SFつながり(6) BtoF|琴柱遥

初出:2020年09月23日刊行『ゲンロンβ53』
〈ゲンロン 大森望 SF創作講座〉の関係者を中心に、ゲンロンとかかわりの深い書き手によるリレーエッセイコーナー「SFつながり」。今回は、第3回ゲンロンSF新人賞を受賞した琴柱遥さんに、「同人字書き」の情熱とアイデンティティ、「魂」、そこに立ちはだかる障壁について書いていただきました。9月23日配信予定の『ゲンロンβ53』より先行公開です。
 琴柱さんには、同9月23日発売の『ゲンロン11』にも、書き下ろし小説『人間の子ども』をご寄稿いただいています。そちらもどうぞお楽しみに!
 『ゲンロン11』は現在好評発売中です。(編集部)

 

 なぜ私はSFを書き始めたのかという話をしなければいけない。

 私は小説を書き始めて10年来、同人字書きとして暮らしてきた。字書き、というのは二次創作活動を行う中で、小説を書く人のことをいう。漫画もしくはイラストを書く人を表す言葉は絵描きだ。対応する表現として出てきた呼び名だろう。二次創作を行っていれば同人字書き、オリジナル創作を行っていればオリジナル字書きだ。

 そして同人字書きの生態を知りたいと思えば、Twitterで話題を呼んでいる漫画「同人女の感情」シリーズ★1を読めばいい。私の周りの同人字書きはみんなアレを読み、「だいたいあんな感じ」と口を揃えていう。

「同人女の感情」は、二次創作同人の世界で創作を行っている女性たちの悲喜こもごもを描いた作品だ。それぞれの話は1話で完結している中、シリーズを通じて登場するのが神字書きの綾城さん。「神」というのはやはり同人界で用いられるスラングで、「すばらしい作品を作る人」「カリスマ性があり、周囲を牽引する力のある作品を書く人」「私が崇拝する人」といったニュアンスを持つ。第1話の主人公は自称凡庸な同人字書きであり、綾城さんの作品を読んでショックを受けた日から小説に憑り付かれた亡霊と化す女。第2話の主人公は綾城さんの熱烈なファンであり、彼女のジャンル移動(どの作品の二次創作をおこなっているかをしめして「ジャンル」という。他の作品の二次創作を書き始め、その前に書いていたジャンルの作品を書かなくなってしまう事は「ジャンル移動」と称される)に衝撃を受ける女。そして第3話の主人公はすでに流行が去って久しいジャンルにハマってしまい、Webに残された作品を細々と漁っている中で「同人誌を発行しました」の一言を見つけて死に物狂いで探し始める女。

 分かる。分かってしまうのだ。

 同人小説を書いている中には、「なんでこの人がプロじゃないんだろう」というぐらいに素晴らしい作品を書く人がいる。自分が大好きな作家さんがジャンルを移動してしまい、2度と○○さんの書く■■が読めないということに打ちひしがれる日もある(同人女の中には、二次創作を書く作品の軸足を移すとき、SNSアカウントを消したり作品を消去してしまう人も多い)。すでに流行が去って久しい過去のジャンルにハマってしまった時には、必死でネットを検索して回り、作品を見つけることができれば大喜びする。でもそういう作品に限って長編が未完結だったりするんですよね。分かるよ。
 
 
 特に身につまされるのが、現在(8月14日)まだ後編が発表されていない第5話、「前人未踏の0件ジャンル」の主人公だ。

 主人公は自称大都会で働く女、そしてBL界の読み専オタク。なお読み専とは、同人作品を読んでいるが、創作は行っていない人のことを指す。彼女は通勤途中の電車の中で二次創作小説を読むことを日々の楽しみにしている。作中では『金スト』という作品が流行しているという設定になっている。二次創作を行っている書き手も大勢いて、面白い作品が日々生み出されている。主人公もまた『金スト』のファンであり、読むものに困る事のない充実したオタク生活を送っていた。ところがひょんなことから『金スト』作者のデビュー作、『銀のトリガー』を読んで、見事にはまり込んでしまう。発表は12年前、2巻打ち切り。けれど内容は素晴らしい。何より登場人物同士の関係が気になってしょうがない。きっと同じ気持ちでいる人はたくさんいるはず!

