悲劇のヒロインから自立した女漫才師へ──トルストイ『復活』の日本における映画化について|小川佐和子

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webゲンロン 2023年10月5日配信

カチユーシヤかわいや 
わかれのつらさ 
せめて淡雪とけぬまと 
神に願ひを(ララ)かけ間しよか



 現在では、このメロディの記憶を共有している世代は消えつつあるだろう。松井須磨子のやや調子の外れた唄声で知られる『カチューシャの唄』である★1。大正3年(1914年)に流行したこの唄は、トルストイ晩年の長編小説『復活』(1889-99年)をもとにしている。当時、西欧の翻訳劇を盛んに上演していた演出家の島村抱月と女優の松井須磨子という黄金コンビによる舞台の劇中歌として挿入され、同年に映画化もされた。 

松井須磨子 阿野二夢『恋の須磨子とカチューシャ』(春江堂、1919年)、4頁。国立国会図書館デジタルコレクション
 

 これは、須磨子演じる初心うぶなヒロインのカチューシャが、ブルジョワ階級の若旦那ネフリュードフに貞操を奪われ、娼婦へと堕落していく物語だ。さらに追い打ちをかけるようにカチューシャは無実の罪で裁判にかけられ、有罪判決を受けてシベリア送りとなる。陪審員として出廷を命じられたネフリュードフは、裁判所で変わり果てたカチューシャと再会し、自分の犯した罪に苦悩する。結婚という形で落とし前をつけることで、カチューシャの清い体と心を取り戻すことができると思い込んでいるネフリュードフは、その実、自らの犯した罪を償うことで精神的復活を遂げようとする。そして、シベリアまで彼女を追いかけていく。しかし、カチューシャはすでに獄中で知り合った国事犯のシモンソンと心を通わせる仲となっていた。結局、シモンソンにカチューシャを託したネフリュードフは、カチューシャと和解し、二人の後ろ姿を見送る。カチューシャは最後に「愛しています。深く深く愛しています。ですから、私、どうしても此の体であなたと御一緒になることが出来ないのですよ。私はどんなつらい思ひしても、あなたのお身にわづらひをかけちやならない。」★2とネフリュードフに告げる。

 この芝居では、アンリ・バタイユの脚本も参考に、当時の日本人観客に向けてトルストイの原作が自由に脚色されている。二人の恋愛関係に焦点が合わせられ、結末も原作とは異なっている。「まるでメロドラマだね」とでも言いたくなるようなストーリー展開だ。 

「メロドラマ」という言葉がまだ定着していなかった大正時代において★3、この舞台は何度も映画化され、まさしく当時のメロドラマと言える「新派」として大流行した。大正3年の映画化『カチューシャ』を皮切りに、その翌年には続編にあたる『後のカチューシャ』と『カチューシャ 続々篇』が公開され、大正8年(1919年)にも新キャストで再び映画化された。いずれも「新派映画」というジャンルである。 

 同大正8年には『恋の津満子』という、松井須磨子をモデルにした映画も製作された。既婚者の島村抱月と道ならぬ恋に落ちていた須磨子は、本作の前年、スペイン風邪で亡くなった抱月の後を追って自殺したのである。現実の事件があまりに生々しいため、公開を一時保留されたそうだが、須磨子は津満子に、島村抱月は今村秋月に改名され、涙を誘う「新派悲劇」として仕立て上げられている★4。 

 その後も昭和初期にかけて『復活』の映画化は連綿と続いていき、最終的には溝口健二による日本を舞台にしたトーキー映画『愛怨峡あいえんきょう』(1937年)として結実する。『愛怨峡』のヒロインおふみは、大正期のカチューシャや須磨子のイメージとは正反対に、追いすがる若旦那を振り捨てることで、家父長制が支配する現実社会を完膚なきまでに拒絶する。むしろ本作の方が、カチューシャがネフリュードフに別れを告げ、流刑囚のシモンソンとともに生きていく選択をする原作に近い。 

 日本映画における『復活』翻案の変遷を見ていくと、あまりの自由奔放さに思わず笑ってしまうほどだ。トルストイの小説は、遠く海を隔てた文化圏で翻案されたことで、日本のコンテクストの影響を受けながらも欧州の抑圧から解き放たれ、その表現はじつに豊かなものとなっていった。大正から昭和初期の日本に特有の、歌舞伎や文楽といった近世芸能の伝統と、西欧近代文芸の翻案が交差するところに、多様な女性像が浮かび上がってくる。本稿では『復活』のたび重なる翻案が持つ日本映画史における意義を考えながら、ヒロイン「カチューシャ」の描かれ方における女性像の変遷を見ていきたい。

忘れられた新派映画──情とロジックの葛藤


 そもそも「新派」とは何か。現在では絶滅に瀕しているジャンルである★5。『復活』最初の映画化は、今はなき「新派映画」というジャンルにおいて実現された。まずはこの新派映画について前説しておこう。 

