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【ゲンロン11より】「記号の場所」はどこにあるのか?──新記号論から西田幾多郎を読む(前篇)|石田英敬

初出:2020年03月30日刊行『ゲンロンβ47』

 2019年の3月、ゲンロン叢書002として石田英敬+東浩紀『新記号論』が刊行されて早くも1年。同書は刊行直後より増刷を重ね、紀伊國屋じんぶん大賞2020・6位を受賞するなど、多くの読者に好評をもって迎えられました。
 今号では、そんな『新記号論』の刊行1周年を記念し、共著者の石田氏に同書の「その後」を考える原稿をよせていただきました。予定を超えて本格的な論考をいただけたので、全体は『ゲンロン11』に掲載することに(ありがとうございます!)。ここに公開するのはその前半部分です。『新記号論』のパラダイムが西田哲学と切り結ぶ展開はじつにスリリングで、乞うご期待です。(編集部)
※本記事は『ゲンロンβ47』に先行掲載されたものです。『ゲンロン11』掲載の本編とは一部内容が異なります。

 

 去年の秋以来二度ほど渡仏して三ヶ月に渡り講演や講義をフランス各地で行った。それぞれ、思考と計算をめぐる会議だったり、人新世や間-国家(inter-nation)の問題をめぐって、あるいはさらに新しい人文知がテーマだったりと変化に富んだ討議の連続で、『新記号論』で語った内容をヨーロッパの人びとと議論するにはちょうどよい機会だった。

 ヨーロッパに行くと必ずそういう話になるが、あなたのやっているような仕事は東洋や日本の思想的な伝統との関わりではどのような位置にあるのかと問いかけられる。

 記号論はとても西欧的な学問だと思われている。古くはギリシャ哲学まで遡るし、中世のスコラ学にも源流がある。『新記号論』でも述べたように、近世のロック、ライプニッツ以来、二〇世紀のコンピュータにいたるまで、西欧で始まった「普遍記号論」の哲学プロジェクトが継続してきた、というのが私自身の見取り図でもある。

 では、記号の思考のすべては西欧的伝統のなかに収まってしまうのか。いや、そうではなくて、いまや普遍記号論はほんとうに「普遍化」しなければならないというのが『新記号論』で行った問題提起である。新記号論は、漢字も扱えなければいけないし、西欧以外の文字圏・文化圏にまで拡げて記号論を再発明しなければならない、というのが私の主張なのだ。

 では、具体的にそれはどんな問いのかたちをとるのか。

 記号論という学問のプロジェクトは、論理学の革命と結びついている。実体論的な思考から脱却して論理学を意識の経験のボトムまで降ろそうとすることが、二〇世紀の現象学や記号論の深い動機だった。私たちが生活しているのは形而上学が終焉した世界だ。ハイデガーはその形而上学の終わりをサイバネティクスに見ていた。

 記号は、指標・痕跡のレベルから類像のレベルへさらに象徴のレベルへと昇華されて、文化として文法化されていく。文化の文法は、文字や記号の存在をどのように位置づけているのか。あらためて、文化の論理が問われるようになってきた。

 同じ普遍的なデジタルな文字であったとしても、どのような文化の──ということはシンボル(=記号)の──論理回路をとおして世界の場所のなかに書き込まれるのか。そんな問題の見取り図のなかで、私としてはめずらしく、ヨーロッパで語ってみたのが〈西田幾多郎〉という日本の哲学者だ。ハイデガーが『存在と時間』(一九二七年)を書いたころに、「場所」の存在論を言いだした人物。ナチズムとの関わりが問われつづけるハイデガーと同じように、大東亜共栄圏との関わりでは問題含みの思想家でもある。

 これはまだ私にとっては始めたばかりの仕事だ。

 さて、そんな最近の経験をふまえて、この小論では、西田幾多郎のどんなところが気になっているかをとりあげてみよう。私自身、西田哲学を完全にマスターしているとはいいがたいのだが、それでも、新記号論から西田について何か意味のあることがいえるのか。私自身がもっている問題の見取り図を素描してみたい。

「何処までも」


 西田を少しでも読むとだれもが気がつくことがある(不思議なことに、それについての研究は調べたかぎり見あたらないのだが)。

 西田には、特徴的な口癖がある。それは、「何処までも」という副詞的連語表現の多用だ。いたるところに、「何処までも」と出てくる。まるで、この表現が現れる頁には、重要なことが述べられているぞという、文体的マーキング行為(犬のオシッコのような意味で)のようなのだ。

