アンビバレント・ヒップホップ(1) 反復するビートに人は何を見るか|吉田雅史

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初出:2016年04月15日刊行『ゲンロンβ1』


1. はじめに


 筆者とヒップホップの出会いは、1980年代末に遡る。当時、X、BUCK-TICKや筋肉少女帯、Van HalenやMetallicaなど国内外のロックに魅了されていた耳にも、Run-D.M.C.やPublic Enemyのギターやノイズをサンプリングしたサウンドはアピールするものだった。以来、単に音楽としてのそれを享受するだけでなく、様々な場面で、ヒップホップ的な価値観を参照してきた。そしていつしかリスナーの立場だけでなく作り手の立場でもコミットするようになると、レコード屋に週7日は通い、ビート制作のため、それらのレコードやサンプラーと夜を明かし、ペンとノートを携え深夜の街を徘徊しながら言葉を捻り出し、同志を見つけて桃園の誓いを交わし、自腹を切ってレコードをプレスし、ライブで色々な土地を回り、多くの人々と出会い、音と出会いながら、少なからず情熱を傾けてきた。


 2015年にゲンロン×佐々木敦の批評再生塾第1期の開講が発表され、3月20日に特設サイトが立ち上げられた。筆者は自身でも何をしようとしているのか分からないままに、同時に何も迷うことなく、サイト上で申し込みのボタンをクリックしていた。この時点では、ヒップホップについての文章を書く気はなく、寧ろ避けて通ろうとしていた。最初から自身の得意分野で臨むことには一種の抵抗を感じていたからだ。しかし約1年後、最終課題で日本語ラップについての論考を提出することとなった。1998年に東浩紀の『存在論的、郵便的』に魅了されていたとき、同じように心奪われたのがTHA BLUE HERBの「知恵の輪」★1であったことを思い起こせば、それは必然だったのかもしれない。
 その批評再生塾における最終課題では、KOHHと志人(しびっと)という2人のアーティストを中心に据えた論考を提出した。日本語ラップが、これまで批評という営みの対象として切り出されることはあまりなかった。しかし一方で、既に30年分の蓄積があることから、語られるべき無数の事象を有していることも確かだ。批評という枠組みを抜きにしても、日本語ラップには未だ言語化されていない領域が多く存在する。


 同時に、この30年というのは長いように見えるが、日本語ラップの歴史が過不足なく客観視され記述されるには十分な期間ではなかった。そしてある種の共通見解が共有されていないからこそ、日本語ラップには様々な文脈へ接続して語ることのできる可能性が潜在している。この30年という期間が熟成させてきた芳醇さと、潜在的な可能性を言語化すること。それが今、日本語ラップを取り上げる1つの理由だ。


 そして日本語ラップは、この30年の歴史にもかかわらず、未だアメリカで誕生したオリジナルの輸入品としての痕跡を強く残している。私たちは、1970年前後の「日本語ロック」論争から随分遠くに来ている。だから「ロック」の前に「日本語」を付けることは稀だ。しかし「日本語ラップ」の「日本語」が取り払われる日はまだ遠いのではないだろうか。


 本連載においては、以上のような日本語ラップを取り巻く状況を踏まえつつも、対象を「日本語」という枕詞の付くラップに限定せず、本国アメリカで繰り広げられてきた/いる、日々更新される言葉たちの群像劇をも注視して行きたい。この過程においては、佐々木敦が『ニッポンの音楽』(2014年)を通して考察することとなった、「輸入品」としての音楽を日本がどのように受容し、ローカライズしてきたかという論点が改めて浮き彫りになるだろう。ローカライズの際、翻訳が上手く行くとは限らず、そこにある種の訛りが入り込むこともある。その訛りがやがて独自の文法を獲得し、別様の文化に進化することもあるだろう。何れにしても、このように日本語ラップの内部と外部、アメリカ産のオリジナルからの正しい継承と誤解されたそれについて考えることは、日本語ラップを批評的に捉える上で重要な視点となろう。


 さらにはヒップホップという音楽ジャンルが広くクラブミュージックやダンスミュージックの系譜に属するものであることを踏まえ、ラップを支えるトラック=ビートを中心に、種々の音楽的な面にも光を当てたい。そしてその音楽的な傾向の変遷や、変遷の要因となる歴史的背景を参照することで、ラップに並走するビートの正体をも明らかにして行く。その上で、ラップが様々な外部と接続する契機を、批評の言葉で照射してみたい。