 新派とは、もともと旧派(歌舞伎)に対抗する新たな演劇として明治時代に興り、大正から昭和にかけて隆盛した「新派劇」のことを指す。そこから発生した「新派映画」とは、大正時代、向島にあった日活東京撮影所(通称、日活向島)で製作された現代劇のことである。その多くは新聞小説や家庭小説、新派劇の映画化であり、尾崎紅葉の『金色夜叉』や徳冨蘆花の『不如帰』、菊池幽芳の『己が罪』などは繰り返し映画化され、日本の津々浦々で上映された。 

 新派映画は、家父長制の犠牲となるヒロインの受苦を描くという類型的なメロドラマのイメージが強い。釣り合わぬが不縁のもと、ブルジョワへの憧れと反感、義理を貫くか情に流されるか、運命に翻弄される男女の色恋、血の繋がらないさぬ仲の親子の葛藤──新派はこうした主題を何度も描くことで大衆の心性を反映してきた。一貫しているのは、新派の物語では、近代を象徴するものとしての立身出世のイデオロギーを体現する男性と、前近代を象徴するものとしての女性の相容れない相克が繰り返し描かれたという点である★6。情とロジック、すなわち「人情と義理の葛藤」を主軸としたきわめて感傷的な作品が多くを占め、無数の紅涙こうるいを絞らせてきたのである。 

 新派映画の形式上の大きな特徴は、女優ではなく女形俳優が人気を博したことである。それゆえに女形が演じるヒロイン像が前景化された。この女形俳優の存在は、今でたとえたら宝塚女優の人気とも引けをとらないものであり、特に女性観客の間でもてはやされた。女形俳優は、着物で男性的な身体を隠し、「理想的な女性」の型を演じたことで、その姿は浮世絵の女性像にも形容された。外国映画の影響で、ヒロインを演じるのが女形から女優へと移行していくこの時期においても、女形俳優は実際の女優よりも女性的であると評されることがあった。 

 こうした女形スターが演じる薄幸なヒロインの悲劇的な破滅に、女性観客たちはカタルシスを覚えたのである。それゆえに新派映画は、主に男性の映画批評家から「お涙頂戴物」とも揶揄され、映画史研究においても新派映画は長らく日本映画の後進性を示すものと考えられてきた。だが、ハンカチを握って物語に没入し、辛く厳しいこの現実を生き延びようとするささやかな日常の娯楽が、大衆にとってどれほどなくてはならないものであったろうか。ウェットな顔★7を持つ新派は、多くの人々を泣かせ、そしてその心を癒したのである。

 日活向島では、1910年代後半以降、「革新映画」が意識的に製作され始めた。ここでいう「革新」とは、歌舞伎をそのまま記録したような日本映画の前近代的な形式を、映画固有の技術がふんだんに使われた西欧映画の形式に近づけるということを意味した。革新映画で取り入れられたのは、たとえば、固定カメラによるロングテイクではなく、複数に分割されたショットを編集によってつないで物語を叙述するといった定番の手法である。 

 ところが、革新を進めていた矢先の1923年に関東大震災が起こった。震災後、壊滅した東京は近代化を余儀なくされた。震災は、日本映画にも決定的な変容をもたらすこととなる。日活向島撮影所は閉鎖に追い込まれた。モダンな都市文化とアメリカ映画の影響を受けて、女形俳優も廃れ、代わりに女優が台頭し、女性のキャラクターは女性が演じることが標準化されていく。こうして新派映画は「現代劇映画」へとジャンルの名称が変わり、新派はいつしかアナクロニズムの遺物と化していった。 

 とはいえ、新派的な主題は震災以後も根強く残った。『復活』も「現代劇映画」の新派的主題として、戦間期における溝口の映画化に至るまでたびたび取り上げられることになった。その後も、たとえば1964年の『香華』(有吉佐和子原作、木下恵介監督)のなかで、杉村春子演じるお姉さん芸者の太郎丸が、岡田茉莉子演じるヒロイン・朋子に、許されない恋に陥っている状況を諭すとき、「新派悲劇だね」と啖呵を切る。つまりこの台詞は、浮世離れしたロマンスに没入しているヒロインを皮肉っているのだ。この捨て台詞は、新派の物語が時代遅れの悲恋であるという記憶を共有しているからこそ効き目がある。なお、ここでは述べないが、こうした記憶がいつの時代まで共有されていたのかは、興味深い観点である。 

 ここまで、ざっくりと新派映画の歴史を振り返ったが、「新派」は多様なものを含み、前近代とモダンというような、一見相容れない要素の折衷を許すようなジャンルでもあった。『復活』や『生ける屍』★8などロシア文学の翻案は新派映画の代表作となった★9。ロシア文学の新派映画化は、新派映画の最盛期から革新期、衰退期、さらに現代劇映画へと続く過渡期に集中している。以下では、新派映画における翻案・翻訳に注目し、西欧という外部が、いかに新派様式へとローカリゼーションされたのかを観察していこう。アダプテーションのプロセスを観察することで、「新派」というものの多義性、そして新派的想像力はどのように発動しているかが明らかになるだろう。

新派映画における「翻案」と「翻訳」


 なぜ新派映画はロシア文学に目を付けたのだろうか。その理由は二点ある。一つは島村抱月が松井須磨子らと立ち上げた芸術座での須磨子主演による舞台『復活』が当時としては異例のロングランを記録し、その映画化も爆発的なヒットを飛ばしたこと、もう一つは日活の専務に鈴木要三郎というロシア文学に造詣の深い人物がいたことである★10。 

