2022年12月23日[金]発行
1|小松理虔 当事者から共事者へ 第20回 共に歩き、友になる──沖縄取材記(前篇)
今年8月、沖縄で平和学習事業を手がける会社を立ちあげた知人を頼り、家族3人で沖縄取材に出掛けた小松さん。トーチカや普天間飛行場、基地跡地の巨大なショッピングセンター……現地の青年ガイドが語ったのは、本土とはまるでちがう沖縄の「戦後」のすがたでした。
2|松山洋平 イスラームななめ読み 第10回 これからのクルアーン翻訳、あるいはアダプテーション
意味の正確さか、リズムか。イスラム教の聖典クルアーンの日本語訳をめぐる、さまざまな工夫と苦労が取りあげられます。いっぽう、アラビア語以外に翻訳されたクルアーンは、じつはクルアーンとは言えないのだと松山さんは指摘します。人間ではない「神の言葉」を翻訳することはいかにして可能なのでしょうか。
3|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第7回 二〇二二年のベルリンと鷗外(後篇)
森鴎外の没後100年記念行事で講演するため、ベルリンへ向かった河野さん。そこで対談を聞いた、詩人の伊藤比呂美さんの圧倒的な鷗外の読み方。また河野さんの講演では、他言語で考える人としての鷗外に光が当てられます。
4|藍銅ツバメ SFつながり 第7回 異類婚姻とゲームと犬
デビュー作『鯉姫婚姻譚』の源流をたどるエッセイ。藍銅さんはなぜ人間と人間以外の種族が結ばれる物語に惹かれるのか。ドラクエやポケモンなど、幼少期にのめり込んできたゲームを振りかえっていきます。藍銅さんの愛犬のネーミングにも注目です。
5|加藤めぐみ(ゲンロン編集部) 人間的な等価交換の復権へ 安達真×桂大介×東浩紀「シラスはウェブのなにをやりなおすのか」イベントレポート
話題沸騰のシラス2周年イベントがレポートに。Web1.0からWeb3へ。ウェブの歴史と不可分に結びついている「フリー(無料)とフリー(自由)の思想」をたどっていくことで、あり得たはずの別のインターネットのかたちに焦点を当てます。
表紙写真:メカラウロコ『鮭女房 -結- ver.2』(2022年、映像、12分)より。メカラウロコはゲンロン新芸術校第6期金賞受賞者。「鮭」を通じて、フェミニズムや女性の問題を思考してきた。本作では、山形や新潟に伝わっていた異種婚姻譚「鮭女房」を、現代の視点から再解釈する。鮭が人間の女に化けて、男の元へ行く。自分の体内からいくらを取り出して作ったはらこ汁を食べさせ、その美味しさで男を虜にして結婚する。しかし、のちに正体を知られ、男の元を去る。これが「鮭女房」のあらすじである。メカラの作品では、食べられたい=愛されたいという鮭の願望、夫婦の現代的な役割分担、そして子どもを産むことへの戸惑いと、作家自身の等身大の問題が物語に組み込まれる。現代の風景と昔話の絶妙に組み合わせられた魅力的なCG映像のなか、イノセントな鮭とともにじわじわと問題を考えさせるユーモラスな作品である。同作は新芸術校金賞受賞者展『鮭らは海から川へ -フェミニズムの波を漂う-』で発表された。映像は作家のホームページで公開中(URL= https://mekarauroko.site/46ece9d68f5f454bb57cc749c8d54ab9)。(上田洋子)
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1. 当事者から共事者へ 第20回 共に歩き、友になる──沖縄取材記(前篇) 小松理虔
“戦後八〇年じゃなくて、戦前一年かもしれないって想像力”
この野添さんの言葉は沖縄を知識と五感でくまなく体感しているからこそ言語化できた言葉だと思う。
汗の止まらない夏の暑さを肌で感じ、眩しい太陽や海や米軍基地を見て、戦闘機の爆音を聞き、タコライスの香りと味を堪能して歴史に思いを馳せる。
小松一家が同様に五感で沖縄を感じながら取材をする事で現在と過去と未来を行き来しながら沖縄に没入していく様子が想起されて大変興味深く読めた文章だった。
2. イスラームななめ読み 第10回 これからのクルアーン翻訳、あるいはアダプテーション 松山洋平
イスラム教においてクルアーンを翻訳したものが注釈書や解説書として解されるのであれば、それはあたかも二次創作のように思える。
発音記号が付いたムスハフが七五調にアレンジされたり、リズムを排するだけでなく内容を伝わりやすく改変したりと、イスラム教の厳格なイメージと裏腹に翻訳を二次創作的に楽しんでいるように感じた。