 そして、視点をヒップホップからダンスミュージックへ、さらに音楽全体にまで拡げるならば、そこに横臥しているのは、次のような問いである。私たちは、なぜ音楽を求めるのか。この問いはあまりに巨大すぎる上に、美学、音響学、認知心理学など様々な分野からのアプローチが可能である。本連載が射程とするのは、ダンスミュージックおよびその一ジャンルとしてのヒップホップだが、それらの学問領域の言説も参照しながら、この巨大な問いから決して視線を逸らすことなく対峙してみたい。


 かつて宮台真司らは『サブカルチャー神話解体』(1993年)の中で、音楽ジャンルによって聴取態度が異なることに着目し、たとえば没入的に聴取されるロックに対し、ポップスは非没入的(=BGM的)に聴取されると分析した。それではヒップホップという音楽はどのように聴取され、それはBGMとなり得るのだろうか。


 それはクラブミュージック、ダンスミュージックであると同時に、ベッドルームミュージック★2にもなり得る。ヒップホップの黎明期、野外のブロックパーティのオーディエンスたちは、ジャマイカ譲りのサウンドシステムから大音量で流れる反復するビートに没入し、体を揺らした。そしてその初期衝動は、現在もクラブで聞かれる爆音の中に息づいている。しかし一方で、ヒップホップは日常のあらゆる景色のサウンドトラックともなり得る。私たちが1日中寝室に篭り、目を瞑りながら思索に悩めるときも、ある種のヒップホップは、そのBGMとして機能するだろう。この両義性がヒップホップの特色の1つである。他のジャンルの音楽と比較すると、寧ろ複数の両義性の上に成り立っていると言ってもよい。マッチョとナード。ドープとイル。そして自由と規律。これらの両義性を内包するヒップホップに対して、ときにリスナーもアーティストも愛憎入り混じった「アンビバレント」な感情を抱くのだ。本連載はこのような「アンビバレント」さに着目し、ヒップホップの内面を掘り下げようとする試みである。

2. 少しだけ先の未来を見通す音楽




 ダンスミュージックとしてのヒップホップを考える上で、まずは「ビート」に着目したい。本連載で扱うヒップホップは、その背後にビートを従えている音楽である。そして20世紀のポピュラー音楽、とりわけダンスミュージックはビートの「反復」を前提としている。「反復」はそして、ヒップホップを語る上でも何度も再来する鍵概念である。


 人がダンスミュージックを求めるのはなぜだろうか。反復するビートの上で踊るのはなぜだろうか。従来の議論とは少し違った角度から、次のようなテーゼを導入したい。


 ダンスミュージックは直近の未来を透視する。人が踊るのは、今から少しだけ先の未来を自分のものにしたいからだ。


 どういうことか。考え方は至ってシンプルだ。ここで言うダンスミュージックとは、ループという構造に依拠した音楽である。つまり、今、この瞬間に聞こえているビートのコピーが、次の瞬間にも回帰する。再来する「このビート」はしかし、一瞬前に聞こえていたものと全く同一ではない。反復されるビートは反復の都度、n度目に反復するビートであり、その意味で「n」という属性をラべリングされる。厳密には、ループされるビートは反復される都度別物であり、ドゥルーズに目配せするなら、ダンスフロアーには「n個のビート」たちが入れ替わり立ち替わり現れては、儚くも消えて行くのだ。


 『音楽機械論』(1986年)における吉本隆明と坂本龍一の対話で、吉本は、次にどの音を選ぶか、つまり今鳴っている音との差異を次の音に見出すために、一旦「否定」の判断が必要だと言及している。吉本は次の音を見出すときの感覚を、言葉へ対するそれのアナロジーとして語っているわけだ。坂本はこれを受け、今鳴っている音を一旦止めて/否定して、つまり先ほどのドゥルーズ風に言えば「n」という属性をラべリングした上で、次の音を出力し、それが複数回繰り返されると、そこにリズムが生まれるのではないかと応答する。


