つながりロシア(4) ふたつの極に引き裂かれる胃袋──ロシアの食文化について|沼野恭子

初出:2018年12月28日刊行『ゲンロンβ32』

 ロシアの食文化事情とその歴史には、きわめてユニークな二元論的/二進法的現象が見られる。しかもその振れ幅はかぎりなく大きい。ロシアの大きな胃袋は、まるで対立するふたつの極に引き裂かれているかのようだ。

 まずは1970年代後半の筆者自身の経験から始めよう。大学2年の夏、初めてソ連に行ったときのことだ。当時レニングラードと呼ばれていた町(現サンクト゠ペテルブルグ)で、元郵便局員というおばあさんに話しかけられ、自宅に招かれた。「共同住宅(コムナールカ)」について聞いてはいたものの、何世帯もの家族が台所・トイレ・洗面所を共有しながら狭い空間で肩を寄せあって生活しているさまを初めて目にし、そのみすぼらしさに愕然とした。トイレットペーパーの代わりに新聞紙をカットしたものが重ねて置いてある。慢性的な物資不足で、トイレットペーパーを含む日常品や食料品などを購入するのにも苦労したブレジネフの「停滞の時代」であった。でも、おばあさん一家は人懐こくて、私たちにアストラハン産の美味しいスイカをふるまってくれた。最大限のもてなしだったのだろう。

 この旅行ではまた、恩師のロシア文学者、原卓也氏の紹介状を持って、作家セルゲイ・アントーノフの娘でレニングラード・コメディ劇場の看板女優(後に映画『無気力症候群』★1で主役を演じた)オリガ・アントーノワさんのご自宅も訪ねた。オリガさんは、見ず知らずの外国の学生たちに手料理をご馳走してくれた。センスよく選ばれた調度品や食器類、モノ不足なのにいったいどうやってこれほどの食材を手に入れたのだろうと不思議になるほどの豊かな食卓だった。日本では見かけないいろいろな種類のキノコが入ったクリームシチューのまろやかな味が忘れられない。

 もちろん、党幹部ら「ノメンクラトゥーラ」(赤い貴族とも呼ばれる)はもっと派手な贅沢三昧をほしいままにしていたのだろうが、私は初めてのソ連滞在で、作家や俳優が「特権的な階級」であること、ソ連社会に圧倒的な格差があることを、身をもって知ることができた。それは、一元的な平等を建前とする社会における二元的な生活実態だった。

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 もっとも、革命前、帝政ロシア時代の貴族の飽食・過食と農民の粗食の格差は、はるかにすさまじかった。ロシア文学の表象に極限の飽食を探るなら、アレクセイ・K・トルストイの歴史小説『セレブリャヌィ公』が恰好の例である。16世紀の宮廷劇を描いたこの作品には、イワン雷帝の催す宴会の場面がある。主人公の正義漢セレブリャヌィ公は、何時間にも及ぶその宴に列席するが、それは単なる懇親の場ではなく、イワン雷帝の絶対的な権力を世に見せつけるための儀式であり、贅のかぎりを尽くした、というより常軌を逸した見世物であった。何人もの給仕たちが金の皿に載ったハクチョウの丸焼き200羽あまりを運んでくる。その次は、尻尾を扇のように開いたクジャクの丸焼き300皿。続いてさまざまな中身と形のパイ、ありとあらゆる種類のクレープ、肉各種、さまざまなスープ、ハチミツ酒にワインなどが次々に供される。

 そうこうするうちに、雷帝の怒りを買っていた貴族が雷帝からワインを賜り、作法どおり飲み干すといきなりその場に倒れてこと切れる。毒殺されたのである。しかし、ツァーリが「その酔っ払いを運び出せ!」と命ずると、宴会は何事もなかったかのように続けられる。こうして食べものや飲みものは、恩賜であると同時に懲罰として人の命を奪う役割もときに担った。食は死をはらんでおり、まさに生殺与奪の権そのものなのである★2

