つながりβ(6) 無題、あるいは三楽章の交響曲|新垣隆

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初出:2018年11月22日刊行『ゲンロンβ31』

Ⅰ 小学6年時の思い出


 午後、学校から戻る。町の団地を横切り、家までは歩いて10分ほど。家には母親がいる。兄は高校、父は勤務。しばらくして母が買い物に出かける。「いってらっしゃい」の声を掛けて、そして──母親の自転車の音が遠のくのを確認して──すぐさま2階に駆け上がった。数日前に録音しておいたFMラジオ番組のカセットテープを机から取り出してラジカセにセットし、ボリュームいっぱいにして聴いた。

 内容は「現代音楽」で、数日前のその番組は夜8時からの放送だったので、家族に「知られないよう」、ボリュームをゼロにしてこっそり録音した(更に言うとその時は家族の夕食時と重なり、番組を最初から録音する事が叶わなかった)。

 ようやくそのテープを聴けるタイミングが訪れた。内容は期待を裏切らなかった。トムトムやティンパニーといった膜質打楽器の激しいドラミングのみが延々と続く──そしてそれは8ビートや16ビートといった拍節感が一切ない──、やがてそれらがぴたっと止み、オーケストラの不穏な音のうごきが始まった。管楽器の激しい半音階に打楽器が反応し、異様な響きの中、今まで聴いた事もないような金属音が浮かび上がってきて、最後オーケストラが消え、その金属音だけが残り、それも静かに消えていった。

 しばらくの沈黙ののち、会場の拍手が起こる。コンサートのライブ収録だ。「武満徹の『カシオペア』。演奏は打楽器、吉原すみれ、石井眞木指揮、ベルリン放送交響楽団でした。」

 しばらくして母親が買い物から帰って来る。私は停止ボタンを押し、何食わぬ顔で「お帰り」と言い、カセットをそっと机にしまう。
 

(ウィーン私的演奏協会 アルバン・ベルクが起草した設立趣意書より)
 
 1918年11月に設立された本協会は、アルノルト・シェーンベルクが、芸術家と音楽愛好家に現代音楽についての真の正確な知識を与えるという意図を実現できるようにすることを目的とする。
 現代音楽に対する聴衆の態度は、聴衆が現代音楽から受ける印象が曖昧なものにならざるをえないという状況に、計り知れないほど左右されている。
[中略]……本協会の目的を達成するための第三の条件は、演奏はすべての点で非公開であるということである。非会員は(外国からの来訪者を除いて)入場を許されないし、会員は、本協会の演奏やほかの活動について、いかなる公的報告の発表も控え、特に定期刊行物で、批評、紹介、論考を執筆したり示唆したりしないという義務を負う。[以下略]
 
 マーラーのいくつかの音楽から(持続することはなかったが)影響を受けたことと、マーラーがシェーンベルクを擁護したという事情もあって、私は、現代音楽を理解し愛好するよう真摯に努力すべきだと思った。かくして私はアルノルト・シェーンベルクが主宰する私的演奏協会のメンバーになった…。[中略]こうして私はシェーンベルクの音楽のいくつかになじむようになり、なかんずく《室内交響曲》と《月に憑かれたピエロ》に精通した。私はヴェーベルンのリハーサル、中でも《オーケストラのための小品》のリハーサルにも行ったし、またベルクのリハーサルにも出かけた。
 約2年後、私はうまい具合に、なにがしかの知識を――今は当時より好きでない音楽について――得ていることに気がついた。
 
(以上はジョーン・アレン・スミス『新ウィーン楽派の人々――同時代者が語るシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク』、山本直広訳、音楽之友社、1998年、123頁、313−315頁より引用)
 


