コロナの肖像/災害の風景──『新写真論』補遺|大山顕

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初出:2020年10月23日刊行『ゲンロンβ54』
 10月23日配信予定の『ゲンロンβ54』より、大山顕さんひさびさのご寄稿となる「コロナの肖像/災害の風景」を先行公開します。
 その原因も結果も可視化されない新型コロナウイルスの流行。ウイルスという「敵」をつくり、その敵に「顔」を与えさえすれば、わたしたちはウイルスに「勝つ」ことができるのでしょうか。どうしてわたしたちは、現在の状況を、わかりやすく、きれいなものとしてビジュアル化してしまうのでしょうか。ゲンロン叢書で大好評、紀伊國屋じんぶん大賞2021で第9位にランクインした『新写真論』補遺としてもぜひお読みください。(編集部)
 
「新型コロナウイルス」と聞いて、どんなビジュアルを思い浮かべるだろうか。多くの人が次の画像を想起するのではないか【図1】。ニュースサイトやテレビなどで使われていて、いまや世界で最もよく見られている画像と言えるだろう。これは米疾病対策センター(CDC)のアリサ・エッカート氏とダン・ヒギンス氏によるイラストである。

【図1】出典=CDC/ Alissa Eckert, MSMI; Dan Higgins, MAMS
 

 本稿で考えてみたいのは、目に見えない災厄をビジュアルによって示すことについてだ。そもそも「コロナ」という名前がウイルスの見た目に由来している。現代人がビジュアルに深く依存していることを表していると思う。

 まず、ぼくにとってこのイラストが興味深いのは、その絵作りがスマホのポートレイト・モードによる撮影に似ている点だ。多くのスマホのカメラアプリに搭載されているポートレイト・モードは、瞳を中心にピントを合わせ、それ以外の部分、耳や首の側面、背景をボカす処理を行う。この新型コロナウイルスのイラストも、中央にだけピントが合っていて、側面に回り込んだ部分が極端にボカされている。つまりこれはコロナウイルスの今時風の「肖像写真」なのである。

 このような一部だけにピントが合ってそれ以外はボケている絵作りは、ポートレイト撮影のセオリーとしてスマホ以前から定番になっている。長めの焦点距離を持つ明るいレンズを一眼レフカメラに取り付け、絞りを開けて撮るとこうなる。いわゆる被写界深度が浅い写真である。ところがスマホに付いているレンズはこのようなボケを演出できる性能を持っていない。ポートレイトモードによる写真は画像を処理して作られたものだ。つまりわざわざボカしている。同じように、このウイルスのイラストもわざわざボカして描かれている。さきほどから「イラスト」と述べているように、これは写真ではない。この被写界深度の浅さは、わざと描かれたものなのだ。色も同様だ。灰色の球体から生えている突起がいかにも毒々しい朱色で描かれているが、実際にはこんな色ではない。そもそもウイルスの大きさは可視光線の波長より小さいので、人間にとっての色というものがそこには存在しない。ボケといい、カラーリングといい、この「肖像写真」は実に「映える」ように演出されているのだ。

 写真について詳しい人なら、この被写界深度の浅さは、顔写真に似せた結果ではなくウイルスの小ささを示した演出だ、と言うだろう。被写体が小さくなると、すべてにピントを合わせるのがむずかしくなり、結果としてこのようなボケになるからだ。たぶんその通りで、ポートレイト・モードの写真に似ていると思うのは、ぼくの穿ち過ぎだろう。しかし一方で、実際にアリサ・エッカート氏とダン・ヒギンス氏はインタビューで「私たちはウイルスに『顔』を与えたのだ」と言っている★1。いずれにせよ、ほんらい見えないウイルスに「顔」を与えた結果、それがポートレイトの演出に似た、というのはたいへん興味深い。

