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【書評】ノンフィクションが描く「ストーリー」の力──アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ』評|石戸諭

ゲンロンα 2022年5月13日配信

 まさか2022年になってチェルノブイリ原発(ウクライナ語表記ではチェルノービリ原発だが、本稿の表記は書籍にならいロシア語表記とする)について、深刻なニュースが連日報道されることになるとは思わなかった。それまでチェルノブイリ原発は観光地であり、ゲンロンもツアーを組んでいたし、日本からも私を含め、少なくない観光客が訪れていた場所でもあった。

 ところが、である。ロシアによるウクライナ侵攻によって、チェルノブイリ原発は2月24日から3月末まで、ロシア軍のコントロール下に置かれてしまった。ウクライナの原子力規制当局とは電話すらつながらない状態が続いていたと報じられた。侵攻を機に、チェルノブイリの関心が高まったタイミングと重なるように本書『チェルノブイリ──「平和の原子力」の闇』は世に送り出された(邦訳:2022年2月25日、原著:2019年10月31日)。

 

 かつて、チェルノブイリ原発は旧ソ連の原子力技術者にとって、あこがれの職場だったという。1970年代、後のソ連史において「停滞の時代」と呼ばれる時代に「計画」された、最先端にして西側諸国のあらゆる原発を凌駕する最大規模の原発であり、労働者のための巨大な街作りも伴っていた。場所はキエフから車でわずか2時間ほどしか離れていないプリーピャチ(プリピャチ)。原発の名には、地域の中心地である「チェルノブイリ」を冠した。途方もなく壮大なプロジェクトはときに実務者を困惑させながらも動き出し、科学者はビジョンに魅了された。やがてやってくる途方もない事故を知らないままに。

 

 本書はアメリカ在住のジャーナリスト、アダム・ヒギンボタムが、チェルノブイリ原発の辿った運命を余すことなく描き出したノンフィクションだ。生きている関係者への取材、公開された情報や報告書、当時の報道資料の収集に至る過程に一切の妥協がない。本編400ページ超全20章に加え、豊富な図解と丁寧な注釈、そして索引までついており、これを読めばチェルノブイリ原発事故についておよそ知るべき事実を網羅的に掴める一冊に仕上がっている。

 それと同時に、英語圏の大作ノンフィクションが持っている良き伝統に連なった著作とも言えるだろう。私見だが、その特徴は抑制的な自己の存在、取材に基づき第三者の視点からストーリーを組み立て、全体を描き尽くそうとする姿勢という言葉に集約できる。

 作品を対比させてみよう。チェルノブイリを主題にしたもっとも有名なノンフィクション作品は、ベラルーシ国籍の作家スベトラーナ・アレクシェービッチの『チェルノブイリの祈り──未来の物語』(岩波現代文庫)だ。彼女がノーベル文学賞を受賞したこともあり、すでに評価が確立されている作品である。

 こちらは著者のアレクシェービッチ自身が幾人にもインタビュー取材をし、記録した声を作品として再構築したものだ。手法そのものは徹底した聞き書きである。彼女の方法は「全体」を描くという意志を最初から捨てている。あくまで原発事故が人々に何をもたらしたのか、絶望的な状況をどのように生き抜いたのかを考えるために記す一冊という姿勢を崩さない。それゆえに彼女は聞き書きというスタイルを自らに課し、多くの声が一冊の中で響き合うような作品世界を作り出す。

 どちらが良い、悪いではない。ノンフィクションのアプローチは書き手が志向するテーマ、あるいは描きたい事象によって選択されるものだ。ヒギンボタムの志向は、アレクシェービッチとは異なり、全体に迫りながら、確かな細部を積み上げることで「体制の犠牲者」を描くことにあった。

 本書の大部分は小説のような三人称で描かれる。白眉は事故に至るまでの歴史を描いた第1部である。とりわけ事故が起きた1986年4月25日を描き出す第5章「四月二五日金曜、午後一一時五五分、四号機制御室」以下、第1部が終わる第9章まで、迫真の描写が続く。

太いコンクリート柱や部屋の壁がゴムのように歪むのを見た。衝撃波でドアが室内のほうへ開き、埃まじりの湿った蒸気の気塊が吹き込んできた。天井から様々な破片が雨のように降ってきた。照明が消えた。ユフチェンコは最初、安全な場所に身を隠すだけで精一杯だった。一息ついたところで思った。とうとうアメリカとの戦争が始まったのだ。(118頁)

女性は自宅に戻り、変わり果てたプリーピャチに戦慄した。ヴィクトル・ブリュハーノフ[評者注:当時のチェルノブイリ原発所長]が愛した未来都市は、わずか数時間で死の街と化していた。レーニン通りに面したバルコニーでは、洗濯物がそよ風に揺れている。川岸にもレストランにも人影はない。遊園地も沈黙が支配していた。
市街地では今や全く別の音が聞こえた。置き去りにされた犬が吠えている。犬の毛は放射能で汚染されているので、飼い主は連れてゆけなかった。(208頁)

 まさに当時の街に降り立って「見てきたかのように」描かれている。私も実際にチェルノブイリ原発2号機の制御室を見学したことがある。4号機の制御室と同じデザインで、機器やモニターがずらりと並んでいたが、ヒギンボタムは機器の動きや事故時にどこで誰が何をしていたのか、そしてどう感情が動いたのかまで細部にわたって再現を試みる。

 事実はいくら集めても、それだけでは小さなかけらがいくつも手元にあるにすぎない。著者はロシア語と英語を操れる人々の力も借りながら、2006年からインタビュー取材を始め、公開された機密文書等々も手に入れたという。ファクトは資料と共に再現されることで、無味乾燥な報告書とは異なるひとつのストーリーになっていくのだ。

 その結果、浮かび上がるのは旧ソ連の情報隠蔽の危うさであり、野心の危うさだ。ヒギンボタムの取材に対し、ブリュハーノフは「一番の悔いは、一〇階建てビルの最上階にできるはずだった私の執務室を見ずに死ぬことだ。そこからチェルノブイリ原子力発電所の第一段階と第二段階の発展を眺めるはずだった」(432頁)と答えている。すぐに冗談だ、とフォローしているがおそらくは本音だろう。

 本書の記述にしたがえば、秘密主義とうぬぼれ、傲慢と怠惰、設計と建造のずさんな基準に組織の腐敗が重なったとき、たまたま旧ソ連のどこで起きてもおかしくない重大事故がチェルノブイリで起きた──。事故をおさめるために亡くなっていった人々に対し、生き残った幹部は組織の責任と自分の責任をいまだに引き離して考えているのかもしれない。その現実にぞっとするのは私だけではないはずだ。

 日本では、船橋洋一による『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』がおそらくもっとも本書に近いアプローチで描かれた著作だ。だが、船橋の仕事をもってすべてが完結したとも言えない。ヒギンボタムが取材を始めるまでに事故から20年、描き終えるまでにさらに10年の歳月が必要だった。十数年ではまだ見えないことも、当時のことを語れない関係者も多い。もう少し時間を経てから、浮かび上がる事実は絶対にある。

 時代を超えて本書はひとつの参照点になる。特に福島以後を生きる日本社会にとって、得るものの多い一冊になったことは間違いない。


『チェルノブイリ「平和の原子力」の闇』
アダム・ヒギンボタム著(発行:白水社)

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1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学法学部卒業、同年に毎日新聞入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月に BuzzFeed Japan に入社。2018年4月に独立した。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)。ニューズウィーク日本版「百田尚樹現象」で第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。

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