アンビバレント・ヒップホップ(16)『ギャングスタ・ラッパーは筋肉の夢を見るか?』|吉田雅史

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初出:2018年12月28日刊行『ゲンロンβ32』

1 誰を演じることの喜び?


 前回連載で掲げたのは、ラッパーと俳優のあいだには、ある種の類似性があるのではないかという仮説だった。ラッパーが路上で何気なくフリースタイルを始める瞬間、その直前まで誰かと他愛もない会話をしていたとしても、突然周りの人間の視線を引き付けるような──その場に居合わせた人々を観客としてしまうような──「ショウ」が始まってしまうからだ。

 僕たちはとある1本の動画のなかに、その「ショウ」が立ち上がる瞬間を見出した。それは、ラッパーの2パックが、彼の隣に座るノトーリアス・BIGとフリースタイルを始める動画だった★1

 そのようにして何の変哲もない日常が劇となってしまう様は、「なにもない空間」に俳優と観客さえいれば舞台が成立するというピーター・ブルックの有名な一節を想起させるものだった。

 本論では、稀代のラッパーで俳優でもある2パックが収められた、このフリースタイル動画を含む3本の動画を参照する。そして、引き続きラッパーと俳優の関係性について考察したい。

 もうひとつ前回連載の最終部で展開したのは、ラッパーと俳優の身体についての議論だった。伝統的にラッパーたちはリリックのなかで、自身の自慢話(ボースティング)をする。彼らは、自身や、自身の仲間たち、そして出身のフッドを誇る。そこで描かれる自己像は、実存より少し「盛られた」理想像だ。しかし同時に、彼らはその理想の自己イメージと実存のあいだのギャップに晒されている。このとき「実存とのギャップ」には、人格的なものだけでなく、身体面でのギャップ──たとえば理想の逞しい体つきに対して、実存はひ弱な痩せ型であるといった──も含まれる。

 アントン・チェーホフの甥にあたる演出家のマイケル・チェーホフが指摘したのは、役者は衣服を着るように「役」に身を包むのだが、そのとき頭のなかで描くキャラクタの身体と実在の俳優の身体のあいだに「イマジナリー・ボディ」が立ち上がっているという考え方だった。ラッパーもまた、このイマジナリー・ボディを匿っていると言える。
 そもそも、ラッパーが備えるべき資質と、俳優のそれは近いと言えるかもしれない。実際に、2パックやアイスキューブ、アイス・T、LL・クール・J、50セントといった、俳優として成功しているラッパーが多いことが、そのことを証明している。

 かつて「ラッパー35歳定年説」がまことしやかに囁かれていたように、元々ラッパーはアーティスト生命が短いとされていた。新しい文化であったために年長者がいなかったうえ、特にリリックのなかでセックスや暴力を攻撃的なアティテュードを持って歌うようなラッパーの場合、確かにそれは若さゆえの特権だと思われても仕方がないだろう。だから彼らは引退後のことを考慮して、アパレルの経営者や、後進のプロデュース業など、いくつかの選択肢を模索してきた。そして俳優としてのキャリアも、そのひとつだ。

 ラッパーでいながらも、同時に俳優としても目覚ましい成功を手中に収めた人物。それが、2パックだ。彼は西海岸のギャングスタラップのアイコンとして君臨するとともに、『ジュース』(1992)──非常にヴァイオレントなキャラクタを演じ、観る者に鮮烈な印象を残した──、『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(1993)、『グリッドロック』(1996)など様々な映画に主役級で出演し、途方もない存在感を放った。

 彼はいくつかのインタビューで、俳優としてのチャレンジやその面白さについて語っている。それらの動画を見てみると、あることに気付く。彼はその大きな瞳を輝かせて、嬉々として演技の話をしているのだ。本業のラップの話をするときよりも、ずっと楽しそうに。彼のなかに、演技に対する並々ならぬ思いがあることは明白だ。演技における喜びは、ラップにおけるそれとは別物だと、彼は言う★2