 具体例を示そう(じっさいにはまさに随所に現れるので、挙げるのはほんのかぎられたサンプルだ。傍点は引用者による)。

 

「善の研究」以来、私の目的は、何処までも直接な、最も根本的な立場から物を見、物を考えようと云ふにあった。(『哲学論文集 第三』、『西田幾多郎全集 新版 第八巻』、二五五頁)

思想は何処までも説明のできるものではない、その根柢には説明し得べからざる直覚がある、凡ての証明はこの上に築き上げられるのである。(『善の研究』、『西田幾多郎全集 新版 第一巻』、四四頁)

何処までも主語となって述語とならない基体といふのは、限なき述語の統一でなければならぬ[以下略]。(「内部知覚について」、『働くものから見るものへ』、『西田幾多郎全集 新版 第三巻』、三二七頁)

包摂関係において、特殊が何処までも特殊となって行くといふことは一般が何処までも一般となっていくといふことでなければならぬ。(「場所」、『働くものから見るものへ』、『西田幾多郎全集 新版 第三巻』、四七三頁)

絶対者は何処までも我々の自己を包むものであるのである、何処までも背く我々の自己を、何処までも追ひ、之を包むものである、即ち無限の慈悲であるのである。」(「場所的論理と宗教的世界観」、『西田幾多郎全集 新版 第十巻』、三四四頁)

 

 ついでにいうと、この「何処までも」という表現は感染うつる。三木清のような京都学派の弟子たちは、みなどこまでも病に感染しているようだ。西田研究書のたぐいも、どこまでもの口真似だらけである。試しに読んでみて欲しい。

 なぜそうなるかというと、どこまでもは、どこまでもとしかいいようがないからだろう。無限に漸近的な──あるいは無限級数的に増殖的なというべきか──表現なのだ。そこには、後述するような場所の問題が絡んでいると思われる。同時に、それは、これまた後述する述語性を際だたせる働きをしている。

 「AはAである。」という一見、自同律と見える命題(たとえば、「西田幾多郎は西田幾多郎である。」)も、どこまでもを加えると、不思議なことに、主語「A」は、「どこまでもA(である)」という述語表現に言語遂行的に包摂されて述語化されてしまう。Aは、意味論的に〈A的なもの〉となり、西田幾多郎は〈どこまでも西田幾多郎的な〉西田と化す。そのように、どこまでもは、場所の問題系を導入すると同時に、基体(これについては後述)に決して行き着くことのない、限りなく漸近的な──つまり、それが「何処までも」ということだが──述語化の論理を加速させる文体ツールなのである。

「純粋経験」


 よく知られているように、西田のデビューは、一九一一年の『善の研究』で、「未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している」認識のゼロ度から出発したのだった★1。参禅によって体得していた瞑想の経験と、ジェイムズの「純粋経験」やベルクソンの「純粋持続」の意識の流れの問題を重ね合わせることから彼の哲学は出発した。

 どうして、記号論者の私が西田に興味をもつかというと、二〇世紀の記号論にとっても主—客の成立以前の意識や時間をいかに記述するのかがやはり出発点だからである。これは『新記号論』で、「書き込み体制1900」と呼んだ問題だ。二〇世紀の新しい学は一九〇〇年ごろに軒並みそこを出発点として開始された。

 じっさい西田には、ヴントやフェヒナーも出てくるしマッハも出てくる。和服に身を包んだ肖像写真が多いからといって一九世紀の爺さんというわけではなくて、とても現代的な二〇世紀の思想家なのだということを忘れてはならない。

 西田がとりあえずの概念的足場を、ジェイムズの「意識の流れ」に求めたことも、記号論者にとっては興味深い。パースの記号論はジェイムズの根本的経験論と隣接関係にあるのだ。

 『新記号論』では、「〈記号〉接地問題」(Sign grounding problem)に関する箇所で少し詳しく説明したが、パースの記号論の枠組みで整理すれば、意識の純粋経験や直接経験が問われるのは、記号が実世界の経験に接地する記号のボトムの部分だ[図1参照]。パースはその部分の研究を独自に「現象学」と名付けている。フッサールの現象学とも重なる、すぐれて一九〇〇年的な問題系がそこに拡がっていたのだ。

