当事者から共事者へ(6) 共事と哲学|小松理虔

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初出:2020年07月17日刊行『ゲンロンβ51』


 連載も6回目である。以前連載されていた「浜通り通信」とは違い、この連載は「共事」というテーマを決めているため、毎回書き上げるのに苦労している。「浜通り通信」は、自分の暮らしの中で見聞きしたものがそのままネタになった。国道6号線をドライブすれば書けそうなネタはいくつも見つかったし、とにもかくにも震災や原発事故、そしてタイトル通り「浜通り」のことを書けばある程度形になった。けれど、この連載はわけが違う。2カ月に1回という頻度に毎回助けられているところだ。

 さて、今回はまず、これまでの文章を少し振り返ってみたい。「共事」というテーマは共通しているが、あるときは福祉、あるときは演劇と、書く内容が毎回大きく異なり、このあたりで振り返っておかないと自分自身の考えを大局的に捉えることが難しくなると感じたからだ。第1回でも書いたように、「共事」という言葉は、ぼくが勝手に閃いただけの言葉であり、そこになんらかの学術的な裏付けがあるわけではない。それがいったい何を指す言葉なのか、どのような論を展開することができるのか、実社会で起きていることとどのようにリンクできるのか、書いてみないとわからないところがある。その思考のプロセスを開示することもまた「共事」だと開き直り、毎度愚考を書き連ねている次第だ。今後もまたしばらくお付き合いいただきたい。

 


 連載の第1回第3回では、ぼくが昨年度1年間関わった、浜松市のNPO法人クリエイティブサポートレッツが展開する障害福祉の事業について紹介した。1年間の関わりを通じて、ぼくは、専門的な知識がなくても、個人の関心や興味を通じて目の前の利用者と一緒に「いい時間」を過ごすことができると知った。レッツの支援は、「支援する/される」という関係をしばしば逸脱する。支援者は自分の興味や関心を役立てることができ、スタッフもそれに応じて様々な状況を面白がる。そうしたふまじめにも見える日々の活動を通じて、「利用者のため」だけではなく、自分自身も一緒にいることを楽しんでしまうのである。「支援する/される」が揺らいでしまうことこそ、レッツの支援の醍醐味だろう。

 第2回では、昨年の台風19号による水害や、ぼくの関わるいわき市のメディア「いごく」の実践をヒントに、いかにして関わりのハードルを下げるか、いかにして下げたハードルを通じて関わった人たちを許容するかについて考えた。直接的、専門的、当事者的な関わりだけでなく、わずかでふまじめな関わりを許容することが共事のポイントだ。社会的な正しさを根拠にした「◯◯でなければならない」と関わり方を限定するのではなく、「◯◯でもいい」と許容していくことで、1の関わりが生まれたことをポジティブに捉えることができる。そしてそれが、次なる共事者を生み出すことにつながる。そんなことを書いた。

 第4回では、北茨城市の旧炭鉱町を訪ねたときの紀行文を寄稿した。3月。福島から離れて過ごしたいと思って訪ねた北茨城だったが、当地から離れたことで、福島の復興の現状に別の角度から光を当てることにつながった。現場でゼロ距離で事に当たるのではなく、むしろ遠くに迂回して考えることを通じて事を共にする。そこで生まれる豊かな思考について、ぼくの母の記憶とともに伝えた。そのまち歩きは、結果として「記憶とともに歩くこと」の発見につながった。そして前回の第5回の記事では柳美里さんの『町の形見』を材料に、まち歩きと演劇、フィクション、共事について雑多に考えた。目の前で演じられる悲劇に、ぼくたちは共事することしかできない。けれど、共事することしかできないフィクションだからこそ、悲しい事実は単なるもっともらしさを離れ、真実としか言えない力を与えられて、そこに共事した人たちに手渡されていくのだ。

 