 しかし結論から言えば、彼の俳優としての喜びは、ラッパーとしてのそれと根本的には「同じ」もののはずなのだ。

 僕たちは遠回りを重ねながら、この結論に辿り着くだろう。

 だが、それはまだ先の話だ。

2 アクト・ライク・ア・ギャングスタ


 ここではまず、前述の2パックがノトーリアス・BIGと一緒にフリースタイルに興じる動画に続いて、2本目の動画を見てみたい。それは強姦罪で起訴され、彼を取り囲むメディアへの苛立ちを隠さずに、カメラに向かって唾まで吐きかける彼を捉えた映像だ★3。その大仰な振舞いは、楽曲のリリックから、あるいは映画から飛び出してきたキャラクタさながらだ。しかしその瞳にはかすかに、言葉にしようのない空虚さが滲んでいるようにも見える。

 1971年にニューヨークのイースト・ハーレムで生まれた2パックこと本名リーセイン・パリッシュ・クルックスは、ブラックパンサー党に深くコミットしていた母親の希望により、生後間もなくトゥパック・アマル・シャクールと改名される。これはインカ帝国の最後の皇帝の名であり、1780年のペルーのスペインに対する反乱のリーダーの名にちなんだものだった。

 1988年にボルチモアへ引っ越し、アートスクールで演技や詩を学ぶ。バレエの「くるみ割り人形」の舞台では、ねずみの王を演じたという。そして、最初はMCニューヨークというステージネームでラップを始め、地元で成功していたグループであるデジタル・アンダーグラウンドのダンサーとなる。やがて同グループのグラミーにもノミネートされた「Same Song」という楽曲でマイクを握る。

 1991年に最初のソロアルバム『2Pacalypse Now』をリリースしてから、彼の快進撃は始まる。なによりもストリートの過酷な現実を描くリアリスティックなストーリーテリングが評価され、1995年リリースのサードアルバム『Me Against The World』はビルボードチャート1位に輝き、1996年にその25年間の生涯を終える頃には、彼は西海岸のギャングスタ・ラップを象徴する存在に上り詰めていた。

 しかし詩や演技、バレエに熱中したという少年時代や、デジタル・アンダーグラウンド時代のMVに映る彼の姿と、メディアを騒がせ続けたギャングスタ・ラッパーのアイコンとしての彼のあいだには、とてつもないギャップが横たわっている。演技についての理想を語りながら目を輝かせる姿と、メディアに唾を吐きかけ罵詈雑言を吐く姿。彼のなかで、そのふたつの姿は一体どのように同居していたのだろうか。

 ギャングスタの過酷な日常を歌ううちに、本来の自己は失われ、別人のようになってしまったのか。いや、むしろそこまでのギャップを生み出せたこと自体が、彼の演技力が一級であることを示しているのではないか。
 彼はロサンゼルスタイムズのインタビューで「俺はギャングスタではないし、そうであったこともない」と答えている★4。盗みを犯したり、人々を傷つけることもない。ただし「やられたらやり返す奴」なのだと。自分には「仕事」があるし、「アーティスト」であるのだと。彼と交友関係にあったシンガーのマリオ・ワイナンズはもっとストレートに「2パックはギャングスタではなかったが、それを演じていた」ことを指摘している★5

 つまり、彼がラッパーという演者として選択したのは、LAのストリート・ギャングが実際に経験している過酷な現実を描写し、人々にストーリーテリングするというミッションだった。そしてそれは楽曲のリリックのなかだけに留まるものではない。メディアによって追跡され続け、全米に届けられる自らの一挙手一投足さえも、このミッションに動員されるのだ。

 そういう意味で、彼の曲の外側でのラッパーとしての振舞いそのものが、一種の啓蒙活動とも言えるだろう。彼の好戦的な、カース・ワード(fuck、shit、bitchといった公共の場やメディアで使用を禁じられている言葉)を交えた語り口や態度そのものが、ある人々にはロールモデルとなり、別の人々にとっては反面教師となる、アンビバレントなものなのだ。

