つながりロシア(9)「帝国」としてのロシアを考える|小泉悠

シェア
初出:2019年8月30日刊行『ゲンロンβ40』
 以下に公開するのは、ロシアによるウクライナ侵攻開始の約2年半前に『ゲンロンβ』に掲載された、小泉悠さんによるキーウ、サンクトペテルブルグ訪問記です。小泉さんは著書『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)刊行後に当地を訪れ、国境を越えて広がる(とロシアは考える)「ロシア的なるもの」を目にします。そうしたロシアと旧ソ連諸国との関係から見えてくる、古くて新しい「地政学」。「ロシアとは一体どこまでなのか」という問いかけは、ウクライナ侵攻を経た現在にあっても、なおアクチュアルではないでしょうか。
 また、本文ではウクライナの首都「キエフ」がロシア語をもとにした表記ですが、初出時の呼称を尊重しそのままとしています。(編集部)

ロシアとはどこまでか


 外国を訪れるという場合、そこには一種のエキゾチックさが想起されよう。

 違う肌の色、違う景色、違う言語、といったものだ。日本と同じアジアの国でさえ、空港を出ればやはりそこは違う国なのだとすぐに体感できる。

 しかし、旧ソ連諸国では必ずしもそうではない。

 筆者はロシア軍事の研究を生業としており、一時期はモスクワで暮らしたこともあるので、ロシアの風景には馴染みがある。だが、今年の6月にウクライナの首都キエフを訪れてみて非常に奇妙な感覚に陥った。街の造作も、道ゆく人々の顔付きも、ロシアで見かけるそれと一見して区別がつかないのである。公用語はウクライナ語だが、街中ではどこでもロシア語が通じるし、地下鉄に乗れば、駅の造りから急角度のエスカレーターまでモスクワのそれと全く変わらない(切符の買い方は少し違うが、これはロシアでも都市によって違う)。ここがモスクワのすぐ隣にある街だと言われても、そう違和感は覚えないだろう。

 もちろん、法的に言えばウクライナは全くの独立国である。いかにロシアに似ていようとも、ウクライナは独自の主権を有しているのであって、ロシアに指図を受ける謂れはない。さらに言えばウクライナには独自の文化と言語が存在し、ロシアと同一視されることには強い反感がある。
 だが、ロシア人の側から見ると、ウクライナが全く別の国になってしまったとは納得しがたいという、また別の素朴な感覚もある。法的な国境線とは無関係に、そこには「ロシア的なるもの」が広がっているようにどうしても見えてしまうのである。

 しかも、旧ソ連諸国の大部分は近代以降、ロシア帝国やソ連の版図に含まれていたのであり、それらが「失われた」と認めるのは、ロシアの人々にとって決して愉快なことではないだろう。

 他方、現在のロシア連邦にはおよそ190の民族が存在し、そこにはシベリア・極東のアジア系民族もいれば、ウラル地方や北カフカス地方を中心としてイスラム教徒も1700万人ほどいる。ロシア的世界が国境の外側に広がっているのに対し、国境内にはかなり広大な非ロシア的世界が存在するのである。

 何故そこはロシアではないのか。何故ここがロシアなのか──ソ連崩壊は、単なる政治体制の崩壊であっただけでなく、こうした「ロシア」の範囲をめぐる混乱を引き起こした。一種のアイデンティティ・クライシスと言っても良いだろう。

 そして、このアイデンティティ・クライシスはロシア的な文脈における「地政学」との結合を生んだ。「ロシア的なるもの」の範囲が現在の境界線と一致していないとすれば、ロシアの地理的範囲とは一体どこまでなのかという問題を避けて通れなくなるためだ。

プーチンの「タイム・マシーン」


 このたび上梓した拙著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、2019年)は、ロシアが旧ソ連諸国に対して繰り返す介入の淵源を、こうした世界観に求めたものである。