【図1】パースにおいて「記号のピラミッド」の底辺は「基底 ground」と呼ばれ、第一次性の記号である「質」(クオリア)が記号のボトムの経験である。従来の論理学は「象徴」にあたる言葉から成り立っていたが、パースは「類像」や「指標」もまた「述定 predication」の作用をすると考える(これが、論理が記号の底辺まで降りてくることを示す右辺のベクトルの意味である)
パースの「記号過程 semiosis」は必ずしも一次性(類像)・二次性(指標)・三次性(象徴)と上昇するとは限らないが、感覚質から論理いいたるまでのすべてを記号ととらえるボトムアップの認識を示すために左辺では述定とは逆方向のベクトルで記号過程を示した。私の記号のピラミッドにおける類像と指標との関係については、「純粋類像」と「低次類像」の区別とともに、『新記号論』の第三講義での説明を見ていただきたい(石田)

 初期の西田では、そこはとりあえず「純粋経験」の問題として捉えられている。(彼のいう「意識の立場」)。しかし、彼のいう「純粋経験」や「直接経験」(西田は二つの語を併用している)には、すでに「一般的なる者」──のちの西田の用語では「一般者」──による媒介の問題が介在している。そこから西田哲学は論理学や弁証法の問題へとつながっていくようになったのである。

 他方、パースの記号論は原理的に直観をみとめない。直接経験や純粋経験であっても、パースにとって人間の経験はつねにすでに記号によって媒介されたプロセスなのである。そして、この立場から論理学の変革と拡張の計画へとつながっている。つまり、「記号のピラミッド」(図1) で示したような、「指標 index」・「類像 icon」・「象徴 symbol」といった記号を成立させる記号のカテゴリー(記号のカテゴリーについては次節を参照)に読み込まれることになるのである。

パースの記号論


 さて、そこで、パースと西田とのあいだに興味深い対比を引き出せそうだと思ったことがある。

 パースの記号論の計画は、人間の認識を記号に媒介された「述定 predication」と考えるところから出発した。伝統的な論理学にいう「主語 subject–繋辞 copula–述語 predicate」の命題形式を、彼がセミオーシス(「記号過程 semiosis」、以下ではそのままカタカナで「セミオーシス」を使う)と呼ぶ記号処理のプロセスとしてモデル化することが最初の計画だった。パースは若いころからカントの純粋理性批判を丸暗記していて、カントの「カテゴリー表」と「判断表」を組み替えて、認識はいかに「感覚印象の多様」を統合して「判断」として成立するものなのかを再定義しようとした★2

 パースが、二七歳で発表した認識判断の成立を説明する「新カテゴリー表」は、五つのカテゴリーからなるつぎのようなものだった。

 BEING–存在
 QUALITY–質 (REFERENCE TO A GROUND 基底との関わり),
 RELATION–関係 (REFERENCE TO A CORRELATE 相関項との関わり),
 REPRESENTATION–表意 (REFERENCE TO AN INTERPRETANT 解釈項との関わり),
 SUBSTANCE–基体

 このカテゴリー表は、命題文「主語+繋辞+述語」の論理構造を書き直したものである。「基体 Substance」というのは、命題では「主語」にあたる認識判断の対象Xのことだ。「存在 Being」というのは、命題では「繋辞 copula」(英語ならisにあたる主語と述語を結びつける連結語)がその働きをしている。「存在 Being」のカテゴリーが立てられているのは、「ⅩはYである X is Y」というように繋辞 isが主語と述語を結びつけることで存在判断が成立するからだ。中間の三つの項(「質」・「関係」・「表意」)は、基体に対して「偶有性 accidents」であり、命題でいえば「述語 predicates」にあたる。そこがパースによるカテゴリー分類を受ける「記号 Signs」の働きだ。対象Ⅹの存在を判断するとき、「性質 Quality」において捉える述定もあれば、「関係 Relation」において捉える述定もあり、「表意 Representation」(一般的に「表意」と訳すが意味のこと)において捉える述定もあるだろう。論理学の命題との対応を示せばだいたい以上のようになる。

 パースは、人間の心のなかではつねに記号による推論がある種の演算のように働いていて、論理学が命題で示すような判断が刻々と行われているのだと考える。

 心の記号は「性質」を表す場合もあれば、「関係」を表す場合もあり、「意味」を表す場合もある。たとえば、「赤い」という「性質」を表す記号は、(言葉で表される以前の純粋な経験としての)「赤さ」という絶対的感覚質(クオリア)を「基底 Ground」にしている(一次性の記号)。あるいは緑と区別されるものとしての赤の経験は──「相関項」である緑との──「関係」で成立する(二次性の記号)。そして色彩のセットとしての色という概念をすでに持っていて、そこから赤を理解するとすれば、「解釈項」としての赤色という概念との関わりにもとづく「表意」すなわち三次性の記号だ★3

