『口訳 古事記』@ゲンロンカフェ!──町田康×安田登「神話の言葉が蘇る」イベントレポート

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webゲンロン 2023年8月18日配信
 あの町田康が、ついにゲンロンカフェにやってきた! 各所で話題の新作『口訳 古事記』(講談社)の刊行記念対談&朗読イベントが8月10日に行われたのである。対談と朗読の相手を務めたのは、古典に造詣が深いことで知られる能楽師の安田登。朗読には、カニササレアヤコによる笙の伴奏も彩りを添えた。3時間にわたったイベントの模様をレポートする。 
  
町田康 × 安田登「神話の言葉が蘇る──『古事記』はマジでヤバい!」 
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230810
 町田康の『口訳 古事記』はとにかくおもしろい。なんせ、ひたすら人間臭い神々が「この浮遊するブヨブヨのところ、もっとちゃんとしたらいいのと違うか。国として成立するようにしたら」「いいね」(いずれも9頁)なんて言いながら国を作ることを計画したり、「なんなんですか。なめてるんですか」(50頁)とか言いながらケンカしたりするのである。 

 安田は、「現代ビジネス」に寄せた書評で、町田による「口訳」は『古事記』をある意味で「元に戻した」ものだと評している。『古事記』はもともと(おそらくフシのついた)話し言葉として和語で伝えられていたものを、外国語の書き言葉である漢語で記述したものだ。だから、その「翻訳」の過程でニュアンスが変わってしまった箇所もある。町田の「口訳」は、そうやって書物になる以前の『古事記』のニュアンスを蘇らせるものではないか、というのである。 

『古事記』の話し言葉としての魅力を存分に打ち出す町田訳だけに、朗読されるとなおのことおもしろい。イベントでは、トークのあいまに計6回にわたって朗読が行われた。町田の淡々として飄々とした飾らない調子と、安田による講談調の力強い語りおよび朗々とした謡が交錯し、そこにカニササレアヤコの工夫を凝らした笙が重なる(たとえば、国土全体が動揺するシーンではそのさまが笙の音で模されたりする)。 

 なんともよう言わんが、とにかくめちゃくちゃええ感じ、めちゃくちゃええ感じのグルーヴ、である。笑える場面もめっちゃあった。6回のうち最初の朗読は、なんとYouTubeで公開されている無料の冒頭部分で丸々聞けてしまうので、それを見てビビッと来たら、シラスのアーカイブ動画もぜひ購入してみてほしい(参考までにこの記事の末尾に「朗読シーンリスト」も用意した)。

「書いてあることには意味がある」


 もちろん、イベントでは『古事記』そのものについてもさまざまな角度から語られた。上でも触れた書物としての成り立ちや注目すべき語彙、西洋の神話との対比、登場人物の性格、この神話における空間性と時間性、罪と祓いについてなどなど──それこそ書き言葉にするとすこし硬い感じになってしまうが……。じっさいは「スサノオノミコトは最初は変なやつやったのに、ここで急に冷静になってるのはなんでやねん」といった調子で、ふたりが思いつくままに『古事記』のおもしろポイントについて語り合う、ほのぼのとしながらためになる対話が繰り広げられた。 

 なかでもとくに印象的だったやりとりをひとつだけここで挙げよう。安田が『口訳 古事記』の八岐大蛇やまたのおろちのシーンを評したところである。このシーンでは、ある土着の神がスサノオノミコトに「八岐大蛇というバケモノが一年に一回やってきて大事な娘を食べていってしまうので困っている」という旨を申し立て泣きつく。そこでスサノオノミコトが退治の準備をして待っていると、そこに八岐大蛇が登場する。その登場シーンは、町田訳では以下のようになっている。 

 

そうこうするうちに、山の彼方から、ずさっ、ずさっ、という音が響いて、地面が揺れた。 
本当に八岐大蛇がやって来たのである。(76頁)



 安田が指摘したのは、二文目の冒頭の「本当に」の箇所である。安田によれば、ここの原文は「信=まことに」であり、「現在が未来に伸びて地続きになっており、いま言われたことが未来にちゃんと実現する」という意味だ。ここで「八岐大蛇、ちゅう、超巨大蛇が年一で来」る(71頁)と言っていた土着の神は、より上位の神であるスサノオノミコトから見れば小さな子どものようなもので、未来や時間に対するしっかりした感覚があるかわからない存在である。しかし、ここでは彼らが言ったとおりに八岐大蛇が来る。この「信」には、土着の神にも時間の感覚が生まれつつあることがある種の驚きとともに表現されているというのである。安田は、ふつう見落とされがちなこのようなニュアンスも忠実に訳されているところに町田訳の妙を見出す。

 これに対して、町田は「書いてあることには意味がある」という姿勢で訳出にのぞんでいるのだと応じた。古典には、読んでいて一見矛盾ではないかと思える部分が含まれていることもままある。しかし、それを「おかしいやんけ、やっぱり昔のひとはめちゃくちゃや」と傲慢に退けるのではなく、「こうして長く伝えられて残ってるものなんやから、絶対ここにはなんかあるはずや」と誠意を持って向きあうようにしているというのである。これはたとえば、伝統芸能で師匠から弟子に受け継がれるわざが「すぐには意味がわからないが崩してはいけないもの」としてあることにもつうじるのではないか、とも町田は語った。 

 もちろん、『口訳 古事記』には「ヌメヌメ光ってサイケデリック」(27頁)や「足柄SA」(332頁)といった言葉が出てくることからもわかるように、シーンの描写を柔軟に膨らませたりあるいはカットしたりしているところにも特徴がある。ただし、そのような自由さの根底にこの誠意ある姿勢があるからこそ、安田が評するように『古事記』が持っている魅力を蘇らせることに成功しているのだと感じさせられた。 

 じつは、今回の『口訳 古事記』は原典の途中である「仁徳天皇」の部分で終わっている。町田はイベントの最後に、現在『群像』誌にて連載中の「口訳 太平記 ラブ&ピース」がいつか一段落すれば、ぜひ『古事記』の残りの部分もつくって本にしたいとも語った。今後の展開に目が離せない町田の「口訳」シリーズ。より存分に楽しむためにも、ぜひ今回のイベントのアーカイブ動画をのぞいてみてほしい。(住本賢一)

No.朗読シーンタイムスタンプ
1◯そもそもの始め~◯伊耶那岐命と伊耶那美命(「神xyの物語」より) 0:14:30~
2◯天照大御神と須佐之男命(「スサノオノミコト」より)0:38:00~
3◯黒日売との日々(「仁徳天皇」より) 1:00:10~
4◯八岐大蛇・前半(「スサノオノミコト」より) 1:23:40~
5◯八岐大蛇・後半(同上) 1:47:15~
6◯大碓命と小碓命(「日本武尊」より) 2:10:40~
7◯出雲征服(同上) 2:18:30~

町田康 × 安田登「神話の言葉が蘇る──『古事記』はマジでヤバい!」 
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230810

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