 ロシア文学の新派映画化を具体的に見ていく前に、まず、新派映画のコンテクストにおける、「翻案」と「翻訳」の違いについての前提を確認しておきたい。簡単に言ってしまえば「翻案」は原作の設定を日本に移したり、二次創作的な要素を加えた作品であり、「翻訳」の方は原作に忠実な脚色や映画化のことである。 

 演出家・劇作家の小山内薫と映画批評家・吉山旭光きょっこうは、翻案劇より翻訳劇を評価し、新派の翻案劇を批判していた。新派のような通俗的で商業演劇的な性格は、西洋近代文芸が持つような「芸術性」の獲得を目指す彼らとは方向性が異なっていたからだ。比較映画史研究者の山本喜久男は、彼らの批評言説を整理しつつ、西欧近代演劇と日本において翻訳劇を実践していた「新劇」運動との仲介項として、西欧から輸入された文芸映画の影響に着目した。山本は以下のように述べている。 

 

自由劇場、芸術座、近代劇協会★11等を中心に、[……]新派劇(翻案劇)の西欧化を更に進める新劇(翻訳劇)のことばやイメージが一般化されていく。このように、明治末からの外国文芸映画の影響は直接に、当時の現代劇映画である新派映画に及ぶのではなく、演劇界、即ち新劇に及ぶ。こうして台頭した新劇運動に新派映画は影響されていく。つまり、明治末からの西欧の文芸映画の影響は、間接的に、新派映画における新派の新劇化として現れてくる。★12



 山本はここで、しばしば「悪翻案」とも批判されてきた、原作を自由に改作して通俗的な作品に仕立て上げる新派映画が、新劇のように西欧近代文芸の芸術性を志すようになることを示唆している。こうした見解には、作り手側の認識に立ち、西欧的近代化という名のもとに新派の新劇化を位置付けるという歴史観が透けて見える。では、そのような歴史観は新派映画の表象の側ではどのような形で現れているのだろうか。実際の作品に即して見ていこう。

『復活』の新派映画化──新派的ヒロインとなったカチューシャ


 まずは『復活』の最初の映画化、大正3年(1914年)の『カチューシャ』である。日活向島の製作であり、スター女形の立花貞二郎がカチューシャを演じる翻訳劇だ。立花貞二郎は、当時大変な人気者で、女性観客から「貞様」と呼ばれて崇拝された。 

 具体的な作品紹介に入る前に、原作の筋を説明しておこう。トルストイの原作では、裁判所の腐敗、元老院や政府官僚機構の専制と荒廃、教会の欺瞞、監獄とシベリア流刑の残虐さ、ネフリュードフが出会った搾取される民衆たちの苦難が克明に活写されている。批評家の本多秋五の表現を引けば、この作品は「旧ロシアの貴族社会、官僚制度、貧窮した農民階級、都市に出稼ぎする職人、労働者、犯罪者の群、革命家の諸タイプがうつし出され、帝政ロシアの全社会生活が批判の俎上に」上げられたものという位置付けであった★13。ネフリュードフが抱える葛藤は、支配階級と搾取される民衆の間の階級的葛藤を基盤にしたものであり、その描写において「作者は感傷的なメロドラマチックな色彩をさけている」★14とも指摘されている。物語は、カチューシャが精神的堕落から更生し、ネフリュードフは改心して思想的救済を追求するというトルストイ晩年の宗教的主題にもつながっている。つまり、新派映画の先鋒として映画史に刻まれた『カチューシャ』の原作には、そもそもまったく新派的・メロドラマ的な要素はないはずなのである。 

 ところが、まず映画に先立つ芸術座の舞台公演に関して、松井須磨子と対立して芸術座を後にした劇作家の川村花菱は「まったくの通俗劇で、須磨子のカチューシャも、新劇というよりは新派に近いものだった」★15と述べている。すでに述べたとおり、高尚な新劇の翻訳劇に比べて、新派の翻案劇は通俗的なものだとみなされていた。この発言を受けて大衆文化研究者の永嶺重敏も「せりふだけ聞いていると、日本を舞台にした新派劇のように感じられる」★16と指摘している。原作を翻訳した作家の近松秋江は、須磨子が演じたカチューシャは日本中に知られ、「更に今日では映画によつて、一層広く一般観客に親しみを持たれるやうになりました。その意味に於いて、[……]殆ど実存人物と同様の深く且つ強い印銘を、我々読者又観客に与へている」★17と述べている。その後も、たとえばフランス文学者の多田道太郎が劇中の挿入歌「カチューシャ可愛や」の一節に言及し、『不如帰』のヒロイン浪子と対比させているように★18、戦後になっても日本人観客にとってカチューシャは新派的ヒロインとして記憶された。

 残念なことに大正3年版『カチューシャ』のフィルム自体は現存していないが、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に撮影台本(全三六景)が残っている。これをもとに物語を再現しよう。 