 直接的に事に当たることができないから、ぼくたちは事を共にすることしかできない。だから共事者は、専門家や当事者からみれば、わずかな関わりしか生み出さないように見えるだろう。そこに一緒にいるとか、一緒に考えるとか、まちを歩いてみるとか、自分の関心や興味に引きつけて面白がってみるとか、できるのは、せいぜいその程度のことだ。直接的に課題を解決するわけではない。自分勝手のようにも見えるだろう。けれども共事者は、むしろ真剣に、当事者とは別の方法で、興味や関心があるからこそ、そこに一緒にいて、思考を巡らせ、その状況を楽しんでいるとも言える。レッツの活動を例に取るならば、そういうあやふやな関わりの中に、一方的に「支援する」のでも「支援される」のでもない揺らぎが生まれ、「ナントカ障害者」というレッテルの外部にある「その人らしさ」が見つかるのかもしれない。

 


 今回考えたいのは、一緒にいる、考える、想像する、まちを歩く、といった行為そのものについてだ。当事する能力も技術もないからこそ、ぼくたちにはそうすることしかできないわけだけれど、支援のプロであるレッツのスタッフは、当事者でありながら、積極的に、そうした共事的な支援を取り入れているように見える。そこで今一度、レッツの支援を振り返りながら、一緒にいる、共に考える、想像するという行為に、いったいどんな意味があるのかを考えてみたい。

 そのうえで大きなヒントになりそうなのが、國分功一郎さんの著作『中動態の世界――意志と責任の考古学』である。大変話題になった本である。同書を読んだ読者も多いことだろう。ぼくは哲学や思想の専門家ではないから、これから書く解釈が正しいのかはわからない。けれど、当事者の理論の外で自由気ままに思考を巡らすことができるのが共事者の「特権」だ。蛮勇を承知で、今回は中動態をヒントに「事を共にすること」を考えてみたい。

レッツの「中動態的支援」


 中動態について考えるまえに、クリエイティブサポートレッツについて振り返ろう。レッツは、静岡県浜松市で重度の知的障害や精神障害のある人たちが日中の時間を過ごすサービス事業所を運営している。そのひとつ「たけし文化センター連尺町」では、アートや音楽などの表現活動を積極的に取り入れ、利用者がいたいようにいられる場づくりを続けている。レッツの活動の根底にあるのが「表現未満、」という考え方だ。健常者の目線から見れば「迷惑行為」に思えてしまうようなことを、その人の大切な表現として守ろう、面白がってみようというもので、実際にレッツを訪れてみると、ある人は1日中歌を歌ったり、紙をちぎっていたり、小屋を作ったりしている。特別なカリキュラムや教育プログラム、生産活動などは行わない。あくまでその人がいたいように、自分らしくいられるよう支援している。

 自由な利用者に対してスタッフが何を支援するのかというと、危険な状況にならないよう注意を払いながら、その人の表現を守り、その人がいたいようにいるのを支えるのである。と言っても、利用者の多くは言葉を話すことができず、意志を伝えることができない。だからスタッフはあらゆる知恵を絞りながら、利用者のやりたいことを探り出し、想像しながら、そこにいることを支えている。

 


 レッツの活動に参画したぼくがこの1年間で経験したことも、まさに「いたいようにいる」だった。利用者がいたいようにいられる空間はそのまま、外から来るぼくのような観光客もいたいようにいられる空間だったわけだ。これをやって欲しい、という指示もなく、ぼくのような部外者でも排除されることなく、基本的に、ぼくが関わりたいように関わらせてくれる。散歩するだけでも、一緒に音楽を聞くだけでも、遊んでも歌を歌ってもいい、一緒にそこにいてくれるだけでいいんですと、ぼくの最小限の関わりを許容してくれた。その結果、ぼくは、福祉的な活動をおそらくなにひとつしていないのに、利用者たちと、とてもいい時間を過ごすことができた。少なくない人と仲良くなれたし、ぼくの障害福祉に対する見方も大きく変わった。