 このように論理学の問題を記号のカテゴリー分類に書き換えて、論理学を記号論として扱い、究極的には論理学を記号論に呑み込んでしまうことが、パースが計画していた記号論プロジェクトだった。ドイツの哲学者カール・オットー・アーペルはパースを「アメリカのカント」と呼んで、彼の「超越論的記号論」をカントの「超越論的論理学」を組み替える企てとして位置づけた★4

 いま紹介した記号分類と同じころ、パースはブールの論理計算の仕事を発展させ、「存在グラフ」や量化子を考案して独自に記号論理学を発明してもいる。0と1で書く論理回路の発案者もじつはパースである。パースの記号論はなかなかわかりにくいものだが、『新記号論』の「記号のピラミッド」でも示したように、現代のメディアの記号作用を整理したり、脳の推論モデルを考えたりする場合に多くの手がかりを与えてくれるものなのだ。

「述語の論理」


 他方、西田はどうか。

 純粋経験や直接経験という「意識の立場」──現象学的な立場──から出発した西田だったが、独自の道筋をへてやはり論理学の問題に取り組むようになった。パースがいわばチェスの手を指すように、数学者的に、これは一次性、それは二次性、そしてつぎは三次性というように、カテゴリー分類から攻めていくのに対して、西田はあくまで直観主義者で、うーんと腕組みしてつぎなる手はこれじゃ、と囲碁か将棋のように、かなり熟考しながら直観で詰めていくように振る舞う(自分の思索は「悪戦苦闘のドキュメント」と『自覚における直観と反省』の序文で書いているように)。

 そして「場所の論理」の発明が、西田哲学と呼ばれるようになった独創的な哲学を生み出す決定的な転機となった。自分は一見「心理主義」ともいえる「意識の立場」から出発したが、つぎに「絶対意志」の立場へと向かい、「ギリシャ哲学を介し、一転して「場所」の考えに至った。そこに私は私の考えを「論理化」する端緒を得た」(「版を新たにするに当たって」、『善の研究』、『西田幾多郎全集 新版 第一巻』、三頁)と回顧している。

 西田といえば「場所の論理」というぐらい有名な話なのだが、西田をまったく読んだことのないヨーロッパ人にこれを説明しようとするとたいへんむずかしい。

 「場所」のアイデアが生み出された道筋は、パースの記号論と似ている。西田もまた「述語」に注目して、「純粋意識」の現象学的な問題を「判断」形式という論理学的な問題へと書き換えたのである。

 そこでも、やはり、命題文の「主語+繋辞+述語」の書き換えが行われた。

 西田のオペレーションは、私が理解したかぎりでは、三重になっている。1 主語・述語の論理的シンタクスの逆転(これを「述語の論理」という) 2 特殊と一般の再解釈(「一般者の自己限定」という考え方) 3 基体と繋辞の独特な存在論(ここが「場所の論理」)。おそらくこんなふうに整理できるのではないかと思う。

 西田が注目したのは、「一般者」──一般概念といえばわかりやすい──としての述語が、「特殊」としての主語を「包む」という論理的包摂関係である。たとえば、「ソクラテスは人間である」という命題では、主語としての個物(「ソクラテス」)は、述語に表示される一般者(「人間」)に論理的に包摂される。これは集合論で考えればすぐわかる。個物である〈ソクラテス〉は、一般者〈人間〉のメンバーだ。主語よりも述語の方が概念の一般性において広いのである。この観点からいえば、述定とは、個物の特殊を概念の一般のなかに包んでゆくプロセスということになる。「包む」というときに西田においてはかなり具体的に位相的にイメージしていると思われる。個物を風呂敷に包むように包むのである(ただし、これは西田にかぎらない。ライプニッツにおいても「包摂する、包む envelopper」はかなり具体的だ)。

 同時に述定は、パースのカテゴリー論が示しているように、ある観点から個物(基体)を定義づける──限定する──ことであるわけだから、述語の部分はパースの「質」や「関係」や「表意」といった記号カテゴリー分類の問題系と関係していると考えることもできる。ただし西田は限定を、個物に対して一般概念を適用することだとは考えない。概念(これを「一般者」と彼は呼ぶ)が自己省察することで特殊の認識が成立すると考える。そのように認識作用を「一般者の自己限定」と再帰的に捉えるところが西田的観念論で、このとき「自己限定」とは認識論的な問題であるだけでなく、一般者が「具体的一般者」(これについては後述)となる存在論的な問題を伴うところが肝だろう。