脈々と受け継がれる歴史の中に潜む余白に信者達のイスラム教と生活を結びつける生き生きとした姿が浮かび上がり大変興味深い。
3. 記憶とバーチャルのベルリン 第7回 二〇二二年のベルリンと鴎外(後篇) 河野至恩
日本語の小説にラテン語やフランス語をカタカナで表記するというのは当時において読者に混乱を与えることは自明であったろうが、一方、「西洋かぶれ」と揶揄されるほど明治期の知識層における西洋への憧れと野心が並々ならなかったことはよく知られる。
同様に激動の時代を生きた森鴎外にとって、その様な境界を超えて思考を巡らせる事自体、自然な事だったのかも知れない。
富裕な家に育ち、生まれ持った知能で複数の言語を操り、医師や小説家や翻訳家など多才を発揮した上に留学先でのロマンスを繰り広げる、想像を超えるハイスペックな面が鴎外を抽象化させて解釈の余地を生み、「妄想」を掻き立てる存在となることで時代を超えて世の人々を国境を越え魅了するのだと思う。
4. SFつながり 第7回 異類婚姻とゲームと犬 藍銅ツバメ
本来は結ばれないもの同士が惹かれ合い愛を育む、御伽話や神話で古くから受け継がれる物語である異類婚姻譚だが、まさかポケモンやドラクエにもそういったエピソードが織り込まれているとは。
上記のゲームはそれなりにプレイしたつもりであったが「コンプリート」や「タイムアタック」ばかりしていて重要なストーリーに目が行き届いていなかったことが悔やまれる。
藍銅さんから「物語について真摯に向き合う」姿勢が感じられて、ただ考えるだけでもなく創作に耽るだけでもなく、人以外の生き物(ゲーム内のキャラクター含む)について思い悩むほど気持ちを込める直向きさに自分にはない何かを感じ、心動かされた。
5. 人間的な等価交換の復権へ――安達真×桂大介×東浩紀「シラスはウェブのなにをやりなおすのか」イベントレポート 加藤めぐみ(ゲンロン編集部)
技術の進化とビジネスモデルの発明でインターネットを定額課金するだけで無料(に見える)かつ無制限にコンテンツを取得でき、個人が広告塔となり報酬を得られるという画期的(に見える)な世の中が浸透してきた今、シラスの取り組みは困難だが歩まなければ先が無い、通らなければならない道のように思う。
不自由の外にはまた不自由が待ち構えている無限ループにおいて一縷の望みは観客とプレーヤーの成長に賭けるしかない。
1|小松理虔 当事者から共事者へ 第20回 共に歩き、友になる──沖縄取材記(前篇)
沖縄を知る旅に同行した気分になった。
お子さんの視点やユマちんの視点が紹介されることで、筆者と共に気づきを得られることが体験型の文章となっている由縁かもしれない。
ユマちんが何かを押しつけるんじゃなく、みんなで話したいと言った言葉は共事者という言葉につながることである。当事者だけでなく、訪れるひとも包摂した視点で“なぜ沖縄を学ぶことが必要なのか”を考えることがその根底なのかもしれない。そして、この問い立ては今の沖縄を生きるユマちんたちだけではなく、他の地から訪れた筆者らの考えも合わさって、はじめて答えが見えてくるように思う。
“ホームランを打てない球場”へお子さんが馳せた思いは一方的な当事者からの語りでは生まれにくいものだろう。
当事者の思いもセットで語るのではなく、実際に今の沖縄を体験してもらい、体験から生まれた思いを浮かべる余白を作る。
修学旅行で広島や長崎を訪れて平和学習をするというのは日本でよく行われてきたことだと思うし、自分も経験したことではある。確かにそれからえたものもあるが、自分の中で強く残っているのは平和記念公園を自分で歩いて巡った時間から得たものが多いように思う。
タコライスがなんで沖縄でタコライス?という疑問の入り口になるひともいれば、他の入り口があるひともいる。
余白のある、自分の足で歩く体験の中で私たちはそれぞれの入り口を探したらいいのかもしれない。
2|松山洋平 イスラームななめ読み 第10回 これからのクルアーン翻訳、あるいはアダプテーション
リズムをとるか、意味をとるか。
確かに考えさせられます。リズムも意味も強制的に変更せざるを得ない訳書ならば尚のこと。
更に詠唱するクルアーン的ものだと、リズムをいかに遜色なく残すのかはとても重要な要素だろう。原語のまま詠唱し、意味重視の訳で意図を体得するというのが最も本来の必要性を汲み取れるのかもしれない。
こうした性質をしっかり見極めて、翻訳されたものはすべてクルアーンにあらずとしているのだろうか?