 撮影台本を読むと、『復活』の物語がネフリュードフとカチューシャの格差恋愛を軸とした家庭小説へと変容しているのがわかる。この、やや冗長な原作小説を舞台や映画という時間的制約のある表現媒体で扱う際に、帝政期ロシア社会への批判的告発という、一般の日本人観客にとってはいささかもアクチュアリティのない主題を削ぎ落とすと、「枠組みとしての新派的モード」が後に残るのである。映画版では『復活』が「義理と人情の葛藤のドラマ」として読み換えられている。貴族のネフリュードフは、陪審員という公的義理を果たすために、かつて自分が弄んで捨てた社会的階層の低いカチューシャを、無罪にもかかわらず裁かなければならない。しかしネフリュードフは、カチューシャと通わせた情、カチューシャの清い体と心を取り戻して良い道へと導かなければならないという責任、さらに神に対する義務の葛藤に挟まれ、苦悶する。一方ヒロインのカチューシャは、ブルジョワ階級の男性を呪いながらも堕落していく。このように『復活』は容易に新派的な物語へと転換する★19。 

 ネフリュードフは原作でも善人だが未成熟な人物であり、映画ではさらに未熟な「クズ男」として描かれている。彼にはまったく真実が見えておらず、うわべの現実を信じ込み、カチューシャを何度も何度も誤解する。一方、カチューシャに関しては、物語の要所で、彼女のセクシャリティに、より焦点が合わせられている。ネフリュードフに誘惑される場面、淪落した娼婦生活、監獄署の病院で助手に手籠にされかける場面が特に強調されているのだ。男性キャラクターからの欲望のまなざしを女形スター演じるヒロインが受け、そしてその女形スターに女性観客が感情移入し、陶酔して涙を流すという、やや倒錯的な扇情性を帯びた作品なのである。 

 では当時、この「新派的モード」がどのように発動されたのか、活動写真館の上映環境を再現してみよう。撮影台本に「唄」と注意書きがされている箇所は、本作が活動写真館で上映された際に、スクリーンの脇で女性の声色弁士が「カチューシャの唄」を歌い上げた★20

「カチューシャの唄」が歌われるシーンは台本ではどうなっているのか、まずは抱月による芸術座の舞台版の台本を見てみよう。 

 

ネフリュードフ お前も一つ歌をお唄ひ。そしてお祈りをして願をかけやうよ。ね。 
カチューシャ でも、私、できないのですもの。それに叔母さまのお目をさますと大変ですわ。 
ネフリュードフ 大丈夫、低い声で歌つたらいいぢやないか。お前の名を入れた歌をお歌ひ。 
カチューシャ さうねえ、ぢや歌ひませうか?……(ちよつと考へて軽く手を拍ち) 
カチューシャかはいや/別れのつらさ 
せめて淡雪とけぬ間と/神にねがひをかけましょうか 
ジ、ジ、ジジピチツチ〔著者注:鳥の鳴き声〕 
ネフリュードフ もう一度、私も歌ふよ。 
(二人して手を拍ち低く歌ふ)★21



 同じ場面を映画『カチューシャ』の撮影台本と比較してみよう★22。 

 

ネフリュードフ 唄と云へばカチユーシヤ、お前も一つ唄つておくれでないか。 
カチューシャ でも私出来ないのですもの。それに叔母様のお目を覚ますと大変ですわ。 
ネフリュードフ 大丈夫。低い声で唄つたら好いじやないか、お前の名を入れたのをお唄い。 
カチューシャ さうねえ、ぢや、唄ひませうか。 
ちょっと考へて軽く手を拍ち 
 カチューシャ可愛や別れの辛さ、せめて淡雪解けぬ間と神に願ひをララかけましょうか 
ジ、ジ、ジジピチツチ 
ネフリュードフ もう一度私も唄ふから 
二人して手を拍ち低く唄ふ〔ト書〕 
カチューシャ可愛や別れの辛さ、今宵一夜に降る雪の明日は野山のララ道かくせ 
ジ、ジ、ジジピチツチ 
カチューシャ可愛や別れの辛させめてまた逢ふ夫れ迄は同じ姿でララ居てたもれ 
ジ、ジ、ジジピチツチ

 映画の撮影台本は、各々の台詞やト書、鳥の鳴き声まで抱月脚本と酷似しており、明らかに舞台版を参照していることがわかる。映画版『カチューシャ』は脚本家の桝本清が脚色を行なっている。当時、桝本は芸術座の他に、新劇(新派とは異なり非商業的な翻訳劇)を上演していた多くの劇団の一つである新時代劇協会に所属し、実際に大正3年の冬に北海道にてこの協会による『復活』上演を行なっていた★23。当時の新劇は他の劇団の脚本を踏襲することもあったので、芸術座版の『復活』にかなり依拠した形で映画の脚色も行っていたと推察される。 

