【書評】史料の博捜で柳田國男説を乗り越える──高野信治『神になった武士』評|呉座勇一

ゲンロンα 2022年7月7日配信

 釈迦や孔子のような特別な人間、聖人が神になるのは理解できる。しかし日本では、天下人であった豊臣秀吉や徳川家康、また楠木正成や加藤清正などの英雄的武将のみならず、必ずしも著名でないローカルな武士も神格化され、祭祀を通じて記憶され続けている。

 本書『神になった武士』(吉川弘文館)は、徳川家康の神格化(東照大権現)など著名な例に特化した従来の研究に対し、武士祭神の全貌を明らかにしたものである。地誌・名所図会・文芸書類まで博捜することで、神となった武士を網羅的に収集し、統計的に把握した点は他に類を見ず、称賛に価する。

 本書によれば、武士が登場して以降、古代から現代までに神に祀られた武士の総人数は2431人だという。そのうち、祭神が一つ、つまり一ヶ所でのみ祭祀されている武士は2112人で圧倒的に多い。

 これらはローカルな神と言える。武士が一族として先祖を祭祀し、家の守護を祈るケースだけではなく、地域由緒との関わりの中で神格化されるケースも少なくない。

 かつて民俗学者の柳田國男は、「人を神に祀る風習」の本質は、怨霊を祀り上げて災厄を防ぐ御霊信仰にあると考えた。本書は、近世の大名家が旧領主・旧主の怨霊を鎮めるために御霊として祭祀する例を挙げるとともに、逆に旧主祭祀を現領主(大名)が制約する事例も紹介している。

 

 また民衆が武士を神として祀る事例も多く挙げられている。地域の旧主・旧領主が滅亡した後に、その怨霊を慰めるために地域民が祭祀を行い、地域鎮守に位置づけていく。時代が下るにつれて怨霊的な性格は薄れ、守護神的な信仰を集めていく。祭礼も盛大になり、娯楽色を強めていく。

 加えて民衆は、怨霊・御霊観念とは対比的な報恩の祭祀、いわば武士の善政・救済行為を契機とした祭祀も行うようになる。そこには現世利益への期待もあった。

 たとえば祭神数や地域的広がりが他を圧する徳川家康の神格・東照大権現は、大名により先祖神や国家神と認識された一方で、民衆にとっては政治秩序を視覚化し、救済性や遊芸性を軸とする民俗神的な性格を備えていた。具体的には、土豪らが家や家職の繁栄、家の守護神として東照宮を祀っているのである。

 民衆が神仏に求める現世利益の中で、特に欲求が強いのは病の治癒である。文芸や芸能などを通じた軍記物語によって伝承化した武士は、しばしば治癒神的な性格を持ち、広域で祭祀された。病を治癒する神は、信じれば福神、不信であれば厄神となる。その両義性はそもそも御霊神的な性格に根差す。天下泰平の江戸時代においては、人びとの養生・健康志向が強まった。その結果、現世利益の欲求が、文芸・伝承化した内乱期の武士、とりわけその武人性へと向かったのである。

 

 さて柳田國男は、先祖神を閉じられた「私廟」とし、人神とは捉えなかった。けれども本書は、武士が先祖として祭祀される場合、家臣や領民からも信仰を受ける開かれた神であり、社会統合のシンボルの性格、公共的な性格も持つ、と指摘している。これは、祖霊・先祖神も人神と捉える近年の歴史民俗学の成果を踏まえた見解である。

 しかし、著者の考察はそこに留まらない。神格化された藩祖を祀る祭礼は、藩祖を頂点とした大名家による「国家」(藩)統治の正統性を可視化し、家臣・領民に対する支配の再強化の装置として利用された。特に藩政改革期には、神格化された藩祖の威光を前面に出すことで改革を推進した。領主・大名の転封や移動に神が同道する場合もあり、地域支配行為と家(先祖)意識が連関していたことが良く分かる。

