【書評】シャーマニズム、連帯にして抵抗の原理──島村一平『憑依と抵抗』評|安藤礼二

ゲンロンα 2022年6月17日配信

 本書、『憑依と抵抗 現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』(晶文社、2022年)の「あとがき」に著者、島村一平は、こう記している。「本書の出版のため、過去一〇年の自分の仕事を整理していくうちに気付かされたことがある。それは、私の関心の中心がすべて、貧富の格差や環境汚染、過当な競争、といった中であえぐモンゴルの人々の心の奥底から湧き出るような憑依の言語であったということである」(371頁)。

 おそらくはこの一節に、本書と前著『ヒップホップ・モンゴリア 韻がつむぐ人類学』(青土社、2021年)を通底させる、著者の一貫した思索と実践がある。モンゴルにおけるシャーマニズムとヒップホップが「憑依の言語」によって一つに結び合わされる。この二つの著作に共通しているのは、「憑依」を言語の問題として、特に「韻を踏む身体技法」の問題として、具体的かつ詳細に論じ尽くしている点にあるだろう。従来の人類学が提唱する「トランス」や「変性意識状態」を自明視せず、「精霊」の存在も自明視しない。シャーマンに取り憑いてくる「もの」を言語、しかもその内容ではなく形式、すなわち「韻」に特化された詩的言語の問題として考え抜く。そこに、憑依を外側から客観的に、ただ「研究」の対象としてばかりでなく、内側から主観的に、なによりも「表現」の主体として捉え直す可能性がはじめて取り出される。

 堅実な「研究」であるばかりでなく、「表現」そのもののもつ可能性を新たに切り拓いていく試みでなければならない。しかも、そうした「表現」から社会性や政治性、さらには歴史性を捨象することは許されない。評者は、人文諸科学を対象とした書物が生き残っていく道は、もはや、そうした方向にしか残されてないのではないかと考えている。なぜなら、人文諸科学すべての基盤となっているものこそ、表現する言語であり、同時に社会性にして政治性、歴史性をもった言語であるはずだからだ。「研究」の対象と「研究」の主体は共振し、交響し合い、「表現」の対象にして「表現」の主体へと変成していかなければならない。著者は、前著においても本書においても、さまざまな試行錯誤を通して、そのような不可能な問いに見事に応えていると思う。しかも憑依の核心は他者から、すなわち現代モンゴルでシャーマンとなった他者から、自己、すなわちこの「私」へと伝えられたものなのだ。シャーマンに取り憑く「精霊」とは言葉そのものなのだ。ホテルのマネージャーからシャーマンとなった女性は著者にこう告げる。「オンゴド(精霊)とは、人間の姿をした先祖霊とかではなく、言葉そのものなんじゃないかしら」(270頁)、と。

 憑依の最中、憑依の主体であるシャーマン自身が死者の声、「精霊」となった祖先の霊の声を実際に聞き、それを語っていると意識することはまずない。そこにあるのは「韻」を踏み続けるという表現行為だけなのだ。「韻」を踏み続けた先に無意識の「歌」、「個」を超えた無意識の「歌」が創造される。著者は、前著においても本書においても、「憑依」を次のように定義している。「自分が意識して語れる言語とは異なる、意識的に操作できない言語を自動的に語らしめるテクノロジー」(272頁)、と。このテクノロジーを介して語られる言語は、社会を、政治を、歴史を、歌う。歌うだけでなく、社会を、政治を、歴史を、変えてゆく。親族を拡大し、富を再分配させる。口承文芸とシャーマニズムとヒップホップを一つに結び合せる。近代的な国境によって分断された民族の「連帯」を想像的に回復させる。前著、『ヒップホップ・モンゴリア』の最終章である「越境」は、モンゴル国、ロシアのブリヤート共和国、中国の内モンゴル自治区に分断された「モンゴリア」のヒップホップを通じた「連帯」を描いて終わる。もちろん、著者も、モンゴルのラッパーたちも、そのような「連帯」が容易に実現されるとは決して考えていない。逆に、現在、そうした「連帯」は根底から破壊されつつある。しかしそのような状況のなかで、モンゴルのラッパーたちに促されるようにして、次のように記される著者の言葉は、新たな時代の共生の在り方を示唆するものとなるだろう──。

 ヒップホップ・モンゴリアは、モンゴル国を超えてロシアのモンゴル系ブリヤート人や中国・内モンゴル自治区のモンゴル人とのつながりを生み出す、想像のディアスポラ共同体でもあった。モンゴル国のヒップホップはブリヤートや内モンゴルと共鳴し、三カ国の「モンゴル人」ヘッズたちがヒップホップを通じて連帯する世界が現出した。ただし、それは政治的な共同体とは異なる、内部に相克や差異を包含しつつもラップでの対話を通じた「声の共同体」であった。(396頁)

