ゲンロンβ72|編集長=東浩紀

収録記事を読む

2022年4月28日[木]発行
1|小川さやか+東浩紀 司会=福冨渉 贈与と失敗がつくる社会――文化人類学と哲学の対話(前篇)
人類学者・小川さやかさんを迎えた、白熱のゲンロンカフェイベントが記事に。タンザニアの都市に生きる路上商人たちのインフォーマル経済から、社会や贈与、連帯について考える、縦横無尽の議論をお楽しみください。
2|本田晃子 革命と住宅 第10回(最終回) 第5章 ブレジネフカ――ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(後篇)
全10回にわたる人気連載がついに最終回! 1960年代のソ連に、なぜ「新しい生活様式」が復活したのか。建築によって家族制度の解体をめざした社会主義建築が、その理想とはことなる実態へと結実した歴史を総ざらいします。
3|櫻間瑞希 つながりロシア 第19回 ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール――結束と分断の狭間で
消えゆく言語、広がる分断——タタール人の血縁をもつ研究者が、ロシアの少数民族が置かれた現状を伝えます。そこから見えたのは、音楽やSNSによって国を越えて育まれる、新たな結束のありかたでした。
4|田中功起 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第12回 生、あるいはウクライナ侵攻について――2月24日から4月13日
とつぜんの戦争と、高揚するナショナリズム。お腹を空かせたトラを描いたジュディス・カーの絵本や、マレーヴィチの絵画、「集団行為」のパフォーマンスを手がかりに、距離があるからこそ可能な想像力を考えます。
5|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第5回 翻訳と多言語の街
2020年末のベルリン滞在中に河野さんが出会った、翻訳や多言語をキーワードとする文学イベントをフィーチャー。複数言語をまたいで行われる創作や翻訳に、複雑な世界を複雑なまま理解するためのヒントを見いだします。
表紙写真:ロシアの連邦構成主体のひとつ、タタールスタン共和国の首都カザンにあるクル=シャリフモスク。カザンの中心、カザン・クレムリンのなかにある。ロシアは83の連邦構成主体からなり、そのうちの27が民族を基準とし、残りは地域を基準とした区分である。撮影=櫻間瑞希

3 コメント

  1. 1|小川さやか+東浩紀 司会=福冨渉 贈与と失敗がつくる社会――文化人類学と哲学の対話(前篇)

    アフリカの小売店と路上商人の関係性がお互いの状況に合わせた価格の微調整で成り立っている点がとてもユニークに感じられた。ここに現代的な取引の透明性や公平性が導入されると途端に取引停止や訴訟が起こるであろう。
    タンザニアにおける気分次第の人助けも「無責任」「薄情」と切り捨ててしまっては安直で、不確実だと決めているからこそ人情味のある互助が生まれ、成立しているのであろう。
    人と人との関係を損得や交換原理に落とし込みすぎない知恵は率直に見習わなければと感じた。

    2|本田晃子 革命と住宅 第10回(最終回) 第5章 ブレジネフカ――ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(後篇)

    ドム・コムプレクスでは時間予算という、行動を数値化し合理化する新しい概念が取り入れられたが、人間の持つ欲望のプライバシー空間の確保までは乗り越えられなかった点に社会主義の掲げる理想が意識高すぎたのだろうと思う。
    また、モスクワ五輪で国力をアピールしようとした北チェルタノヴォ開発計画ではマンションが現代の高級高層マンションのようなコンシェルジュなどのサービスがあり、資本主義的な傾向が見られる。結果的に肝心のサービス施設の機能が削ぎ落とされてエリート層に占拠されるというオチは、ソ連エリート層の資本主義への憧れがあったようにも感じられてソ連崩壊の一端が垣間見えた。

    3|櫻間瑞希 つながりロシア 第19回 ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール――結束と分断の狭間で

    ロシアにクル=シャリフ・モスクというイスラム建築があることを知り、改めてロシアが連邦共和制国家であることが認識できた。
    タタールスタン共和国が国境を越えてタタール人の交流や文化事業支援を行うだけではなく、ロシア・ウクライナ戦争下では個人でもタタール人の移住支援をおこなっている点に、櫻間さんの文章にもある「心の奥底に眠らされていたタタール性」を感じた。
    歴史や政治などで「解釈」によって再定義され続けてきたタタール人だが、彼らを包摂するように駆動する紐帯こそが「タタール」と呼べるのかもしれない。

    4|田中功起 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第12回 生、あるいはウクライナ侵攻について――2月24日から4月13日

    ヴェネチア・ビエンナーレをはじめ、世界各地でロシア美術/芸術の展示が中止されている中で、田中さんの危惧するアーティストやアート自体と国家とが強く紐付けされてしまう弊害には心配が募る。
    冷静さを失った、混乱に便乗したマチズモに触発された分断を極東の地でありロシアと国境を接する日本が乗り越えられるだろうか。