にしても好まれるリズムの根源とはなんなんだろう。
文化圏によってそれは異なるのだろうが、クルアーンにはやはりイスラム圏に通底するリズムが流れているのだろうか?
リズムの側面から掘り下げていくことで見えてくるものもあるのかも知れない。
3|河野至恩 記憶とバーチャルのベルリン 第7回 二〇二二年のベルリンと鷗外(後篇)
Translateが今回のテーマなんだろうか。
鴎外が多言語に精通していたからこそ、決して日本語のブリコラージュでは代用できない翻訳不可能語を認識していたというのは興味深い観点だった。
鴎外がラテン語やフランス語を原語のまま用いたわけだが、指摘された通りその原語そのものを知っていた読者はほとんどいなかったのだろう。
また鴎外自身も読者像を想像していなかったわけはなく、知っている人は少ないと予想した上での原語使いだったのでは?
作品という文脈で巧みにその未知なる言葉を肉付けすることで、そうした言葉を紹介する狙いもあったのかもしれない。
4|藍銅ツバメ SFつながり 第7回 異類婚姻とゲームと犬
筆者が異類婚姻譚に惹かれるルーツが次から次へと開陳され、その語りの滑らかさこそ如何に筆者が惹かれているかを示しているようだった。
ルーツが多数語られる中でなかなか根幹となる“なぜ惹かれるか”は語られないが、最後の最後〈あなたに誰よりもひたむきに想いを向けてくれるのはそういう、人ではない生き物かもしれません〉という言葉が響いてくる。
何処か打算的で自己中心的に陥りやすい人間とは違う人ではない生き物たちのひたむきさ。
それこそ筆者が惹かれる由縁なのだろうか?
他人同士が人間関係を築く以上に、異類婚姻譚は差異の多いもの同士が関係性を築いていく物語だと思う。
その差異の大きさというハードルを越えていくひたむきさ。それはなかなか人間からは発信されがたいものなわけで、異類婚姻譚はそのひたむきさの大切さを人間に再学習させてくれるのかもしれない。
異類婚姻譚というと自分はつい本谷有希子さんの同名小説を思い浮かべてしまう。
夫婦の個が溶けていく物語はやはり個と個の間の差異を扱っている物語であり、読みようによっては後天的にひたむきさを探す物語のようにも読める。
異類という境界を越えるものこそ人は魅力的に感じるのかも知れない。
5|加藤めぐみ(ゲンロン編集部) 人間的な等価交換の復権へ 安達真×桂大介×東浩紀「シラスはウェブのなにをやりなおすのか」イベントレポート
〝Less Trust, More Truth〟と言いながらWeb3の世界でも「価値を信じる⼈」によってその価値が⽀えられている新たな Trustが生まれていることは現状のしっくりきてない感をClearに示す構図のように思えた。
羊をやめ、再度インターネット原初のインデペンデントを取り戻そうというWeb 2.0+i。
Web3よりも魅力的に感じる人間はまだまだ少数なのかも知れないが、泡のような動員ゲームはとても持続的とは思えないので、何処かで形勢が変わるときがくるのではないでしょうか?
小松理虔さん 当事者から共事者へ第20回 共に歩き、友になる──沖縄取材記(前篇)について
8月15日を終戦の日にするかどうかで、すでに本土と沖縄で分断が産まれていたのだなと
沖縄に巨大モールができて、就職先ができたことはよかったかもしれないが地域経済の振興にはさほど効果がないという話は
福島のいわきにイオンができたことと同じ構造かもしれないと思った
ネトウヨが、普天間飛行場ができた当時は周辺に住宅はなかったのに、
あとから住宅ができたんだから、危険を承知で住んでいるんじゃないかという批判をみますが、
もともと普天間飛行場ができる土地は沖縄の人々が住んでいたので
基地ができたから、やむを得ず住む場所がなく、基地周辺に住むしかなかったという事実は
もっと知られていいのではないかと思います
戦後80年ではなく、戦前1年、まさにタモリが言った「新しい戦前」と同じ
戦前の記憶を語り継ぐだけでなく、次に来るかもしれない戦争への想像力を育てる教育の大事さを痛感
沖縄でタコライスを食べることから学ぶ沖縄の歴史
まさに観光客の哲学につながるものだと思った
娘と修学旅行的なイベントいいなと思います、まねしたいです