 レッツで過ごす時間が増えるたび、ぼくの「支援」の概念は大きく揺らぎ始めた。支援するというからには、支援する側と、支援される側が明確にあると思っていた。障害者は守られるべき弱者だ。だからこそ「障害者福祉」の制度があり、その制度に基づいてサービスが提供され、サービスの現場に「支援する/される」の明確な関係があり、そこにスタッフが受け取るべき報酬も生まれる。サービスを受け取る人と提供する人の間に、その授受の関係があるはずだと思っていた。

 ところが、レッツが面白いのは、その「する/される」の関係が揺らぐことである。ぼくがやったのは、一緒に小屋を作ったり、一緒に散歩したりゲームしたりすることだけで、それは相手のためなのか自分のためなのかよくわからない。その行動は自分が面白いから行っているようにも思う。そうして面白がって一緒にやっているうちに、支援が図らずも成立してしまっているのだ。つまりレッツの支援とは、支援する/されるという障害福祉サービスの外部にある。

 


 そこで國分功一郎さんの『中動態の世界』を参考にしてみる。ぼくたちは、自分たちの行動や、人と人との関わりを言葉で説明するとき、どうしても「文法」にとらわれてしまう。そのひとつが「態」の違いだ。よく知られているのが、能動態と受動態である。「支援する」と「支援される」、ここにどんな違いを感じるかというと、多くの人が、能動と受動の間に意志の有無を感じてしまうだろう。どうもぼくたちは慣れ親しんだ「能動態と受動態」という対立関係から、無意識に意志や責任の有無を汲み取ってしまうらしい。

 國分さんは、この本の中で、かつてインド=ヨーロッパ語族の諸言語に存在していた「中動態」という態を持ち出す。その記述によれば、ぼくらが慣れている「能動態/受動態」は、じつはあとから登場したもので、もともとあったのは「能動態/中動態」の対立だったのだという。

 では、能動態と中動態の違いはなんだろう。能動態は、主語から「外」に向けて行われるもの。つまり行為を起こした結果、自分ではなくて他者が変容するものを指す。これに対して中動態は、主語から「内」に向けて行われるもの。つまり動作の過程が動作主の内側にあることが示された態である。國分さんの本の中では、能動態の動詞として「曲げる」や「与える」が例示されていた。「私が曲げる」だと、曲げるという行為をするのは私だが、それによって曲げられるのは別の物体だ。確かに自分の動作は外に向けて行われている。これに対して中動態として挙げられているのが「生まれる」「想像する」「寝ている」といったもの。「私が想像する」だと、その想像するという動作は、確かにそのまま自分の状況に還元されている。これが中動態である。

 「中動態」が機能していた時代、動作を表す言葉は、あくまでその動作が動作主の内と外、どちらに向けて行われていたかを描写していたにすぎなかったようだ。あとの時代になって「能動/受動」が生まれ、「誰の意志でそれがなされたか」という概念が導入されたというわけだ。つまり「能動/受動」は、その動作によって生まれた成果や責任は誰に帰属するかを問うてしまう。社会が発展するにつれ、行為者の意志や責任の所在を明確にするために必要とされたのだろう。

 福祉の場にも、つねに責任がつきまとう。がんじがらめと言っていいかもしれない。誰が、なんのために、誰の責任において、それをやるのかを明確にしなければならない。間違った行動によって怪我や病気が発生したり、なんらかの暴力などが起きるかもしれないからだ。ところが、責任や意志を持ち出すほど、福祉事業は「能動/受動」の世界観、つまり責任や意志の世界に引きずられ、「支援する/される」がはっきりと分かれた一方通行なものになってしまう。ぼくは、國分さんの本を読んで、そう解釈した。

 