ウイルスは「敵」なのか

 未曾有の混乱を引き起こした元凶であるウイルスの「肖像写真」が世間に流布しているという状況は、あるものを彷彿とさせる。それは「指名手配」だ。エッカート氏は先のインタビューで「あまり明るい雰囲気にはしたくなかったが、かといって恐怖感を与えることも望ましくない。それにリアルな感触を持たせたかった」とも言っている。これはまさに指名手配の似顔絵作りそのものではないだろうか。要するに、コロナウイルスは人類の「敵」として指名手配されているのだ。2020年3月28日、ドイツのメルケル首相は、ポッドキャストを通じた国民へのメッセージのなかで「ウイルスとの戦いでは、1人ひとりが当事者です」と演説した。いまやぼくらが行っているのは公衆衛生や治療というよりも「敵」との「戦い」なのだ。

 しかしぼくは思う。ほんとうにウイルスは「敵」なのだろうか、と。そして病を「敵」に対する「戦い」として認識することで、ぼくらはなにか見失っているのではないか、と。目に見えない脅威に対処するために、人はしばしば感情的に「敵」を作りだすが、それでよいのだろうか。

 ウイルスは病の原因であり、ならば撲滅すべき敵である、それは当たり前ではないかと現代人なら思うかもしれない。しかし百数十年前まで人類はウイルスを知らず、従ってそれまで人々は病に対してもっと別の見方をしていたはずだ。もちろんウイルスの発見をはじめとする科学の成果は多くの人命を救った。それは人類の輝かしい勝利である。

 しかし、病原と症状が病のすべてではない。疾患に伴って発生するあらゆるできごともまた対処すべき問題なのだ。そのできごとには肉体的なことだけではなく精神的、経済的なことも含まれる。さらに個人的なことだけではなく、社会的、政治的なことも。特に大規模な感染が発生したときにはこういった疾病そのものの外部で起こる問題が重大になる。これは今回のパンデミックでみなが実感したことだろう。現に今回、世界中で感染が広まると同時にさまざまな問題が発生している。ウイルスだけを戦うべき「敵」としてしまうと、こういった外部の問題を引き起こす元凶のほうが見えなくなってしまうのではないか。

 しかもこういった外部の問題は弱者に襲いかかる。なぜならその元凶はウイルスではなく社会のほうにあるからだ。ウイルスを唯一の「敵」とすることは、パンデミックを人間社会の力関係が関与しない天災なのだと思わせてしまうのではないか。あたかも気まぐれな自然が格差を超えてあらゆる人々に「平等に」被害を与えたと。ぼくが懸念しているのはそういうことだ。

 病はほんらい複雑なものなのに、ウイルスの発見によって、「敵」によって引き起こされるものだ、という風に単純化されてしまった。これは先に言った「人はしばしば感情的に『敵』を作りだす」という現象と結果的には同じだ。科学的成果が人間の不合理な反応と一致してしまうとは皮肉なものである。

 なにが言いたいのかというと、ウイルスの正体と感染メカニズムを明らかにし、それに対処するというのは対策の一部でしかなく、社会において病をどう認識するかも重要であり、それには病の表象の仕方が大きな影響を及ぼすのではないか、ということだ。

 

 細菌よりも小さく、光学顕微鏡では見ることができない病原、現在ウイルスと呼ばれているものの存在が報告されたのは19世紀の終わりである。電子顕微鏡を用いることでそれがはじめて可視化されたのは1935年、アメリカの生化学者・ウイルス学者のウェンデル・スタンリーによってだ。人間の病気の歴史からすると、ウイルスが姿形を持つようになったのはつい最近のことなのだ。細菌にしろウイルスにせよ、病原体は肉眼で確認できない。見えるのは病に冒された人間の姿だ。そして前述したような病の外部で起こる問題の原因もまた社会的なものであり、目に見えない。「原因」は見えず「結果」だけが見える。ここに病を表象することのむずかしさがある。

 ウイルスが発見される前、中世ヨーロッパで猛威をふるったペストは、患者を治療する医師の独特のいでたちによって表象された【図2】。日本においては、ウイルスと同じように目に見えない災害の代表として地震があり、それは鯰として描かれた。大鯰を退治したりあるいはなだめすかしている錦絵を見たことがあるだろう。東日本大震災では、さらにそこに原発事故によって放出された放射性物質というこれもまた目に見えない災厄が加わり、これはシンボル化されることなく今にいたっている。こうなると、病に限らずほとんどの災厄において、その原因は見えないものなのかもしれないと思えてくる。

【図2】〈医師シュナーベル・フォン・ローム〉パウル・フュルスト(1656年)
 