 しかし彼の楽曲に散りばめられた無数のカース・ワードから、彼を分別のない攻撃的な人間だと判断するのは早計だ。彼の楽曲にはカース・ワードの意味そのものを問うような楽曲も存在するからだ★6。加えて「Dear Mama」「Keep Ya Head Up」「Young Niggaz」といった楽曲群で彼が発信し続けたポジティヴなメッセージの影響力は、計り知れないものがある。

 だがラッパーは、楽曲やアルバムによって、そしてアーティストとのキャリアを通して、常にそのリリックに先導されるイメージを意識的/無意識的に演じ続ける。そして2パックが最終的に辿ることとなったのは、そのイメージ像が完全に制御できなくなる地点への道程だった。

 自身のギャングスタ・ラッパーのイメージにどこまでも忠実に、それを丁寧になぞるように、ヒップホップシーンにおける最悪の惨事のひとつである東西抗争に巻き込まれる形で、彼は向こう側へ行ってしまった。

3 筋肉を着こなすこと


 それにしても、ウェブで2パックの写真を検索すれば、ある特徴に気がつくだろう。その多くで、彼は上半身を露わにしている。その引き締まった肉体美。エボニーの筋肉の甲冑。

 2パックに限らず、彼らのムキムキのマッチョな肉体はそのまま、ヒップホップにおけるマチスモの優位性を示している。LL・クール・J、50セント、ザ・ゲーム、エミネムといった有名ラッパーたちが、その肉体美を披露しているし、数多くのMVでもその猛威は振るわれている。全員が本物の受刑者からなるライファーズ・グループの「Real Deal」(1991)から、日本が誇るYoung Hastleの筋トレ賛歌「Workout」(2010)まで、隆々たる筋肉は、ヒップホップのイメージを形作る要素のひとつであり続けている。

 温暖な気候で薄着が普通のLAのような場所では、裸やタンクトップで鍛えられた上半身を露わにするのは極めて自然なことに映る。しかしそれがたとえ真冬の氷点下の凍てつくニューヨークであっても、ラッパーのなかには、素肌に直接ダウンジャケットを着てまで、その肉体を露出させようとする者さえいる。そのような無謀とも言える勢いをラッパーに与えてしまうのが、筋肉なのだ。いや、ダウンジャケットを脱いでも彼らは、筋肉という「衣装」をまとっている。

 つまりコワモテのギャングスタを演じるラッパーたちは、筋肉という「衣装」を着こなすことを要請されるのだ。

 ここで、前述のイマジナリー・ボディのことを思い出してみよう。それは、俳優が「衣装」のように身に着ける、演じるキャラクタの身体だった。たとえば痩せ型の役者が、まるまると太った人物を演じるとする。プロの映画俳優であれば、役作りのため、ストイックに実際の体型をキャラクタのそれに近づけるかもしれない。

 しかしチェーホフが指摘したのは、たとえその俳優の生身の身体が、演じられるキャラクタの身体的特徴からどんなに遠く離れていようとも、俳優がその役になり切るとき、そこには俳優にとっての想像上の身体が確かに現れるということだった。彼は実際に太るわけではなくとも、イマジナリー・ボディという衣装をまとうのだ。

 このイマジナリー・ボディを身に付け役を練習するうちに、俳優は心理的にも身体的にも変化していく。彼は、太っている人物のように歩き、腹をさするだろう。その声色や態度も目に見えて変化するだろうし、本人の内面的にはものの見え方や感じ方も変わるだろう。
 いわばキャラクタはイマジナリー・ボディという形で俳優に取り憑く。イマジナリー・ボディは「俳優の意志と感情を刺激」し、それらを「話し言葉と動きに浸透」させ、「俳優を別の人間に変えてしまう」のだ★7

 これは、2パックが辿った道──演技を学び、俳優としてはときにヴァイオレントなキャラクタを演じ、ラッパーとしてもギャングスタの所作を演じるうちに、それらのキャラクタに取り憑かれたように太く短い生を終えることになる──を端的に示唆しているようにも見える。このことから、イマジナリー・ボディが2パックに与えた「心理面」での影響は極めて大きかったのだと結論付けることもできるだろう。