 それを踏まえたうえで、もう一度レッツの支援を考えてみたい。レッツでは、そこに「いる」ことや目の前の人がいま何をしたいのかを「想像する」ことが支援になってしまう。「いる」や「想像する」は、行為の対象が自分に向けられた中動態の言葉だ。どちらもその動作自体は、相手ではなくむしろ自分に向いている。
 つまりレッツは、本来は利用者のために行うべき支援業務の中に、自分に向けられた中動態的行為を採用しているということになる。もちろん、トイレや食事の介助など「能動態」の支援も行うけれども、それだけでなく、「一緒にいる」、「考える」、「想像する」というような「中動態」的な行為も取り入れ、それを支援の軸にしているのだ。既存の福祉事業所だと、何かしらの生産活動や軽作業、教育的なカリキュラムを行ったりする。それらはどれも「能動/受動」の産物である。しかしレッツは、あえて「中動態」的な支援を模索しているように思える。

 けれども、「一緒にいる」ことが目的化したり、スタッフ自身が楽しめなくなると、「相手のために一緒にいる」という状態になり、どうしても「能動/受動」の関係、「支援する/される」の関係に引き戻されてしまう。そこでレッツのスタッフは、もう一度動作を自分に向け、「自分もいたいように一緒にいる方法」を探るのだ。つまり、自分「も」楽しめる方法を想像し、そのうえで一緒にいるのである。それによって中動態は保たれる。だからいつも支援しているようには見えず、ふまじめで、利用者と悪ふざけしているように見えるのかもしれない(もちろん、やっている当人たちは真剣である)。障害ゆえに言葉にできない相手の欲求を想像し、その人の表現を守りながら、それを一緒に楽しむ。そうして相手の欲求と自分の欲求を重ね合わせているのだ。

 


 しかも、その重ね合わせ方が、蓄積された福祉学の知からではなく、そのときどきの、「こんなときはきっとこれがしたいはず」という、ごくごく一般的な感性と共感から生まれているのが興味深い。レッツでは、夏になるとスタッフと利用者が一緒に水浴びしたりする。スタッフも利用者も同じ目線で目の前の状況を楽しむことができて初めてフラットな関係が生まれ、「支援する/される」という関係を逸脱した共犯関係が生まれるのだ。それらの行為が「水浴び」や「散歩」なら部外者にも関われる。誰にでもできそうな行為だからこそ、部外者が共事できる関わりしろも同時に生まれるのだ。

 レッツの拠点に行くと「支援する/される」が揺らぐ。一緒にいるだけだからだ。利用者と一緒に歌を歌っていると、あたかも「健常者が障害者のために歌を歌ってあげている」ように見えるだろう。けれど、実際には、利用者がリードして歌ってくれているからぼくも歌うことができているんだな、と思うことがあるし、むしろ歌を歌いたかったのは利用者ではなくぼくのほうだったのではないか、と思ってしまうこともある。どちらが支援されているのかわからなくなるのだ。「いたいようにいていい」というメッセージは、利用者だけに向けられているわけではない。ぼくにも向けられている。いままでこのゆらぎを説明するのが難しかったのだが、「中動態」という言葉に出会ったことで、レッツの支援の現場にある豊かさ、支援の逸脱の面白さを、より明確に言語化できるような気がする。

個人の関心と誤配


 レッツが活動拠点で提供しているサービスは、専門的には「生活介護」と呼ばれる。生活介護とは、つねに介護を必要とする障害者に対して、入浴・排泄・食事の介護などを行うとともに、創作的活動や生産活動の機会を提供するものとされる★1。排泄や食事などの介助は、自分の動きによって相手が変容する支援なので、能動態的支援の範疇だと言えるだろう。一見すると中動態的にも思える「創作的活動の機会提供」も、例えば紙やハサミを用意して相手の作りたい環境づくりを整えたり、相手のために楽器を用意したりするだけでは、行為の方向が相手を向いたままであり能動的支援の範囲内だ。いくら「一緒にいる」としても、そこに「相手のために」という思いが強まってしまったら、「支援する/される」の関係が揺らがない。やはり、その状況を徹底して面白がり、一緒にいようとすることが中動態的な要素を強めることになるのだろう。

 