 ウイルスを発見し、さらにその形を描き出すのは容易なことではなかった。科学の勝利だ。しかしここにたどり着くまでの困難とその克服の達成感が、ついに秘密を見つけた、と人間に思わせたのかもしれない。ゲームに喩えれば、何度も失敗しとうとう出会うことができるのが「ラスボス」なのだ。そしてラスボスを倒しさえすれば世界は救われる。逆説的だが、見るのがむずかしいからこそ、ウイルスをすべての原因だと思い込んでしまうのかもしれない。

天罰と陰謀論

 そもそも災厄が合理的な「原因」によってもたらされるという考え方自体が、比較的新しいものだ。ただ、なんらかの「理由」があって災いが引き起こされるという発想は、細菌やウイルスの発見や地震が起こるメカニズムの解明以前からある。そのひとつが「天罰」だ。たとえば関東大震災後、これは天罰だという言説が多くなされた。最も分かりやすいのは、北澤楽天によって震災と同じ年1923年に描かれた風刺漫画だ【図3】。「地震にめなをされたる悪風潮」とあり、人間と同じ大きさの鯰が派手に着飾った女性の服を乱暴に剥ぎ取ろうとしている。彼女の外套には「虚栄虚飾」と書かれ、代わりにこれを着ろと大鯰が差し出す真っ黒な服には「質実剛健」と記されている。北澤楽天は2年後にも、「軽佻浮華」と書かれたパラソルを片手にした赤いワンピースの女性と、燕尾服を着た男性が、陽気にステップを踏むその上で、大鯰が「ホントに目がさめるやうにモ一ぺんゆすってやらうか」とすごむ漫画を描いている【図4】。

【図3】北澤楽天「時事漫画」、133号、1923年
 
【図4】北澤楽天「時事漫画」、228号、1925年
 

 ここで思い出すのは東日本大震災後、当時東京都知事であった石原慎太郎の「天罰発言」である。「津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年に溜まった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う」と、錦絵の鯰とまさに同じことを言った。この発言は批判を浴び、彼は記者会見で謝罪をしているが、後にインタビューで再び「日本全体が弛緩してきたので1つの戒めだという意味で言ったんだ。私だけじゃないんですよ。関東大震災のときも新渡戸稲造とか、当時の代表的な知識人が、『これは天罰だ』と言っているんですよ。大正デモクラシーでみんなが浮かれて、ふわふわしているときに関東大震災が起きた。そういう意味で僕は言ったんですよ」と発言している★2。このインタビューのタイトルは「石原慎太郎氏:今、明かす『天罰発言』の真意」だ。つまり、歴史上の偉い人も同じことを言ってるんだから、自分は間違ってない、というのが彼の「真意」であるというわけだ。興味深い。

 関東大震災当時すでに地震のメカニズムは解明されつつあったし、現在はもちろん地震が超自然的なものではないことをだれもが承知している。それでも人は災害を天罰ととらえたくなるようだ。このように思う理由のひとつは「原因」が肉眼で見えないからだとぼくは思う。科学的に特定され、イラストでその姿形が示されているとは言え、肉眼で見えないものを「敵」として認識するのはむずかしい。

 ウイルスの存在否定論者も、このむずかしさにたえられなくなった人々なのだろうと思う。その気持ちはよく分かる。世界中にこのような説を唱える人々がいることは、この考え方が特定の宗教や文化に依存したものではないことを示しているだろう。つまり、単純に「見えないものは信じられない」というわけだ。神も見えないが、物語や音楽、絵画、建築などあらゆる表現が信じることをサポートしている。ウイルスの存在を信じるためには同様の表現の厚みと伝統が必要だろう。

 興味深いのはウイルス否定論者の中に、他の見えないものも合わせて否定する人がいる点だ。8月にマドリードで起こった政府のコロナ対策に抗議するデモのニュース写真に、そういう人物の姿があった。このデモに参加した人々は、各国政府は存在しないウイルスを使って市民の自由を抑制しようとしている、という陰謀論を唱えていたが、その中に「No ワクチン、No 5G、No マスク」と書かれたプラカードを掲げる人がいたのだ★3。つまりワクチンを構成する細菌・ウイルス、電波通信規格、そしてコロナウイルスのいずれもを陰謀だと主張しているわけだ。この3つには肉眼でその存在を確認できないという共通点がある。陰謀論は、「敵」を政府という目に見えるものに移し替えることで納得する行為と言えるだろう。肉眼で見えないウイルスよりも政府の存在のほうが信じられるというわけだ。