 つまり、法的な国境線の外に広大な「ロシア的なるもの」を抱える(と考える)ロシアにとって、旧ソ連諸国はただの外国ではない。そこは外国でありながらロシアの影響力が強く及ぶ特殊な世界、いわゆる勢力圏なのであって、それら諸国がモスクワの意図に反して勝手な振る舞いに及んだり、ましてNATOに加盟するなどして外国の勢力圏に入ってしまうことは受け入れがたいと見なされる。

 したがって、ソ連崩壊後のロシアにとっての「地政学」とは、ハートランド(ユーラシア大陸全体を支配する潜在力を持った中心地域)の支配をめぐって大陸勢力(ランドパワー)と海洋勢力(シーパワー)が激突するといった壮大なものではない。分断された「ロシア的なるもの」を再統合したい、それが叶わないならばせめて他者の手には渡らないようにしたい、という素朴な感情に相当程度まで根ざしたものと見た方がよいだろう。米国のカーター政権で安全保障担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、ロシアにおけるこうしたアイデンティと地政学の癒着を1990年代に早くも見抜き、著書『グランド・チェスボード The Grand Chessboard』(邦訳『地政学で世界を読む』、日経ビジネス文庫、2003年)の中で次のように述べていた。
[前略]ロシアでは[中略]主要国のほとんどでは提起されることすらない疑問をめぐる議論が、公の場でも私的な場でも沸騰している。ロシアとはなにか、ロシアとはどの範囲をさすのか、ロシア人とはなにを意味するのかが議論されているのである。

 この問いは、議論のためのものというにはとどまらない。この問いにどう答えるかで、地政上の政策が変わってくるのだ。ロシアはロシア民族だけからなる民族国家になるべきなのか、それとも、イギリスがイングランドだけではないように、ロシアもロシア民族以外も含めた帝国国家になるべきなのか。ウクライナの独立は一時的な逸脱だとみるべきなのか(そう感じているロシア人が多い)。ロシア人であるためには、ロシア民族(「ルスキイ」)でなければならないのか、それとも、民族のうえではロシア人でなくても、政治的にロシア人であることができるのか。


『「帝国」ロシアの地政学』が刊行されてすぐ、ロシア第2の都市サンクトペテルブルグを訪れた。目抜き通りのネフスキー大通りに面した大型書店ドーム・クニーギ(本の家)を覗いてみると、『グランド・チェスボード』のロシア語版がハードカバーとペーパーバックの双方で刊行されているのが目についた。同書のロシア語版は1998年に出ているが、奥付をめくると、ここに並んでいるのはウクライナ危機後に再版された新装版らしい。

 現代のロシアにおいてブレジンスキーはどのように評価されているのか気になったので、「ロシア版Amazon」と呼ばれる「Ozon.ru」で『グランド・チェスボード』のレビュー欄をざっと読んでみた。
 予想されたことではあるが、ナショナリスティックな反発の言葉が並んでおり、ブレジンスキーを「ロシアの敵」とまで呼ぶ評者もいる。ただ、興味深いことに、『グランド・チェスボード』という書物に対する評価は総じて高い。アメリカの戦略家は流石にロシアのことをよくわかっている、その上で巧妙にロシアの勢力圏切り崩しを仕掛けてきているのだ、という理解である。

 ソ連崩壊後、旧ソ連諸国では民主化運動によって権威主義的な政権が次々と崩壊した。西側社会では歓迎すべき潮流と受け止められたが、ロシアはこれを米国の陰謀と捉える見方が強い。2010年代の「アラブの春」やウクライナにおける2014年の政変では、こうした陰謀論がピークに達し、同年に公表されたロシア政府の軍事政策の指針『軍事ドクトリン』にも盛り込まれることになった★1。ロシア人の陰謀論好きとアメリカ嫌いがウクライナ問題を契機に化学反応を起こしたようにも見える。

 そして、以上のような理解に基づくならば、2014年のウクライナ政変に際して軍事介入を行なったのは、勢力圏を防衛するための自衛戦争であったということになるし、同年3月にプーチン大統領が行なったクリミア半島併合演説はまさにそのようなトーンに彩られていた。