 けれどWebで検索したところ、『銀トリ』の二次創作は0件。誰も書いていなかったのだ。萌えを持て余した彼女は唯一オタクであることを明かしている幼なじみを呼び出し、何時間もかけて萌え話をぶちまけ、二次創作がひとつも見つからないことを嘆く。すると幼なじみは最後にこう言うのだ。「そこまで考えてるなら/自分で書けば/良いんじゃないの?」

 私は第5話の主人公に深く共感する。

 同人字書きはこういったきっかけで書き始める人がとても多い。「無いと嘆く前に書け」「書いてください、読みます!」という言葉が今日もネットを飛び交う。私も同じセリフを何度も言った。そして、読み専だったときに知り合った友人は今ではすっかり立派な字書きになり、「昔は○○さんは雲の上の人だと思ってたんですよぉ」などと言って人をびっくりさせたりもする。

「同人女の感情」の巧いところは、心の中では嫉妬や羨望、尊敬が渦巻き荒れ狂っている女たちが、けっしてその感情を作者に直接ぶつけようとはしないという部分だ。これは実情に即している。二次創作同人の世界を研究している専門家はこう指摘する。「その一方で、創作を行う人が多いやおいコミュニティでは、互いの絵や文章等の技量がわかりやすい。また、同人誌即売会での同人誌の売れ行きや近年ではSNSで「お気に入り」ボタンが押された数などによって、作品の人気が目に見えるようになっている。そうしたことはやおいの作者たちを序列化し、他の作者への羨望や嫉妬を引き起こして、仲間との関係に水を差しかねない。そのため、やおいコミュニティでは他の人の作品を表立って批判することは控えられることが、かねてより指摘されている」★2

 私の実感は少し異なる。仲間との関係を大切にしているから他の人の作品に対しての批判や批評を控えるというよりも、厳しい意見によって萎縮した作者が発表を辞めてしまい、結果的に読めるものが減ってしまうことへの危惧が大きいのだと思う。作者はジャンルそのものの共有財産だ。神字書きが1人だけいたところでジャンルを支えることは不可能で、裾野の広さが強さを決める。だから同人女は積極的に仲間を褒め称え、おだて上げ、どうにか作品を書かせようとする。ブタを鈴なりに木の上に登らせたい。私だってしょっちゅう登らされてきたから、今も小説を書き続けている。

 私は同人界に深い愛着を抱いている。これからだって、そうだろう。チャンスがあれば同人小説を書くし、いい作品に出会ってしまった日は、動揺のあまり眠れなくなる。オリジナル小説とは異なる何かがそこにある。

 けれど同時に、二次創作同人の世界には、まったく異なる側面も存在している。

 私の幼なじみが結婚することになった。その夫がスカート以外着るなと言うような人だったのでパンツをすべて捨てた。でもBL本は捨てられないというのでコミュニティの仲間総出でPDF化した。流石にトラウマになった。……というような趣旨のツイートを最近見かけた。

 私たちのコミュニティがどういった性格を持っているのかをよく表した内容だと思う。たぶんこのツイ主の幼なじみは、今後も私はBLが好きなんです、ということを配偶者に明かそうとはしないだろう。妻にスカート以外の服を捨てさせるような男がBLに配慮を示すはずがない。皆、それぐらいは理解している。けれども大切な本を捨てるのは嫌だし、そもそも同人誌は入手チャンスが限られている。1度手放すと2度と入手できない。そのことも痛いぐらい分かっている。だから苦い顔をしながら仲間をかき集め、本を裁断しPDF化するなどという大仕事に総出でとりかかるのだ。

 これがどれぐらい異常な事態であるのかは、二次創作同人の世界にいると、なかなか気付くことができない。

 結婚するときに何を読んでいいか、悪いかを配偶者によって検閲されるというのもおかしいし、申し出るよりも先に「検閲されてもしかたがないもの」という認識を共有しているのもおかしい。なのに二次創作同人の世界では、この話をせいぜいがそういうこともあるだろう、という程度の苦労話として受け取ってしまう。大切な本を人に見られてはいけないものとして扱うことも、それでも手放したくないからとその本を切り刻むことも、ありえる話だと思ってしまう。異常だと感じることができない。

 たとえばこれが他の何かだったらどう思うだろう、たとえばヴァイオリンの楽譜だとか、カメラだとか、ペットの爬虫類だったら? 爬虫類だったら相談は必要かもしれない。苦手な人は本当に苦手で、生活空間を共にすることが困難かもしれないから。でも、そこで配偶者の理解が得られないからという理由で何かを手放すとしたら、あくまでそれも妥協の結果、生活を共にするための譲歩という形になるだろう。なのに二次創作同人の場合は最初から取り上げられる可能性を先に考える。コミュニティの人々もそのリスクを当然のものとして受け止めている。このことは二次創作作品が最初から権利上の問題を孕んでいるという部分とは、別のところに由来する問題であるように思う。法的にグレーな存在ではないオリジナルのBL作品の場合でも、状況はさして変わらないからだ。

 最近はBLも世間に認知されるようになってきたから、家族公認の下で楽しんでいる家庭もたくさんある。けれどもそれも、「夫も同人に理解があるので」「腐女子だということをカミングアウトしているので」と特殊で貴重なケースのように前置かれることも多い。

