2022年2月25日[金]発行
まったく識別不可能な二つのものが存在しうるか――ライプニッツが突き当たった「同一性」にまつわる問いに、物理学者の全卓樹さんが量子力学の観点から迫ります。すべての粒子が同一の状態のとき起こる「超流動現象」とは?
明暦の大火の火元となった本妙寺。多くの罪人が処刑された仕置場。そして色街。これらはすべて「鬼門」に位置しなければならなかった? 菊池容斎「小塚原図」の絵解きをとおし、江戸=中央が性と死をどう扱ったかを考えます。
公的支援を受けたアーティストが、社会へと問う表現はどうあるべきなのか。ベンヤミンのテクストをもとに、アート作品、メッセージ、そしてそれらを生み出す組織のあり方(=美学)を問います。
建設中の大間原発を訪れ、周辺地域に福島の面影を見て狼狽する小松さん。同地で出会ったのは、震災前/後で変わらない原発PR施設の展示パネルと、寺山修司のある言葉でした。青森県下北半島旅行記の完結篇です。
「同性婚や選択的夫婦別姓をめぐる議論から、記号の意味を変えることに伴う責任を指摘するさやわかさん。新しい家族像とされるシェアハウスの事例をもとに、社会的な「ポジショナリティ」の大切さと危うさを考えます。
「日本学」が盛んなライプツィヒ大学の小林敏明教授。西田幾多郎全集とともにドイツに渡り、予備校講師から研究者に転身したそのキャリアを通し、人が出会い学ぶ場の重要性を考えます。いまこそ読みたいエッセイです。
表紙写真:今号掲載の全卓樹「同一者の識別と噴出」に掲載されている、波動関数の概念図。赤いグラフがふたつのボゾンを入れ替えた際の対称性を、青いグラフがふたつのフェルミオンを入れ替えた際の非対称性を示している。 作成=全卓樹
1|全卓樹 同一者の識別と噴出
個人的に量子力学は掴みどころの無いイメージを感じていて学ぶには及び腰であったが、比喩や実験の紹介により消化しやすく説明されており興味をそそられた。
約80年前の超低温実験も紹介されており、量子力学は哲学や思想に繋げられがちだが、科学の歴史の延長にしっかりと据えられた分野である事が確認できる実りある文章に感じた。
2|春木晶子 方位/包囲の江戸絵画(1)火事と悲恋と鬼門と女
江戸の鬼門と裏鬼門に位置した鈴ヶ森と小塚原は遊郭や芝居、処刑や解剖が行われる謂わば「なんでもあり」の空間に思える。そして何でもあるが故に真逆の何も無い「空白」となり、だからこそ人が行き交う事の出来る「生/性」の場所足り得たのかもしれない。
春木さんの周縁と隠蔽に対する鋭い眼差しが鬼門を貫き暴露する一閃となる連載に今後も期待したい。
4|小松理虔 当事者から共事者へ 第16回 下北から福島を見る
北海道に住む私として驚いたのが東通原発のある地域が「白糠」であると言う事。北海道の「白糠」では原子力ではなくバイオマス発電所があり、地熱発電などに用いられる掘削技術が学べる専門学校まである。同じ「白糠」で形は違えど発電が行われており、また、青森では福島第1原発前、北海道では事故後に夢見られた発電方法であるという対比すら思い浮かべてしまう。
そして次に六ヶ所村にある「泊」という地区名だ。北海道において「泊」と言えばなんと言っても稼働停止中の原発が3機ある泊村である。ここも原発関連施設と助成金によって潤う原発の村で知られる。
寺山修司は「人類が最後にかかる、一番重い病気は『希望』という病である。」と喝破した。津軽海峡を隔てて共に電力に希望を抱く病を背負った寒村の悲哀に多難の前途を禁じ得ない。
二つの立場から成る言葉の重要性に考えさせられました。事件や社会が、分かり易いどちらかの側に要求する事を迫ってきた場合、私たちがいつも判断を余儀なくされてしまうことに、いつも戸惑ってしまいます。
確かに決めなくてはならない立場もあるかもしれませんが、もし、そのどちらでもない場合は、結果や原因について時間を必要とする言葉たちもあります。
そんな些細な思考にヒントを与えてくれるテキストが全体と部分にあり、大変救われました。
ありがとうございました。