『カチューシャ』スティル写真 左:立花貞二郎、右:関根達発 日本大学芸術学部映画学科所蔵
 

 だが舞台版と異なる点として、映画では以下の六つの場面で「カチューシャの唄」が挿入されている。 

①(第二景)ネフリュードフがカチューシャを誘惑し、ロマンティックな雰囲気のなかで彼女に歌わせる。 
②(第一六景)カチューシャがネフリュードフの子供を身籠った場面で間奏曲的に挿入される。 
③(第二八景)カチューシャが有罪と宣告され、後悔したネフリュードフが彼女の幻影を見るなかで唄が流れる。 
④(第三一景)シベリアに向かうカチューシャが女囚のフョードシャとともに、お別れに歌う。 
⑤(第三三景)カチューシャとともにシベリアに行くと決心したネフリュードフがカチューシャを見送るときに唄が流れる。 
⑥(第三六景)減刑され自由の身となったカチューシャがシモンソンと結婚することをネフリュードフに告げ、カチューシャとネフリュードフが和解して唄が聞こえてくる。 

 芸術座の舞台の方ではこのうち①カチューシャがネフリュードフと一緒に歌う箇所と、④カチューシャがフョードシャとともに歌う箇所の2度のみ歌われた。 

 映画版が舞台版と異なるのは歌が流れる回数だけでなく、この唄が間奏曲や伴奏音楽として効果的に用いられている点も挙げられる(②、③、⑤、⑥)。映画版では、「カチューシャの唄」は劇中歌として使用されることに加えて、ネフリュードフとカチューシャの恋愛を象徴し、動機付けるライトモティーフともなっている。この唄は特定のシチュエーションやキャラクターと結びつけられ、メロディとして反復されている。 

 このようにして、「カチューシャの唄」とともに上映されることで、活動写真館には「せめて又逢う/それまでは」と再会をいじらしく願い、「つらいわかれの/涙のひまに」と泣き濡れる新派的ヒロインが立ち現れた。流行歌に加えて、当時は活動写真弁士が各キャラクターの声色を演じるパフォーマンスもあり、弁士の語りも観客の涙を大いに誘った★24。身分違いの恋を感傷的に盛り立てる流行歌の効果と弁士の新派調の声色、そして立花貞二郎の可憐な演技によって、帝政ロシア社会に抑圧された女囚から新派的ヒロインへと変容したトルストイのカチューシャに、多くの女性観客が感情移入し、落涙したのである。 

 映画版『カチューシャ』は、芸術座の上演形態を新派映画の興行形態に適応させたことで、新劇の新派化と新派映画の新劇化の結節点とも言える作品となった。言い換えれば、西洋近代文芸は女形俳優の身体と映画の翻案を通して、新派的メロドラマとして受容されたのである。

『復活』の奇妙な続編・続々編


 大変な人気を博した映画版『カチューシャ』であったが、しかしながら、その後の『復活』の新派映画化は奇妙な道筋を辿っていく。まず、その人気にあやかって続編『後のカチューシャ』(1915年)が製作される。カチューシャは同じく立花貞二郎、ネフリュードフも同じく関根達発が演じているが、あらすじは原作からかけ離れていく。もっとも大きな違いは、タイトルの『復活』が意味するものが、原作におけるネフリュードフの精神的「復活」ではなく、カチューシャが途中で死んでしまい、その後、奇跡的に生き返るという意味での「復活」にすり替えられてしまっている点である。もはや翻案ではなく二次創作となっているのだ。 

 あらすじをかいつまんでご紹介しよう。 

 

  カチューシャはシベリアからサハリンに送られ、ネフリュードフに想い焦がれながら死ぬ。失意のネフリュードフはモスクワへ戻ろうとするが、日本海で難破し、救助されて日本にやってくる。貴族の邸宅に身を寄せたネフリュードフは、東京観光を楽しんだりして、祖国へは帰りたくないと思っている。 

 海に漂っていたカチューシャの棺は荒波に打ち砕かれる。すると、あら不思議、神のご加護でカチューシャは奇跡的に復活する。 

 時は流れて3年後。ロシアに戻っていたネフリュードフは、突如登場したミッシーという女性と結婚する。しかし、カチューシャと夫の関係を知ったミッシーは毒薬を飲んで自殺する。折から、第一次世界大戦が勃発し、ネフリュードフも戦地へ赴く。彼を追って戦地へ向かったカチューシャはドイツ軍に捕まり、敵国の赤十字の看護士として働く。伝令に失敗したネフリュードフもドイツ軍の捕虜となり、そこでカチューシャと再会。カチューシャは、ネフリュードフの代わりに密書を届けることに成功する。カチューシャのおかげでネフリュードフは輝かしい戦績をあげ、その成果によってロシア皇帝から勲章を授けられた二人は、再び結ばれる。 

 
 

『後のカチューシャ』スティル写真 日本大学芸術学部映画学科所蔵

 明らかに荒唐無稽な展開であるが、当時の批評★25では、「無理こぢつけの悪翻案よりも遙によい写真」と述べられ、撮影技法は写実的で、舞台装置も立派であり、色調はイタリア映画のようだと形式的な進歩を評価されている。この、まさしく荒唐無稽な物語展開やご都合主義的な結末は、家庭小説を彷彿とさせるものでもある。加えて、ミッシーの自殺という泣かせどころも配されている。ただし、主人公二人の名前以外、原作とは何の関係もない。 

