「移動」の文学について考え続けること──多和田葉子『雪の練習生』を読む 記憶とバーチャルのベルリン(最終回)|河野至恩

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初出:2023年9月5日刊行『ゲンロンβ83』

移動制限の時代に考えた「移動」の意義


「ベルリンをたどる」ことをテーマとして掲げて始まったこの連載も、今回が最終回となる。 

 2021年春に連載が始まった頃、多くの日本人にとって海外への渡航は不可能だった。そのような状況のなか、ベルリンに2か月ほどしか住んだことのない私が、その地についてのエッセイを連載するというのは、ある意味蛮勇だったかもしれない。連載1回目に、私はこう書いている。 

 

現在、日本からは訪ねることのできないベルリンを、時には2019年-20年冬のベルリン滞在の記憶をたどりながら、時には書物やインターネットの媒体を通して探っていきたい。★1



 記憶やバーチャルな媒体という手段を通して「行けないベルリン」を考えることがこの連載の課題となった。幸い、連載の後半には、国境を越えた移動も可能になり、ベルリンを2回訪れることができた。しかし、それと並行してロシアのウクライナ侵攻が起こり、日本とヨーロッパを結ぶフライトがロシア上空を迂回するようになってしまった。この連載は、そうした世界史的な出来事に起因する「移動の制限」と切り離すことができない。

 このような状況は、 大学時代にアメリカ東部の小さな大学に留学して以来、住む場所を転々としながら文学を研究し、教えてきた私にとって、いままでの前提を考え直す機会となった。外国の言語、文学、文化を学ぶためには、海外に住んだほうがよい。住み慣れた場所を離れ、「外国人」として身を置くことは、それまでの固定観念を考え直すことにもつながる。だから、資金、仕事、ビザの都合がつく限りは(あるいは都合をつけて)、できるだけ外国に行くチャンスをつかんだほうがいい──そう考えて疑うことのなかった私にとって、留学・在外研究が完全にストップし、再開の際にもさまざまな制約のついたこの数年の状況は衝撃的だった。海外での学会発表は、 Zoom やオンデマンド動画に切り替わり、研究者が直接集まることの意義が問われることとなった。海外出張じたいが贅沢だという論調も目にするようになってきた。 

 もちろんいまとなっては、オンラインの会議のみではコミュニケーションが限定的になり、人間関係が希薄になることも認知されてきている(多くの企業が対面での業務の復帰を急いでいるのもそのためだろう)。ともあれ、対面でのコミュニケーションの代替手段が発達することで、かえって「移動」の意味そのものが問われる……という事態が、わずか2、3年で進展した。「グローバル化」の名の下に人々の「移動」が漠然と、しかしおおむね前向きに捉えられていた頃ははるか昔に思える。 

 こうした状況の変化を、2023年、ポスト・コロナを生きる私たちは、まだ十分に意識的に考えられていないかもしれない。いま過去の連載を読み返してみると、始めはベルリンやライプツィヒでかつて出会った人々との思い出を記憶に基づいて書いていたのが、いつしかベルリンでの久々の対面会議の体験を綴っている。はからずもこの連載は、足掛け3年に及ぶ「移動」をめぐる変遷の記録になっていた。

学生たちが惹きつけられる多和田葉子の文学


 さて、このように「移動」の意義全般が問い直される現在だが、文学研究者として、世界文学論や翻訳論に関心をもちながら、世界各地から集まる学生を教えてきた私は、この「移動」の問題を文学の視点から考えざるをえない。 

 振り返ってみると、2020年以降、授業で学生と一番熱心に読んだ作家は、多和田葉子だったと思う。この連載でも何度か言及したが、ベルリンと現代文学を語るうえで欠かせない作家のひとりである。昨年も、ベルリンを舞台とした朝日新聞の連載小説『白鶴亮翅はっかくりょうし』が話題となった。 

 一般論として、現代の作家の評価は難しい。発表時にベストセラーとなったり、批評家から高い評価を得た作品も、数年経ってみたら「賞味期間が終わっていた」ということも少なくない。そこで、日本の現代文学を少し距離を置いてフォローしている私には、評価の参考にしていることが2つある。 