1|全卓樹 同一者の識別と噴出
こんな世界情勢の中、哲学と量子力学が混ざり合ったこの論考を読んで、様々なことを考えてしまった。どのようなことを書けば良いか、切り口を探していたが、谷頭和希×大山顕のドンキイベントがヒントになった。イベントの終盤で「似ている性」と「スケール」の話があった。観察するスケールによって、チェーン店が画一的に見えたり、逆に多様性に溢れているように見えることもある。観察スケールの往還がこの論考の面白さのひとつだと思った。
粒子レベルであれば、識別しにくいものだが、ある一定の条件であれば、「超流動現象」のような古典力学に不可能な現象が起きる。粒子を個人と考えると、巨視的な現象は社会現象となるだろう。「超流動現象」のように、社会現象を観察できるだろうか。特にコロナ禍以降の世界情勢は、グローバル化ではなく、分断がさらに進んだように見える。社会も複雑であるが、個人も粒子ほど単純ではない。
「超流動現象」とは逆に、古典的な秩序が復権するのだろうか。「超流動現象」や「超伝導」というのが、低温になることで生じるというのも示唆的である。低温状態では、粒子個々のエネルギーは低い状態だが、粘性抵抗や電気抵抗がゼロになり、巨視的な事象が起こる。個人やコミュニティが自由に振る舞うことを抑制された結果、よりカオスな状態を引き起こしてしまうのではないか。もちろん、必要以上に不安になっても良いことはないのだが、心晴れやかな情景を期待することも難しいと思ってしまう。
2|春木晶子 方位/包囲の江戸絵画(1)火事と悲恋と鬼門と女
掛け軸で表現されているもの考察は興味深った。菊池容斎の《小塚原図》は縦長の構図である。松本楓湖の模写では、横長の構図になった。容斎の構図を圧縮したその模写は、パワポによるプレゼンを思わせる。さらに遊女が円窓の中に描写されていることは、フォーカスがそこに合っているということだろう。現代であれば、フォーカスされた煌びやかな画像のみが目の前にあり、死を想起させる部分は、鑑賞者に委ねられるかもしれない。縦長の構図における余白が、文脈のつながりや想像力の豊かさにつながっているのかもしれない。
3|田中功起 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの
第11回 パブリック・マネーの美学/感性論について──1月31日から2月17日
ベンヤミンの生産関係の立場についてのテキストは示唆的でした。生産関係に「対する」立場、いわゆる批評的な立場と、生産関係の「なかで」現状をどう変えるかという立場。ともに何かをつくる上で、大切な視点であり、両立させるものだと思います。
とある分野で批評的な視点が外からのもだとしても、さらに外側の観客の視点から見れば、批評も内側のものだと思います。つくることに対する信頼は、作品または製品自体の質やレビューもさることながら、運営の正しさも必要となるでしょう。観客や顧客のまなざしを意識することは、どの分野でも大切なことだと思います。それを逆手にとって、倫理的な投げかけをすることも可能かもしれません。
とはいえ、以前と比べて、最近は展覧会に行くことが少なくなりました。どうも事前に時間を予約をするというシステムの心理的ハードルが高く、足が遠のいています。訪れる時間も含めて、自分のペースで鑑賞できることが映画や舞台芸術と比較して、優位な点だと思うので、運営がいつか以前のようになることを願っています。これは田中さんのエッセイとはあまり関係ないかもしれませんが。
4|小松理虔 当事者から共事者へ 第16回 下北から福島を見る
原発に対する、現実に対する感情の昂りの果てに、見つけた東通原発に、小松さんが久しぶりに友人に会うような気持ちになったという一文が、私の思い出を呼び起こした。私の実家もとある原発から直線で30km程度の距離にある。小学生の頃は、両親に連れられて、展示館に何回か行ったこともある。その頃は、実物大の原子炉模型を見て、デケェなと思った程度で、成長するにつれて、そんなことも忘れていた。