 そもそも、ウイルスが増殖する仕組みを考えればこれを単純に「敵」とすることはむずかしい。ウイルスを増やすのは宿主の細胞である。細菌は自分の力で細胞構成成分を合成できるが、ウイルスはそれができない。ウイルスを作るのはぼくら自身の細胞だ。「敵」として認定するには、まずその存在と自分とを区別しなければならない。しかし、自分とウイルスとの間に明確に線を引くのはむずかしいのではないだろうか。
 しかも今回の新型コロナウイルスに関して言えば、人に感染させるのは人だ(現時点で他の動物への感染は確認されていない)。つまり「原因」はぼくら自身だ。そういう意味では天罰のほうが陰謀論よりもウイルスの本質を現しているのかもしれない。天罰とはぼくら自身が原因である、という考え方なのだから。

「敵」とはわたしたち自身である?

 この、ぼくら自身が「原因」である、という点で、講談社の「MANGA Day to Day」というプロジェクトで発表されたある漫画が興味深い。このプロジェクトは109人の漫画家が、コロナ禍の日常をテーマに日替わりでリレー連載したもの。Twitterで毎日アップされた。2020年の6月15日に第1回がポストされ、9月22日に更新終了している。ぼくがたいへん興味を引かれたのはその第1回だ。作者はちばてつや。コロナのニュースを見ながら作者自身が思ったことを描いたエッセイである。

『悪魂(あくだま)』と題されたこの4ページの作品で、ちばてつやはコロナウイルスのキャラクター化にチャレンジする。「コロナウイルスってやつは/ふだんは掴みどころがなく……/どこに居るんだか居ないんだかわからないクセに……/お年寄りや弱者とみると手かげんなしで襲いかかる」とコロナウイルスの「悪玉」ぶりをつぶやく。そして「そんな奴……人間社会にもけっこう居るよなあ」と思いつき、ウイルスを漫画のキャラクターにしようとデッサンをはじめる。「いったいどんな顔してんのかなー」と。ところが「だめだ……浮かばん!!」とキャラ化できないまま、最後はアマビエを描いて「いやはや……ヤツの顔がどうしても出てきませーん/どなたか考えてくだされ」と断念して終わる★4

 つまり、キャラ化のプロである漫画家、しかも御大をしてウイルスを「敵」(悪玉)として描くことをためらわせたわけだ。これは病の表象のむずかしさをよく表していると思う。そして注目すべきなのは、キャラ化を諦める前にひとつ試作を描いて消しているのだが、それがちばてつや自身の似顔絵だということだ。丸い顔の輪郭、はげ頭にちょろちょろと生えた髪の毛が描かれたそれは、まさに冒頭のコロナウイルスのイラストに似ている。これは「コロナ禍に『敵』がいるとすれば、それはわたしたち自身である」ことを表している★5

 あらためて言われてみればその通りだ。現在ぼくらが警戒しているのはウイルスそのものというより、それに感染している(かもしれない)他人および自分自身だろう。ただ、ではこのような、いわゆる「敵」など存在せずぼくら自身が「原因」なのである、というストイックな考え方が病の表象として適切かというと、これもまたむずかしい。

 現在、新コロナウイルスに感染した者は、いわば「敵」に乗っ取られて敵と化した者として忌避される。まるでゾンビのメカニズムだ。ゾンビ扱いとまでは行かなくとも、感染が判明したとたん「夜の街に繰り出したのではないか」「マスクをしていなかったのではないか」など、しかるべき感染対策を怠るという罪を犯した「犯罪者」のようにも言われる。思えば、体液を検査され、接触した場所や相手が調査されるという感染の検査は犯罪捜査の手続きに似ている。共通の敵と戦う同胞だったのに、感染したとたん「向こう側の人間」として扱われる。
 結局、自分自身あるいは家族や親しい人が感染してみなければ「『敵』などいないのだ」という考え方を持つのはむずかしいのだろう。「他人」を「敵」認定する誘惑に勝つのは困難だ。ちばてつやが自身の似顔絵をコロナのキャラとして扱うという秀逸なアイディアを試しておきながら断念したのは、こういうむずかしさがあったからなのではないか。