    5|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第5回 翻訳と多言語の街

    「多様性」という言葉の持つ「多様」の網羅する範囲の広さを考えさせられる文章だった。
    文学の繊細で時に香りや風を感じさせる表現は母語で成されなければ困難であり、作法としても著者の母語で書かれるであろうと言う固定観念は確かにある。翻訳という、作品を国際流通させる作業が関与すると母語から外国語に変換されて本来の意味表現が失われるが、一方、新しい解釈が得られて作品の誤配的な多様性が生まれる。また、多和田葉子さんの実践する日本語やドイツ語などで同時に作品を紡ぐ仕事は、一人の人間でありながらもその中に胚胎する多様性を発揮する。
    多様性は単なる種類の多さだけでに依らず、その複雑さに自覚的にならなければ捉えられないのだろう。

  2. 1|小川さやか+東浩紀 司会=福冨渉 贈与と失敗がつくる社会――文化人類学と哲学の対話(前篇)
    配信視聴ですでに衝撃を受けていましたが、文字媒体で改め噛みしめることが出来ました。
    人類学者的な現地に馴染んで、対話でない言葉を拾うというスタイルは関係性を越えたリサーチだと思う。
    先日の小川さんと比嘉さんの回で更にそのアプローチは掘り下げられたが、この延長線上に小川さんのおおらかさというか懐の深さがあるのかもしれない。
    フォーマル、インフォーマルどちらかのみをとるのではなく、フォーマルの中にインフォーマルで余剰を作る大切さ。
    誰かの過去が未来のその人を100パーセント予測しない。社会も幾つもの数え切れない、見切れない要素が絡んで成立している以上、フォーマルのみではそうした実在する可能性や複雑さを嘘の型にはめ込むことになる気がする。
    バグを多く許容することはそうしたコントロールできない振れ幅も認めるという事なのかも知れませんね。
    そうした思考の方がガチガチのフォーマル思考よりもよっぽどアクチュアルに思えます。

    2|本田晃子 革命と住宅 第10回(最終回) 第5章 ブレジネフカ――ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(後篇)
    核家族の空間を認めつつ、それ以外の場は徹底的に開いていく。
    余暇もコントロールするというのはそもそも余暇ではなくなるわけで、コムナルカ同様厳しい世界だなと感じました。
    ドム・コムプレクス構想、そして北チェルタノヴォが実現しなかったのは描かれた大きな設計図を実現する部品がそもそもなかったからでしょうか?
    北チェルタノヴォが結局エリートに占有されたという結末はそうした部品の希少性の前にイデオロギーが虚構化したのでしょうか。
    実際に目的を果たさずに朽ちつつある北チェルタノヴォの今は本田さんが締められるようにそうした根底にある崩壊を表象化している気がしました。
    時間予算なる乱暴な解釈も、結局は家事というものを時間の側面だけ抽出して思考したわけで、性をめぐる問題から目を背けるための思考に思えました。
    様々な面で独自の理想が練られ、実際にそれを現実化しようと試みてきた歴史は実を結んではいない。でも、振り返って本田さんのように分析したならば、
    その失敗は問題をあぶり出しており、とても重要な歴史です。連載、ありがとうございました。

    3|櫻間瑞希 つながりロシア 第19回 ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール――結束と分断の狭間で
    タタールのこと全然知りませんでした。タタールのあれこれを知ることが出来ただけでもすでに大変勉強になりました。
    タタールのタタール人ですら得意としない人もいるタタール語の音楽が、SNSにのってテュルク系言語圏の人に届くというのは興味深いと共に可能性に富んだ出来事ではと感じます。
    言葉はやはり使われなければ失われ、使うコミュニティの衰亡はそのまま言葉の力を弱めてしまうと思います。
    実際タタールのみの状況としてはロシア語の方が生活に根ざし、有用な言語という背景があって第1言語化が進んでいるのではないでしょうか。
    そんなタタール語が本来越えられない空間の壁をSNSによって越え、それが新たに機能する場所とつながるのはタタール語の魅力を増すことに繋がり、ひいてはタタールの地においてもその言葉を使う後押しになるのではないでしょうか。
    また、タタールネットワークが此度の戦争での分断の傾向を見せつつも乗り越えようとしているというのは今の世界において希望的な事象ではないでしょうか。
    言葉、宗教、人種などの違いを踏まえてのネットワークという根幹が、きちんと機能しているのかもしれません。