 大げさだろう、今はBLも世間に受け入れられるようになったんだから、自意識過剰では? 色んな意見があると思う。でも、腐女子でいると、色々なニュースが耳に入ってくる。都の不健全指定図書に、今年もBLが指定されたらしい。大阪の図書館ではBL本を閉架にするよう府民の要望があり、一度はすべてが書庫に収められ今後の収蔵は行わないよう決めたらしい。もっと細々したものもある。『ジャンプ』の少年漫画の中に女性ファンの人気が高いものがあれば「腐女子に媚びている」と言われ、アイドルもののスピンオフ作品で男性アイドルを扱ったものが発表されると「ホモ○○」と蔑称が付けられる。私たちは世間から歓迎されていないらしい。おおっぴらにファン活動を行うと作品そのものに迷惑をかけるのだ。

 こういった現状に、疑問を抱いていないわけではない。けれども私たちは隠れて生きることにすっかり馴れてしまっていたし、表現の自由などという「大それた権利」が許されていると思ってもいない。自己検閲が常態化しているのだ。私だって例外ではなかった。

 けれども中国でBL作家が逮捕されたという事件を知ったときに、どう考えてもこれはおかしい、と思ってしまった。

 2018年、中国のCtoCサービスでBL小説を販売していた女性作家が逮捕され、懲役10年半の判決を受けた。

 この判決は殺人罪に対して下されるものよりも重い。それだけではない。その4年前にはすでに20人の女性作家が拘束されているし、さらに最近ではBLドラマの原作となった作品の作者が行方不明になってもいる。当局に拘束されたらしいという噂も流れている。

 女性が、男性同性愛を扱ったフィクションを、女性に向けて書いたことが、殺人罪以上の重罪になる。

 これはどういう事態なのだろう。BLっていったい何なんだろう。

 日本はBLの発祥国で、最初期のやおい小説である森茉莉『枯葉の寝床』から数えると、すでに60年に及ぶ「BLの歴史」を持っている。60年は、長い。日本近代文学に例えると、尾崎紅葉『金色夜叉』から三島由紀夫『豊穣の海』へ至るのとほぼ同じだけの歴史を持っている。

 そして同人女はそれこそ世界中にいる。チリにも、インドにも、トルクメニスタンにもいる。年齢も家族構成も職業も様々だ。子育てをしている主婦の同人女もいれば、発展途上国で技術支援をしている人もいるし、難病で入退院を繰り返している人もいる。つい先日見かけた漫画では、作者が自分はレズビアンであり、異性のカップルがたくさんいる中で、自分は人前で恋人とキスをすることもできなかった悔しさがこの作品に繋がったのだと語っていた。

 BLは女性によって書かれる女性のための創作物としてスタートした。そして現在、最小は前人未踏の0件ジャンルを前にパソコンにはじめて向かい合った1人の同人女に始まり、最悪は殺人罪よりも重い罪で当局に拘束されたBL作家にまで広まっている。皆そこまでしても読みたいし、書きたい。

 印象的だったツイートがある。

 二次創作を書きはじめた最初のころは、面白いネタを思いついたから書いちゃおう、ぐらいの軽い気持ちで書き始める。なのに気が付いたら、 “自分を救うため” というような変に深刻な姿勢になってしまっている、というような内容のツイートだった。けれど実は、こういった内容は珍しいものではない。「二次創作は自分の魂を救うために書いている」と語る書き手はそう珍しくない。私も例外ではなかった。生きるために書いている、と感じたことが何度もあった。

 どうしてなんだろう?

 冒頭に上げた「同人女の感情」に登場する同人女たちは、みんな、社会の中で生活しているごく普通の女性たちだ。スマホで小説を読む場は通勤の行き帰りの電車の中であり、もう片手は電車の吊り輪を握っている。短い時間をやりくりし、時には睡眠を削って小説を書き、お互いの書いたものに感動したり嫉妬したり、一生忘れられないような衝撃を受けたりもする。一方で同人字書きであることにより、親や友人、SNSの見知らぬ人々からの不快な発言を避けるためにアイデンティティを隠す努力をし、時には検閲のリスクすら冒さなければならない。それでも私たちは書いている。時には気軽な冗談を共有するために、時には自分の魂のために。

「そこまでして」も書きたい人々と、「その程度」を踏み消さないといけないと思っている人々と。フィクションに向かう情熱と、フィクションを踏み潰そうとする意志と。そこにあるものって、いったい何なんだろう。

 このことについてだけは二次創作同人では書けそうにない。でも他の書き方を私はひとつだけ知っている。

 そう思ってしまったから、私は1人の同人女のまま、SFの世界へと這いだしてしまったのかもしれない。

★1 「同人女の感情」シリーズはpixivで連載されている。
URL=https://www.pixiv.net/user/32130471/series/87285
★2 東園子「やおいコミュニティにおける実践」、堀あきこ、守如子編『BLの教科書』、有斐閣、2020年、161‐162頁。参照されている文献は中島梓『タナトスの子供たち』(筑摩書房、1998年)。

 


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ゲンロン11
2020年9月発行 A5判並製 本体424頁
ISBN:978-4-907188-38-2

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電子書籍版も近日リリース予定です。

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青山学院大学文学部教育学科・日本宝飾クラフト学院宝石学部卒。ペンネームの由来は谷崎潤一郎『春琴抄』より。

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