 ここでいまさらながら、なぜ写真家のぼくがこうまでウイルスについて考えるようになったのかを説明しよう。それはウイルスも写真も「うつす」ものだからだ。どちらの言葉も「移す」に由来している。カメラは撮る側と撮られる側の間に線を引く装置だった。それゆえしばしば他人を撮影することの暴力性が議論される。ある意味、人に病をうつすこととカメラで写真を撮ることは似ている。だからぼくはウイルスに興味を持った。ちなみに、この構図が大きく変わったのがスマホによる自撮りである。このあたりの話は『新写真論』に書いた通りだ。

ウイルス肖像画の感染

 日本外国特派員協会(FCCJ)会報誌の2020年4月号は、東京五輪エンブレムをコロナウイルスの形にもじったイラストを表紙に飾った。後に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会から抗議と著作権侵害の指摘を受けて取り下げと謝罪が行われたが、このイラストは拡散され、さまざまなところで2次利用された。中でも興味深いのは、2020年5月22日に行われたデモのプラカードだ★6

 これは、中央に問題の会報誌の表紙イラストと全く同じ、コロナウイルスの形にされた東京五輪エンブレムが大きく置かれ、その上下に「Protect TOKYO from the HATE Virus!」と書かれたデザインになっている。このプラカードが使われたデモは、東京都と小池百合子都知事に対する抗議として、2020年5月22日に行われた。

 開催にいたる顛末はこうである。毎年9月1日に都立横網町公園で関東大震災の朝鮮人虐殺犠牲者への追悼式典が行われてきた。これに対し、虐殺の事実を否定する団体も2017年から同じ横網町公園で「慰霊祭」を開催するようになった。2019年には抗議側との衝突もあった。こうした中、同年末に東京都が、管理に支障となる行為をしないなどの条件が守れない場合は「管理者が集会の中止を指示したら従います」とする誓約書の提出を双方の主催者に求め、問題となった★7。歴代の都知事は式典に追悼文を送ってきたが、小池百合子知事は2017年からそれを見送っている上、「犠牲者数についてはさまざまな意見がある」という発言もしている。5月22日のデモ参加を呼びかけたツイートには「#0522小池百合子は差別をやめろ都庁前」というハッシュタグが付けられ、前述のプラカード画像がポストされた。

 先ほど「目に見えない脅威に感情的に対処するために、人は『敵』を作りだす」と言ったが、その最も悲惨な忘れてはならない例のひとつが、この関東大震災の際の朝鮮人虐殺だろう。
 このプラカードのデザインで注目すべきは、FCCJ会報誌のイラストが使われたのと同時に「HATE Virus」と記された点だ。ここではヘイトという目に見えないものが、ウイルスによってビジュアル化されている。ぼくも都の対応と知事の発言は言語道断だと思っているが、この「ヘイトは感染する」と受け取れるデザインには薄気味悪いものを感じる。ヘイトには「元凶」があって、油断するとそれに「感染」してしまう、という考え方はたいへん危険ではないだろうか。このプラカードを作った人にそんな意図はないだろうが、ウイルスに喩えることはそういう意味を持つだろう。しかも、このプラカードのデータはセブンイレブンの「ネットプリント」にアップされていて、デモに参加する人はだれでもプリントアウトすることができた。あたかもウイルスをモチーフとしたその内容に沿うかのように、彼らのほうもコピーが増殖することを狙っていたのだ。

「原因」も「結果」も見えない

「原因」についてはこれぐらいにしておいて、ここからは「結果」のビジュアル化について考えよう。病は基本的にその「原因」が見えず「結果」だけが見える、と先ほど書いたが、現在の新型コロナウイルスの流行においては、この「結果」のビジュアル化もむずかしい。病は街の風景をそれほど変えない。たしかに店舗が軒並みシャッターを下ろし、鉄道車内の人が減り、人々はマスクをするというような変化はあるが、地震や津波、戦災がもたらしたような壊滅的な風景の変化は生まれていない。