 こうした生と死に彩られた過剰な食に対して、大部分の農民たちの食卓はシンプルで貧弱だった。料理の種類がきわめてかぎられていた。「シチーとカーシャが私たちの食べもの」★3という「シ」の音が韻を踏み音遊びになった言いまわしがあるが、これはシチー(キャベツ汁)とカーシャ(穀類を煮たもの)がロシアの人々の「基本的な」食べものだというより、ロシアの農民には文字どおりシチーとカーシャしか食べるものがない、と解することができる。極貧の農民になると肉もめったに手に入れることができず、シチーに肉を入れられるのはせいぜい祝日だけ(それもままならないことがあったろう)。量の観点からしても、貧しい農民たちはいつも満腹を感じたことなく暮らしていた。天候のせいで飢饉になると、餓死を免れないこともあり、ここでも食は死に隣接していたといえる。

 この二層構造は、17世紀のピョートル大帝の近代化=西欧化政策により、質的に劇的な変化を被ることになる。都市に住む裕福な貴族がフランスやドイツのシェフを雇い入れて食卓を西洋化したため、ヨーロッパ、中でもフランス風の料理を好む都市貴族と、昔ながらのロシア料理を食す地方貴族・農民といった具合に食の構造が改編されたのである。「死んだ農奴」を戸籍上もらい受けるために(ロシアでは農奴の所有数で貴族の裕福の度合いを測ったため)あちこちの屋敷をめぐってはご馳走にありつくペテン師を主人公にしたゴーゴリの長編『死せる魂』を読めば、19世紀の地方豪族がどのようなロシア料理を食卓に載せていたか鮮やかなイメージを得ることができる。

 

コンスタンチン・マコフスキー『17世紀の貴族の結婚披露宴』1883年
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:A_Boyar_Wedding_Feast_(Konstantin_Makovsky,_1883)_Google_Cultural_Institute.jpg
Public domain
 

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 こうして、革命が起きるまでロシアの食は、階層によってヨーロッパ風料理と伝統的なロシア料理に二分されていたわけだが、じつは階層を問わずロシア正教徒なら守らなければならない食事制限があり、何を食べてもいい「祝祭日」と肉や卵や乳製品などを食べてはいけない「斎戒(精進)日」が交代でやってきた。教会歴によれば、1年に200日前後もの斎戒日がある(細々したひじょうに複雑な規則があり、魚や植物油も摂ってはいけないという厳しい精進日もある)。長く続く斎戒期としては、復活祭前の「大斎」、五旬祭後のペテロ斎、ウスペンスキー斎、クリスマス斎と1年に4回めぐってくるが、それぞれの斎戒と斎戒の間も、毎週水曜と金曜は精進の日とされている。

 当然のことながら、斎戒の食事制限が厳しければ厳しいほど、祝祭日の食卓は反比例して豊穣なものになった。ロシアでは古来、長い冬に備えて保存食が多く作られてきたが、祝祭日になると何種類もの保存食(塩漬け肉や酢漬け野菜各種)が惜しみなくテーブルに出され、ブリヌィ(ロシア風クレープ)やパイが焼かれ、気前よく酒がふるまわれた。持てる家は贅沢に、貧しい家でもいつもより気張って料理を作る。こうして生活は「祝祭の飽食」と「斎戒の粗食」との激しい二進法的交代のうちに進んだ。あたかも胃袋が、最大限に大きくなったり極小にまで縮んだりと収縮を繰り返したようなものである。

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東京に生まれる
東京外国語大学 外国語学部 ロシア語科卒業
東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 満期単位取得退学
現在、東京外国語大学大学院 総合文化研究科 教授
専門:ロシア文学、比較文学

主な著書:『アヴァンギャルドな女たち――ロシアの女性文化』(五柳書院、2003)、『夢のありか――「未来の後」のロシア文学』(作品社、2007)、『ロシア文学の食卓』(日本放送出版協会、2009)、『ロシア万華鏡──社会・文学・芸術』(五柳書院、2020)、NHK「100分de名著」テキスト『アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」』(NHK出版、2021)。

主な訳書:リュドミラ・ウリツカヤ『ソーネチカ』(新潮社、2002)、アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(新潮社、2004)、イワン・トゥルゲーネフ『初恋』(光文社、2006)、ボリス・アクーニン『リヴァイアサン号殺人事件』(岩波書店、2007)、レオニード・ツィプキン『バーデン・バーデンの夏』(新潮社、2008)、リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』(新潮社、2012)、リュドミラ・ペトルシェフスカヤ『私のいた場所』(河出書房新社、2013)。『ヌマヌマ──はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』(沼野充義と共編訳、河出書房新書、2021)

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