 しかし一方で、それは彼の「身体面」にどのような影響を与えたのだろうか。彼は、元々デジタル・アンダーグラウンドのダンサー時代から引き締まった体つきをしていたが、ラッパーとして成功しその言動が挑発的になるにつれ、明らかにその体つきは「パンプアップ」されていった。つまり彼は、心理面で理想のギャングスタ的屈強さを持つラッパーに近づくと同時に、身体面での屈強さをも探求していったのだ。なぜか。

 一方に彼がリリックで描くギャングスタ・ライフを送る理想の身体がある。そして他方には、実際の彼の生身の身体がある。両者の距離を近づけるために、「パンプアップ」はなされる。筋トレという繰り返される反復運動が、両者の距離を目に見えない単位で徐々に、しかし確実に、縮めていく。

 演劇を学んだ彼は、役者として、想像力の鎧をまとうことを心得ていた。だからこそ、ラッパーとしての彼は誰よりも、リリックのなかで彼が描く理想のキャラクタを現実世界でも演じることに長けていた。そしてそれは心理面に留まらない。彼は身体面においても、想像力が生み出した筋肉の鎧が、生身の身体の線からはみ出すのを実感していた。その鎧の引力こそが、実際に彼の生身の身体を理想の方向に引き寄せた(=パンプアップ)のだ。

 それでは2パックが理想としたキャラクタとは、一体どんなものだったのか。

 その問いに答えるための補助線として、考えておきたいことがある。ラッパーを俳優と重ね合わせるといった観点から考察すべきは、筋肉を衣装として着こなすアクション映画俳優たちの生態であり、彼らの筋肉の機能だ。
 たとえばアーノルド・シュワルツェネッガーのような俳優は、『ターミネーター』(1984)となるために、あるいは『コマンドー』(1985)の大佐を演じるために、鍛え上げた実際の身体の上に、さらなる想像上の「筋肉」を着ていたのだろうか。

 双方のキャラクタは「パンプアップ」された肉体なしでは、とても想像できないが、シュワルツェネッガーのキャリアは「パンプアップ」から開始されている。周知のように、彼は、俳優以前にボディビルダーとしてその名が知られていたからだ。というよりも、10代の頃から競技を始め、ボディビルダーであったがためにボディビルを題材としたドキュメンタリー映画『鋼鉄の男 Pumping Iron』(1977)に出演し、それがきっかけで俳優として成功の道が開かれたのだ。

 この『鋼鉄の男 Pumping Iron』は世間一般にボディビルの存在を広める役割を果たした映画だったが、そのシュワルツェネッガーもまた、1950年代と60年代に制作された、ボディビルダーで俳優のスティーヴ・リーヴスが主演する映画を見て、ボディビルの道を志したという。

 さらに遡れば、近代ボディビルの父と呼ばれるドイツ出身のユージン・サンドウが初めてのボディビル・コンテストを開催したのは1901年のことだった。サンドウは古代ギリシャ・ローマの彫刻を研究し、それらを理想像として、自らの肉体の研磨に心血を注いだという。

 やがて1940年代以降、ボディビルは競技化し市民権を獲得していく。ボディビルダーたちはより大きな筋肉を手に入れるために、より効果的なトレーニング方法を探求する。そしてシュワルツェネッガーの時代になると、重量挙げの選手やボディビルダーたちのあいだで、筋肉の限界を超えるために、ある人工的な手法が用いられるようになる。

 それが、アナボリック・ステロイドだ。このステロイド剤の服用は、体内での著しいタンパク質の同化作用をもたらし、筋肉の成長作用を飛躍的に高める。その効果が知られるようになると、瞬く間に陸上競技やアメフトなどのスポーツ選手だけでなく、一般層にまで広く使用されるようになる。