 風景が一変することが人々の心理に与える影響は大きい。たとえば、ぼくは東日本大震災の後、Twitterで呼びかけて、鉄道が止まり帰宅難民になった首都圏の人々がどのようにして家まで帰ったかについて調査を行った。その結果150通ほどの「帰宅ログ」が集まり、興味深い発見がいくつもあった。そのひとつに「他人に話しかけることができなかった」というものがある。

 このときは、はじめて職場から自宅までをすべて徒歩で帰宅した人がほとんどで、多くの人が道に迷っている。当時は現在ほどスマートフォンの普及率は高くなく、またバッテリーの持ちも悪かった。だから地図アプリに頼ることができないケースが多かった。ぼく自身も帰宅途中の路上で街灯の明かりを頼りに必死に紙の地図を見る人をみかけた。コンビニの地図の棚は空になっていた。

 一方で、だれもが歩いて帰らざるをえなくなっていたので、都心から郊外までの主要な道路の歩道は人であふれていた。つまり、道を尋ねるべき相手はまわりにいくらでもいたのだ。それでもみな口を開くことなく黙々と孤独に歩いていた。ぼく自身もそうだった。ぼくらは見知らぬ他人に声をかけて一時的に連帯するためのプロトコルを持っていない。

 思うに、東京都心部の街の風景はほとんど変わらなかったので(もちろんいくつか建築物の被害はあったが、東北の光景に比べれば微々たるものだった)、人々の意識が非常時モードに切り替わらなかったのだ。あちこちでビルが倒壊して道が通れないような状態だったならば、さすがのぼくらも隣を歩く人々と協力し合ったはずだ。
 もちろん、コロナ禍にも災害風景は存在する。パンデミックにおける最大の災害風景とは、病に苦しむ人々、そして亡くなった人々の姿だ。しかしそれらのビジュアルは現在報道されることはまずない。かくして現在ぼくらはコロナ禍の「原因」も「結果」も見ることができない。ニュースに流れる映像はもっぱらパンデミックが引き起こした社会現象だ。いま起こっていることをビジュアルの面から言うと「見えない災い」ということになるだろう。見える「結果」はせいぜいマスクをした人々の顔ぐらいだ。

災害のスペクタクル化

 さきほどから折に触れて比較の対象にしている関東大震災は「結果のビジュアル化」という点から見ると、今回のコロナ禍と対照的だ。東京の風景が一変したことはもちろんだが、それだけではない。災害の風景がさまざまな形で視覚的に表現されたのだ。たとえば日本画家の西澤笛畝てきほらは全36図からなる『大正震災木版画集』という版画集を出版し、壊滅した東京の風景をロマンチックとも言える筆致で描いた。それは単なる記録というだけにとどまらない、いわば美的な作品であった。また、東京府、新聞社、市民団体などが、震災と完遂されつつあった復興を記念する展覧会をこぞって開催し、いずれもたいへんな人気を誇った。そこでは被災した建物の一部などのほか、芸術家や建築家が作ったさまざまな視覚資料が展示された。

 関東大震災が東京を襲ったのは、日本において近代的な視覚芸術・技術が花開いた時期であった。そのことがこれら芸術家たちによる「結果のビジュアル化」を強力に推し進める原動力となったのだろう。震災後各地に建ったバラックを調査した今和次郎の仕事などもそのひとつではないか。だとすれば考現学とは「災害がもたらした現在の状態を考える」という「結果のビジュアル化」を発端としているわけだ。

 これら美的な「結果のビジュアル化」は、災害のスペクタクル化であったとぼくは思う。当時の美術家たちは意識的・無意識的にこの悲劇をスペクタクルとして市民にプレゼンテーションしたのだ。ジェニファー・ワイゼンフェルドは『関東大震災の想像力: 災害と復興の視覚文化論』で「芸術家たちは、災害経験の主観的・感情的性質をきっぱりと肯定した。彼らは1923年の大地震への対応として、印刷物を、スケッチを、絵画(水彩画や油彩画)を、漫画を大量に生産し、それから言うまでもなく、彫刻や建築による重要な記念碑を数多く制作した。[中略]芸術や英雄的な芸術家もまた、人々が災害の主観的・情動的性質を体験できる大衆的なパイプとなったのだ」と指摘する★8

