これからの日本の劇場文化のために──金森穣×上田洋子「踊ること、生きること、観ること」イベントレポート

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webゲンロン 2023年8月10日配信
 2023年8月1日、舞踊家・演出振付家の金森穣の『闘う舞踊団』の刊行を記念して、ゲンロンの上田洋子とのトークイベントが行われた。2014年からの旧知の仲だという二人だが、ゲンロンカフェでの対談は初めてだ。同書のタイトル通り、金森は自身の率いる舞踊団・Noism のために、上田もまたゲンロンの存続のために闘ってきたという共通点もある。イベントでは Noism の貴重な公演映像を流しながら、公演の裏側から日本の劇場文化まで、舞台の制作と運営をめぐってさまざまな議論が展開された。その一部を紹介したい。 
  
金森穣×上田洋子「踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」 
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230801
 壇上に上がった金森はまず、ゲンロンカフェの空間について触れた。金森は普段シラスを視聴しているが、来場したのは初めてだという。入ってきた瞬間から素晴らしい場だと思った、と絶賛する。上田もまた、ゲンロンカフェは劇場と似ている面があると応じた。トーク会場も劇場も、身体を持った観客と演者が集まり、時間と空間を共有する場だ。このイベントレポートでは、そんな「場」をめぐる対話の一部をご紹介したい。

劇場文化の公共性


 金森が率いる Noism Company Niigata は、国内初の公共劇場の専属舞踊団だ。しかし、その「国内初」が2004年というごく最近の設立だったことからもわかるように、日本には文化政策としての劇場文化が根づいているとは言い難い。ましてや、行政が劇場専属舞踊団をもつ、という文化の定着度については言うまでもないだろう。 

 そんな日本の公共劇場の現状で、金森が一番問題だと思うことはなにか──この上田の問いかけに、金森は「平等性と公平性」だと答えた。公共劇場が専属集団を持てば、本来であればべつの舞踊団や劇団に割けるはずのリソースをある程度そこに集中させることになる。当然、それは平等ではない。しかしこのある種の「不平等」を受け入れなければ、安定して活動できる専属集団という形態そのものが日本では実現できず、業界全体も苦しい状況のままだ。金森はこのジレンマの中で活動を続けてきた。 

 
 

 金森は、ある集まりで舞踊関係者たちにむけてこう発言したことがあるという。「皆さんの、さまざまな集団のうちの一つだけが選ばれて劇場で活動できる。そうなったときに、皆さんは自分たち以外の集団のために協力できますか?」と。この問いは、舞踊だけでなくあらゆる業界にも当てはまるのではないだろうか。予算も人的資源も有限であり、業界すべてを一気に救うことは現実的ではない。どこかで基準を設け、業界の中から恩恵を受ける集団を選ばなくてはならない。その覚悟がなければ、日本の中で小さく弱い業界ほど結果的に縮小していってしまい、業界ごと残らなくなる。人文系アカデミアの末席に連なる筆者としても、考えさせられる問題だった。 

 

 



 以上は業界内部での葛藤だが、たほうで行政の問題もある。金森が実際に行政と交渉して感じたのは、行政が「趣味の延長である活動を支援する」という態度を取っていることだ。金森は Noism を、地方から世界へ発信できる一流の専門家集団に高めることを目指している。しかしそれを行政が「趣味の延長」とみなしてしまっては、一流の舞踊団に何が必要かを理解できず、場当たり的な支援しかできない。また、担当者が変わるごとに対応が変わってしまう問題も、結局は文化支援のための行政側の「哲学」が一貫していないことが原因だ。 

 筆者はこれもまた、現在の研究支援縮小の問題と根が同じであると思った。アカデミアでの(特に人文系や理系の基礎的な)研究は直接役に立つとみなされず、研究者が好きでやっているものと考えられてしまうため、予算がつかなかったり廃止論争が起きたりする。たほうで、アカデミア側は、金森のようなねばり強い交渉や地域社会からの支持の獲得がどれだけできているだろうか。あるいはそれは成功しているのか。金森の舞踊団での実践は、舞踊業界にとどまらない普遍的な価値を持っていると感じたイベントだった。

持続的な劇場をもつこと


 イベント後半では、これまでの Noism の公演映像を流しながら話が進んだ。中には YouTube での公開がない『ラ・バヤデール』や『ROMEO&JULIETS』などの貴重な映像もある。いまのところこれらは今回のイベント内でしか見られないので、ぜひ注目していただきたい。 

 
 

 そんな貴重な映像の中でも、とくに上田は「劇的舞踊」シリーズを数多く選んでいた。「劇的舞踊」は、物語性のある設定や大がかりなセットなどが特徴で、総合芸術と言ってよいものだ。劇団SPACの俳優とのコラボレーションで、実際に演劇の要素が入る演目もある。 

 この「劇的舞踊」こそ、持続的な活動が可能な専属集団だからできるものだと上田は評した。大がかりな舞台は、劇場全体を活かすことを念頭に置いて作られる。どこにでも持っていけてすぐに実演できるモバイルな公演だけでなく、この劇場だからこそできるという演目を行ってこそ、劇場の価値も上がるという。 

 
 

 金森は、ホームとしての劇場があることで稽古にあてられる時間が増えることも重要だと付け加えた。劇場での身体感覚を身につけるためには、ある程度以上の稽古の時間が必要だ。費やした時間が、そのまま表現の質につながるのだ。その時間を使うためには、専属で継続的にその劇場を使えるという制度がなければならない。劇場がたんなる箱モノと考えられてしまいがちな日本において、場と身体が結びつくことの重要性を金森は訴えた。

 



 このレポートではあえて詳述はしないが、金森の身体感覚へのこだわりは、上田が再演やアーカイブ映像の活用をリクエストしたことに対するイベント内での彼のある返答にも表れている。ほかにもイベントでは、踊っている最中の意識や靴下(!)などの舞台の裏側から、Noism の今後や金森の闘い続ける原動力となったエピソードまで、興味深い話題が展開された。 

 なにより、イベント中に流された Noism の公演映像をぜひ見てほしい。前述したように、過去の貴重な映像を金森と上田の解説付きで見ることができる。現代舞踊に親しみのない方も、どのようなところに注目して観ればよいか、そのヒントが得られると思う。 

 そして、ぜひ Noism の舞台にも足を運んでほしい。筆者はこのイベントに先駆けて7月に目黒で行われた Noism0/Noism1「領域」を観劇した。現代舞踊を観るのは初めてだったが、一瞬も舞台から目を離すことなく身体の躍動に心を奪われた(普段から注意散漫で一つのことに集中できない筆者にとっては驚異的な体験であった)。身体の可能性を十二分に発揮する舞踊には、映像では味わえない刺激と迫力があることを実感した。 

 これからこのイベントを視聴される方は映像での視聴となるだろう。しかしそれをきっかけに、劇場やゲンロンカフェなどの現場もおとずれていただければ幸いだ。インターネット配信全盛期のいま、劇場のもつ力をあらためて考えさせられるイベントとなった。(栁田詩織) 

 
 

 


金森穣×上田洋子「踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」 
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230801

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