 認識対象をある観点から知覚して認識する行為(それを「直覚」と西田はいう)は、個体についてある観点から「これは〜だ」と述定することである。だから、そのような意識の働きを述語のカテゴリーで受けとめたところまでは、したがって西田とパースとに平行関係を見てとることができる。意識とは述語だと西田は書いている。

 

「判断の立場から意識を定義するならば、何処までも述語となって主語とならないものと云ふことができる。意識の範疇は述語性にあるのである。」(「場所」、『西田幾多郎全集 新版 第三巻』、四六九頁)

 

 意識とは述語だ、どこまでも続くノエシスの連続的なプロセスだ、そう考えるわけである★5。これが「超越的述語面」という考え方に結びついていく。他方で、主語の方はというと、アリストテレスの形而上学の「基体 ヒュポケメイノン ὑποκείμενον」に西田は大きなヒントを見いだす。これが、上記に引用した、「何処までも主語となって述語とならない基体」である。そして、その基体は、「限なき述語の統一となるのでなければならぬ」と述べている。

 どういうことだろうか。意識はどこまでも「限な」く「述語」をつくりつづけるのだが、その「統一」は、「基体」が「何処までも主語となる」ことによって、漸近的に到達されるものというわけである。こちらは、「超越的主語面」と呼んでいる。ここもじつはパースの記号論を知るものにとっては、無限のセミオーシス(意識はどこまでも記号をつくりつづけて推論をやめない)と「力動的対象」(セミオーシスの初発に前提されるが、無限のセミオーシスをとおしてしか到達できない対象)というテーマでパースが追求した問題との平行関係を読めるところだ。

 以上のように西田とパースをつき合わせてみたとき、私たちはどのような問題布置のなかに立つようになるだろうか。

 まず、意識は流れつづけ、どこまでも述語が生み出されていくと考えてみよう。例えば、主語「ソクラテス」について、「ソクラテスは古代ギリシャの哲学者」という命題から、「哲学者」、「学者」、「人間」、「動物」、「生物」とオントロジーを上位の一般概念へと上がっていく述語の論理階層の連鎖を引き出すことができるだろう。これはさきほど見た西田の包摂の論理でいうとあらゆる存在者を内包する一般者へと階層を昇っていくことを意味している。

 しかし、意識の流れは、必ずしも上位概念へとツリーを上がっていくとはかぎらず、パースのセミオーシスは複雑な連想関係がネットワーク状に拡がる可能性を示唆している。そういう「述語」の問題をなぜ新しい記号論が考えなければならないかというと、私たちが日常行っている検索行為も同じように、連想にしたがって世界をネットワーク状に述語化しているし、しかも私たちのメディア生活における「述語」はいつも言葉と文字でなりたっているとはかぎらず、絵であったり、図であったり、写真であったり、テレビ映像であったり、ウェブページであったり、音像や音響であったりするからだ。

 他方、「基体」としてのソクラテスについていえば、古代ギリシャ+哲学者+市民+プラトンの師+毒を飲んで死んだ+「国家」の登場人物+哲学史の重要人物+弁論術、等々、と分析哲学におなじみの確定記述の問題へと発展する。「基体」(ソクラテス)は、どこまでも主語となって述語とならない固有名にとどまりつづける。これまた決して抽象的な形而上学の問題ではない。私たちの現代の記号生活もまた、個物のレベル、つまり厳密な意味での実世界に辿り着くことはないといえる。「これ」と指さすことしかできない、現実の個物の「これ性 haecceity」とパースなら呼ぶ問題を西田の「基体」は提起しているわけである。
 そして、どこまでも述語となって主語とならぬもの(意識と記号の流れ)と、どこまでも主語となって述語とならぬもの(現実界)が、それぞれ超越的述語面と超越的主語面を付き合わせて命題を構成するとすれば、それこそ、私たちの新しい記号論にとっては、記号プロセスと実世界との界面(インタフェース)に関わる問題である。この問題を『新記号論』では「記号のピラミッド」の底辺の問題として提示したことを思い出していただきたい。

「場所」


 さてそこで「場所」の問題である。西田を読むともうひとつ面白いことがある。それは「自覚」とか「自己限定」とかいう用語だ。たとえば、これまで見てきたように、命題において主語と述語により、一般と特殊とが結びつくことを、「一般者の自己限定」という用語で表す。これは私が西田および日本の明治大正期の哲学に昏いからかもしれないのだが、彼の「一般者」という言葉の使い方も、本来はコンセプチュアルな問題だろうに、なんだか、それが人であるような人称性を感じてしまう。そこが、ヘーゲル的というか一九世紀観念論的な古めかしさなのだと思うのだが、現代の言葉で語れば、西田の「自覚」とは self awareness のこと、「自己限定」とはシステムの self representation あるいは再帰性のことだろう。

