ゲンロンβ78|編集長=東浩紀

収録記事を読む

2022年11月10日[木]発行
1|梶谷懐+東浩紀 悪と公共性をアジアから考える
中国を専門にする経済学者の梶谷懐さんと東浩紀による対談。『ゲンロン12』の東の論文への応答のほか、戦争責任や村上春樹らの文学作品について、そして中国にとって「公共性」とはなにかまで、さまざまな角度から議論がなされました。
2|柿沼陽平 【『ゲンロン13』より】動物と人間の中国古代史
『古代中国の24時間』が話題の中国古代史研究者、柿沼陽平さんによる動物エッセイ。『もののけ姫』は中国古代の動物観に基づいていた? いにしえの価値観は、現代の私たちにどのような教訓を与えてくれるのでしょうか。
3|さやわか 【特別掲載】イギリス人はなぜ “Sorry” が口癖なのか──アフターコロナのイギリス訪問記
事前計画をしない、気ままな旅行が好きだというさやわかさん。ひさしぶりのイギリスでさまざまな変化を発見します。イギリス人の口癖、街並み、そして料理がおいしくなっていること。
4|プラープダー・ユン 訳=福冨渉 ベースメント・ムーン 第7回
バンコクに到着した虚人ヤーニン。彼女がシャワーを浴びると、脳にインストールされた写識(わたし)の中に、かつてバンコクで結ばれたエイダの両親の、意識と記憶が流れ出す。それをきっかけに、虚人と写識に変調が生じはじめる──。連載小説第7話。
表紙写真:本誌収録のエッセイで、著者のさやわかが降り立ったロンドンのパディントン駅。ひさしぶりに訪れたイギリスでは、以前にも増して人々が ”Sorry” を連発するようになっていた。なぜ彼らはすぐに自分から謝るのか。その理由は本文を参照されたい。 撮影=さやわか

2 コメント

  1. 『ゲンロンβ78』へのみなさまのコメントをお待ちしております。
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  2. 1.悪と公共性をアジアから考える 梶谷懐+東浩紀

    本対談で言及されていた加藤典洋さんの「敗戦後論」の「語り口の問題」を読み返してみた。
    そこではハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」におけるフリッパントな語り口を、彼女がユダヤ人でありながらユダヤ人虐殺を綴ることに対する心理的距離を取るための方法として評価しているように思う。
    彼女の語り口は軽薄であると批判されたが、加害者と被害者の意識のズレから生ずる諍いに対して観光客的に眼差す第三項を放棄してしまうと、
    安易に自閉的なままの自己を功利主義や監視社会に投げ入れて虎の威を借りた万能感に浸ってしまい我を見失う危険性があるのではないだろうか。
    そして「理大囲城」に登場する学生に必要だったのもヒロイズムに浸かりきった恍惚感に一撃を喰らわす理不尽かつ暴力的な「親父のカミナリ」だったのではないだろうかと思う。

    2.【『ゲンロン13』より】動物と人間の中国古代史 『もののけ姫』を越えて 柿沼陽平

    宮崎駿監督は博識で、民俗学や考古学など膨大で緻密な情報量でもって映画製作をすることで知られる。もののけ姫は室町時代が舞台であり、関連の知見が取り込まれている。
    そこで柿沼さんのような研究者から見ても古代中国ともののけ姫に共通点が見出せるというのも面白い。
    至上神の「帝」と森の守り神の最高に位置する「シシ神」というコミュニケーション不可能な畏怖される神の存在や、「邑」と「たたら場」の類似点、照葉樹林文化論の知見を通した文化伝搬と共通性など、深掘りしていけばまだ多くの共通手製が見出せそうである。
    ここで逆説的に、古代中国の自然観や宗教観との類似点が見出せるということは、その時代の精神性や思想、政治が高度に発達していたと言うと考えすぎだろうか?

    3.【特別掲載】イギリス人はなぜ “Sorry” が口癖なのか アフターコロナのイギリス訪問記 さやわか

    イギリス人における”Sorry”の位置付けが、素性や得体の知れない他人を配慮する言葉として機能しているという見立ては興味深く感じた。
    インド系、中華系、アラブ系や中南米系など多様な人種の坩堝と化した現在のイギリスで、観光行政の一環で意識高くオーガニックや菜食主義が流行るのではなく、宗教を考慮したハラル料理も増えているという点にイギリスの開かれた配慮が伺える。美食のレベル向上も同様にその影響なのだろう。

    4.ベースメント・ムーン 第7回 プラープダー・ユン 福冨渉訳

    今回の文章には夢が多く語られているように思う。
    睡眠時の夢や理想という夢に含まれるであろう革命という希望の夢や生殖という未来への夢。
    夢が単なる記憶の断片のアレンジメントではなく精神や思考に基づくのであれば夢は思考する生き物における根源的現象なのかも知れない。
    最後にはついに人間の意識のような絶望の感情が湧いて出た。
    このまま人口意識が人間本来の意識へと突き進むのか、また違う展開となるのか続きが楽しみだ。

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