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【書評】戦争と女性をめぐる「語り」をほぐす──『女性兵士という難問』評|山森みか

webゲンロン 2022年11月21日配信

 この本は、女性兵士という存在、およびそれが我々に突きつけるさまざまな問いを考える上で、示唆に満ちている。このテーマの複雑さについては、書名が端的に表している。女性兵士というのは、容易に扱うことができない難問なのである。

 これが難問である由来は、女性兵士という問題には多面的な要素があって、一義的な結論を導き出すのは難しいことにある。それでも結論を見出そうとすると、その道筋に、落とし穴のようなものがいくつも仕掛けられていることに気づく。著者の佐藤文香氏は、その落とし穴のようなものとは何か、ていねいに説明を加えていく。

 女性兵士という存在は、我々がもっている「固定観念」をくつがえす。たとえば女性兵士が存在する現実を前にすると、積極的に戦争をするのは常に男性であり、平和を求める女性はその被害者であったという従来の「語り」が通用しなくなる。男女平等を目指すグローバルな価値観では、女性の社会進出、男性と同等の地位の獲得は達成されるべき目標である。だが、女性兵士が男性兵士と同等の地位につき、全く同じ任務を遂行することをよしとするならば、女性は男性よりも平和構築事業に向いているという考えが揺るがされる。

 一方、女性兵士の存在は、しばしば軍のイメージをよくするための広報的役割、つまりカモフラージュ目的でも用いられる。そのため、軍に女性を登用したがるのは、当の女性よりも男性幹部のほうだという倒錯が起きる。こうして女性兵士は、「男性と同じ仕事に就く一流の戦闘的女性兵士」と「平和構築に貢献するような女性らしい女性兵士」のあいだで引き裂かれることになるのである。

 本書の第I部「ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学」では、まず先行研究が整理される。そして第II部「女性兵士という難問」において、その「難問」が何に由来するかが明らかにされる。第III部以降では、自衛隊や米軍における事例の考察がある。たとえば自衛隊の広報は、実際の女性の数に比して女性を過剰に表象することで、公的イメージをソフトにしてきた歴史をもつという。著者によると、米軍の場合は、黒人や女性、LGBTといったマイノリティが軍隊に包摂されることを通して「一流市民」としての地位を獲得しようと試みたことがあったそうだ。

 続いてなされるのは、世界各国における戦争と性暴力、およびその「語り」についての検討である。戦争にまつわる性暴力の被害が、被害者にとって恥とされ、沈黙を強いられる状況にあったことは決して忘れてはならないことだ。だがいったん戦時の受難物語のなかで被害を語る正統性が共同体によって認められると、「語り」の序列が作られ、「語り」のステレオタイプ化や、それ以外の「語り」が不可視化されるプロセスが始まるのである。

 本書を読み進めていくと、女性兵士という問題は世界各地で共通する点はありながらも、それぞれの国や地域の歴史や文化的背景、軍隊のありかたや目的によって、さまざまな様相を示すことがよくわかる。昨今の世界情勢を見ると、女性兵士の実態についての具体的事例が今後もさらに集められ、緻密な調査と分析がされていくことは間違いない。また「語り」の正統性については、林志弦のいう「犠牲者意識ナショナリズム」の観点からも議論が深められていくだろう。日本に住む人々にとっても、これらは今後避けて通れない課題となっていくことが予想される。

 

 この問題の難しさを示す身近な例をひとつ挙げよう。私は男女ともに徴兵制が課されるイスラエルに住んでおり、息子も娘もイスラエル国防軍での兵役を18歳から経験した。娘が現役兵士だった2010年代初め、下着姿に銃を抱えた女性兵士数名の写真がインターネットに流出し、彼女たちは処罰の対象となるという事件があった。この処分をめぐって、激しい議論が巻き起こった。全裸の男性兵士が銃で局部を隠した写真は、ある種の「ほほえましい悪ふざけ」としていままで黙認されてきたのに、女性兵士だと下着姿でも処罰の対象になるのか、というのが論点である。

 彼女たちの1人は娘の高校の同級生であり、男性兵士に許されることが自分たちに許されないのはおかしいと主張していた。たとえば「美人女性兵士」といったワードで検索エンジンの上位に上がってくる写真を見ると、それらの写真がどのように受け取られ、消費されていくかは明白である。彼女たちの行為が禁止された背景には、軍のセキュリティや権威の維持と同時に、彼女たち自身を保護する意味もあるのだろう。大人の目から見ると稚拙な行為である。だが、高校を卒業したばかりの彼女たちにとっては、写真の投稿には男女平等を獲得するための闘争という側面もあったのだ。

 結局のところ、女性兵士に対する処分の妥当性は揺るがないが、今後は男性兵士にも同様に厳しく対処するということに落ち着いたと記憶している。

 

 本書の冒頭において著者は、日本の女性学研究者やフェミニストの一部から、自分の研究が歓迎されざるものであると告げられたことを明らかにしている。それでも著者がこのテーマについての研究を続けてこられたこと、そして出版されて多くの人が読めるようになったことは、たいへん喜ばしい。本書は今後、このテーマについて考える際の道標となるであろう。我々が生きる世界においては、既に数多くの女性兵士が存在し、日々の業務を行っている。これは徴兵制や戦争そのものに賛成/反対という立場の相違を超えて、我々が粘り強く取り組んでいくべき問題なのである。とりわけ加害と被害の「語り」を固定化せず、我々が生きる空間をよりマシなものにするにはどうすべきか、という本書で提示された問いについては、女性兵士というテーマや、ジェンダー研究、社会学といったジャンルを超えて、考え続けていくべきであろう。

 

 我々が目指すべきなのは、平和で公正な社会であることは間違いない。だがそうはいっても、当事者にとって戦争というものは、自分たちが実戦で勝たなければ意味がないという側面もある。国際社会や国連が、組織として直接手をくだして助けてくれることはまれである。もちろん開戦にいたるまでは、戦争を避けるためのあらゆる手段が採られるべきだし、戦争が始まってからも早期停戦を目指した外交努力が持続的になされなければならない。しかし当事者の立場から見ると、もし目の前の戦争そのものに敗けてしまったら、あるいは不利な停戦合意を呑まされたら、生活や社会が激変する恐れがある。このような自由な議論ができる場さえ失われるかもしれない。生命の維持や自由な社会は、時によっては武力によって勝ち取るものであり、また時によっては武力の放棄によってもたらされるものである。女性兵士は戦争という事態にかかわる存在であり、そこでは「かくあるべき」という理念が、現実の勝利への戦略、戦術に呑み込まれ得る。

 我々はいま、「女性兵士という難問」といった一義的には答えの出ない問いについて自由に考えをめぐらせ、それを日本語で表明できる社会に生きている。そのことの幸運をあらためてかみしめ、この事態を獲得するために努力してきた人々、そしてそれを今なお維持するために努力している人々の労苦に思いを馳せたい。私自身は一度も軍隊に身をおいたことはないが、イスラエルに住む私の家族や周囲は大半が兵役経験をもっている。彼らに語れること、語り得ないことがあることは重々承知している。だが本書を読んで、彼らの具体的、個別的な経験に耳を傾けること、そしてそれを大きな枠組の中において考えることの重要性にあらためて気づかされた。自由な言語表現が許される社会の一員として、今後ともこの問題について、拙いながらも考えていきたい。


『女性兵士という難問 ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学』
佐藤文香著(発行:慶應義塾大学出版会)

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大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書『古代イスラエルにおけるレビびと像』、『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルにおける日常生活』、『ヘブライ語のかたち』等。テルアビブ大学東アジア学科日本語主任。

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