3.11が起こり、原発稼働の是非が取り上げられ、改めて実家と原発の近さを認識した。展示館に行っていた頃から20年余り後のことである。そのとき、原発が計画され、建設され、稼働している時間軸は、ほとんど人生と同じだなと実感した。もちろん廃炉を考えれば、人生をはるかに超える可能性もある。少なくとも一人の小学生がおじさんになるくらいには、原発は変わらず、そこにある。まさに古い友人のごとくである。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」にも1度訪れたことがある。その日は、東北で震度5強の地震が発生し、私も伝承館に入館する前に、強い揺れを感じた。誰も住んでいないであろう町中に、地震に警戒するようアナウンスが響き渡り、もちろん比較するべくもないが、3.11の追体験のように感じられた。展示は、3.11以降の出来事や除染の取り組みはわかったが、伝承館の外には住宅等の建物はほとんどなく、双葉町の歴史を体感できる機会はなかったように思う。そういう意味では、伝承館は双葉町にきた新住民かもしれない。
小松さんがこの旅で感じた「狼狽」は「変化」かもしれないのだという。共事は偶然の変化を内包しているのだともいう。小松さんが共事を考える文章の積み重ねを通して、変化を記すことで、それを読む私も自分の言葉で変化を記している。これ自体が共事的な実践のひとつなのだろうと改めて考えている。
5|さやわか 愛について──符合の現代文化論 第12回 新しい符合の時代を生きる(2)符合の責任論
流動的なアイデンティティを生きるの者は、その連続性に責任をもたねばらないという、さやわかさんの指摘は非常に重要であると思います。変えようと叫ぶ人は、変えたことーそれが意図的でも、そうでなくてもーに対して、無頓着に思えます。
私は、機械エンジニアとして働いているので、部品を変更する必要が生じたときには、それによる影響を事前に検討し、その製品に要求される仕様に対して問題がないことを確認し、共有します。多分、製品やサービスならば、そのように対応することが普通だと思います。
ただ、制度の話、本論でいえば、家族や氏の話の場合、設計主義的に事を進めようとすると、変えること自体が目的化し、変わらないことに苛立ち、抵抗するものに対して、ネガティブな印象を抱いてしまう。変化と連続性の関係をどう捉えるかが重要だと思います。
変化というのはその前後の切断ではなく、変曲点として捉える必要があると思っています。変曲点の前後で変化していますが、その点は独立したものでなく、ひとつの流れの中にあります。流動的というと、自由さ・無責任さが際立つように聞こえますが、その流れを構成する一部としての責任に自覚的であることが、さやわかさんが考える「愛」なのかなと思いました。
6|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン
第4回 ライプツィヒ日本学とは何か(後篇)──空き家、西田幾多郎全集、そして学びの〈場〉
空き家活用を利用して、「日本の家」という活動をしているのは、興味深い。日本でも増加する空き家というローカルな問題でつながるだけでなく、別の国において、家という単位であれば、「日本の家」のようなコミュニティーや文化を持ち込むことができる。奇しくも、コロナ禍でステイホームが叫ばれ、地域と各家庭が分断されたことの裏返しのように思える。
小林敏明氏の逸話も面白かったし、現在のコロナ禍における水際対策についても深く考えさせるものだ。小林氏は40歳を過ぎて、海外でアカデミアのキャリアをスタートさせた。その自由さと岐路での選択は、現在では貴重なものに思えてしまうが、水際対策の見直しで、少しでも自由さを取り戻すことは可能なはずだ。岐路に立って迷うことはあっても良いが、岐路自体を奪うことはやり過ぎではないだろうか。学問はどこでもできるという言い方はあるかもしれないが、学問のためにどこでも行ける、岐路に立ち、選択し続ける自由も、同じくらいに大切なことではないだろうか。