人文的、あまりに人文的(特別篇)『新記号論』|山本貴光+吉川浩満

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初出:2019年03月22日刊行『ゲンロンβ35』
 
 

 

吉川浩満 みなさん、お久しぶりです。

山本貴光 今回は「人文的、あまりに人文的」特別編ということで、よろしくお願いします。

吉川 解散したバンドが一夜限りで再結成ライヴやるみたいなね。

山本 解散してたんかい。

吉川 それはそうと、ついに出たね。

山本 ゲンロンカフェで聴講したときから本にならないかなと待ってました。

吉川 石田英敬さんと東浩紀さんの『新記号論 ──脳とメディアが出会うとき』(ゲンロン)です。

山本 2017年に当初1回の予定で開催された「一般文字学は可能か」という講義が、それでは収まらず、全3回の連続講義になったのだったね★1

吉川 なにしろ聴き手役の東さんが、適宜話を整理するだけでなく、石田さんに問いを投げかけて話を引き出している。

山本 先生をやると分かるけど、よい聴き手がいるとやる気も出るし、質問によって予定してなかったことまで話したくなるんだよね。

吉川 その講義をもとに、理解を助けるたくさんの注も施して刊行されたのがこの本というわけです。三つの講義に加えて石田さんによる四章立ての補論も収録されている。

山本 小松理虔さんの『新復興論』に続く「ゲンロン叢書」第2弾でもありますね。

なぜ記号論なのか


山本 まず、本書のテーマについて話そうか。

吉川 そうしよう。



山本 というのも、この本って読み始めさえすれば、議論の展開に引き込まれてどんどん読み進めることになると思うんだけど……。

吉川 控えめに言ってもめちゃめちゃ面白いからね。

山本 そう、ただ、その手前で「記号論」に関心を持っていないとそもそも手に取ろうという気が起きづらい可能性もある。それはとてももったいないと思うのよ。

吉川 かつての記号論の盛り上がりが記憶にある人は「いまさら記号論?」と古くさい話に思えるかもしれないし、他方でその後に生まれた人たちは「なにそれ?」という状態かもしれない。

山本 そこでまぁ、お節介といえばお節介なんだけど、この本がなにをしようとしているのかをみなさんにお伝えしてみたい。

吉川 問題意識が分かると興味も湧くし、いっそう面白く読めるからね。

山本 そうそう。

吉川 この講義には三つのキーワードがある。書名にあるように「記号論」と「メディア」、それと「脳」だね。ここで「脳」というのは、文字通り脳のことでもあるけれど、含意としては私たち人間のこと。

山本 記号論とメディア論は、石田さんが長年携わってきた領域でもあるね。かつてはたいへん盛んに研究されたり言及されたりしていたテーマだけれど、インターネットが普及した時代になってむしろ下火になった印象があるかな。

吉川 本書でも重要な役割を果たしている言語学者のソシュール(1857-1913)や哲学者のパース(1839-1914)の仕事に端を発して、20世紀後半には構造主義のようなものの見方とともに人文学の一時代を築いたよね。

山本 そもそも人間がものを考えたり表現したり意思疎通したりするときに使っている言語は、記号の最たるものだしね。ソシュールは記号を研究する記号学を提唱した人でもある。

吉川 その発想は、後にクロード・レヴィ゠ストロースの人類学や、ロラン・バルトによる社会や文化の分析をはじめとして、多様な領域にインパクトを与えたよね。それで20世紀後半はいろいろな対象を記号で読み解く試みが流行りもした。

山本 2016年に亡くなったウンベルト・エーコの『記号論』が1975年で、「記号論を超えて」という副題を持つ浅田彰『構造と力』が1983年だったね。気づけば現代思想と呼ばれた欧米由来の人文諸学の盛り上がりも、スター思想家たちが一人また一人といなくなるにつれて退潮して、記号論もかつてほど論じられなくなった。

吉川 でも、石田さんが指摘しているように、デジタルコンピュータとネットワークが日常生活や社会に欠かせない技術基盤になっている現在、本来なら記号論はもっと盛んでもおかしくない。

山本 なにしろデジタルコンピュータは、みんながスマートフォンで使ってるアプリをはじめ、テキストも画像も動画も音も振動もその他どんなものも0と1という信号に変換して扱う究極の記号マシンだからね。コンピュータを動かしているプログラムも記号の塊だし。

吉川 われわれがネット上で検索したり地図を見たり買い物したりする行動の痕跡も、デジタルデータとしてネットワークのなかを移動して蓄積されている。

山本 3度目の流行を迎えている人工知能にしたって記号の扱い方の問題と言える。

吉川 そういう意味では、まさに記号全盛時代といってもいいんだよね。

山本 そこで疑問。だとしたら、どうしていま、記号論が振るわないのか。



吉川 コンピュータに関して言えば、ハードが高性能になってネット経由でできることも増えてきて、あれこれ考える前に作ったり使ったりするほうに人の意識が向いているというのはありそう。こんなこともできる、ってね。