    4|田中功起 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第12回 生、あるいはウクライナ侵攻について――2月24日から4月13日
    アーティストは国家の枠組みをはみ出す存在。
    そうであればアートとの対峙は国家の脱色を促し、それぬきに人々が関係性を築く土壌になるのかもしれません。
    そうしたアートの精神は今反目する国家の中にいる人やそのどちらかの色に自分を染めている人には難しいわけで、それ以外のひとが心がけるべきなのかも知れません。
    トラの襲来を外食というハッピーな結末に変えたり、今度トラが来ることを想定して食べ物を買い込むのは、今傍にトラがいないからこそ出来ることだと思います。
    現実のトラはまだ去っていないわけで、トラから離れている私たちが父のようなアイデアを考える立場なのでしょう。
    共感しました。

    5|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第5回 翻訳と多言語の街
    多言語で築かれる文学作品。そしてその特異性についてベルリンで深く考えられている。
    知らなかったです。
    ひとつの言語での表現は当然その言語世界の中での出来事で在り、その外にも世界はある。
    多言語での文学作品はその言語たちが交わらない領域を出会わせる効用があるわけで、確かにそこに単言語作品にはない可能性があるだろうなと実感いたしました。
    そして、今回の戦争で本来ウクライナ語とロシア語という多言語世界にいたひとが、どちらかの単言語の世界へと行かねばならないというのはそうした可能性を失うことですね。
    きっとベルリンで多言語の可能性を深く感じているひとびとはその残念さが強く理解できるわけでそうした理解が広がっていくと少し現状は変わるのではとも思いました。

    ■全体を通して
    複雑性を単純化せずに理解するということを強く認識しました。
    一連の論考が複合的に絡み合っているようにも感じられ、この巻自体が1つの複雑な世界を示しているようでした。
    ありがとうございました。

  3. 1|小川さやか+東浩紀 司会=福冨渉 贈与と失敗がつくる社会 文化人類学と哲学の対話(前篇)

     イベント終盤で、小川さんが東さんに立命館に来るようにナンパしていたのが、妙に印象に残っていた対談でした。小川さんは放送に入りきらないエピソードを、まだまだお持ちだと思います。最近の比嘉さんとの長時間のイベントも楽しく拝見しました。オルタナティブを探しにいく行動力と体験の膨大さが、これからのトークイベントでも披露されることを楽しみにしています。このイベントの内容も小川さんの初回登壇だということもあって、かなり刺激的でした。
     私は一時期、出張でインド南部に行くことが多かったのですが、主にショッピングモールやスーパーのようなフォーマルなサービスを利用していました。商品のラインナップは違いましたが、購入自体で困ることは少なかったです。ディワリというインドの祝祭があり、準備を含めた町中の盛り上がりで、インフォーマルな生活も体験することができました。当たり前のことかもしれませんが、グローバル経済と地域経済は共存しています。インドで長く生活することを想像したら、フォーマルなサービスに頼ってだろうなと思いました。仕事ですら、様々な違いがあって疲れるので、日常では何も考えないようにしたい。そう考えると、フォーマルの利用は一種の安心感につながるような気がします。
     タンザニア路上商人の雇用についての考え方も、面白いと思いました。雇用条件の良し悪しではなく、非対称性が自尊心を傷つけることにつながるというのは、理解できるような気がします。組織の一員として、順応することはある程度必要だと思います。役割に徹するという表現でもいいと思います。対して、タンザニア路上商人のように社会の一員として、自分で考える態度も必要だと思います。
     タンザニア路上商人は、社会の結節点として、価格を調整することができる。つまりは状況を見て、社会に変化を与えることが可能だと考えているのでしょう。その自立性は、日本社会では乏しいかもしれません。社会に影響を与えること自体が傲慢であり、その結果の失敗は自己責任論につながっている気がします。アイデンティティの保ち方も、タンザニア路上商人と日本では、異なるようです。路上商人のような社会への影響ではなく、与えられた役割に対して、アイデンティティを持つことが日本的だと感じます。役割がある以上、役に立つ/立たないという価値基準が前提とされているのではないでしょうか。後篇も楽しみにしています。

    2|本田晃子 革命と住宅 第10回(最終回) ブレジネフカ──ソ連団地の成熟と、社会主義住宅最後の実験(後篇)

     ソ連の住空間における脱社会主義は、監視や検閲でコントロールされない非公式な言説を空間を切り開いたという部分は、コロナ禍の状況と地続きに思えた。むしろ、ステイホームで展開されたのは、それより進んだ事態ではないだろうか。SNSでステイホーム動画をあげることは、見方によっては監視されようとしているように見える。ステイホームのエビデンスとしての動画をアップしているようだ。監視されたとしても、うしろめたさはないという、表明のように思える。
     反面、密室/非公式としてのホームもあり、権力が介入できないゆえの問題も残ったままである。テクノロジーが発展して、個人で手軽に発信ができるようになった。共産主義における団地では、外から見えないことがある種の解放区として機能していたのだろう。現代のホームは、SNSで外部に見せる透明化の手続きを経ることで、緩やかな監視を求めている。それは、正当性の担保かもしれないし、アリバイづくりかもしれない。国家と家の関係性は、これからも変わっていくのだろう。本田さんの単行本の刊行を楽しみにしています。

