンプルで素っ気ない表紙ではありますが、誰が何を書いているのかが一目でわかるという良さもあるのではないでしょうか。

『思想』創刊号(中央)と、その元となった雑誌『思潮』(大正6年創刊、左)
──デザインに限らず、100年以上の歴史が重荷になることはありますか?

押川 あります。『思想』が日本の近現代思想史における一つの舞台になったことは確かです。過去の目次を調べていたり、バックナンバーを読んでいると、恐ろしい媒体にかかわってしまったな、と感じることはよくあります(笑)。ただ、伝統はどんな媒体にもあるものですし、考えすぎて何もできなくなるのも嫌です。ある一時代に編集に携わった者として、書き手やまわりの編集者の力を借りながら、思いつくかぎり面白いことをやっていくしかない。もし私のせいで『思想』があらぬ方向に進んでしまったら、周りがきっと止めてくれるだろう、と。無責任に聞こえるかもしれませんが、そう思っています。

──福井さんはいかがでしょう。

福井 雑誌『思想』らしさとはどういうものかはどうしても考えてしまいます。私自身、関わる前は「超難しい雑誌」というイメージを持っていましたし、関わってからもまわりから「西洋哲学だけ扱っている印象だった」と言われます。でも実際に歴史をひもといてみると、決して西洋哲学に限らず、さまざまなことを扱っていて、懐がすごく深い雑誌なんです。これからも、「思想」とはどういうものなのか、もっと広く考えていくことができればと思っています。

──押川さんから見て『思想』らしさとはどこにありますか。

押川 形式的なことを言えば、人文・社会科学全般を領域として、2万字程度の論考が掲載され、全国の書店に並ぶという点は、他にはない特徴だと思います。文章が長ければ良いわけではないと言われるかもしれませんが、ある程度の長さの論文を成立させるためには、問いを明確にし、思考を練り上げ、論理を組み立て、準備や調査を重ねることが必要ですよね。逆に言えば、ある程度の文章量がないと展開できない議論もあるわけです。

 なかには、2万字では収まらず、4万字、6万字が必要になることもあるでしょうが、必要であれば分載にしたり、連載にするなどして、できるだけ十分なスペースを用意したいと考えています。書き手の意図や論考の論理を生かすために雑誌はあるので、内容に合わせて小回りをきかせ、柔軟に誌面を作ることを心がけています。

 ただ、こうした形式的なことではなく、「『思想』とはどんな雑誌か?」と聞かれると、まだよくわからない、という感じです。言い訳をしてしまうと、「『思想』とは○○だ」と決めるのは編集の仕事ではないと思っています。

 雑誌は書き手、読み手の一人ひとりが作っていくもので、編集もその一部でしかありません。良い雑誌にしていくための責任はありますし、面白くないという批判も受け止めますが、根本的には、雑誌はかかわった人たちすべてのものだと思うのです。送り手から受け手への一方通行ではなく、みんなで一緒に考えていきたい。「『思想』らしさ」についても同じです。それぞれが思う「『思想』らしさ」があったほうが面白いはずで、一つのイメージにまとまる必要はありません。むしろ、違いやズレがあることが、かえって雑誌を活性化させていくのではないかと思います。

 



思想をもっと開いていく



──最後に、これからの『思想』をどのようにしていきたいか伺えますでしょうか。

押川 作っていれば誰でも同じことを思うでしょうが、やはり1人でも多くの読者に届けたいです。誰もが手に取る、というのは現実的には難しいかもしれないですが、少なくともその可能性はある雑誌にしたいと思っています。

福井 先程話題に上がりましたが、アンスコムのような女性を単体で特集することも、あまりなかったのではないかと思います。こういった機会をもっと増やしていきたいです。

「思想」は考えること全般を意味していますよね。その言葉の広さは、誰でも「みんなで一緒に考える」という行為に参加できることに繋がっていると思います。

『思想』の編集に携わるようになったとき、本屋に棚を見に行って、「哲学や思想に関する本ってこんなに置いてあったんだ!」と驚きました。もともとわたしは日本語学を専攻していたのですが、日本語学の本はあっても棚の1段しかないことも多いんです。それに対して、哲学や思想に関する本は棚が何列も並んでいるし、新しく創刊されてくる雑誌も多いですよね。同じ人文科学の分野と言っても、思想を求めている人はニーズがとても多いのだなと実感しました。

押川 ある程度の長さがある論考を書くためには、ライティングのスキルだけでなく、多くの準備が必要になりますし、何よりも執筆は大変な熱意と労力を要するものですから、誰にでも書けるとは思いません。ただ、書くことの根っこにある、何かを問い、問題をたてること、その問題を考え続けることは、研究者であるなしにかかわらず、誰もがやっていることだと思います。それは職業や社会階層とは関係がないし、大学のような制度とも関係がないことです。

 雨の降る日に子どもとバスに乗っていたら、曇った窓ガラスにずっと絵を描いているんですね。それを見ている私も横から手を伸ばして一緒に描きます。描きたいというより、つい描いてしまうという感じで、やってしまう。子どもでも大人でも、この「つい」という部分は、きっと変わらないですよね。

 問うことや考えることも同じで、人は「つい」問うてしまう、考えてしまうのだと思います。思想とは、そういう止みがたい、誰もがおこなっていることであり、その意味で、誰にでも開かれたものではないでしょうか。『思想』という雑誌も、その意味で開かれたものでありたいと思っています。

岩波書店本社ビルの前で。入り口の受付や会議室の数に緊張しました


2023年3月20日
東京、岩波書店 一ツ橋ビル
構成・撮影=編集部




岩波書店公式サイト URL= https://www.iwanami.co.jp/
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