 アメリカでのボディビルの各大会での使用についてはグレーであり、一時禁止されたこともあるが、結果として選手たちの筋肉の大きさは半減することとなり、オーディエンスから不人気を買った。彼らが望んでいたのは、人間離れした身体であったのだ。結果的に、大会の主催側はこれを黙認せざるをえなかった。

 シュワルツェネッガーも例外ではなく、ボディビルダー時代にステロイドの使用を認めている。ボディビルダーたちはみな一様に、とにかく自己の身体をパンプアップし、大きくすることに注力する。今日の自分の身体の輪郭を、明日は少しでも上回ることに、最大の喜びを見出す。ある日本人ボディビルダーは「自分はただひたすらに大きくなりたい」と言う。「筋肉を1センチ肥大させることで自分が神に近づけるわけではありませんが、少なくとも自分の肉体という小宇宙を創造することができる」とまで言い切るのだ★8

 実はこのような切実な願いは、ラッパーにもあてはまる話だ。ラッパーたちもまた、彼らなりのアナボリック・ステロイドを常用している。しかしこれは、彼らもまた文字通りステロイドを服用し、筋肉を鍛えているという話ではない。

 結論を先取りするならば、彼らにとっては「fuck」こそがアナボリック・ステロイドなのだ。

 しかしこれでは論を急ぎすぎだろう。一体どういうことなのか、見ていこう。

4 肥大化した精神は肥大化した肉体に宿る


 これを説明するための補助線として、もうひとりの筋肉をまとった俳優のアイコンである、シルベスター・スタローンについて考えてみたい。

 映画批評の三浦哲哉が指摘するのは、シルベスター・スタローンの筋肉の両義性である。それは究極の幸福をもたらすものではなく、かえって、本人をより激しい損傷に晒すようなものでもある。彼が注目するのは、アンビバレントな筋肉の役割なのだ。

『ロッキー』(1976)の有名なシーンのひとつに、彼が食肉工場で凍った肉を叩く場面がある。これは一体何を示しているのだろうか。ここで三浦は非常に興味深い提案をする。曰く、自己の筋肉を「痛みや疲労の感覚を受け止めつつ遮断する」ような、言うなれば「屍肉」と同質のものに変化させるというのだ★9。つまり、どんな痛みにも耐えうるような、感覚の麻痺した身体が、筋肉なのだ。

 さらに三浦は、この「感覚の麻痺した屍肉=筋肉」は、フロイトの言うところの「外皮」のようなものだと指摘する。外部の刺激から内部を保護するために、表皮はいわば燃え尽きた状態だというのだ。

 それでは、ラッパーの筋肉も「外皮」と言えるだろうか。リスナーやメディアを通した大衆からの視線という意味ではそうと言えるかもしれない。しかし、彼らが痛みに耐えるというとき、それは当然物理的な痛みではない。彼らは言葉によって痛みを与え、言葉によって痛みを受ける。ライムこそが凶器なのだから。

 そのような攻撃ならぬ「口撃」の応酬に耐えうる「外皮」とは一体なんだろう。

 それがラップ「ゲーム」と呼ばれることからも分かるように、ラッパーたちを取り巻く環境はコンペティションを前提としている。星の数ほどいるラッパーたちのなかで、秀でて富をつかむためには、もちろん音楽的な表現力やスキルが必要だが、一方でラッパーとして誰にも負けない「身体」が必要だ。90年代以降のニューヨークのゴールデンエイジではスキルが絶対視されるようになるし、西海岸を席巻するギャングスタ・ラップの世界では文字通りギャングスタ的価値観における力強さ=マッチョイズムが要請される。

 このとき身体とは、物理的な筋肉の鎧で固めた身体であると同時に、強度を持つ言葉で塗り固めた身体の「イメージ」でもある。誰よりもリアルで、誰よりも力強く、どんな言葉の攻撃にも耐え、いかなるディスに対しても、それをはるかに上回るアンサーを返すこと。自己のイメージを言葉で「パンプアップ」すること。
 そもそもヒップホップ黎明期からラップの基本原理である「ボースティング(boasting)」とは「自慢をする」「誇る」という意味であり、つまりライムで自分を大きく見せることだ。