 あなたの概念の一般性のシステムはあなたの特殊においてしか定義できない。「一般者の自己限定」とはそのようなシステムの問題なのだ。そして、そのシステムの再帰性は無限である。あなたの認識の一般性はあなたの自己がどこまでも特殊であることによってのみ保証され、どこまでも一般性を拡げていくことができる。

 そこで、あらゆる西田論が引用するジョサイア・ロイスの英国地図の話を私も引用しなければならない。

 

[……]自己が自己を反省するといふこと、即ち自己が自己を写すといふことは、単にそれまでのことではなくして、此中に無限なる統一的発展の意義を蔵して居るのである。ロイスの云ふ様に、自己の中に自己を写すといふ一つの企図から、無限の系列を発展せねばならぬのである。例えば英国に於いて完全なる地図を写すことを企図すると考えて見よ。或一枚の地図を写し得たといふことが、既に更に完全なる地図を写すべき新たなる企図を生じてくる、斯くして無限に進み行かねばならぬことは尚両明鏡の間にある物影が無限に其影を映して行くのと一般である(ROYCE, THE WORLD AND THE INDIVIDUAL. FIRST SERIES, SUPPLEMENTARY ESSAY)。(「序」、『自覺に於ける直觀と反省』、『西田幾多郎全集 第二巻』旧版、一六頁)

 

 英国のなかにいて英国の地図を完全に描くためには今描いている地図をも描き込んだもう一枚の地図を描かねばならず、さらに次にはその地図を描き込んだもう一枚の地図も、さらにその次の地図に……と無限に地図の系列をどこまでも描きつづけねばならなくなるわけだ(縮尺を大きくして前の地図より大きい地図を描くのか、それとも縮尺を小さくしてより小さい地図を描いていくのか、いずれにしても、地図は無限に増殖しつづけることになるだろう。ただし、地図を大きくして描いていくと最後には英国よりも大きな地図になっていくかもしれないというボルヘスの地図的な問題に発展する。地図を小さくしていけばナノテクやフラクタルの世界に迷い込むことになろう)。この循環が起こるのは英国において英国の地図を描く場合のみである★6

 判断を「一般者の自己限定」として捉えれば、認識もまた同じような反省の無限進行のなかに自らを書き込みつつ進み行かねばならなくなる。一般者の自己限定として自己を限定する一般者の自己限定……という反省の連続が行手にも背後にも無限に続いていく。このように認識がそこにおいて生成する場所──デリダなら差延différanceとか間espacementとかいう原-痕跡でそこをマークし始めるであろうか?──と決して切り離しえない一般者を「具体的一般者」という。「超越的述語面」と「超越的主語面」との界面にあって、あなたの認識は「両明鏡の間にある物影が無限に其影を映して行く」ごとく進み行くというわけである★7

 あなたのモバイルは、あなたが特殊であることによってネットの「具体的一般者」のシステムにつながっている。あなたがどこまでも局所的な特殊でありつづけることで、ネットは具体的一般者のシステムをどこまでも拡大しつづけている。西田にモバイル・デバイスをもたせるとそんなふうになるわけだ。

 そして、このように理解すれば、認識には必ず場所の問題系がつきまとうということにならないわけにはいかないのだ(西田の「場所」については後段でまた戻ってくる)。

「繋辞の代補」


 命題 S+P が定立されるときには、必ず場所の問題が伴っている。命題(proposition 目の前に置く)やテーゼ(thesis 下に置く)という論理学用語自体が示すように、論理の成立には本来的に場所の問題がつきまとう。それ自体は論理の洋の東西を問わない。言語学的見地からいっても、文が生まれるということは参照作用(reference)が成立することであり、そのとき必ず参照する場所も生まれる。そこにレトリックのトポスの由来がある★8。それだけであれば、とくに西田の場所の思想に独創性があるとはいえないだろう。では、なぜ西田の場所がかくも注目を浴びるのか。

