アンビバレント・ヒップホップ(10) 訛りのある眼差し──日本語ラップ風景論|吉田雅史

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初出:2017年09月22日刊行『ゲンロンβ17』

1 暗室に籠らば言葉を得る


 前回の連載では、詩人の小野十三郎が戦後に提示した「短歌的抒情の否定」という手法に注目した。小野は日本人に根付いている「短歌的抒情」が、戦時下において翼賛的なものとなり得ることに警鐘を鳴らしつつ、これが詩歌のみならず他のジャンルでも見られるものであることを指摘した。

 この「短歌的抒情の否定」を示した彼の詩作は、これまでにない大阪の風景を見出すものだった。そして抒情を排したこの詩人の眼差しは「モノクロームのカメラアイ」とも形容され、同じように風景を相手取る写真家たちの眼差しに通ずるものでもあった。特に独特の「アレ・ブレ・ボケ」を方法論の中心に据えた中平卓馬の写真と、小野の詩篇には、まるで同じ風景を描いているかのような眼差しが見受けられた。

 中平の「アレ・ブレ・ボケ」は、モノクローム撮影による「暗室作業」の産物であり、彼はそれを「手の痕跡」と呼んだ。であるならば、小野にとっての「暗室作業」もまた、存在するはずだ。その正体を掴むことが、小野の詩作の核心に迫ることであり、ひいては日本語ラップの可能性に接続する糸口となるのではないか、というのが前回最終部での見立てだった。

 それらを踏まえて、まずは小野にとっての「暗室作業」とは何かについて考察したい。

 



 中平のモノクローム写真においては、「暗室作業」という「手の痕跡」を伴う営みがあって、初めて像が現れる。デジタルとは違い、時間をかけて露光や現像といった工程を経て、ネガへ、そして印画紙へ像を定着させる必要がある。

 もちろん、昨今のインスタグラムのフィルター機能に象徴されるように、写真を撮る行為とは、風景そのままを切り取るものではない。そこには写真を撮る主体の恣意的な操作が必ず介在する。どんな写真にも主観性が働き、完全に客観的ではあり得ない。モノクローム写真の場合は特に、暗室作業を経ることによって、逆にその恣意性が露わになるのだと言ってもいいだろう。

 当然、風景を言語化するにあたっても同様に、恣意性が前提となる。小野のような詩人の場合も、これと格闘する。見たままを描こうとする。とある風景に決定的なインスピレーションを受け、それを言語化=紙の上に定着させようとする。

 ではその際に、詩人はどのような格闘のプロセスを経るのだろうか。もし、言語化にあたり、一定の時間を要する何らかの工程を必要とするのならば、それこそを「暗室作業」と呼べるのではないか。

 



 そもそも、詩人は詩のことばを生み出すのに、どれくらい時間をかけているのか。たとえば詩人の谷川俊太郎と吉増剛造の対談の中に、この点についての言及がある。谷川は、その場ですぐに詩を書くという行為は、他の詩人と共作を行う連詩の経験を経て可能になったというが、自分だけの詩を書くときは気軽にはいかず、時間をかけて「吐き気を催しながら書いている」という★1。また、吉増剛造は、たとえば旅での経験を、十分に自分の中で「醗酵」もさせず、すぐに詩にするような詩人のことを「馬鹿にしていた」ところがあったと吐露している。

 これらの証言から理解できるのは、谷川も吉増も基本的には、写真家がシャッターを切る一瞬を引き延ばし、「暗室」に時には何ヶ月も何年も篭り続け、その風景を、紙に文字で定着させるような方法を取っているということだ。経験を醗酵させることもなく、吐き気を催すような言語化への格闘を経ずして、良い詩は生まれ得ない。そのような考え方は、確かにある。

 しかし二人とも同時に、以前と比較すると、徐々に気軽にその場で詩を書くことができるようになって来ていると話してもいる(吉増はこれを、自分が「スレて」きたからだと言う)。もっと直感的に、感じるままに、フリースタイルのように。そのようにして生まれる詩も、また存在するということだろう。

 結局のところ、言語化を遂げるまでに要する時間や手法というのは、詩作の種類により様々であり一般化するのは困難だということだ。であるならば、当の小野は、どのようなアプローチをしていたのだろうか。

 小野の代表作のひとつに「葦の地方」と名付けられた、次のような詩篇がある。


遠方に
波の音がする。
末枯れはじめた葦原の上に
 
高圧線の弧が大きくたるんでゐる。
地平には重油タンク。
寒い透きとほる晩秋の陽の中を
ユーフアウシヤのようなとうすみ蜻蛉が風に流され
硫安や 曹逹や
電気や 鋼鉄の原で
ノヂギクの一むらがちぢれあがり
絶滅する。★2


 エッセイ集『奇妙な本棚』の記述によれば、この詩は「制作年月日を、いまだにおぼえているただ一つの詩」である。そして、詩の中に示されている季節は「晩秋」だが、実際に書いたのは、「昭和十四年の元旦の朝」であった★3。この風景が彼の網膜に焼き付いてから、少なくとも数カ月の時間を経て、この詩は書かれたことになる。つまり、小野もまた、やはり一定の時間を経て言語化しているわけで、その、言葉に落とし込むまでの意識/無意識下の過程を「暗室作業」と呼んでもいいだろう。

