人文的、あまりに人文的(1)『啓蒙思想2.0』『心は遺伝子の論理で決まるのか』 |山本貴光+吉川浩満

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初出:2016年05月13日刊行『ゲンロンβ2』
吉川浩満 今月から『ゲンロンβ』で書評を担当することになりました。編集部からのオファーは、毎回2冊ずつ人文書を紹介せよというものです。たしかに2冊紹介するというのはいいアイデアかもしれない。異なる本を組み合わせることで相乗効果も期待できそうだし。そして、毎回その2冊を山本くんと吉川の2人がかりで紹介していきます。2×2=4でさらなる相乗効果があるかも? なんて皮算用しているのですが、はたしてうまくいくかどうか。よろしくお願いします。

山本貴光 よろしくお願いします。

吉川 今回は、カナダの哲学者ヒースの本と、アメリカの認知心理学者スタノヴィッチの本。

山本 どちらも人間観を更新させてくれる本だね。まずは比較的大きな状況を扱っているヒースの本からいこうか。

クレイジーな時代?



ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0──政治・経済・生活を正気に戻すために』(栗原百代訳、NTT出版、2014年)


吉川 この数年間、ポピュリズムとか反知性主義とかヘイトスピーチとか、社会学者の宮台真司さん言うところの「感情の劣化」が問題になっているよね。ヒースも同じ問題意識をもっていて、これを直感や感情の偏重傾向として捉えています。もっと言っちゃえば、正気を失っている。こうした流れのなかで、いかにして知性と合理性を働かせるか、つまり正気を取り戻すか。これが『啓蒙思想2.0』のモチーフになっている。非常に今日的なテーマです。

山本 宮台さんの言う「感情の劣化」とは、何が本当のことかといった事実や真実の探究よりも、自分の感情を発露してすっきりするのを優先する態度のこと。感情制御の劣化と言ってもいいかもしれない。
それにしてもアメリカの大統領選ではトランプ旋風もすごいね。この対談をしている4月下旬には、ニューヨーク州の共和党予備選でも圧勝とか。

吉川 うん。ヒースの本はもちろんトランプ旋風の前に出ているわけだけど、この本で描かれているアメリカ政治の惨状はすごいね。当然、日本も例外ではないし、ヒースの母国であるカナダですら、けっこうひどいわけだけど。ヒースの指摘でおもしろかったのが、アメリカ政治の対立軸はもはや共和党vs.民主党とか、小さな政府vs.大きな政府とか、ましてや右vs.左でもなく、もはやクレイジーvs.非クレイジーという領域に突入しつつあるというもの。しかもクレイジーのほうが優勢だと(笑)。これは今回のトランプ旋風で決定的になってしまったね。

山本 「クレイジー(crazy)」は、人を夢中にさせる、熱狂させ無分別にさせるというわけだけれど、厄介なことに得てしてクレイジーなほうは主張が単純で分かりやすいんだよね。熱狂させられる側からいえば、「そうだ、そうだ!」とか「自分もそう思ってたぞ!」とノリやすい。
ところで、こうした「感情の劣化」状況は、いつ頃から顕著になってきたんだろう。「劣化」という言葉を素直に受け取ると、これは劣化していなかった状態から変化したという含意もあるよね。装置さえあれば誰もが発信できる環境になって、互いの耳目に入りやすくなっただけとか。それとも、あるときを境に「劣化」が生じたのか。

吉川 この本では細かい時代診断がなされているわけではないけれど、ヒース自身は、たとえばアメリカ政治が見るからにおかしくなってきたのは今世紀に入ってからだと言っているね。でも、もう少しタイムスケールを広く取ることもできると思う。本書には、資本主義経済が強いるスピードがわれわれの直情的傾向を後押ししているという指摘もある。そう考えると、資本主義の高度消費社会化と軌を一にしていると言ってもいいかもね。

山本 企業は資本の増大を至上目的として、次から次へとめまぐるしい速さで新しい商品やサーヴィスを生み出し、人びとの有限の時間と注意を惹くために広告を打つ。要するにその気にさせる、欲しいと感じさせるために感情に訴えて欲望を喚起しようとする。こうした環境は、人びとの感情のあり方にどんな影響をもたらしているのか。これはこれでとても興味のある問題だから、また別の回で検討してみたいね。
いずれにしても、こうした仕組みのなかでは、人間のあいだにある多様な関係のうち、経済的関係が人の価値をはかる主要なモノサシだと考える人が出てきても不思議ではない。短期的な経済合理性の観点からものごとを判断しようとして、中長期的には不合理に陥ってしまうということもある。それこそダニエル・カーネマンのファスト&スローじゃないけど、競争や効率化を口実としてファスト(直感的)な判断のほうがスロー(論理的)な判断よりも優先されがちになったりもする。