 私は、20世紀の始まりにハイデガーとは別様に「存在の問い」を立てたからだ、と思う。それは上記の整理の3「基体と繋辞の独特な存在論」に関わっている。

 すでに西田の述語の論理については、中村雄二郎を始めとして、日本語の文構造や時枝誠記の文法のいう詞辞構造などとの関わりが論じられてきた★9

 私がここで指摘したいのは、近代日本の哲学における「繋辞 copula」と「存在動詞」の問題である。近代日本語が、「我が輩は猫である」(一九〇五年)という述定を表現できるようになるためには、言文一致が近代の文章語を生み出す必要があった。「我が輩(S)+は(繋辞1)+猫(P)である(繋辞2)」という命題形式がそこではじめて可能になり、「Xは、Yである」という主語Xの明示的メンションと、繋辞に対応する係り結び表現「は、である」がセットで生まれた。

 この「は、である」は、英語でいえば繋辞be動詞三人称単数「is」の代わりに、日本語に欠けているその存在を補うために、つまり代補するために、発明されたものだ。だから、この問題を私は、日本の哲学(それはそもそも近代日本語にはじめて成立した言説ジャンルだ)における「繋辞の代補 (仏supplément de copule/ 英supplement of copula)」の問題と呼ぼうと思う。

 どこかで聞いた表現だと思われるかもしれないが、その通り。ジャック・デリダの『哲学の余白』(一九七二年)に「繋辞の代補 言語学を前にした哲学」と題された言語学者バンヴェニストのアリストテレス論を批判した論考が収められている。

 バンヴェニストはその論考で、アリストテレスのカテゴリー論がギリシャ語の文法カテゴリーと密接に関係しているという指摘を中心として、アリストテレスの存在論を言語のカテゴリーから説明しようとした。それに対してデリダが彼一流のやり方で批判を加えたのが件の論文なのだが★10、そこで問われているのがまさに「繋辞」と「存在動詞」の問題なのだ。この論争について論じ始めると膨大な頁を要するのでこれにとどめるが、アリストテレスの命題の論理学に始まる西欧形而上学における「繋辞」と「存在動詞」の一致の問題に対して、近代日本が生み出した「哲学」はどのような応答を返したのか。そこに西田の「場所」問題は絡んでいるというのが、私の見立てなのだ。

 「我が輩は猫である」
 「ソクラテスは人間である」

 これらの命題文において、「は」は主語を提示し、「である」は述語を主語に結びつけている。この「は、〜である」の係り結びが「繋辞の代補」である。アリストテレス以来の西欧の哲学・論理学においては、主語と述語を結ぶ「繋辞」は、英語のbe動詞にあたる存在動詞(einai, esse, sein, être)が担ってきた。ところが、近代日本語が発明した「繋辞の代補」である「は、〜である」の係り結び表現セットはどのような哲学的問題を提起するだろうか。

 言語学的にいえば、「は」は、日本語文法ではtopic markerと呼ばれて、話題(〜について)を提示する助詞。「である」についていえば、言文一致が現代語として生み出したのは一九世紀末で、断定の助動詞「だ」と補助動詞「ある」の組み合わせと説明されるが、その歴史はじつは複雑で興味深く、断定の助動詞「だ」の語源は「にてあり」で、さらに遡れば、場所・時間を表す格助詞「で」と動詞「有る」の組み合わせということになる★11。要約すると、topic markerの助詞「は」、場所・時間を表す格助詞「で」、存在動詞「有る」のセットで係り結びをつくり、英語ではbe動詞の三人称isにあたる繋辞の代補を生み出したということなのだ。

 言語のカテゴリーからいえば、すでにここには、トポス、場面、存在、論理的包摂といった、存在をめぐる「哲学」の問題系が係り結び表現としてセットされていたといえるのではなかろうか。言い換えれば、場所的存在論の問いの可能性の条件がここにはすでにセットされていたといえるのではないだろうか。これが、私が近代日本の哲学における「繋辞の代補」と呼びたい問題系なのだ。

 この辺りで本エッセイも佳境に入ってきた感がある。第二部では、存在動詞の問題から、無の場所へ、有と無をめぐるハイデガーと西田の問いの対照関係を論じ、現代メディアにおける「記号の場所」の問題へと至る予定だ。その第二部は、この第一部と合わせて『ゲンロン11』にて掲載の予定。どうかぜひ皆様お楽しみに。