 この『ヒップホップ・モンゴリア』にまとめられた歴史観、政治観、社会観、芸術観を土台として、さらにシャーマニズムのみならず、チンギス・ハーンをめぐる歴史記述、社会主義的な実践と呪術的な実践の融合、「民族衣装」における伝統と革新等々、各論を深めていったところに本書、『憑依と抵抗』は成り立った。『ヒップホップ・モンゴリア』の最後に提起された「連帯」の原理が「抵抗」の原理として、その具体的な在り方として、論じ直されている。

 シャーマニズムとは、「不可知の存在」と人間の間における象徴的な交換を実践する営為である。しかし、その実践の過程および結果は、政治的かつ社会的なコンテキストによって大きな揺れ幅をもつ。個々のシャーマンの在り方は、コンテキストに応じて、きわめて柔軟に変容していく。そのことによって、社会的な不平等が想像的に、またある部分までは物質的に是正される。経済的に圧倒的な非対称性をもつ場合には、「依存的抵抗」という独自の戦略が、意識的かつ無意識的にとられていく。鉱山開発に経済的に依存しながらも、鉱山開発がもたらす環境破壊や貧富の差に、シャーマンたちは徹底して抵抗する。ゲリラのようにあらわれ、ゲリラのように拡散し、自らのなかに複数的なアイデンティティを創り上げ、境界の曖昧な情動的で重層的なネットワークを組織してゆく。

 シャーマニズムに顕著にあらわれている「抵抗」の諸相と共鳴するものを、著者は、チンギス・ハーンを主題として社会主義体制下に編纂された「歴史」の書における「翻訳」と「解釈」の問題として浮き彫りにする。社会主義体制下、歴史学者たちは、否定的なものとはいえ、チンギス・ハーンの事蹟を記し続けた。チンギス・ハーンは、たとえ「悪」の仮面をまとわせられようと、モンゴルにおいて忘れ去られたことは決してなかったのだ。だからこそ社会主義体制後に、ナショナリズムの理念、超ナショナリズムの理念として再生することが可能になった。「悪」として翻訳されようが、その名前が残ることによって、時代が変わった際、新たな解釈が可能となったのである。まさに「翻訳」と「解釈」による「依存的抵抗」である。それは、社会主義体制下で還俗せざるを得なかったラマ僧たちの宗教的な実践においても同様である。ラマ僧たちは、社会主義の教えに合致するようなかたちに、自らの呪術の行使を徹底して世俗化してゆく。そのことによって社会主義的な利他の行為と宗教的かつ呪術的な利他の行為の見分けがつかなくなる。それが同時に、社会主義体制後の、ラマ教(チベット密教)の宗教的な再生を可能とした。「伝統」は過去を墨守するものではなく、未来に向けて「変革」していくものだと社会主義は教えてくれた。結果として、社会主義体制後、「民族衣装」は、自由な創造性が発露される場となる。そしてまた、われわれが伝統的な「民族衣装」だと思い込んでいたものが、実は社会主義の産物であったことも突きとめられた。

 さまざまな時代と場所に由来する諸要素が集められ、相互の差異を横断するように接続され、新たなものが創り上げられていく。「モンゴル化」すなわち「ブリコラージュ」によって。しかしながら、それらの「抵抗」、そして「連帯」、さらにブリコラージュは、果たしてモンゴルだけで起こったことなのであろうか。モンゴルの現代はわれわれの近代、われわれがそこからまだ抜け出せていない、極東の列島を呑み込んだ近代の姿を映し出してくれる鏡のようなものではなかったか?
 

 
 書評としてはやや破格かもしれないが、ここからは、他者である著者の問題提起を、評者であるこの「私」がどのように受け止め、それを今後どのように展開していきたいのかを記し、終えたいと思う。「読む」ことは「書く」ことにダイレクトにつながる。それが批評という営為の核にあると考えているからだ。

 著者は、モンゴルでのフィールドワークを通して、憑依とは言語である、「韻を踏む身体技法」そのものであると定義してくれた。そのような事態は、果たして、現代のモンゴルだけに限られたものだったのであろうか。

 評者がこれまで主題的に論じてきた民俗学者にして国文学者の折口信夫、その折口から直接教えを受けた意味論研究者の井筒俊彦のいずれも、憑依とは言語そのものであり、「意味」の根源にして「力」の根源にダイレクトにつながる聖なる言語、「個」を超えた無意識そのものが語り出す言語そのものの顕現であると考えていた。そこから「表現」(文学)が、宗教が、哲学がはじまるのである、とも。井筒俊彦が英語を用いて書いたはじめての著作、『言語と呪術』では、言語においては論理(ロジック)よりも呪術(マジック)が優先し、しかもその呪術としての言語を真に理解するためには、意味の内容の分析だけでなく、なによりも意味の形式──文法・語彙・韻律──の分析の方が重要であると説かれていた。