 もちろん、このような振る舞いは国家主権の公然たる侵害であり、決して認められるものではない。しかし、19世紀以前であれば、ロシアの行動はこうも非難されなかったはずである。大国による勢力圏争いは普通のことであり、プーチン大統領(という役職は存在しなかったが)はクリミア半島を失地回復した「名君」とされたに違いない。さらにウクライナ危機の前後、ロシアの民族主義者たちは、エカテリーナ女帝がウクライナを征服した当時の名称「ノヴォロシア」を持ち出し、再びロシアに併合してしまえと息巻いた。

 いうなればプーチン大統領は「旧い男」なのであって、その振る舞いがタイム・マシーンのように時代を巻き戻したような感がある。

「新しい戦争」


 ただし、古風な装いとは裏腹に、ロシアが行なった介入には、古典的な戦争とはかなり異なる部分がある。プロイセン軍人でありながらロシア帝国軍に身を投じてナポレオンと戦った軍事思想家カール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争を「拡大された決闘」と呼んだ。つまり、暴力によって国家間の争いに白黒をつけるのが戦争であるという理解であり、そこには明確な勝敗がある。ことにナポレオンが作り出した「大陸軍(グランド・アルメ)」は、一般市民の徴募によってかつてない規模の巨大軍隊を作り出し、多大な損害にも耐えて敵と雌雄を決するという戦争のスタイルを確立した。今日、「戦争」という言葉がもたらすイメージは、多かれ少なかれこうした武力闘争の形態を下敷きにしていると言ってよいだろう。

 しかし、ウクライナ危機におけるロシアの軍事力行使はこれと大きく異なっていた。特殊部隊の投入や現地住民の扇動によってほぼ無血でクリミア半島を占拠したロシアは、続いてウクライナ南東部のドンバス地方でも紛争を引き起こし、現在に至る低強度紛争が続いている。純軍事的に言えばロシア軍がウクライナ軍を圧倒してドンバス地方を制圧することはそう困難ではないが、ロシアは現在以上に紛争をエスカレートさせるつもりはなく、かといってドンバスから撤退するつもりもないようだ。

 これを軍事戦略の失敗、つまりウクライナの予想外に頑強な抵抗と国際社会の非難によって身動きが取れなくなっていると解釈することは可能である。他方で、上記のようなロシアの勢力圏思想に照らすならば、現在のドンバスをめぐる状況にロシアがメリットを見出している可能性もまた排除できない。ドンバスで紛争が続く限り、ロシアとの直接対決を恐れる西側諸国はウクライナをNATOに加盟させないだろうと期待できるためである。後者の解釈に従うならば、ロシアはドンバスで勝つことも負けることも望んではおらず、低強度の暴力が続くよう加減して軍事的関与を続けているということになろう。
 言い換えるならば、ロシアの軍事力はクラウゼヴィッツ的な「拡大された決闘」だけに備えている訳ではなく、「戦争のための戦争」を作り出し、維持するためにも用いられているように見えるのである。2008年のグルジア戦争後、ロシアがグルジア領の約2割を占めるアブハジアと南オセチアを国家承認して事実上の占領下に置いたことも同様に捉えることができる。

 これとよく似た構図は、NGOに参加してユーゴスラヴィア紛争を実地に経験した国際政治学者メアリー・カルドアによって1990年代に指摘されていた。カルドアによれば、紛争の当事者である軍閥や犯罪集団は戦争に勝つことをそもそも目的としていなかった。戦争が続く限りにおいて、彼らは自分たちの「所領」を維持し、支配者として振る舞うことができるのであって、戦争に負けることはもちろん、勝っても困るのである。カルドアは、このような戦争のあり方をクラウゼヴィッツ的な「古い戦争」と対比して「新しい戦争」と呼んだ。

 カルドアのいう「新しい戦争」は、国家の崩壊によって暴力の国家独占が崩れた結果として出現したものであるが、ロシアがウクライナで展開しているのは、国家の管理下で行なわれる「新しい戦争」であるように思われる。