 だが武士の神格化は、武士階級によるイデオロギー支配に利用されるだけではない。領民の側が利用することもある。社家が社格上昇のために藩祖との由緒を主張したり、地域の神職が村落社会における地位の安定化のために「国恩祭」(殿様祭)を企画したり、といった事例に著者は注目している。

 たとえば幕末維新期の熊本藩では、多くの庄屋層(地域指導層)が惣庄屋(村役人)の農政に対する不満を持っており、対抗のために詫摩・飽田郡代であった中村誠卿を神格化しようとした動きが起こっている。地域指導層や神職集団がアイデンティティを強化するために、武士の神格化を進めたのである。

 明治維新によって藩組織が解体すると、江戸時代には「御家」の祖として、大名家と家臣層がともに行っていた祭祀が、旧大名の「家」の私的な祭祀と、地域社会の公共的な祭祀とに分化された。後者について具体的に述べると、旧藩組織の解体によって失った心情的拠点を回復しようとする旧家臣中心の集合行動から、藩祖を祀る神社が創建されて、それがいわば地域鎮守として定着したのである。

 明治期の旧大名・藩祖祭祀の増加は、中央集権の方向に逆行するようにも見える。だが、必ず藩祖の皇室に対する尊崇忠節と国家に対する貢献が強調されており、旧政体を慕う地方の民心を、天皇を軸とした近代国家に結集させる意義を持っていた。

 実際この時期には、国家祭祀の神となる武士も現れている。楠木正成を主祭神とする湊川神社など、南朝方武士の顕彰が進んだほか、徳川政権の否定を可視化するため豊臣秀吉を祀る豊国神社が再興された。また織田信長を勤王の士として顕彰すべきという意見が出され、祭神とする建勲神社が建立された。

 さらに幕末維新期には、幕末の動乱で落命した人びとが多く祭祀された。国事に殉じ天皇のために命を捨てた忠臣として、志士たちが招魂祭祀の対象とされたのである。この流れは近代国家建設後も引き継がれ、大日本帝国による戦争遂行に伴い、石田三成ら忠義のために死んだ武士たちが神格化された。

 

 以上、本書が提示した論点は多岐にわたる。個人的に興味をおぼえたのは、武士階級が民衆・地域社会をイデオロギーによって支配するために神格化された武士を活用するだけでなく、民衆・地域社会の側で武士の神格化を進めることもあったという指摘である。神となった武士が、民衆の現世利益の期待に応える側面や、地域社会のアイデンティティを支える側面も見られるのであり、支配・被支配という単純な関係で読み解けない多様性に迫った点は重要である。

 強いて難を述べるならば、本書には事例列挙の傾向が強く、著者の主張や議論展開がいささか分かりにくいことが挙げられる。中でも、源義経蝦夷渡伝説は、以前から国文学・歴史学の分野で注目されてきた研究対象ではあるが、本書の中では浮いているような印象を受ける。

 近藤重蔵が蝦夷地探検調査の過程で判官祠や義経神社を創建したという事実は重いが、それをもって即、義経の神格化と捉えることができるだろうか。アイヌたちが義経を神と崇めているという認識は、近藤重蔵の主観にすぎない。地元のアイヌの信仰を得て継続的に祭祀が行われなければ、義経が神になったとは言えないだろう。

 悉皆調査、実証的な分析は歴史学において必要不可欠であるが、「総合」がなければ史料集になってしまう。自戒の念を込めつつ、非礼を承知であえて申し上げておきたい。


『神になった武士──平将門から西郷隆盛まで』
高野信治著(発行:吉川弘文館)

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1980年、東京生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学大学院人文社会系研究科研究員、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員、国際日本文化研究センター助教などを経て、現在、信州大学特任助教。大学共同利用機関法人人間文化研究機構に対し国際日本文化研究センター准教授の地位確認を求めて訴訟提起中。日本中世史専攻。著書に『日本中世の領主一揆』(思文閣出版、2014年)、『一揆の原理』(筑摩書房、2015年)、『応仁の乱』(中央公論新社、2016年)など。共著に前川一郎編著『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社、2020年)など。現在、網野善彦に関する論文を執筆中。

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