    3|櫻間瑞希 つながりロシア 第19回 ロシアと、ロシア最大の少数民族タタール──結束と分断の狭間で

     ロシアを構成する行政区は、「地域」と「民族」の概念から成り立つそうだ。本稿の舞台となるタタールスタン共和国も、最初はどこにあるか知らなかった。本稿に掲載されている建築物の美しさや民族衣装の華やかさもソ連のイメージとは少し異なるものだ。イメージ戦略に重宝されるのもわかる気がする。本稿を読んで、ロシアの広大さと複雑さを改めて認識した。
     トゥガン・テルのテルに「舌」という意味があるのが面白いと思った。タタール語の場合は民族と関連するので、そのまま当てはまらないと思うが、日本における方言を想起した。文字としての視覚的体験ではなく、話言葉としての聴覚的な体験であること。標準語をしゃべっていても、アクセントで出身地が推測できる。タタール語のヒップホップやラップも、日本でいう方言ラップに相当するのではないか。テロップで方言がながれても、どのように発話すればいいかわからない。方言が文章として記述されたときの読みにくさと違和感。その地域に根差し、幼少の頃から聞いて覚えた言葉というのは、蓄積としての強さがあるような気がする。
     ウクライナ侵攻のように、国の取り決めに対して、個々の考えは様々だと思う。それは分断を加速するかもしれないが、同時に困っている人を自分のできる範囲で助けようとすることにつながるかもしれない。そのきっかけは、民族かもしれないし、文化かもしれないし、人それぞれだろう。すべてが政治的な問題に回収される現代だからこそ、それ以外の回路を維持し続けることが非常に大切だと思う。

    4|田中功起 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第12回 生、あるいはウクライナ侵攻について──2月24日から4月13日

     このエッセイで、アーティストは国家の枠組みをはみ出す存在だと、田中さんは書いている。一方で、マレーヴィチの扱いが、「ロシア」から「ウクライナ」に変わることの懸念も書かれている。ゼレンスキーのSNSによる広報活動は、ロシアーウクライナ間の問題だけでなく、もっと大きな波及効果をもたらしたように思える。国家のための活動ではあるが、影響は国家の枠組みをはみ出しているようだ。アーティストの作品だけでなく、男性性やナショナリズムの不変性も国家や時代を超えているのではないだろうか。それも、より強大に極端になってしまうかもしれないという不安もある。国家もその変化を利用するのではないか。
     マレーヴィチの抽象絵画が、ロシアのアーティスト・コレクティブ「集団行為」によって、個別体験になる。その再解釈が、ウクライナ侵攻によって、遠くにあった「戦争」を近くに引き寄せた。その感覚に重なるような気がする。時代遅れになろうとしていた家父長的な言葉に、実像が与えられたゆえの高揚感があるのだろうか。時代の不変性に対して、「こわさ」の表明だけでは、あまりにも無邪気にすぎるかもしれない。遠く離れた地で、冷静に考えられる状況にあるが、一体何を考えればいいのだろうか。

    5|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第5回 翻訳と多言語の街

     翻訳不可能性を通じて、複数の言語を緩くつなぐとあるが、その緩さは豊穣さだと思う。異なる言語で翻訳することは、受信すると同時に発信する行為である。その間に挟まれる思索は、同言語でコミュニケーションするとき、忘れさられてしまう。発信したことは、完全に伝わると勘違いしてしまうのかもしれない。
     多和田葉子の朗読のイベントの話を読みながら、インド向けの業務で一緒に働いていたインド人のことを思い出していた。ヒンディー語、英語だけでなく、州の言葉、日本語と複数の言語を、話相手によってシームレスに使い分けて会話をしていた。私と会話するときには日本語だったが、仕事では主に英語を使用していた。現地のスタッフと話す場合は、ヒンディー語と州の言葉を織り交ぜていた。
     その人が話すという行為自体は一貫しているが、他の言語を織り交ぜられると、会話の内容はわからなくなる。一緒に仕事をしているし、日本語での会話もできたので、部分的ではあるだろうが、その人を理解していたつもりだ。自分には理解できない言語を聞いているとき、その人が積み重ねてきた私の知らない歴史の一端を垣間見た気がした。その人とのコミュニケーションは、日本語や英語が利用できたので、具体的な困りごとはなかった。もし、仕事に関係なく言語が通じなかったとして、新しい言語を習得しようとするだろうか。卑近ではあるが、そのレベルの話でも怯んでしまう。

コメント欄に表示する名前を入力してください。
コメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

関連記事