 強さに取り憑かれたマッチョなラッパーたちは、肉体をパンプアップさせつつ、言葉によるボースティングを徹底し、自分を大きく見せる。前述したマッチョなラッパーたち、LL・クール・Jも、50セントも、ザ・ゲームも、エミネムも、みな一様にディスに対して非常に敏感に反応し、ボースティングを目一杯詰め込んだアンサー曲をリリースしている。

 このボースティングのための言葉とは、決して美辞麗句を並べ自身を美しく見せるようなものではない。むしろfuckやshitというような、ネガティヴなカース・ワードたちだ。

 だがそれらは、乱発されるほどにその意味を失っていくような言葉でもある。本来は「クソ」というようにネガティヴな意味を持つにも関わらず、たとえば「fuck」は「fucking+形容詞」という形で単なる強調として副詞的に使われるし、「shit」は「stuff」のように漫然と何かしらの「もの」を指したりする。

 つまりそれらは高頻度で使われるあまり、本来の「罵る(=curse)」言葉としての強度を失い、無感覚に成り下がりかねない言葉たちなのだ。まるで死んでいる肉、屍肉のように。

 ラッパーたちは、そのような大量のカース・ワードの「外皮」に身を包んでいる。

 その証拠に、ラッパーたちがリリースするCDのジャケットには、白と黒からなる「Parental Advisory(保護者への警告)」「Explicit Lyrics(露骨な歌詞)」と書かれたアイコンがレイアウトされているケースが多かった。アメリカの音楽団体RIAAで1985年から導入されている検閲制度だが、むしろこのアイコンが果たしている役割とは、ジャケットに映るラッパー自身の姿を、言葉の「外皮」で飾り付けることなのだ。

 このアイコンは、歌詞の内容がタフでリアル、あるいは攻撃的かつ暴力的であることを示唆している。ジャケットにこのアイコンがない、つまりカース・ワードのないリリックは、過酷な現実のストーリーテリングを求めているリスナーにとっては刺激のないつまらないものだ。ちょうどステロイドを禁止したボディビルの大会が、オーディエンスにとって刺激のないつまらないものであったのと同じように。

 以上見てきたように、彼らのリリックが「外皮=筋肉」で覆われているとするなら、その筋肉を分厚くするのに最も有効な言葉は「カース・ワード」に他ならない。「fuck」「bitch」といった露悪的な言葉たちを連呼することで、彼らは容易にそのコワモテのイメージを「パンプアップ」することができるのだ。

5 演者を演じるということ


 そしてここまでで分かったことは、2パックが象徴する、ギャングスタ的メンタリティを持ち合わせる一群のラッパーたちは、身体面でボディビルダーのように理想像を追求しつつ、心理面でも自己イメージの肥大化を目指すことだ。

 このとき、ボディビルダーたちの理想像が、サンドウが夢見たギリシャ彫刻だったとすれば、ラッパーたちの精神的、あるいは人格的な理想像はどこにあるのだろうか。ひいては先ほどの問い、2パックが匿っていた理想像とは、一体どこに見出せるのか。

 ギャングスタ・ラッパーたちの理想像という観点で考えれば、実在のギャングたちのなかでも、ある特定の系譜にこそルーツを見出せるかもしれない。

 それは一般的には最も知られているであろう1920年代の禁酒法時代に悪名を轟かせたシカゴのギャングではなく、ニューヨークのハーレムを中心に暗躍した黒人系のギャングたちだ。

 たとえば1920年代に活躍したエルズワース・〝バンピー〟・ジョンソンは、ハーレムのゴッドファーザーと呼ばれた。その後1940年代以降は、フランク・ルーカス、ニッキー・バーンズ、そしてガイ・フィッシャーの3人がハーレムのビッグ3と称された。