 たとえばクラブのフロアーで、延々と反復されるテクノやハウスのリズムの基本単位である4つ打ちや、ヒップホップのそれであるブレイクビーツの上で踊る者を想像してみよう。彼/彼女は如何にもその瞬間の音に身を委ね、その瞬間の快楽に浸っているように見えるかもしれない。しかし、踊ることができるのは、次の瞬間にやってくるビートが、今聞こえているビートの再来であることを知っているからではないか。別の言い方をすれば、少しだけ先の未来を見通せるからではないか。その意味で、反復するビートがダンスの対象となるのは理に適っている。美しく構築された展開の妙に依拠するプログレのようなヘッドミュージック★3を、この種のダンスの対象とするのは難しいように思える。次の瞬間にやって来るのは、全く異なるテンポチェンジを伴ったビートかもしれないし、休符による沈黙かもしれないからだ。


 しかしダンスミュージックにおいては、ビートは未来の方向へ真っ直ぐに伸び、DJによってそのテンポは管理される。ときには朝方まで何時間も、均一のBPM★4が保持される場合もある。先ほどの吉本と坂本の対話を参照するなら、少しだけ先の未来に、否定によって生み出されるリズムを、今の時点で受け入れるとき、それに追従する身体の動きを、私たちはダンスと呼ぶのではないだろうか。その意味で、ビートの歩みは弁証法的である。


 ベトナム戦争やウォーターゲート事件により先の見えなくなった70年代初頭のアメリカにおけるディスコの流行や、劣悪な労働環境下の平日を何とかやり過ごした後の週末に、全身でビートを浴びるデトロイト・テクノの受容のされ方が示しているものは何であろうか。それは反復するビートに一晩中体を預ける経験であり、始まりもなく、終わりもない音楽の時間への没入、言い換えれば、無時間性への逃避とも言えるだろう。日常が先の見えない状況下だからこそ、彼らは先のことを考えること自体から逃避するために、今そこにある享楽に身を投じるのだと、一見そのように見えるだろう。


 しかし実のところ彼らは、少しだけ先が見通せる、朝まで継続する同じテンポのビートの安心感の中にこそ、身を沈めていたのではないだろうか。レコードというメディアの性質上、録音可能な時間は予め限界があり、楽曲には始まりと終わりを措定することが要請された。しかし本来的には、大衆は直近の未来を安心して受け入れられるビートの反復を希求していたからこそ、人力でそれを実現するDJの発明に至ったのではなかろうか。

3. 拍を批評するビート




 続いてラップとビートの関係を見ることで、ビートの批評性について触れておこう。ラップは、テクストであり、しかし発語され、それらは音としての姿形も併せ持つ。前者は内容、形式の両面において、文学、特に詩歌との連続性を有している。内容面、つまりテーマとする対象の選択においては、無数の試みがなされており、ラップと聞いて想起されるであろう所謂「パーティ・ラップ」「ギャングスタ・ラップ」などの類型的なものから如何に離れた表現が可能であるかが繰り返し問われ、実践されてきた。形式面においても、押韻や話法、品詞の選択などにおける種々の工夫=技法の積み重ねによって、初期のラップとは比べ物にならないくらいテクニカルで複雑な表現へと更新されている。


 後者の「音」として見る場合には、言葉を音符と捉えたときの音程と配置を「フロウ(flow)」と呼ぶ。それは、1つの唱法として、無数のMCたちによる切磋琢磨の結果、テクスト面での進化と同様に、70年代の誕生時とは比べ物にならないくらい高解像度で多様な表現が可能となっている。


 そして、テクストであり、音でもあるラップの言葉は、多くの場合、ビート=トラックと呼ばれる音楽の上で放たれる。そのことは、たとえばア・トライブ・コールド・クエスト★5の4thアルバムのタイトル『Beats, Rhymes and Life』(1996年)に表れている。ビートと韻、そして人生。数多くのアーティストが、ヒップホップは単なる文化ではなく、生き方なのだと強調する。


 アカペラで披露されるラップにおいても、MCの脳内/体内を流れるビートの痕跡を認めるのは容易い。ビートが意味するのは、心臓の鼓動であり、脈であり、拍、拍子である。つまり、一定の間隔で刻まれる、ある種のアクセントを意味する。英語の「beat」の語源はラテン語の「battuere」で、英語の「battle」と同語源である。英語の「beat」が「~を負かす/~に勝る」の意を持つ動詞であることとも併せ、ヒップホップが競争原理の上に成り立っているジャンルであることや、ビートがそのテンポと解像度を上げて行くある種の競争によって発展してきたことを鑑みると興味深い。そしてギンズバーグやバロウズに代表されるビート・ジェネレーションを指す「ビート」とヒップホップの関係もまた深く、この点については今後の連載で触れてみたい。