 時節柄、日活向島は、第一次世界大戦をめぐる新派映画を数多く製作しており(たとえば1918年の『新召集令』など)、特に後半部分はその影響が強いと考えられる。実際、本作が上映された浅草の映画館では、「欧州大戦争」を描いた『軍時大活劇 少年義勇軍』が同時に上映されていた。この続編では、流行を何でも飲み込む新派のもう一つの側面が前面に出ているのだ。 

 大正4年(1915年)の『カチューシャ続々篇』を経て、大正8年(1919年)に、監督とキャストを一新した4度目の『カチューシャ』の映画化が公開された。このとき、立花貞二郎はすでに亡くなっていたため、カチューシャは東猛夫、ネフリュードフは山本嘉一、フョードシャおよびソフィヤは当時女形俳優として活躍していたのちの映画監督衣笠貞之助が演じた。内容は、原作を忠実に映画化するスタイルに戻っている。ジャンルとしても「新派悲劇」ではなく「翻訳劇」とされた。 

 さらに震災後の大正14年(1925年)に野村芳亭監督で再度映画化された際には、『復活』は「時代劇」と銘打たれている。本作に対しては雑誌『キネマ旬報』において「純然たる日本時代劇」★26と宣伝され、戦後刊行された『日本映画作品大観』においても「トルストイの「復活」の時代劇化」とある。だが、その後の1927年と1935年の映画化も含めてやはり映画が現存せず、批評記事も少ないため、残念ながら詳細は不明である。 

 このように、『復活』の映画化を振り返ると、それが新派悲劇からジャンル混合の翻案劇を経て、時代劇へと流行のジャンルを追いながら変遷してきたことがわかるのである。

『復活』最後の映画化『愛怨峡』──「新しい女性」への変容


 最後に、唯一フィルムが現存している作品を見てみたい。 

『復活』最後の映画化は、新派の巨匠である川口松太郎脚色による溝口健二監督の『愛怨峡』(1937年)である。すでに述べたように、新派映画は震災を機に廃れ、モダン都市東京の誕生とともに現代劇映画へと移行していった。したがって、時代的にはすでに新派映画ではなく現代劇映画となっているが、内容的には日本へ舞台を移したきわめて新派的な翻案劇となっている。あらすじは以下である。 

 

 信州の温泉宿で女中として働く私生児のふみは、若旦那の謙吉と恋仲になり、彼の子を身籠った。二人は東京に駆け落ちをするのだが、意志薄弱な謙吉は父親に連れ戻されてしまう。その後、生まれた子供を里子に出したふみは、ミルク・ホールの給仕から待合の女中、キャバレーの女給へと転落していくが、心優しい与太者のアコーディオン弾きの芳太郎と出会い、励まされる。二人は漫才コンビを組んで旅回りをし、信州に立ち寄ったふみは謙吉と再会する。ふみは子供の将来のために一度は謙吉の元に戻るが、本家父親の反対と芳太郎への情から、謙吉と訣別する。そして、ふみは芳太郎とともに漫才師として舞台に立つ。 

 

 先述したように、1920年代以降、新派映画から現代劇映画へと変遷していく際には、もはや女形俳優は起用されなくなり、女優が主流となる。それによって従来の新派映画で描かれてきた弱く苦しむ自己犠牲型の女性キャラクターだけでなく、独立心のあるモダンガールという新しい女性のイメージも描かれるようになった。新派的な『愛怨峡』は、母親を主人公とする、いわゆる「母もの映画」の一種であるシングルマザー物でもあるが、従来型の薄幸なヒロイン像から、自立していく「新しい女性」のヒロイン像へと変貌するプロセスを見事に描き出している。 

 たとえば、おふみが初めて登場するシーンは後ろ姿のみが提示される。最初は彼女の顔は見えず、主体性のないヒロインとして描かれるのだ。前半は幸薄い女性の新派的な物語として展開するが、それは終盤で一変する。おふみが子供を連れて謙吉の元を去るとき、彼女の顔はミディアム・ショットで捉えられ、封建的な家族制度に対してはっきりと「ノー」を突きつける表情が強く描写される。映画全体がロング・ショット中心に構成されていることを踏まえると、このおふみの寄りのショットは、より印象強いものとなる。 

 
 

『愛怨峡』(1937年、新興キネマ)

 おふみがその後女漫才師として自立し、パートナーの芳太郎と繰り広げる漫才はもっとも象徴的なシーンである。 

 

芳太郎、浪曲で 
 「所は信州、温泉の町、吹雪なる夜の物語、語るも涙、人の世の情けなき夜の冷たさよう……(と今度は活弁)情けの窓に降る雪は、傷んだおふみの胸に刺すやうに、触れては冷くふりしきるのでした……」 
おふみ、新派の声色で 
 「あなた、どうしてもお父様が一緒になるのをお許し下さらないなら、いつそ一思ひに殺して下さい」 
 「おふみ、許してくれ、みんな僕が悪るかつた、僕が弱いばつかりに……おふみ、死んでくれるか……」 
見物席。 
謙吉の、いたたまれない顔。 
(『溝口健二作品シナリオ集』文萃書房、1937年、234頁)



