【書評】潜入ルポのベテラン・ジャーナリストの変化球はどストライクの王道ノンフィクションだった──横田増生『「トランプ信者」潜入一年』評|西田亮介

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ゲンロンα 2022年5月6日配信
 自由民主主義社会にとって、報道、ジャーナリズム、ノンフィクションは欠かすことができない存在である。自由民主主義社会はいつの時代も、多様で、多元的な自画像と言論を必要としているからだ。だが、その維持と確保は現実問題として多くの苦難とコストを必要とする。SNSは国境を越えた人々の自由な表現を後押しするはずのものだが、近年では「自由」に基づくメディアへの介入を通じて、むしろ自由そのものの土台を毀損する動きも活発だ。  ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、SNS上での偽情報や偽「ファクトチェック」、一方的な虚偽言説の大量流通とサイバー攻撃などを軍事侵攻と組み合わせる「ハイブリッド・ウォー」への関心も世界中でにわかに高まった。ウクライナに関する情報についても慎重な読み解きと検証が必要であるとみなすなら、多様で多元的な言説の必要性と難しさも改めて想起される。ロシアのウクライナ侵攻は目に付きやすいが、身の回りにも掘り下げるべき対象はいくらでもある。  そんな文脈に置くとき、横田増生の新作『「トランプ信者」潜入一年』は輝きを増すばかりだ。評者はこれまでも横田の潜入ルポを好んで手にとってきた。ときにユニクロ、ときに宅配各社、はたまた Amazon の倉庫へと入り込み、必要とあらば改名さえ厭わない。大きな権力を持つ巨大企業と訴訟沙汰になっても、当事者たちと同じようにモノを売り、運び、流通の現場に入り込むことで、ごく当たり前になった社会インフラを支える人と、その背後にある過酷さを描いてきた。  横田の手によって、それまで知られなかった闇が広く社会問題として認知され、是正されるきっかけとなった。近年、フィールドワークを武器にする研究者たちは軒並み、倫理審査やコンプライアンス、業務における時間的制約等の困難に直面している。それだけに、フリーランスの横田が大きなリスクとコストを引き受け、労作を次々に公表する様を、評者は驚きと敬意をもって見てきた。

 

 その横田がトランプ現象を取り上げた本書は、トランプ大統領への密着ではない。代名詞である体当たり的な「潜入ルポ」とは少々毛色が異なり、本書には横田がその目で見たトランプ本人はあまり登場せず、文献を踏まえた記述も多い。むしろジャーナリズムの王道と言っていい。評者は意外性をもって受け止めたが、横田はアイオワ大の大学院でジャーナリズムの修士号を取得しているから、実は原点回帰なのかもしれない。  主題となるトランプ政権については既に、日米問わず、ジャーナリストから研究者まで多くの仕事がなされていて、日本語で読むことができるものも少なくない。トランプ本人のいわゆる「人となり」に迫る仕事としては、著名なジャーナリスト、ボブ・ウッドワードの手による2冊(『RAGE』『FEAR』)があり、それらは邦訳でも相当の読み応えがある。  こうした激戦区といえる領域のなかで、本書の読みどころはどこか。横田が深く掘り下げるのは、2020年から2021年にかけてのアメリカ社会であり、人である。その点にこそ、我々が本書を手に取るべき理由がある。大統領選挙という「政治の季節」におけるアメリカ社会の景色と空気を、評者も含む日本社会はあまりに知らなさ過ぎる。  もちろんアメリカ大統領選挙は世界屈指の権力のありようを決定する行事であるから、日本のメディアも時期が近づくと報道量を増やす傾向にある。だが、それらはホワイトハウス中心にならざるをえないのが現実だ。そうした仕事は強いコネとカネ、物量に優れたマス・メディアが得意とする。  それに対して、横田が渡米し、1年のあいだ選挙運動に参加しながら目を向けたのは、トランプを支持する人たちを中心にした、より広い市井の人々の姿である。こうした仕事は案外、多くはない。

 

 その本書の副題は「私の目の前で民主主義が死んだ」である。思い起こしてみれば、本書が取り扱うトランプ米大統領の誕生、ロシアゲート、イギリスの国民投票によるEU離脱などの過程で、「死」の予兆はそれなりに認識されていた。それらは「ポスト・トゥルース」と呼ばれ、権威ある Oxford Dictionaries の “International Word of the Year in 2016” に選出されたほどだ。2017年には、権威主義国家が世論操作など、自由民主主義社会の脆弱性を突く方法で他国に圧力をかけるアプローチに対して、アメリカのシンタンク “National Endowment for Democracy”(全米民主主義基金)は「シャープパワー」と名付けている。民主主義の死は「トランプ信者」だけの問題ではなく、時代精神であったようにも見えてくる。つまるところ、「ハイブリッド・ウォー」の素地はスマートフォンとSNSの普及とともに、平時にじわじわと浸透し築かれていったのだ。  では、どのようにして? 横田は陰謀論の内実とそれを信じる者、左右問わず嘘をつく政治家、それを許容してしまう支持者やメディアを何度も取り上げ、そのメカニズムを分析する。「許容してはならないこと」を、それと知りながらさまざまな理由で許容してしまう様に注目するのである。政治学者のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは著書『民主主義の死に方』のなかで、政治対立の前提として尊重されるべき規範として「柔らかいガードレール」が存在することと、その再生の必要性を説いたが、本書にはまさにその現場が描かれている。  本書の記述にSNSは、直接にはそれほど多く登場しない。だがそれでいて、本書はSNS時代の自由民主主義、そして報道と言論、表現の難しさを語っているようにも読めてくる。  どういうことか。テレビを除く日本の伝統的なマス・メディア──具体的には新聞、雑誌、そしてラジオは、大変な苦境の渦中にある。広大な支局網や設備投資、人材育成のノウハウ、著者との長い関係などがそれらの強みであった。しかし、メディアをめぐる環境とビジネスがSNS中心のものへとシフトするなかで、その採算は悪化している。しかも、事業としてはひたすら収益効率の悪い報道とジャーナリズムに、ネットメディアの側から逆参入する事例は乏しい。今でも主たる媒体とスポンサー、担い手は旧態依然としているのだ。ネットメディアは「場」を提供することはしても、ジャーナリストを育てない。かくしてジャーナリズムを支える環境は年々厳しくなり、発表媒体も減っている。  一昔前なら、本書のような活動は雑誌ジャーナリズムが支えたのではないか。取材経費などを雑誌編集部が持ち、連載の場を提供することで著者を支えるのが古典的なモデルだが、もはやそうしたスキームは過去のものになりつつある。それらに代わって横田を支えたのはネットメディアである。あとがきには「フォーサイト」や「スローニュース」への感謝の言葉が並ぶ。本書は、横田が歩んできたジャーナリズム業界の重要性とその変化を、自由民主主義の危機の具体像という対象選択と取材の仕方をとおして、アイロニカルに提示しているようでもある。その変化が決して対岸の火事ではなく、SNSを主戦場とする「ハイブリッド・ウォー」に翻弄される我々の考えるべき主題であることは明らかだ。ベテラン・ジャーナリストの労作は、まさにいま手に取る価値のある一冊といえる。

『「トランプ信者」潜入一年 私の目の前で民主主義が死んだ』
横田増生著(発行:小学館)

西田亮介

1983年京都生まれ。東京工業大学准教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同政策・メディア研究科助教(研究奨励Ⅱ)、(独)中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授等を経て、2015年9月に東京工業大学に着任。現在に至る。 専門は社会学。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)『ネット選挙——解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)『情報武装する政治』(KADOKAWA)他多数。
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