世界の中心にて


 サンクトペテルブルグに話を戻す。

 いつ訪れても壮麗な街である。ソ連風のぶっきらぼうな風景が目立つモスクワはしばしば「でっかい田舎」と呼ばれるが、サンクトペテルブルグはそうではない。欧州の最後進国であったロシアを「一等国」に押し上げるべく、ロシア帝国が膨大な富と労力を傾けてこの街並みを作り上げたのだ。それゆえにどこか芝居の舞台めいたところがあり、それがまた街並みに一種の高揚感をもたらしているように感じられる。これまでは何故か冬にばかり訪れていたせいか(サンクトペテルブルグの冬はとにかく寒くてキツい)、初夏の気候が余計に新鮮であったのかもしれない。
 圧巻なのはエルミタージュ美術館と旧参謀本部に囲まれた「宮殿広場」で、10年ほど前に初めてこの広場に立った時、筆者は「ここが世界の中心ではないか」という感慨を持った。事実とはまた別に、この広場の主(というのは歴代ロシア皇帝であるが)はそのような主観を持つのではないか、という程度の思いつきである。同じような感慨は、ワシントンD.C.のワシントン記念塔の前でも感じた。

 強大な力を持つ覇権国家の中心に立つ時、世界のその他の部分は「周辺」となり、あるいは自由に差配できるチェスボードのように見えるのではないか。「周辺」の主体性は些細なものに過ぎず、力を握った者だけが世界のありようを決めるかのような錯覚と言ってもよい。

 もう1つ、サンクトペテルブルグの街を歩きながら思ったことは、「ロシア」とはこの街を成り立たせるための装置であるのかもしれないな、ということであった。

 サンクトペテルブルグほど美しい街はロシアのどこを探しても存在しないだろう。筆者が最近訪れたウラジオストク、ハバロフスク、北方領土といった極東地域は、それぞれ貧しさの中でもどうにか街並みに潤いを与えようと努力してはいた。だが、惜しげもなく富をつぎ込まれたサンクトペテルブルグとは比べようもない。街を歩く人たちの小ぎれいな身なりも、洗練された物腰も同様である。

 しかし、サンクトペテルブルグ自身が生み出す富の量を考えれば、むしろ貧しい「周辺」こそが美しい「中心」を養っていることになるはずだ。どこの国にも似たような構造はあろうが、どんな田舎にも舗装道路が通っている日本と比べると、最近まで舗装道路さえ稀だった北方領土ときらびやかな旧帝都との落差は目も眩むほどである。

 これを不公平と捉える考え方は常にロシア人の中にあるが、そもそもロシアが巨大国家でなければならないのは、この壮麗な街を維持するためなのだと考えれば(ことの是非は別として)なんとなく納得が行くのである。とすれば、勢力圏という「周辺」の「中心」に位置するロシアは、その内部にまた「周辺」と「中心」を抱えている入れ子構造の国家であるということになりはしないだろうか。

 以上、『「帝国」ロシアの地政学』刊行後に旅したキエフとサンクトペテルブルグでの雑感を思いつくままにまとめてみた。拙著をお読みいただく上での補助線となれば幸いである。
 

★1 2014年ロシア連邦軍事ドクトリンは以下のURLを参照。URL= http://www.scrf.gov.ru/security/military/document129/

小泉悠

東京大学先端科学技術研究センター専任講師。専門はロシアの軍事・安全保障政策。早稲田大学大学院政治学研究科(修士課程)修了後、民間企業勤務、外務省国際情報統括官組織専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、公益財団法人未来工学研究所研究員などを経て現職。主著に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)、『現代ロシアの軍事戦略』、『ウクライナ戦争』(ともにちくま新書)、『終わらない戦争』(文春新書)などがある。『「帝国」ロシアの地政学』が第41回サントリー学芸賞を受賞。
    コメントを残すにはログインしてください。

    つながりロシア

    ピックアップ

    NEWS