吉川 うん。ただ、さらに長い人類史的なタイムスケールで見ると、もともと人間の思考や行動には直感や感情が大きな役割をはたしているという事実もある。これは20世紀後半以降の認知科学や行動経済学、社会心理学などが実証してきたことだよね。スタノヴィッチの『心は遺伝子の論理で決まるのか』は、そのあたりについてさまざまな実験や観察をもとに詳しく教えてくれます。

叛逆かパターナリズムか



キース・E・スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか──二重過程モデルでみるヒトの合理性』(椋田直子訳、みすず書房、2008年)


山本 この本の原題は「ロボットの叛逆」(The Robot's Rebellion)だよね。といっても、高度なAIを搭載したロボットが人間に叛逆するというお話ではない。ここでいうロボットとは、ほかならぬわれわれ人間のこと。

吉川 ロボットというのは、リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子理論を承けた表現だね。生物の個体というのは、遺伝子の複製・増殖という唯一の目的に奉仕する乗り物=ロボットであり、もちろん人間の個体も例外ではない。ただ、人間の場合、進化の過程で高度な思考能力を獲得した結果、幸か不幸か、ある程度の自律性をもったロボットになった。だから同じロボットでも、アナバチと人間ではかなり違う。スタノヴィッチはその違いを、ショートリーシュ型ロボット(短い引き綱のロボット)とロングリーシュ型ロボット(長い引き綱のロボット)と表現しています。人間はロングリーシュ型ロボット。

山本 副題にある「二重過程モデル」というのは、認知科学における有力な学説だね。人間の思考では、ファストとスローのふたつのメカニズムが二重に働くという見方。スタノヴィッチの本では、カーネマンのいう「ファスト思考」が「システム1」、「スロー思考」が「システム2」と呼ばれている。おおざっぱにいって、前者が直感や感情、後者が論理や知性ということになるんだけど、これらが並んでいるんじゃなくて重なっているというところがポイントだよね。人間には直感と論理というふたつの思考システムがあるといっても、これらを自在に切り換えられるようにはなっていない。

吉川 そう。人間の思考は、ファストとスローが別々にあるんじゃなくて、ファスト思考という基礎の上にスロー思考が重なっているような仕組みになっている。ここでいうファスト思考は進化的に古い起源をもつ「動物的」な思考、つまり遺伝子の複製・増殖という目的に最適化された思考ね。それにたいしてスロー思考は、脳容量増加にともなって新たに追加された「人間的」な思考、つまり遺伝子の命令から相対的に独立した個体の思考で、これが人間に特有の論理的・合理的な判断を可能にしている。でも、これではまるで旧式の業務用OSの上に仮想マシンとして無理やり最新の汎用OSをインストールしたようなものでね。人間的なスロー思考の羽を広げようとしても、より基礎的な層にあるファスト思考の制約を受けてうまくいかないことも多い。そういうわけで、われわれは論理的・合理的に考えているつもりでも、かなりの部分、直感や感情に引っぱられている。

山本 しかもそうなっていることを自覚しづらい。それを実証的に明らかにしたのが、スタノヴィッチやカーネマンらによるヒューリスティクスとバイアスの研究だね。ヒューリスティクスというのは、問題解決に際して時間や労力をかけずにおおよその解を得る手続きのこと。経験や習慣にもとづいた直感的判断だね。ヒューリスティクスは省資源で便利な思考法だけど、でも、条件次第では一定の偏りを示すことも知られている。われわれの思考に系統的な誤りをもたらすこの偏りは「(認知)バイアス」と呼ばれます。人間は論理的に考えようとしても、認知バイアスによってことあるごとに直感的つまり「動物的」な思考が介入してくるように出来ている。