 ひとつは、翻訳の出版状況。多くの言語で、継続して翻訳されている作家は、翻訳者、出版関係者、そして読者が高く評価し、根強く読まれているということである。もうひとつは、私の教えている学生の反応である。作品を授業で読むと、学生が強烈に惹きつけられて、揃って期末のレポートのテーマに選ぶことがある。時には、その後の研究テーマとして、数年をかけて取り組む学生が出てくることもある。特に、文学研究や翻訳を志している大学院生が関心をもつものは、後から振り返ってみると息の長い作品だった、ということが少なくない。私がいま大学院で教える学生には、世界各地から日本に日本文学を学びに来ている留学生が多い。もちろん、一人の文学の読者として、この作品が面白い、という軸は持っているのだが、じつはそうした学生の若い感性に教えられることも多いのだ。 

 多和田葉子の作品が、日本文学を学びたいという学生のなかでも、特に海外出身者の心をひくことに気がついたのは、10年ほど前のことだろうか。授業で多和田葉子の英訳作品集 Where Europe Begins(New Directions, 2002)や長編小説『旅をする裸の眼』(講談社、2004年)などを読むと、不思議と議論が白熱した。学生のなかには、その後多和田葉子の研究を進めるためにアメリカに渡り、専門の論文集に論考を寄せたものもいた。

  私は、多和田葉子の著作はもう20年以上読んできている。作品で扱われる多言語の表現や、ヨーロッパの近現代史が色濃くにじむ物語は、私自身の研究テーマとしても考え続けている。しかし、多和田作品がここまで学生たちを惹きつける力をもっていることに、授業で取り上げるまで気づかなかった。 

 日本文学を学びたいと日本の大学に留学に来るような学生は、自分の母語、日本語、そして英語(母語と異なる場合)など、普段から多くの言語の間を行き来している。また、日本の社会や文化のさまざまな問題を相対化することにも自覚的であることが多い。多和田はまさにそうした異文化間の問題に継続的に取り組んできた作家だ。これが私の学生を惹きつける多和田作品の「磁力」の正体なのではないかと思う。 

 10年前と比べて多和田作品の認知度はずっと上がり、近年では日本文学に関心のある海外の学生ならば、一度は読んだことのあるものとなっている。メジャーになった分、以前のように授業で強烈な印象を残すということは少なくなったかもしれない。しかし、その作品が提起する問題は、以前にも増して重要になってきているように思う。なぜなら、多和田は2020年以降に顕在化した「移動」の問題についても、持続的に考えてきた作家だからだ。

2023年夏、学生と読む『雪の練習生』


 2023年夏、学部の上級生向けの世界文学論のセミナーで、多和田葉子『雪の練習生』(新潮社、2011年)を読んだ。 

 以前この連載(第5回)でも言及したことがあるが、『雪の練習生』は2000年代、人間によって育てられたことからベルリン動物園で大人気となったホッキョクグマのクヌートと、その母で、カナダで生まれ、東ドイツのサーカスで活躍したトスカをモデルとしている。小説では、さらにトスカの母の代までさかのぼり、3代のホッキョクグマの物語として描かれる。自らの生い立ちを自伝に著すことでソビエト連邦(当時)で話題となり、その後西ドイツ、カナダ、東ドイツと亡命を重ねる祖母のホッキョクグマ。東ドイツのサーカスで「死の接吻」★2という芸を通してサーカス団員と心を通い合わせる母のトスカ。そしてベルリン動物園で誕生後に飼育員に育てられたクヌート。人間の言葉を使う特殊なホッキョクグマという設定で、彼らの視点の書物・物語を交えながら、動物から人間社会はどう見えるのか、動物は人間と意思疎通できるのか、というテーマを展開する。 

 学生たちは、冷戦期から現代までの東・中部ヨーロッパの歴史背景、そして、動物が書物を書くという語りの巧妙さ(特に第2章には、読者を驚かせる仕掛けが仕組まれている)などに強い関心を持ったようだった。 

 本書の第3章、クヌートについての章を読んでいるとき、次の一節が目を引いた。 

 

本来ならば母という中心が穴の真ん中にいるはずなのに、四角い箱の真ん中には何もなかった。しかも壁があって先へ進めない。壁にぶつかって先に進めない感覚、壁の向こうへの憧れ。それはわたしが本当のベルリンっ子として育ったということではないのか。わたしの生まれた時にはベルリンの壁が崩れてすでにかなりの年月がたっていたけれど、ベルリンに住む人たちのほとんどがまだ壁を身体で覚えていた。★3