小学六年時の思い出 補足 当時録音していたあるカセットテープのケースのインデックス欄に自分が記したものをそのまま転載。番組の内容を記している。
 
100周年記念番組 イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)
1982 12/27 NHK教育テレビ(8:00~9:30)
出演 ◆船山隆 ◆イーゴリ・ストラヴィンスキー
・ピアノソナタ#へ短調(pf 土屋律子) ・スケルツォ・ファンタスティック ・花火 ・火の鳥(サバリッシュ・N響) ・ペトルーシュカ(?) ・レクイエム・カンティクルス(小沢征爾・新日本フィル) ・春の祭典(森正・N響) ・話、吉田雅夫 ・結婚 ・兵士の物語(大友直人・兵士ベンガル) ・話、柴田南雄 ・プルチネルラ(ギュンター・ワント・N響) ・話、山口昌男 ・詩編ママ交響曲(サバリッシュ・N響・国立音大) ・話、サバリッシュ ・ピアノとオーケストラのためのカプリチオ ・pf ストラママンスキー ・ダンパートン・オークス(高橋ゆう治) ・アメリカの国歌(ストラヴィンスキー編曲) ・三楽章の交響曲(ママロムシュテット・N響) ・エボニー協奏曲(インナーギャラクシーオーケストラ) ・話、武満徹 ・ピアノ・ラグ・ミュージック(pf 高橋ゆう治) ・柴田南雄 ・イーゴリ・ストラヴィンスキー ・火の鳥(ストラヴィンスキー・N響) ・アゴン(若杉)・J・ケネディついとう ・山口昌男 ・ママり(グレック・スミス) ・話、グレック・スミス ・レクイエム・カンティクルス(小沢征爾・新日本フィル) ・話、グレック・スミス夫人 ・ふくろうとねこ(グレック・スミス夫人) ・三つの日本の抒情詩(雅澄・貫之) ・吉田雅夫 ・武満徹 ・グリーママングプレリュード
(※このカセットテープは、テレビ番組をラインではなく、外から録っている。なのでまわりの環境音が混ざっている。家族がおり、猫もいる。)
 

II 世界中の学生が集まる

 寮の中に入ると、階段を一、二段上がったところに、スカーフをかぶった鍵番のおばさんがどっかと座っていました。私たちが来るという話は聞いていたようで、鍵を渡されました。 「三階の五一番、四人部屋」ぶっきらぼうな口調に、私はちょっと怯みました。  建物は六階建てで、三、四〇〇人の学生が暮らしていると聞いていました。でも、八月末まで夏休み中だったせいか、学生の姿はまったく見当たらず、寮の中は深閑としています。  五一番のドアを開けると、そこは六畳か八畳くらいの部屋でした。  片隅には、病院にあるような鉄パイプの簡易ベッドが無造作に積み重ねられていて、もう一方の隅には、古いアップライトのピアノと丸テーブルが一つ。  〈えっ? これからここで生活するの?〉  とりあえず、寝床を作ろう。そう考え、積み重ねられていたベッドを降ろしました。そして少しでもプライバシーを確保しようと、ピアノの裏側のスペースに、自分のベッドを置きました。   これが、夢にまで見たソ連での生活――。   なんとも不安だらけのレニングラード音楽院の生活の始まりでした。   (前橋汀子『私のヴァイオリン――前橋汀子回想録』、早川書房、2017年、46-47頁より)

III 2018年10月2日 サンクトペテルブルグにて


 午前中、ホテルにてペプシを飲みながらテレビを見る。小学生くらいのイカした男の子が現在のヒットチャートを紹介している。
 お昼、エルミタージュ美術館へ。日本語の堪能な通訳のアンナがレンブラントの絵の見方について丁寧に教えてくれる。世界中からの観光客。途中、日本から来た年配の御夫婦から声を掛けられ、一緒に写真を撮る。
 昨日コンサートで御一緒したMay.Jさんと彼女のスタッフはテレビの取材で別行動だった。コンサートの余韻が未だ醒めやまない。協演したロシアのオーケストラのメンバーたちの事も頭から離れない。
 夜、特に予定は決まっていなかったが、同行のスタッフが、これからマリインスキー劇場でオペラ公演がある、と教えてくれて、皆で劇場に向かった。ホテルから歩いて15分ほど。当日券で4階のバルコニー席が取れた。演目はグノーの『ファウスト』。3時間くらいの上演の間、自分は舞台は殆ど見ずに、目をつむって聴いた。

 バス歌手だったストラヴィンスキーのお父さんは、かつてメフィストフェレスを演じていた。
 この舞台で。
 
新垣氏の本エッセイは、手書き原稿で編集部に送られてきた。とても味がある筆致だったので、記念としてここに一部を掲載する(編集部)
 

新垣隆

1970年生まれ。作曲家/ピアニスト。桐朋学園大学音楽学部作曲科卒業後、現代音楽を主体としつつ映画音楽やCM音楽の作曲も手掛けるなど多岐にわたって活躍。2014年2月、佐村河内守氏のゴーストライターを18年間務めていた事を告白。「交響曲第1番HIROSHIMA」「ヴァイオリンのためのソナチネ嬰ハ短調」等の作曲家として、俄かに脚光を浴びる。2015年10月「ピアノコンチェルト新生」、2016年8月「交響曲連祷 Litany」など、その後も多くの作品を発表。2018年度より桐朋学園大学の非常勤講師に復帰。
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