山本 うん。それとネットは、利用者全員が自覚の有無とは関係なく受信者であると同時に送信者でもあるから、複雑度が高いというのも関係あるかな。例えば、たくさんのユーザーがやりとりするソーシャルゲームをまともに記号論的に分析しようと思ったら結構骨が折れるはず。

吉川 石田さんの問題意識としては、従来の記号論はアナログメディアをベースに考えられたもので、現在のデジタルメディアの状況にはそのままでは対応しきれない。記号論の更新が必要だ、ということだね。

山本 で、ここが肝心なんだけど、もしそこで話が終わったら、やっぱり記号論は興味ないやという人にはもうひとつ意義が伝わりづらいかも、というのが冒頭で述べた懸念なんだよね。

吉川 その点、石田さんはかなりアクチュアルな課題、われわれ全員に関わる課題として記号論の更新を考えている。

山本 ただ、それが最後の最後(313ページ以下)で語られるんだよね。

吉川 東さんもつっこんでるけど、冒頭で言えばよかった!(笑)

山本 その話をする前に、いま出てきたもう一つのキーワードである「メディア」について話そうか。

メディアが人の意識をつくる


山本 メディアとは、原義に立ち戻って言えば、なにかとなにかのなかだちとなるもの。「媒体」と訳されることもある。この場合、人間と人間、人間と機械の媒をするものと考えればいい。

吉川 具体的にはスマートフォンやパソコンをはじめ、われわれは多様なメディアの装置や仕組みを使って暮らしている。例えばLINEの国内ユーザー数は7800万アカウントとも言われているぐらいで、これだけをとってみても、スマートフォン普及以前には存在しなかったメディア環境の激変だよね。

山本 そう、それで石田さんの議論のポイントは、メディアとはただの道具や環境に留まるものではなくて、それを使う人間の意識のあり方におおいに関わるというところ。だから無視しえない。

吉川 しかもメディアは時代によって変わってきた。19世紀までなら活字を中心に考えればよかったけど、20世紀前後から写真、電話、映画、ラジオ、テレビ、コンピュータが次々に登場する。もう一つ面白いのは、これらのメディアには、人間が必ずしも意識できないものも含めて、私たちの体に働きかけるという特徴がある。

山本 例えば従来の映画なら1秒に16コマとか24コマの静止画が早送りされてるわけだけど、それを観てるわれわれは1コマずつ認識しているわけでもなければ、そこに映っているものをくまなく意識しているわけでもない。コマ数は違うけどコンピュータの画面も基本は一緒。

吉川 眼には入ってるけど、全然見切れてない。石田さんはそういう状態をレジス・ドブレの概念を借りて「技術的無意識」と呼んでいる。

山本 そこで再び記号論の話につなげると、従来の20世紀の記号論は、言ってみればデジタル以前のアナログメディアをモデルに考えられたものだった。石田さんの狙いは、これをデジタルメディアに対応する記号論に更新しようということだった。

吉川 なにしろデジタルメディアでは、ユーザーや機械のあいだで双方向のやりとりがなされるし、一台のスマートフォンやパソコン上で複数のツールを切り替えながら使い分けたり、SNSの裏アカじゃないけど一人のユーザーがアプリごと、アカウントごとに違うキャラクターを演じたりもできる。

山本 古くはネットゲームとか最近のバーチャル YouTuber(VTuber)みたいなアヴァターを使う表現もあるしね。



吉川 そういう状況で、SNSを典型として、お互いにどこの誰だか分からない人も含めて多様なチャネルで時々刻々とやりとりがなされている。

山本 これはアナログメディア主流の時代には考えられない状況。というのはデジタル以前の環境を実感できないと見えづらいかもしれない。

吉川 ここまでの文脈が分かると、石田さんの目論みのアクチュアルな面も分かるようになる。

山本 身近なところでは、アマゾンとか Netflix のレコメンドのように、それぞれのユーザーの行動データが蓄積されて、アルゴリズムがそれをもとに「これがおすすめですよ」と言ってくる。

吉川 あるいはTwitterのような装置では情動感染が生じやすくて憎悪やデマも広がりやすい。われわれはそういう環境で暮らしている。

山本 こういうメディア環境のなかで、人間の意識とか欲望はどのような状況にあるのか、どうなるのか。これが本書全体を導く課題。

吉川 デジタルメディアと人間のインターフェイス、接触面で何が起きようとしているか。これを見定めなければ、次の社会に向けたよりよい代替案も出せない。そのための批判理論として記号論をアップデートしようという大きく根底的な構想だ。