 では、どうすれば一緒にいることを面白がることができるのだろう。ぼくは「支援しない」という選択肢があるのではないかと考えている。支援せずに、自分の関心や興味によって関わりを作り、一緒にいることが、「結果としてみたら支援になっていた」という状況を作る。支援しないのであれば、支援のプロではなくても事を共にすることができる。

 この連載の3回目で、民俗学者の六車由実さんが提唱する「介護民俗学」を紹介した。六車さんは静岡県のデイサービス「すまいるほーむ」で、利用者への聞き書きなど民俗学的アプローチを取り入れた支援を試みている。民俗学者にとって、老人ホームの利用者はその地域の文化や歴史を知る立派な「リサーチ対象」だ。介護サービスを通じて利用者と向き合わなければいけない介護職員とはスタンスが異なる。民俗学的な知識があるからこそ一定時間飽きることなく話を聞くことができるのだろうし、利用者にとっても、心を開いて大切な話をする時間や、何より自分らしくいられる時間になることだろう。

 相手と向き合うことを、相手のためにではなく自分に動機を迂回して行う。これが「一緒に面白がる」ことの要点だ。もちろん民俗学ばかりではないだろう。麻雀が大好きな利用者の麻雀に付き合うのは一般の福祉職員にとってはキツいかもしれないが、麻雀が大好きな人なら問題ない。どうしても散歩や徘徊をしてしまう人には、ウォーキングを毎日やっているダイエッターを同伴者としてマッチングできるはずだ。ドラムを叩くのが好きな利用者の自分らしさは、介護職員ではなくドラマーによって引き出されるかもしれない。このように、ぼくたちは、特別な介護の知識や経験がなくとも、自分が好きなことや興味のあることを通じて、利用者の「自分らしい時間」に共事することができるのだ。

 つまり、ぼくたちは、支援ではない方法ならば、「一緒にいる」状態、中動態的支援の場を作ることができる。このことについて、ぼくはこの連載の第3回で、東浩紀さんの『テーマパーク化する地球』の終盤に収録された「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」という論考を紹介した。そこでは、対価に見合ったサービスを提供し合う等価交換ではなく、その交換を超える「贈与」や「余剰」に生まれる誤配について語られている。ここで改めてもう一度引用してみよう。

 その営みは完全に等価交換のなかにあるわけでもない。なぜならば、ゲンロンのコンテンツは、じつは商品であって、同時に商品でないからである。ゲンロンはコンテンツの提供にあたって、つねにそこに、等価交換以上の「なにか」を、すなわち、消費者が支払いのときに事前に欲望=予想していたものとは異なる経験を忍び込ませるように試みている。[中略]これは、等価交換を意図的に「失敗」させるということでもある。消費者は、ゲンロンにおいては、商品を買うことで、少なからぬ確率で、最初に欲望=予測していたものとはちがうなにかを受け取ってしまう。それは等価交換の失敗である。けれどもその失敗は、同時に、購入者の欲望=予測が「変形」され、新たな創造性の回路が開かれるということでもある。ぼくはしばしばそれを「誤配」と呼んでいる。★2


 当然のことだが、福祉施設におけるプロフェッショナルの職務は支援することだ。支援サービスを成立させなければいけない。しかし、サービスを徹底しようと思うほど外部の人は関わりにくくなり、個人的な動機も絡めにくくなる。支援は一方的になり、一方的になるほど、責任や意志の所在をはっきりさせなければいけなくなる。冒険的な活動は難しくなってしまうし、素人は、より関わりにくくなる。
 一方レッツは、ぼくのような外部の人間に門戸を開いたり、福祉外の領域から人材を登用したり、一緒に楽しめる術を考えながら、利用者が自分らしくいられる空間づくりを続けている。東さんの言葉を借りれば、そうしてあらかじめ予測された交換を失敗させようとするのである。東さんは「欲望が変形したときに、新たな創造性の回路が開かれる」と言う。それが「誤配」なのだと。