 災害のスペクタクル化とはなにか。それはインパクトを持った表現を、娯楽的な要素であると同時に道徳的な感情を呼び覚ますものとして使うことだ。そしてこれは写真とたいへん相性がよい。写真によってもたらされる視覚経験は客観性と感情的なものとを併せ持つからだ。人々が見るのは生の風景ではなく、写真機という「客観的」な装置に写し出された像である。このことは、逆説的だが、写真は主観によって誇張されていない(とされる)ためによりいっそう衝撃的に受け止められる。それが冷静で「客観的」なまなざしであるがゆえに、それを目にしたときに感じる「主観的」な感情が確かなものとして保証されるわけだ。だから写真はセンセーショナルなのである。
 写真による震災のスペクタクル化の最も分かりやすい例は、当時大量に出回った死体の写真だ。当局は遺体写真を流通させることを禁じたが、絵はがきも作られたし、新聞もこぞって掲載した。関東大震災前後は日本における写真文化が大きく花開いた時代である。これら遺体写真を多くの人々が見たがったのは、おそらく不謹慎な欲望によるだけではなく、その悲惨さに胸を痛め、その後の復興を期待するという道徳的に正しい感情も味わいたかったためだろう。そして同時に、このようなスペクタクルをもたらすことができる写真というメディアの力それ自体にわくわくさせられてしまったからではないだろうか。

インフォグラフィックという「災害風景」?

 さきほど、現代は災害の結果は見えなくなっていると書いたが、ここまで考えると、実はコロナの「結果のビジュアル化」がひとつだけ存在することに気がつく。それはインフォグラフィックだ。各国の感染者数、感染者数の増減、感染防止対策の有効性、人種別の感染者数……。見ること自体が楽しくなるほどに綺麗にまとめられた図たち。ここ数年、グラフや概念図のビジュアルが急速に洗練された。今回のコロナ禍下でそのテクニックが遺憾なく発揮されている。このテクニックを世に広めた人物はデビッド・マキャンドレスという人物だ。イギリスのデータジャーナリスト/情報デザイナーである彼は、その名も「Information Is Beautiful」というブログを運営し、同名の本も出版している。

 インフォグラフィックは主観の入り込まない「客観性」を謳いつつ、「映える」画面作りがなされることで視覚的な快楽と同時に道徳的な感情を呼び起こす。「わかりやすさ」が見る人に事態の深刻さや医療従事者の奮闘ぶりなどを伝えるからだ。インフォグラフィックはコロナ禍の「災害風景」であり、現代における災害のスペクタクル化なのだ。実際、マキャンドレスはインフォグラフィックを「景観」に喩えている★9。そして、関東大震災の死体写真に人々が夢中になったのと同じように、現代のぼくらはそのスペクタクル性に魅入られてインフォグラフィックをSNSでこぞってシェアする。

 いや、インフォグラフィックをコロナ禍の「災害風景」と呼ぶのは間違っているだろう。ほんらい風景には無限の情報が含まれていて、さまざまなスケールで見ることができるものだ。災害で焼け野原になった風景から道徳だの天罰だのを見いだすようにするのは表現の仕業だ。絵画や写真などがそれをなす。風景そのものに「意味」はない。だから特定の意味を表現するために綺麗にまとめられたインフォグラフィックは風景ではない。

 マキャンドレスはインフォグラフィックの効用を「ストーリーが伝わり重要な情報だけに集中できるように」すると解説している★10。そこではだれかが「ストーリー」や「重要な情報」を決めている。それは災害風景を写し取った写真のようなものだ。さしずめコロナ禍の風景は、統計的にまとめられる以前の膨大な生データあるいはそれを生み出すあらゆる現象と人間の活動ということになるのだろう。言うまでもなく人間はこれを認識することはできない。やはりコロナ禍の風景は見えないままなのだ。