 「ビート=トラック」の基本的構造はシンプルだ。リズムを刻むドラムのパターン(主にキック、スネア、ハイハットから成る)が反復的にループされ、その上でサンプリングされたフレーズがこれも反復的に再生される。基底を成すドラムパターンは、サンプリングされた一定の長さを持つループ音源の場合もあるし、それらをキック、スネア、ハットのような各パートに分割(チョップ)し、打ち込む場合もある。


 ドゥルーズは、『千のプラトー』の「リトルネロ」の章中で、拍(battre)を「機械的な時間の分割」として取り扱っている。「拍」とはあくまでも「ビート」を制作する際の前提となる、BPMに基いた単なるグリッドとして定義されている。つまり、制作される「ビート=トラック」は「拍」を背景にして組み立てられる「リズム」と言える。ドゥルーズは「拍」に対する「リズム」は「クリティーク(critique)」なものと言及しているが、仏語の「クリティーク」は英語「critical」と同様に「危機的/臨界的」という意と「批評的」の意を併せ持つ。


 ビートは、リズムは、批評的である。ビートが生まれる場所は、ビートメイカーの自意識(=内部環境)と音楽史(=外部環境)が出会う境界だ。ヒップホップのビートメイクとは、音楽史に刻まれる何がしかの音素材やリズムのパターンをサンプリング=参照し、自意識に内面化されたグルーブやセンスと照らし合わせながら、それらを配置し構築することである。既存の音楽史に散りばめられた音素材の構造を分析および分解し、自己の見立てでそれらを再配置し、再構築する。その意味でビートは「批評的」であることがその本質なのではないか。

4. 人力から機械へ ~ vice versa




 以上のようなダンスミュージックとビート、ラップとビートの関係を踏まえて、ヒップホップが内包する、1つ目の「アンビバレント」さについて考えてみたい。ここでも鍵概念となるのは「反復」だ。「反復」は、本連載を通して少しずつその表情を変えながら、何度でも再来=反復するだろう。


 アドルノは1930年代にポピュラー音楽批判を展開したことで知られているが、彼の主張によれば、彼が芸術音楽(シリアスミュージック)として称揚するストラヴィンスキーやシェーンベルクらの音楽に対して、ジャズは「規格化」された大衆音楽だとされる。資本主義の下で大量生産される商品として流通するように「規格化」された音楽は、ヒット曲の図式通りの「反復」をベースとした安心して聞いていられる音楽である。そして彼はこの「反復」に基づいた機械音楽に適応することは「自分自身の人間としての感性を断念すること」だと喝破する。この時代「機械」は否定的な何ものかを含意する語として立ち現れたのだ。


 しかし一概に「反復」と言っても、その条件は様々である。アドルノがポピュラー音楽批判の文脈で用いた反復とは、たとえば彼が当時言及していた1930年代のスウィング・ジャズにおける一定のビートの反復であった。その代表格であるベニー・グッドマン楽団のウォーキングベースや、ドラマーであるジーン・クルーパの演奏を見ても、一定のシークエンスに沿ってリズムを反復しているが、アドルノによればソロプレイヤーの即興演奏でさえも、下部を支える和声構造は反復しており、上部における旋律の動きに過ぎないと言う。その後のファンクやディスコのリズムについても基本的に同様で、これらは楽器の演奏者、特にドラマーによって反復されるリズムである。


 これらのドラマーによる演奏はレコードに記録され、やがてDJによって2台のターンテーブルの上で反復されることになる。1970年代前半、DJのクール・ハークは、ブロンクスのブロック・パーティに集まる観衆とダンサーが、通常最も盛り上がると考えられる楽曲のサビの部分ではなく、楽曲の途中でドラムだけになるブレイク(≒間奏)の箇所で一番盛り上がっていることに気付いたのだ。そして彼はそのブレイク部分で鳴るビートを延々と反復するプレイを編み出し、それを「メリーゴーラウンド」と名付ける。永遠に反復し続けるビートの円環。曲のブレイクの部分で鳴り響くドラムブレイクの反復は、「ブレイクビーツ」と呼ばれるようになった。