 福祉の現場では、当然福祉サービスの質を高めることが追求されている。それを否定するつもりは毛頭ない。けれど、それだけではどうしても内側に閉じてしまう。そこに、福祉のプロでも支援のプロでもない、誰かの関心や趣味を通じて支援に関われる「依り代」があることで、支援全体が豊かになるのだ。その豊かさを、「誤配」という言葉が解き明かしているように思うし、レッツの取り組みが、福祉事業であるだけでなく「哲学的営為」なのだと教えてくれる。

 


 このように、「中動態」や「誤配」という言葉があることで、支援の現場で起きている「支援する/される」の「ゆらぎ」を、より明確に言語化できるような気がするのだ。レッツの支援の日常を、「支援なんだかよくわからないカオスな状態」と説明するのも確かに面白いけれど、哲学書を経由することで、現場で複雑化した課題や、課題解決のプロセスで起きる様々な葛藤や悩みがよりクリアになり、ともすれば「現場のありふれた日常」として流れてしまうものの中に文化的で豊かな営みがあったのだとわかってくる。現場の人たちに知恵と勇気を与えてくれるものが哲学や思想なのだと思う。

哲学と共事


 現場の人たちの勇気を与えてくれるものだと書いたものの、哲学が光を当てるのは、何も現場の豊かさだけではあるまい。既存の福祉や、課題の「当事者」そのものにも批評的な光を当てるのも、思想や哲学だ。例えば中動態は、意志や責任ばかりが取りざたされる一方的な福祉のあり方に一石を投じるし、誤配は、当事者だけの関わりの限界を伝えているようにも思う。哲学は、これまで光の当たらなかった現場の苦悩が生んだ豊かさを伝え、ある社会的な事象を、違った捉え方で考える道具になる。それと同時に、既存のシステムの不具合やネガティブな側面、つまり広い意味で「課題」そのものを伝えることもある。

 レッツの取り組みや、中動態、誤配、あるいは、ぼくが本稿で考えている「共事」という考え方は、当事者とはされない人たちのゆるやかな関わりの豊かさに光を当てる一方で、既存の「当事者」という存在に、結果的に批判的な光を当ててしまうようにも思う。

 世の中は当事者の時代だ。当事者の存在は強く、重い。もちろん、何かの困難を宿命づけられている人たちの声を聞くことは重要で、当事者同士の小さな集まりから苦しみが緩和されたり、新しいネットワークやコミュニティが生まれるということはある。Googleで検索してみれば、障害のある人たちの「当事者運動」の歴史をあちこちに見つけることができるだろう。当事者の声は、重く受け止めなければいけないというのは百も承知だ。

 しかし一方で、清く、正しくというポリティカル・コレクトネスを求める声は、多くの人が精神的な余裕を失ったコロナ禍においてさらに大きなものになっている。弱者の声を聞くこと、当事者の声を聞くこと、それは間違いなく正しい。しかし、正しいがゆえに独善的な考えに陥ったり、異論を排除してしまうということになりはしないだろうか。大事なのは「当事者の声」であって、「当事者の声を聞けという誰かの声」ではない。ぼくは、当事者ではないからこそ「当事者の話を聞かなければ」と思う一方で、当事者同士の強い連帯を見せられると、「当事者にはなれない自分」が悪い存在なのではないかと思ってしまい、当事者とされる人には何も言えなくなってしまうことがある。

 震災当時、東京に暮らしていた福島県出身者が言っていたことをふと思い出した。自分は、福島県出身者なのに震災を経験していない。原発事故も経験していない。それなのに周囲からは「福島の人」だと思われ、心配されたり同情されたりする。けれど、実際に経験しているわけではないから、震災当事者から「どうせあなたは震災を経験してないでしょ?」と言われているような気持ちになってしまうし、実際、その苦しみに共感できない自分が辛い。中途半端な立場がこれほど苦しいのだとわかっていたら、あのときに被曝すればよかったと。「当事者か否か」という括りが、もしかしたら、別の苦しみを誰かに与えているのではないだろうかと思わずにいられなかった。