 
 実はインフォグラフィックの前身とでも言えるものが関東大震災後でも氾濫していた。前述した震災を記念した展覧会や冊子や新聞などのメディアで、多くのビジュアル資料が展示されたのだ。被害はどれぐらいのものだったのか、そして今後どのように復興していくべきかを説く言説が、棒グラフや折れ線グラフ、マップや平面図などの「科学的な図表」で示された。これらのビジュアル資料が出回った背景には、市民の科学リテラシーの向上がある。大正時代は西欧諸国からの新しい思想や教育思潮が一気に流入し、理科教育改革の気運が盛り上がった時期であった。いわゆる大正デモクラシーのもとでの教育である。グラフが説得力を持たのは、当時が「科学の時代」だったからだ。

 これは現在のデータサイエンス、あるいは「エビデンス重視」の雰囲気と似ているのではないか。主観ではなく「科学的」「客観的」な「データ」に基づいて冷静に判断ができるのが「まっとうな市民」であり、それができずにデマに惑わされるのは「情弱」である、という考え方だ。関東大震災後の図表を前に、それを読み解くことができるだけの教育を受けた当時の人々も鼻高々に自らの教養の高さを誇っていたことだろう。

 しかし視覚的快楽をもたらす「科学的図表」には要注意だ。特にそれが災害と共に現れる場合には。これら大正時代の「インフォグラフィック」に対して、ワイゼンフェルドは前掲書で「これらの図表の明るく鮮やかな色彩は、実証的(科学的)楽観主義が持つ、強力な権威的感覚を伝えている。その目的は、都市の社会生活への国家の介入を促進し、この都市を、他国の首都と比肩する、もっと生産的で衛生的な、そして表向きもっと安全な大都市へと作り変えることだった」★11と指摘している。未曾有の災害をテコのようにして行われた帝都復興には、効果的な国家統治に向けて都市を整備するという目的があったわけだ。そのような目論見がその後どのような状況をもたらしたかは言うまでもない。

 

 残念ながら、「原因」も「結果」も見えない現在の状況に対してほかの処方箋を出すことはぼくにはできない。ただ、指名手配的な「敵」の肖像写真と、綺麗な「風景写真」には要注意だということだけ言っておこう。
 
「顔」と「指」から読み解くスマホ時代の写真論

ゲンロン叢書|005
『新写真論──スマホと顔』
大山顕 著

¥2,640(税込)|四六判・並製|本体320頁(カラーグラビア8頁)|2020/3/24刊行

 

★1 CNN.co.jp「新型コロナウイルスに『顔』を与える――イラストレーターに聞く舞台裏」、2020年5月2日。URL= https://www.cnn.co.jp/fringe/35153116.html
★2 日経ビジネス「石原慎太郎氏:今、明かす『天罰発言』の真意」、2018年3月29日。URL= https://business.nikkei.com/article/interview/20150302/278140/032800006/?P=4
★3 AFPBB News「『ウイルスは存在しない』 スペイン首都でコロナ抗議デモ」、2020年8月17日。URL= https://www.afpbb.com/articles/-/3299467?pid=22582070
★4 【MANGA Day to Day】#1 ちばてつや『悪魂(あくだま)』。URL= https://twitter.com/mangadaytoday/status/1272378612914651137
★5 これは2020年9月25日にゲンロンカフェで行われた「コロナは2020年代の『顔』になるか?―― コロナと表象 #2」において東浩紀によって指摘されたことである。
★6  URL= https://twitter.com/trailights/status/1263031198768484353/photo/2
★7 都は7月末に方針を転換し、誓約書なしで申請を受理した。
★8 ジェニファー・ワイゼンフェルド『関東大震災の想像力: 災害と復興の視覚文化論』、 篠儀直子訳、青土社、2014年、26-27頁。
★9 デビッド・マキャンドレス「データビジュアライゼーションの美」、TEDGlobal2010。URL= https://www.ted.com/talks/david_mccandless_the_beauty_of_data_visualization
★10 同上。
★11 前掲書、26頁。

大山顕

1972年生まれ。写真家/ライター。工業地域を遊び場として育つ・千葉大学工学部卒後、松下電器株式会社(現 Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。執筆、イベント主催など多様な活動を行っている。主な著書に『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍)『団地の見究』(東京書籍)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、幻冬舎新書)、『立体交差』(本の雑誌社)など。2020年に『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン叢書)を刊行。
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