 さらに1970年代にクラフトワークの「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」(1977年)に代表されるように、楽曲にリズムマシンが導入されると、反復されるのは人力ではなく機械制御のリズムとなる。前述の『音楽機械論』の中で吉本隆明と坂本龍一がある種の「平板さ」と評価したクラフトワークの反復されるリズムは、ヒップホップのゴッドファーザーの1人である、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」(1982年)に引用される。クラフトワークの無機質なテクノサウンドは、当時ヒップホップが依拠するファンクに代表されるような肉感的なグルーブとは対局に位置するものと考えられていた。


 椹木野衣はその著書『テクノデリック』(1996年)の中で述べている。



 



 バンバータのイノヴェイションとは、黒人音楽とは考えられていないエレメントの部分対象を摘出し、これを再配置することによって、内実としての黒人音楽ではなく、あくまで効果と機能としての黒人音楽を構成してみせるのである。★6


 



 効果と機能のために、グルーブ★7を引用し、再配置すること。そしてグルーブは反復されることで、その効果と機能を最大限に引き出される。その反復の変遷は、登場順に次のように整理できるだろう。20世紀の中盤以降、ロック、ソウル、R&Bなどの隆盛により、グルーブを備えたビートは生身のドラマーたちによってまず人力で演奏され、ライブで披露されるだけでなく、録音されてレコード溝に刻まれる。それは1960年代終盤より、DJの2台のターンテーブルによって人力=マンパワーで反復されるようになる。そして1980年代にかけては、新しいテクノロジーであるリズムマシンによって機械的=マシーナリーに引用、再現されるようになり、それは更にヒップホップの打ち込みの美学によって機械の手を借りて洗練される。洗練と進化の過程において、ビートメイカーの人力によるリズムの「ヨレ」を前提とした打ち込みが登場、隆盛し、やがてそのリズムの「ヨレ」を再現するドラマーによって再び人力=マンパワーで反復される。反復を巡る人力と機械、マンパワーとマシーナリーの関係性。その歴史。クラフトワークのアルバムタイトルである『ザ・マン・マシーン』(1978年)は、ヒップホップの抱える両義性を名指している。


 つまりブレイクビーツは反復の歴史を歩みながら、以下のようなヴァリアントを産み出してきたことになる。

(1)現前するドラマーにより演奏されるブレイクビーツ

(2)レコードに録音され機械で再生されるブレイクビーツ

(3)録音された2枚のレコードを使い、DJにより反復されるブレイクビーツ

(4)ビートメイカーにサンプリングされ反復されるブレイクビーツ

(5)ビートメイカーに分解され再構築されるブレイクビーツ

(6)ドラマー(人力)に再現される、分解され再構築されたブレイクビーツ


 これらを比較すると明らかになる問題系として、マンとマシーンの関係の他、ライブとレコード、即ち一回性の音楽と複製技術により再生される音楽の関係、演奏者とオーディエンスの関係などがある。しかし議論が少し長くなった。この続きは次回に譲ることにしよう。


★1 ラッパーのBOSS THE MCとビートメイカーのO.N.Oによる北海道出身のグループが1998年にリリースした2枚目の12インチシングル。
★2 本来は、個人の寝室でPCを使って録音・制作される(いわゆる宅録)音楽を指すが、ここでは、聞き手がベッドルームで楽しむ音楽のこと。
★3 身体的な反応を引き出すダンスミュージックに対して、頭の中で楽しまれるタイプの音楽。
★4 Beats Per Minuteの略語。1分間に何度拍を打つかを数値化したもので、楽曲のテンポを指す。
★5 1988年に、MCのQティップ、ファイフ、ジェロビ、DJのアリ・シャヒードにより結成された。ジャズを始めとする多様なサンプリングネタをトレードマークにし、デ・ラ・ソウル、ジャングル・ブラザーズらと共に、それまでのマチスモに依拠したヒップホップのイメージを覆したアーティストの共同体である「ネイティヴ・タン」を代表するヒップホップグループ。
★6 椹木野衣『テクノデリック――鏡でいっぱいの世界』集英社、1996年、159‐160頁。
★7 グルーブを言葉で定義するのは困難だ。ここでは椹木の言うところの黒人音楽特有のノリを指しているが、これが具体的にどんなものなのかは今後の連載で示したい。

吉田雅史

1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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