 支援の現場がそうであるように、「当事者のために」と思うほど、正しい支援にこだわるほど、ぼくたちは、いつの間にか一方通行になってしまう。相手のことを「弱者」だと考えてしまう。そして結果として「支援する/される」の関係を補強してしまうことにぼくは気がついた。このような時代において大事なのは、当事者の求める声と、そのまわりにいるぼくたちの思いをすり合わせるプロセス、つまり中動態的な捉え方、関わり方をすることなのではないだろうか。

 決して「当事者なんて無視していい」と言いたいわけではない。当事者の存在や、当事者同時の連帯の機会を守りつつも、その周囲の、社会課題の解決のカギを握っているのにまだ言語化されないゆるっとした存在を可視化することで、課題を社会に開きたいからだ。
 これに似た言説として「みんなが当事者だ」というものもある。けれど、みんなが当事者だと言ってしまったら、紛れもなく辛い宿命を背負わされた人も、そうではない人も一緒くたになってしまう。当事者はいる。当事者の苦しみに寄り添いたいと思うからこそ、具体的な行動に「巻き込まれていく」外部の人たちの存在は絶対に欠かせないと思うし、そういう「意識の低い」関わりを、意識の低いぼくだからこそ、作りたいと考えてきた。

 


 思えばゲンロンの取り組みも、そのようなものかもしれない。東浩紀さんは哲学・思想の当事者だ。上田洋子さんはロシア文学や演劇の当事者である。ふたりは自らの当事者性の高さや、当事者が作るコミュニティの閉鎖性を自覚しているからこそ、観客に重きを置き、その観客を育てるためにゲンロンカフェを開き続ける。そして、当事者として、これまでとは違う別の迂回路を通じて思想や哲学にタッチしてしまう、そんな書き手や観客を育てるために、ぼくや、『新写真論』を上梓した大山顕さんのような書き手を世に送り出したのではないか。同じように、クリエイティブサポートレッツの理事長の久保田翠さんもまた、福祉人材ではなく、様々な文化の担い手たちと、これまでの福祉の外部を作ろうと奮闘しているように見える。久保田さんは「利用者のためには福祉人材ではなくて友人たちが必要だ」と言う。ゲンロンの試みも、レッツの試みも、人間がこれまでに積み上げてきた膨大な知の営みや、想像を絶するほどの厳しい現場の知見を「社会に開く」試みだという点で共通している。彼ら当事者が、「部外者でもどうぞ関わってくださっていいんです」と言ってくれるからこそ、ぼくたちはゆるく考えることができる。

 そんなふうにゆるく哲学書を読み返しながら、いまいちど「当事」と「共事」という言葉の響きについて考える。「当事」する。事に当たる。この言葉は、目の前の困った状況に対応するために行動する、いかにも能動態的な響きがする。しかし「共事」は、事に当たるのではない。事を共にするだけだ。これは「一緒にいる」という言葉に近い。より「中動態」に近い言葉なのではないかという気もするし、「共事者」は「観光客」にも近い。もちろん、ぼくが考えていることが東さんや國分さんと比肩するのだと言いたいわけではない。ぼくたちは哲学の当事者ではなく共事者である。ぼくが支援だと思わずにレッツの拠点でいい時間を過ごすことができたのと同じように、自分の現場から得られたことを勝手に考え、あれこれ結びつけたりして哲学に共事することならできるはずだ。そこに誤配が生まれ、もしかしたら、結果的に哲学としか言えない何かが生まれるかもしれない。共事は、事に当たらない。事を共にするだけだから、考えることや、思考することと相性がいい。現場の体験をもとにゆるりと思考を続けていきたい。

★1 福祉医療機構が運営する以下のサイトを参照。URL=https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/syogai/handbook/service/c078-p02-02-Shogai-06.html
★2 東浩紀『テーマパーク化する地球』、ゲンロン、2019年、377-378頁。
 

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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