 さらに時代が下ると、既存のギャングよりも組織的には未成熟ながら、強固な団結力と凶暴さを誇るストリートギャングの時代が到来する。両者はヤクザに対する愚連隊やチーマーのような存在に近いかもしれない。

 1969年に原型が結成されたクリップスと、それに対抗するために1971年に結成されたブラッズが2大ストリートギャングと呼ばれる。両者はそれぞれ基調カラーを青と赤とし、熾烈な争いを繰り広げてきた。クリップスは最盛期には3万人以上のメンバーを誇り、全米最大級の巨大組織となった。実際にクリップスやブラッズ出身のラッパーも多い。

 彼らを率いる幹部のなかでもその名が最も知られているのは、1971年にクリップスに加入し、ロサンゼルスを制覇するまでに組織を拡大したスタンリー・〝トゥッキー〟・ウイリアムズだ。彼は4人の殺人罪で死刑判決を受けながらも、後に慈善活動を行い反ギャング活動にコミットして多くの書籍を出版し、ノーベル平和賞候補にもなっている。

 しかし2005年、数多く集まった減刑嘆願を退け、犯した殺人への反省が見られないという理由で死刑が執行される。このとき執行命令を出したカリフォルニア州知事こそが、アーノルド・シュワルツェネッガーだった。
 これら大物ギャングたちの姿もまた、映画館のスクリーンやテレビモニタに映し出されるものだった。 〝バンピー〟・ジョンソンは『コットンクラブ』(1984)、『奴らに深き眠りを』(1997)、『アメリカン・ギャングスター』(2007)などで描かれているし、〝トゥッキー〟・ウイリアムズの人生も『クリップス』(2004)で詳しく描かれている。

 つまりラッパーたちが理想像としてのギャングスタのボスをイメージするとき、それらは常に、演じられたキャラクタであった。彼らは映画のなかで、俳優によって演じられたイマジナリー・ボディなのである。

 そのことを踏まえたうえで、ここにはもうひとつ考えるべき事項が潜んでいる。実はラッパーたちに最もリスペクトされ、何度も繰り返しその名前が参照されてきたのは、〝バンピー〟・ジョンソンでも、〝トゥッキー〟・ウイリアムズでもないからだ。

 それでは一体、ラッパーたちの理想像は、誰が担っているのか。

 ここで2パックの3本目の動画を参照しよう。カメラに向かって話かける彼は、いつも通り大きな身振りを交えて仲間たちをジョークで笑わせる。しかしその口調にはいつもと違って、強い「訛り」が効かされている★10

 彼はある人物のモノマネを披露しているのだ。

 その人物とは、『スカーフェイス』(1983)でアル・パチーノが演じたトニー・モンタナ、その人に他ならない。ラッパーたちはそのリリックに、数多くの小説、映画、コミックや神話などの登場人物を引用する。マーベルのスーパーヒーローたちが数多くのラインで参照されてきたのは、前回連載で述べた通りだ。

 そしてその参照度が最も高く、最も頻出するキャラクタのひとりが、このトニー・モンタナであることは疑いの余地がないだろう。

 何度も嫌疑をかけられ、逮捕もされたことから警察嫌いで有名だった2パックは、いかなる運命の悪戯か『グリッドロック』では刑事役を演じることになる。しかし彼は見事にこの役を演じ、日頃から警察との因縁があったからこそ上手に演じられたと振り返っている。そんな彼は、『スカーフェイス』のワンシーンで、警察署で何人もの警官に取り囲まれて取り調べを受けるトニーの姿に、自分を重ねていたに違いない。