 中平が暗室作業を「手の痕跡」と言ったのは、「アレ・ブレ・ボケ」を生みだす「操作」、あるいは「加工」があったからだが、どんな写真にも一定の「操作」が存在するのもまた事実だ。

 それでは小野にとっての「暗室作業」、即ち「言葉に落とし込む意識/無意識下の過程」における具体的な工程=「操作」とは何だったのか。

 



 小野はこの「葦の地方」を転機に、自身の詩作の方法が改まり、以後もはや「歌」ではなくなったと記している。つまりこの一編の詩は、彼にとって最大の転換点であり、「短歌的抒情」を排することに成功した作品と言えるだろう。そのことを証明するように、小野は「〈葦の地方〉の中で書かれている絶滅するノジギクの群落が、非常の風景の中で可憐なるものが死にたえてゆくさまを歌った、そんな感傷ととられたら、むしろ作者は迷惑だ」とまで言っている★4

「短歌的抒情」を排すために小野が取った手法は、この詩の後半に表れている。「硫安や 曹逹や/電気や 鋼鉄の原で」の「硫安」とは硫酸アンモニアのことであり、「曹逹(ソーダ)」は炭酸ナトリウム、そして鋼鉄と、彼がフォーカスするのは「物」自体である。彼の眼差しは、その対象の表層ではなく、その元素や構成物に向けられ、物質的なレベルで冷たく描写する。その眼差しはさらに、この後に続く彼の作品群に結実する。たとえば「明日」においては、鉄、ニッケル、ゴム、硫酸窒素、マグネシウム、「風景(六)」では、濃硫酸、二酸化炭素液、「硫酸の甕」では鉛室硫酸などの言葉が登場する。

 つまり、小野の詩作に見られる「暗室作業における操作」とは、対象を描写する言葉のレベルをズラすことだ。文脈やコンテクストから離れ、対象の表層的な見え方を超えて、その物自体として描写すること。中平の「手の痕跡」という言い方に従うなら、それはドラム缶の「液体」と書かずに「鉛室硫酸」と書く、「手による操作=エクリチュールの操作」だったのだ。

2 ブラックアウトのモメント


 小野の対象への視線を「モノクロームのカメラアイ」に喩えたのは、批評の言説であったが、実は小野も、自身の眼差しをカメラのレンズ越しのそれと対比させるような詩を書いている。「私の人工楽園」と題された作品に、次のような一節がある。


私の友はあの向ふの発電所の大煙突を遠景に把へるべくコンタクツクスをあはせる。
だがさうしてみればなんともつまらない。
私の眼は一条の電車軌道をゆき
 
掛け看板雑然たるあたりを見る。
それは米屋や八百屋や薬屋や土地会社の出張所のごときものである。


 ここでは、1930年代にドイツで誕生したカメラであるコンタックスを携えた「友」が、レンズ越しに風景を捉えることができない様子が描かれている。そしてその様子を作品に落とし込んでいるのは、紛れもなく小野の「モノクロームのカメラアイ」である。

 このとき、小野の友人が発電所の大煙突を捉えることができなかった理由は何だろうか。

 こういう風には考えられないか。

 つまり、実はこの友人は、コンタックスのシャッターを切る瞬間、風景を見ていなかったのだと。

 



 これは何も比喩ではなく、シャッターが下りるその瞬間は、フィルムを感光させるためにミラーが上がって視界が遮断されるのだから、写真家の肉眼は風景を見ていないことになる。たとえば、小原真史は、ウェブで連載した「挑発する写真家 中平卓馬」において、シャッターボタンを押して「カメラが眼を開いた瞬間」、それとは対照的に「写真家の方はまばたきをするように眼をつぶってしまう」と指摘している★5

 さらに小原は、小野の友人と同じコンタックスを携えた戦争写真家のロバート・キャパが、ノルマンディー上陸作戦を撮影した際のエピソードに触れている。キャパは「コンタックスのファインダーから目を離さず」気が触れてしまったかのように「次から次にシャッターを切った」と当時の様子を語っていたが★6、小原が指摘するのは、「あまりの恐怖のため、文字どおりシャッターを切り続けること」で視界を遮り、むしろ対象を見ないようにしていた可能性だ。さらに小原は、篠山紀信が中平卓馬との対談で、いやな場所に行ったときほどシャッターを押し続けると言及していることを指摘する★7。つまり、何らかの理由で無意識に対象を直視することを避けてしまう。

 



 そのように視覚を覆ってしまう「コンタックスを抱えた友」とは対照的なのが、小野の「モノクロームのカメラアイ」なのだ。そして、その極端な例が、対象を物として、そしてそこから位相をズラして元素として名指すことだった。

 視覚からのインプットだけを信じ、そこに安易に情感を結びつけないこと。

 その証左であるかのように、「葦の地方」の収録されている『風景詩抄』の冒頭には、彼が敬愛するダ・ヴィンチの『絵画論』から引用した「瞳は精神よりも欺かれることが少ない」という言葉が掲げられている。

 そしてこの言葉は、後に重要な役割を果たすべく、回帰するだろう。

吉田雅史

1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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