 第3章では、母熊・トスカが産んだばかりのクヌートの育児を放棄したため(小説内では、トスカのサーカス団員で「死の接吻」の芸のパートナーであるウルズラの伝記を書くためとされる)、クヌートは動物園の飼育係のマティアスのくれる哺乳瓶のミルクを飲んで育つ。マティアスらの献身的な世話もあり、クヌートは順調に育ったが、人間のなかには、そのように「自然」でない方法で育てられた動物に批判的な人たちがいることを知る(実在のクヌートも小説と同様、自然とはかけ離れたその環境を批判されていたという)。そうしてクヌートは、自分の生い立ちが「自然」でないことを初めて自覚する。一方で、そのように「壁」に囲まれた生き方が、じつは自身を「本当のベルリンっ子」たらしめていたと悟るのである。しかし、「本当のベルリンっ子」とはなんだろうか。 

『雪の練習生』では全編を通して、さまざまな「移動」について考えられている。第一章の、人間の言葉で自伝を書く祖母のホッキョクグマは、ソ連から西ベルリンに亡命し、ロシア語でなくドイツ語で自伝を書こうかと悩む。その後カナダへ渡り、英語の本を読みながら「移民作家」のステレオタイプ的な書き方を打開することを模索する。そうした姿は、移動の作家としての多和田の経験や問題意識が色濃くにじんでいる。 

 第2章のトスカの物語にも、冷戦のもと、東側と西側の交通が自由ではない1980年代に、東ドイツのサーカスから日本をはじめ西側諸国に旅するエピソードが織り込まれている。トスカは複数の言語を使い、国境を越えて移動しながら考える。 

 そして第3章、3代目のクヌートの話も、やはり「移動」の物語として読める。クヌートはベルリンから出たことがない。しかし、冷戦の時代に国境を越えた祖母や母の物語を通すことで、ベルリンしか知らないクヌートにも、移動の歴史が刻み込まれていることがわかる。祖母がソ連から亡命し、その娘トスカがベルリンに行き着くことによって生まれたクヌートは、動物園の「壁」の記憶を通して、この地の人々と歴史を共有することができる。そんな彼を多和田は「本当のベルリンっ子」と表現したのだ。 

  現代のベルリンは、20世紀の激動の歴史を経て、国境を越え、多様な言語を使ってきた人々が集まる街である。その意味で、『雪の練習生』は、いまの「ベルリン」を巧みに表象した小説だといえるだろう。

ポスト・コロナの複雑な社会と向き合う


 2023年の夏、行動制限はすっかり解除され、人々は「コロナ前」の生活を取り戻そうと躍起になっている。しかし、冒頭でも述べたように、この数年の混乱を経て、単純に元通りになることは難しくなっている。むしろ、コストをかけてまで「移動」の経験をすることをめぐって意見が対立し、社会の分断を引き起こしつつある兆候すらある。 

 私はそうした時代に、この連載を通してベルリンについて考えることで、さまざまな世界観をもち、さまざまな言語を使う人々がこの都市を共有している、という事実を確かめることができた。そして、この地に関わる文学者たちがそれを助けてくれた。 

 足掛け3年、「移動」をめぐる状況が複雑に変容してしまった社会を、私は文学を通して考えてきた。国境を越えることを禁じられた時代の、移動の意義をめぐる思索。そして人間の移動することへの渇望──それらを記憶し、伝えていくことは、きっとこれからも文学が担っていくのだろう。この連載が、そうした未来の思索へのヒントとなることを願う。 

ベルリン動物園。2023年夏、早朝から開園を待つ多くの観光客で賑わっていた。撮影=著者

 


★1 河野至恩「記憶とバーチャルのベルリン第1回  移動できない時代の『散歩の文学』──多和田葉子『百年の散歩』を読む」、『ゲンロンβ61』、2021年。 
★2 「死の接吻」はサーカス団員の舌の上に乗った角砂糖を、トスカが舌でからめとるというもの。 
★3 多和田葉子『雪の練習生』、新潮社、2011年、247頁。

河野至恩

1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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