 トニー・モンタナのモデルとなっているのは、1920年代にシカゴから現れ全世界にその悪名を轟かせた実在のギャングスタ、アル・カポネだ。

 アル・カポネは実在のギャングのなかでも最も悪名を轟かせている人物と言って良いだろうが、このトニーもまた、ギャングスタ・ラップ、もっと言えばヒップホップの世界でも実に悪名高いキャラクタだ。たとえばECDは、2010年にリリースしたアルバム『Ten Years After』収録の「Tony Montana」のなかで、金、車、銃、セックス、ドラッグといったラップにつきもののトピックを「トニー・モンタナ」という記号に託している。そしてそのどれとも縁がない自分を、ヒップホップの「落ちこぼれ」と表現する。これは逆に言えば、トニー・モンタナが、ヒップホップにおけるギャングスタ・サイドのアイコンであることを示している。
 キューバからの移民であり、何も持たないひとりの男が、アメリカの裏社会で一気に成り上がるその姿がラッパーたちを惹きつけるのは当然のことだろう。

 彼を特徴付けているのは、移民としての強い訛りとともに、その語彙だ。

もっと言えば、彼のカース・ワードの使用頻度だ。そう、彼は劇中でマシンガンを連射するように、「fuck」を乱発する。劇中を通して繰り出されるその数は、なんと200回以上にも上る。

 2パックもモノマネ動画のなかで、トニーのように訛った「fuck」を連発している。アル・パチーノは、実在のギャングであるアル・カポネをモデルにしてトニー・モンタナを演じた。そして2パックによるトニー・モンタナの見事なモノマネが示唆するのは、アートスクールで演技を学んだ2パックが、自らギャングスタを演じるにあたり、その口調を血肉化し内面化していたということだ。

 それを証明するように、2パックが亡くなる直前に警官に浴びせた最後の言葉は、「fuck you」だったという。



 俳優のアル・パチーノにとって、トニー・モンタナを演じるにあたり頭のなかで描く理想像はアル・カポネの姿──しかしそれはスクリーンで誰かに演じられるカポネの姿──だったかもしれない。そしてトニー・モンタナというパチーノが着こなしたイマジナリー・ボディこそが、2パックの頭のなかでは演じるべきひとつの理想像であった。その理想像とトゥパック・アマル・シャクールの実存とのあいだに立ち現れたイマジナリー・ボディこそが、彼が無意識に演じることとなったラッパー「2パック」の姿だったのだ。

 だから冒頭の仮説に立ち返れば、彼が瞳を輝かせて語っていた演技をすることの喜びとは、ソロアルバムのリリース以降の彼のラッパーとしてのキャリア全体に通底していた喜びだったはずなのだ。

映画のなかで、そしてリリックのなかで、「何者かを演じるラッパーを」「演じる」ということ。

 



 2パックが亡くなってから20年以上が経過しているが、彼のもたらしたギャングスタ・ラップのイメージはいまだに生き続ける。2015年にリリースされた『To Pimp A Butterfly』で2パックとの擬似会話を収録したケンドリック・ラマーを始め、現代のラッパーたちにもたらした影響力は計り知れない。

 しかし彼はその特異なギャングスタ・ライクなキャラクタを「演じ」ていた。最もリアルなリリックを書くと評価されるラッパーの「外皮」とは、そのように「演じ」られたものだった。メディアに四六時中追いかけられる彼は、無感覚な死滅した「外皮」を持たざるをえなかったのかもしれない。

 


★1 https://www.youtube.com/watch?v=Vi6TnG2SpvM&t=3s(現在は非公開)
★2 https://www.youtube.com/watch?v=vaR6rozfGgg
★3 https://www.youtube.com/watch?v=ug78aVtkuVI
★4 https://www.latimes.com/local/la-me-tupac-qa-story.html
★5 https://hiphopdx.com/news/id.28283/title.marlon-wayans-on-tupac-he-wasnt-real-gangster-but-he-acted-gangster
★6 https://playatuner.com/2016/12/2pac-meaning-of-bitch/(現在は非公開)
★7 マイケル・チェーホフ『演技者へ! 人間―想像―表現』晩成書房、1991年、159頁
★8 増田晶文『果てなき渇望』草思社、2000年、174頁
★9 石岡良治・三浦哲哉『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』フィルムアート社、2018年、166頁
★10 https://www.youtube.com/watch?v=dZTcxYsTs3E(現在は非公開)

吉田雅史

1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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