★1 『善の研究』、『西田幾多郎全集 新版 第一巻 善の研究 思索と体験』、岩波書店、二〇〇三年、九頁。
★2 Peirce, C. S. (1867). “On a New List of Categolies.” Writings of Charles S. Peirce Volume 2. Indiana, Indiana University Press, 1984, pp. 54-55.
★3 これに対応する議論は西田にも見つかる。「哲学概論」、『西田幾多郎全集 第十五巻 講義』(旧版)、岩波書店、 一九八九年、一八〇頁。
★4 Apel, Karl-Otto. Towards a Transcendental Semiotics: Selected Essays. New Jersey, Humanities Press, 1994.
★5 西田は中期の『一般者の自覚的限定』等以降、フッサールのノエマ・ノエシスの区別を用語として採用し、意識の作用面をノエシス、内容面をノエマと呼ぶようになった。
★6 ロイスの英国の地図はデデキントの無限論を参照したものなのだが、この問題に焦点を当てた思想家としてパースに言及している。他方、パースもまたロイスに言及して自己意識の解釈作用の無限を論じているが、この地図の例は自分のオリジナルでもロイスのオリジナルでもないが、自分は三〇年も前にこの例を使って論じたことがあると述べている。Peirce, C. P. Pragmatism as a principle and method of right thinking: The 1903 Harvard Lectures on Pragmatism. Albany, State University of New York Press 1997, p. 169.
★7 このあたりは永井均『西田幾多郎──言語、貨幣、時計の成立の謎へ』(二〇一八年)がよく説明している。
★8 文(sentence)の定義は結構難しい。私としては、言語記号の集まりが、文法にかなったシンタクス(例えば「主語+述語」)を構成して、叙述や断言や否定や命令や問いなどの言語行為を実現することと定義しておこう。このとき、ことばと世界との関係づけが生まれる。これが参照作用で参照先はコンテキストと呼ばれることもある。レトリック(修辞学)のいうトポスはギリシャ語で場所という意味だが、弁論が扱うべき共通の話題の拠り所という意味である。
★9 中村雄二郎『西田幾多郎 Ⅰ』(岩波現代文庫、二〇〇一年。初出は『西田幾多郎』一九八三年)が、おそらくはじめて西田の哲学と時枝誠記の文法との類似性を指摘した。時枝誠記の言語過程説の構文論では、文の構成要素を詞(名詞・動詞・形容詞に相当)と辞(助詞・助動詞に相当)に二分。陳述を辞が担うことによって詞を包む入れ子型構造から文の構造を説明した。時枝誠記『国語学原論 言語過程説の成立とその展開』(一九四一年)を参照。
★10 ただし、デリダが批判するバンヴェニストの論文には繊細で複雑な文献学的考察が込められていて一筋縄ではいかないことは、たとえば、近年國分功一郎が彼の興味深いステキな本『中動態の世界──意志と責任の考古学』(二〇一七年)で読み解いたところであるのだが。
★11 『日本国語大辞典』(小学館)の「である」の項によれば、「である」は連語で、「断定の助動詞「だ」の連用形に補助動詞「ある」の付いたもの」。小説の言文一致体「である」調の完成が尾崎紅葉『多情多恨』(一八九七年)とする。「現代語の『である』の発生については、中世にあった『である』が、中世末期に『だ・ぢ(じ)ゃ』と音転化して多用され、それに従って終止形『である』は、近世初頭に消失した」という。「近世末期に、成立の背景が異なる『である』(オランダ語 zijn の直訳語アルと補格語デとの結合)が長崎通詞によって蘭学書の訳文に用いられ、これが現代語『である』の起源になったという説(山本正秀)」が挙げられている。ここにいうオランダ語の zijn はドイツ語のseinに当たるので興味深い。他方、助動詞「だ」について同辞典の「だ」の項では、「『にてあり』から出た『である』が、『であ』を経て『だ』と変化したもの」としている。格助「で」について、同辞典の「で」の項は「格助詞『にて』の音変化」とし「動作・作用の行われる場所・場面を表す」としている。「ある」について、同辞典は自動詞ラ変「ある【有・在】」の項で、「物事や生物などの存在が認められる。」とする。日本語の歴史において「である」は二度生まれたということであろうか。

ゲンロン、次の10年へ

『ゲンロン11』
安藤礼二/イ・アレックス・テックァン/石田英敬/伊藤剛/海猫沢めろん/大井昌和/大森望/大山顕/小川哲/琴柱遥/さやわか/武富健治/辻田真佐憲/中島隆博/速水健朗/ユク・ホイ/本田晃子/巻上公一/松山洋平/安彦良和/山本直樹/柳美里/プラープダー・ユン/東浩紀/上田洋子/福冨渉 著
東浩紀 編

¥2,750|A5判・並製|本体424頁|2020/9/23刊行

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1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。

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