人文学の大型アップデート


山本 もう一つのキーワードは「脳」だった。

吉川 そう、むしろこれから話すことが『新記号論』の真骨頂と言ってもいい。

山本 石田さんは以上に話してきたような見立てで記号論の更新を図っているんだけど、そこで重要なのが神経科学(脳科学)や認知科学なんだね。

吉川 古来、哲学をはじめとする人文学では、経験や概念を手がかりにして人間や心やそのふるまいについて考えてきた。例えば、理性とはなにかとか、意識とはどんな働きをするかとか、人は言語をどんなふうに使っているかとかね。

山本 もっとも20世紀に脳科学や認知科学が発展するまでは、いまのように脳の活性化状態を目に見えるようにしたり、人の視線をトラッキングしたりするような技術自体がなかったから無理もない。

吉川 石田さんは、人間の心のあり方をつくるメディアや技術の変化を捉えるためにも、これからの人文学は、神経科学や認知科学が明らかにしつつある人間像を前提として、現代という時代に見合った問いを立てて探究すべきだと指摘している。

山本 言うなれば人文学の大型アップデートだ。

吉川 メディア環境と自然科学や工学を含む学術の現状を踏まえて、問いと思考を更新しようというわけだね。

山本 そして本書全体がその事例でもある。ここでようやくこの講義の一番の楽しみどころの話になる。



吉川 さっき名前を出したソシュールやパースによる記号論はもちろんのこと、フッサールの現象学、ライプニッツの普遍記号学、第二講義の主役とも言えるフロイトが考えた無意識を含む心のモデル、あるいは第三講義でのスピノザによる心身論……という具合に、これまで人文学が蓄積してきたリソースを、現代の神経科学や認知科学の知見から読み直して、新たな意味を引き出している。

山本 それはまさに講義の場に立ち会った人たちがおおいに興奮したところで実に圧巻だった。要するに、それぞれ単体で見ると古くさく見えたり、何の意味があるのか分からなかったりする概念や発想を互いに接触させて、通電させてゆくというか、われわれが現状を捉えるためのレンズとしてヴァージョンアップするんだよね。

吉川 水戸部功さんのデザインによる表紙には、Instagram のタグのように詳細目次のキーワードが並んでいて、これらが石田さんの講義と東さんの整理や問いによってノンストップで押し寄せてくる。たっぷり知を浴びる快楽も味わえる。

山本 なにより過去の人文的資源を懐古的に読み直すというのではなく、そのままでは捉えがたいわれわれの現在の状況を見据えるために使える道具がいろいろあるぞという方向がいい。埃を払ってレストアして組み合わせると、ほら、というね。

吉川 そもそもそれぞれの概念の道具に通じてないとできない芸当だよね。

山本 実をいえば読んでるうちに分からなくなる部分もあるし、一般文字学というけれど、各種メディアが扱う画像や音やその他のデータを「文字」にたとえてくくるのでよいのかといった疑問もあれこれ湧いてくる。

吉川 石田さんの思考とわれわれの問題意識が接触して、新たな問いが生じてくる。

山本 そう、いま目の前で誰かが考えながら話したり対話したりしているその語りに触れて、自分の頭も動きやすくなる。これは講義や対談のいいところだよね。

吉川 というわけで、『新記号論』をめぐる対談もここでお開きとしようか。

山本 そうだね。石田さんが執筆中という『一般記号学講義』の出現も楽しみにしながら、みなさん、ご機嫌よう。

★1 全三回の連続講義は、「石田英敬『新記号論』シリーズ」と題し、動画販売プラットフォーム「Vimeo」にてセット販売中。

ゲンロン叢書|002
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』
石田英敬+東浩紀 著

¥3,080(税込)|四六判・並製|本体256頁|2019/3/4刊行

山本貴光

1971年生まれ。文筆家・ゲーム作家。コーエーでのゲーム制作を経てフリーランス。著書に『投壜通信』(本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川浩満との共著、太田出版)、『サイエンス・ブック・トラベル』(編著、河出書房新社)など。翻訳にジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川と共訳、ちくま学芸文庫)、サレン&ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ。ニューゲームズオーダーより再刊予定)など。

吉川浩満

1972年生まれ。文筆家、編集者、配信者。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。晶文社にて編集業にも従事。山本貴光とYouTubeチャンネル「哲学の劇場」を主宰。 著書に『哲学の門前』(紀伊國屋書店)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』(ちくま文庫)、『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)、『人文的、あまりに人文的』(山本貴光との共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(山本との共著、筑摩書房)、『脳がわかれば心がわかるか』(山本との共著、太田出版)、『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)ほか。翻訳に『先史学者プラトン』(山本との共訳、メアリー・セットガスト著、朝日出版社)、『マインド──心の哲学』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、ちくま学芸文庫)など。
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