 この劇中劇としての漫才芝居では、1937年という時節柄、すなわち戦時の総動員体制に向かって全体主義的圧力が強まるなか、国家が求める「わが国独特の家族制度の美風を顕揚」★27することを茶化して、パロディとして描かれている。ここでおふみは、自己犠牲によって結局は家父長制に尽くしてしまうという新派的ヒロイン像を、かつての自分の姿に重ね合わせた。しかし、新派的な口調を交えた漫才という喜劇の形をとることで、おふみはそのヒロイン像をアイロニカルに演じきる。これまで何度も描かれてきた、抑圧された新派的ヒロインを、笑いによって覆していくのだ。 

 この漫才が披露される芝居小屋のシーンは、トルストイの原作におけるネフリュードフとカチューシャの裁判での再会場面を彷彿とさせる。このシーンで自らの罪を恥じてうつむき、柱に顔を隠そうとする謙吉の哀れな姿は、『愛怨峡』におけるもう一つの印象的なミディアム・ショットである。カメラはエゴイスティックで未熟な謙吉を断罪するかのように何度もカットバックして、身を隠そうとする彼の顔を暴いていく。その情けない視線に晒されながらも、舞台上で堂々と漫才を披露するおふみの姿は逞しく、眩しい。 

 このようにおふみは、本作のなかで、新派的な薄幸のヒロイン像から、堕落したモダンガールを経て、最終的に自ら道を切り開いていく「新しい女性」として造形される。さらに言えば、おふみを演じた女優山路ふみ子の身体を経由して「新しい女性」となったカチューシャは、終戦後の占領期に溝口が松竹で撮影した「女性解放三部作」の一つ『女優須磨子の恋』(1947年)において、「強いエゴと信念を持った闘うパイオニア」★28としての田中絹代演じる松井須磨子の身体へとその系譜を紡いでいくことだろう。

 日本において『復活』は、まず最初にネフリュードフ主体の原作から、松井須磨子という実在の舞台女優の身体を通じて、封建的社会の犠牲者であるヒロイン、カチューシャ主体の物語へと書き換えられた。カチューシャは、映画化に際して女形俳優のスター立花貞二郎が繰り返し演じることで新派的なヒロインとなり、抑圧的な家父長制に対して受動的な女性として描かれた。このヒロイン像はさらに、溝口健二監督の『愛怨峡』を経て、最終的には自らの芸で身を立てる「新しい女」へと変容を遂げることとなったのである。 

 こうしたカチューシャ像の変遷を振り返ると、『カチューシャの唄』の最後の第5番は、若旦那に捨てられた惨めなヒロインではなく、自分の足で人生の旅路を歩んでゆく逞しいヒロインを唄ったように聞こえてこないだろうか。 

 

カチユーシヤかわいや 
わかれのつらさ 
ひろい野原をとぼ〱と 
ひとり出て行く(ララ)あすの旅

 