 さらに、この両者、折口においても井筒においても、憑依による表現言語の行使と政治権力の行使は分かちがたいものとしてあった。折口も井筒も文学表現の源泉に「憑依の言語」の存在を見出すだけでなく、折口は天皇の権力の源泉に、井筒はアラビアの預言者ムハンマドの権力の源泉に、いずれも「憑依の言語」の存在を見出していた。しかもその「憑依の言語」は、両者において、ともにグローバルな近代に対抗し、近代を乗り越え、あるいは近代を解体する手段として見出されたものであった。

 折口は、自身の「憑依」への探究が、「国家神道」の枠組からこぼれ落ち、それゆえ「国家神道」とは、ある一面において対立する関係におかれた教派神道各派の発生と密接に関連するものであると認めていた。「国家」ではなくそれぞれ個別の教祖の教えにもとづいた神道である。近代を迎え、政治と宗教が分離され、神道が「国民の道徳」つまりは「国家神道」となり果ててしまったとき、あたかもそうした動向に根底から抵抗し、反逆するかのようにして、荒々しい神々に憑依され、神々の聖なる言葉を自ら語り出す教祖たちが続々と生み落とされていった。教祖たちは、激烈な排外主義とナショナリズムを、近代的な国家を超えてしまう超ナショナリズムを、モンゴルのラッパーたちと同じく、神々の言葉として語った。国家は、それら過激な教祖たちに率いられ、強固な結束を誇る人々の集団を「教派」の神道として認めざるを得なかった。いちばん最後に「教派」の神道として認められたのが、明治期を通じて激しい弾圧を受け続けた天理教であり、結局のところ最後まで「教派」の神道として認められなかったのが、憑依する「神主」出口なおと憑依させる「審神者」出口王仁三郎からなる大本(教)であった。大本は「憑依」の技法を広く一般に公開してしまうことで、現代まで続くさまざまな新宗教の源泉の一つとなった。

 折口信夫も出口王仁三郎も同じ教派神道研究結社「神風会」に属し、大学時代の折口はモンゴル語を学び、大正末期、やはり国家の弾圧により壊滅状態にあった教団を立て直すために王仁三郎はモンゴルに赴こうとした。王仁三郎を迎えたのは満州に創設された憑依の総合的な宗教、シャーマニズムを中心に儒・道・仏・回の総合を掲げた「道院」であった。王仁三郎は、ありとあらゆる神秘主義思想をブリコラージュする。

 また、王仁三郎と同様のヴィジョンをもち、大東亜共栄圏構想──かつてのチンギス・ハーンの帝国のような──を政治的かつ経済的に推し進めようとしていた大川周明の庇護のもとで井筒俊彦のアラビア語学習、イスラーム研究が可能となった。大川が目指していたのは宗教的であるとともに社会主義的な「帝国」である。井筒が英語を用いてまとめた最大の著作、『スーフィズムと老荘思想』が真に機能するのは、学問のフィールド、比較思想の場ではなく、現在においても政治的かつ宗教的な闘争が密かに繰り広げられている現実のフィールド、老荘思想とイスラーム神秘主義思想(イランの存在一性論)が踵を接して存在している中国東北部、旧満州の地をおいて他にはあるまい。その井筒が、最後の著作として論じたのが、仏教における密教的な展開を推し進めた「如来蔵」の思想、森羅万象あらゆるものには如来となる種子があたかも胎児のように秘められているという「如来蔵」の思想であった。そして極東の列島においては、「憑依」の神道と「如来蔵」の仏教、土着の──その「土着」をどう定義するかで異論も多々あろうが──シャーマニズムと大乗仏教の密教的な展開が一つに習合することによって、折口信夫が生涯の課題とした「芸能」が形づくられていった。

 極東の列島、大陸の東北部(満州)、そしてチベット、さらにはモンゴルに見出されるシャーマニズムと密教の共存あるいはその「習合」は相互に無関係であるのか否か、そこに相互の共振と交響を考えられることができるのか否か、ぜひ著者に尋ねてみたいと思う。


『憑依と抵抗──現代モンゴルにおける宗教とナショナリズム』
島村一平著(発行:晶文社)

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1967年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文芸評論家、多摩美術大学図書館長、美術学部教授。2002年「神々の闘争──折口信夫論」で群像新人文学賞優秀賞受賞。著書に『神々の闘争 折口信夫論』(講談社、2004年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社、2008年、大江健三郎賞および伊藤整文学賞受賞)、『折口信夫』(講談社、2014年、角川財団学芸賞およびサントリー学芸賞受賞)、『大拙』(講談社、2018年)、『列島祝祭論』(作品社、2019年)、『吉本隆明 思想家にとって戦争とは何か』 (NHK出版、2019年)『熊楠 生命と霊性』(河出書房新社、2020年)など。監訳書に井筒俊彦『言語と呪術』(慶應義塾大学出版会、2018年)がある。(撮影=小林りり子)

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