吉川 そこでスタノヴィッチが提唱するのが「ロボットの叛逆」というプログラムでね。前提としては、人間が生きていくためには当然ながらファストもスローもともに大事。ヒューリスティクスによる直感的判断ができなければ、まともに社会生活も送れないわけで。でも、スタノヴィッチがいうには、少なくとも意思決定の場面においては論理的・合理的な判断をつかさどるスロー思考が主導権を握るようにしなければならない、と。たしかに人生の重大な局面で決断を下したり、あるいは社会制度を設計したりするときには論理的・合理的な判断ができたほうがいい。というか、できないと困ったことになる。そういうわけで、遺伝子的・動物的な生得的性向にたいして、ロボットなりに叛逆しなければならないという主張が出てくる。われわれはせっかくロングリーシュ型ロボットであるのだから、遺伝子の要請から完全に自由になることはできないとしても、なんとかして少しでも個体や社会の独立を達成しようという。シンプルでわかりやすいけれど、けっこう主知主義的なスローガンではあるね。

山本 それができるなら苦労しないよという気がしないでもない。というか、とても難しい。それにたいしてヒースの「啓蒙思想2.0」のスローガンは、スタノヴィッチのアジテーションを受け継いで、それをさらにアップデートしたようなところがある。そういうバイアスも含めた人間像から出発して、よりましな状態を目指そうというわけだ。

吉川 そうそう。認知革命以降の科学的知見を採り入れて、それを前提として社会思想を更新しようというわけだから。簡単にいえば、自由・平等・友愛という啓蒙主義の理想を、かつてのような理性中心主義によってではなく、これまで見てきたような科学的な人間本性論にもとづいて再構築しようという野心的なプロジェクトだね。「啓蒙思想2.0」は、科学的な人間本性論をもたなかったかつての啓蒙思想(1.0)のアップグレード版として構想されている。

山本 理想としては啓蒙と教育が人びとのあいだにゆきわたって、みながスロー思考で理性によってものを考え行動すれば、認知バイアスや感情や思い込みを退けていろいろなことがもっとうまくゆくかもしれない。でも、実際には人間だもの、そういうわけにはゆかない。そこでスロー思考を必ずしもうまく働かせられない人間本性を前提として、これを土台に社会制度を構築しようというのがヒースの立場だね。
これはスタノヴィッチの言う「叛逆」というよりは、リバタリアン・パターナリズムのようなものに近くなるよね。つまり、自由を尊重する立場(リバタリアン)と、親が子を教え導く立場(パターナリズム)という一見すると相容れない立場を両立させようという発想。もう少し具体的には、行動経済学者のリチャード・セイラーたちが唱えるような、認知バイアスが意思決定主体の不利益をもたらさないように制度設計をするという考え方です。平たく言うと「無理強いはしませんが、お手伝いします」というやり方だよね。

吉川 かつて東浩紀さんが「情報自由論」や『自由を考える』で指摘した環境管理型権力の善用というか。それに、そもそもこの本は近年の『一般意志2.0』とも相当部分、関心が重なっている。「2.0」というタイトルからして被っているし(笑)。そう考えると、東さんの指摘の早さにあらためて驚くんだけど。

山本 いつもそうだけど、早すぎるくらい(笑)。

吉川 まあ、そんな感じで、この「感情の劣化」的状況にたいして、ヒースは「啓蒙思想2.0」の立ち上げによって、スタノヴィッチは「ロボットの叛逆」への呼びかけによって、それぞれ対応しようとしている。叛逆かパターナリズムかという、なかなか難しい選択肢ではあるんだけどね。でも、われわれの人間本性を考えれば、ここからしか物事は考えられないという気もする。そんな2冊。

山本 それにこの2冊は、認知革命以降の科学的成果を採り入れながら、いかにしてそこから新たに人文(ヒトのアヤ)的思考を立ち上げるかという良質なモデルにもなっているよね。その意味でも必読です。

山本貴光

1971年生まれ。文筆家・ゲーム作家。コーエーでのゲーム制作を経てフリーランス。著書に『投壜通信』(本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川浩満との共著、太田出版)、『サイエンス・ブック・トラベル』(編著、河出書房新社)など。翻訳にジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川と共訳、ちくま学芸文庫)、サレン&ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ。ニューゲームズオーダーより再刊予定)など。

吉川浩満

1972年生まれ。文筆家、編集者、配信者。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。晶文社にて編集業にも従事。山本貴光とYouTubeチャンネル「哲学の劇場」を主宰。 著書に『哲学の門前』(紀伊國屋書店)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』(ちくま文庫)、『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)、『人文的、あまりに人文的』(山本貴光との共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(山本との共著、筑摩書房)、『脳がわかれば心がわかるか』(山本との共著、太田出版)、『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)ほか。翻訳に『先史学者プラトン』(山本との共訳、メアリー・セットガスト著、朝日出版社)、『マインド──心の哲学』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、ちくま学芸文庫)など。
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