★1 この曲はYouTubeや復刻版CDなどで聞くことができる。 
★2 『抱月全集』第5巻、1994年(初版1919年)、日本図書センター、662-663頁。 
★3 「メロドラマ」という言葉の日本における受容については以下を参照されたい。河野真理江「「メロドラマ」映画前史 日本におけるメロドラマ概念の伝来、受容、固有化」、上田学・小川佐和子編『新派映画の系譜学 クロスメディアとしての〈新派〉』、森話社、2023年、157-184頁。 
★4 土屋松濤による活弁の記録音源(ニッポノホン)が現存している。なぜか坪内博士のキャラクター名はそのままである。1906年、坪内逍遥は島村抱月らとともに文芸協会を結成し、新劇運動を推進した。その後、島村抱月は松井須磨子との不倫問題が原因で文芸協会を脱退し、芸術座を設立した。★11も参照されたい。 
★5 新派の歴史から現在地に関しては、下記の展覧会カタログを参照されたい。『新派SHIMPA アヴァンギャルド演劇の水脈』、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2021年。 
★6 斉藤綾子「新派的なるもの ある考察」、『新派映画の系譜学』、85-120頁。 
★7 神山彰は川口松太郎による花柳界や夜の女たちが描かれた作品をウェットな「夜」の世界、中野實による明朗な喜劇の新派作品を「ケ・セラ・セラ」な「昼」の世界と表現している。神山彰「中野實の「喜劇」と「青春」 もう一つの新派」、『新派映画の系譜学』、315-354頁。 
★8 日活向島で製作された新派映画『生ける屍』(1918年、田中栄三監督)もトルストイ原作(1900年)の映画化である。監督は田中栄三、脚色は桝本清、主演は立花貞二郎と山本嘉一である。立花に加え、まだ若かりし頃の衣笠貞之助が女形としてサーシャを、同じく新人女形の東猛夫がマーシャを演じている。こちらも松井須磨子一派が明治座で上演した舞台を参照している。『カチューシャ』と同様に、「さすらひの唄」「酒場の唄」という小唄がライトモティーフとして繰り返し挿入されている。酒場のダンス・シーンでは歌劇座座員の石井漠や澤モリノがジプシーのダンサーを演じており、他にも4名の女性ダンサーが出演している点はかなりモダンな様相を呈している。 
★9 トルストイを主に翻訳した内田魯庵やその他の翻訳の詳細については、以下を参照。蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』、東洋書店、2012年。加藤百合『明治期露西亜文学翻訳論攷』、東洋書店、2012年。 
★10 上田学の研究によると、鈴木要三郎は、東京外国語学校露西亜語科の出身であり、後輩に二葉亭四迷がいた。日活向島がロシア文学に基づく文芸映画を製作していた背景には鈴木の影響があるという。上田学「日活向島再考 その歴史的意義について」、同上、39-44頁。 
★11 自由劇場(1909-1919)は、劇作家の小山内薫と歌舞伎俳優の二代目市川左團次が率いた新劇運動。芸術座(1913-1919)は、島村抱月が、須磨子らを中心として創設した劇団である。文芸協会も自由劇場と並び新劇運動を先導していった。近代劇協会(1912-1919)は、ハリウッドスターでもあった上山草人とその妻山川浦路が伊庭孝らと創立した新劇の劇団である。 
★12 山本喜久男『日本映画における外国映画の影響 比較映画史研究』、早稲田大学出版部、1983年、13頁。 
★13 本多秋五「『復活』について」『トルストイ論集』、武蔵野書房、1988年、583頁。 
★14 イェー・ペー・アンドレーェワ(小椋公人訳)「長編「復活」」ソ連邦科学アカデミー編、『トルストイ研究』未来社、1968年、261頁。 
★15 川村花菱『芸術座盛衰記 松井須磨子』、青蛙房、2006年、154頁。 
★16 永嶺重敏『流行歌の誕生 「カチューシャの唄」とその時代』、吉川弘文館、2010年、28頁。 
★17 近松秋江訳『世界大衆文学全集 カチユウシヤ』、改造社、1929年、1頁。 
★18 多田道太郎「『復活』」『文芸読本トルストイ』、河出書房新社、1980年、54頁。 
★19 1921年に新光社より出版された、翻訳家の小田律による『復活』の翻案も「西洋講談 恋のカチユーシヤ」と題されており、恋愛が物語の軸となっている。 
★20 田中純一郎『日本映画発達史I 活動写真時代』、中公文庫、1975年、220頁。 
★21 『抱月全集』、601頁。 
★22 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵。 
★23 永嶺、125頁。 
★24 本作の上映状況とその映画史的背景については、以下を参照されたい。谷口紀枝「新派映画の音 初期時代の映画常設館における女性の声について」、『映画学』第34号、2021年、7-21頁。 
★25 「カチューシヤの復活 三友館」、『活動写真雑誌』、1915年12月、98頁。 
★26 『キネマ旬報』195号、1925年6月1日、23頁。 
★27 田中純一郎『日本映画発達史III 戦後映画の解放』、中公文庫、1976年、13頁。内務省映画検閲当局と東宝を除く映画会社のシナリオ作家代表が協議を行い、決定した項目の一部である。 
★28 木下千花『溝口健二論 映画の美学と政治学』、法政大学出版局、2016年、364頁。

小川佐和子

1985年山梨県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科にて博士号取得。京都大学人文科学研究所助教を経て、現在は北海道大学大学院文学研究院准教授。専門は映画史、オペレッタ研究。著書に『映画の胎動──一九一〇年代の比較映画史』(人文書院、2016年)、編著書に『新派映画の系譜学──クロスメディアとしての〈新派〉』(森話社、2023年)など。

2 コメント

  • aike888g2023/10/08 00:36

    初めて知るような内容ばかりで、読み応えがありたいへん面白かったです。1915年の『後のカチューシャ』でカチューシャが死んで生き返る謎プロットがいきなり爆誕しているあたりなどは笑えました。いまで言う原作ファン激怒案件。ただ、いわゆる原作厨の問題というのも「翻案」ではなく「翻訳」文化のほうが日本に強く根付いたことに関係があるとすれば、意外と根深い話なのかもしれないと思いました。 新派の「お涙頂戴のメロドラマ」的なものが批評家筋からは通俗だとされ評価されなかった……という構造は、大衆文化を軽視する現代のインテリのことも想起させます。しかしヒロイン像が時代に応じて書き換えられていく過程ひとつ見ても、大衆的なメロドラマ無くして文化の発展的継承もなかったのではないか。トルストイの『復活』はあいにく未読ですが、たとえば記事中でも名前が出ていた尾崎紅葉の『金色夜叉』など、今読むと荒唐無稽なパワーに溢れていて面白い。文化の価値は同時代的なものさしだけでは測れないのでしょう。 なお今回がwebゲンロンへの初コメントです。ここまで濃密な記事が読めるweb媒体は稀有だと思うので、応援しております。

  • GGG2024/04/11 16:17

    トルストイの著作で唯一読んだ事があるのが『復活』です。 扇情的なあらすじに惹かれて読んだ割には面白くなかった印象でしたが、日本でこの様な需要のされ方をしていたとは思いも寄りませんでした。 日本とロシアの浅からぬ関係をうかがい知ることが出来ました。 また、新派映画の存在は聞いた事が無かったので大変興味深く読ませて頂きました。是非一度女形の演技を観てみたいものです。

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